被告第12準備書面

令和元年(ワ)第338号 損害賠償等請求事件
原  告  株式会社村田商店
被  告  遠藤 千尋

被告第12準備書面

2021(令和3)年12月23日
奈良地方裁判所民事部合議1係 御中
被告訴訟代理人弁護士

第1 本準備書面の趣旨

本準備書面は、裁判所の整理に対応するかたちで、被告の主張と立証をまとめたものである。したがって、被告第9準備書面と重複するところが多いが、証人尋問で明らかとなった事柄について補充した。また、FACT.3の③については、原告が本件土地1を購入して以降、従前争点表でFACT.1に関するものとして整理した主張が関わってくると思われるため、それらをこちらに移動させた。

なお、証人尋問を踏まえた主張については、文頭に「【証】」と付記した。[ ]はこれまでの準備書面(被・原)及び争点表(表(主張番号))中の該当する箇所を示す。( )は、主張と関係する書証である。証人尋問調書については、「証〈名前〉」と表記する。

第2 裁判所の整理に関連する被告の主張一覧

1 FACT1について

(1) 本件土地1の不法掘削及び不法占拠について

① 「平成15年(2003年)ころ、〈村田商店代表乙の父〉が本件土地1を掘削した際、〈村田商店代表乙の父〉に掘削権限がなかった事実(〈村田商店代表乙の父〉と亡〈東鳴川Cの亡父〉の賃貸借契約に本件土地1の掘削権限が含まれていなかった事実。ただし,被告が,上記事実を摘示したかどうかにつき争いがある。)。」に関する被告の主張及び立証

(ア) 本件記事に、本件土地1の掘削のみを取り出して、村田養豚場に掘削権限がなかったと記述している箇所はない。[被②13-14頁、被④6頁、表(1)](甲2乙139〈遠藤〉(111))

(イ) 原告による山林掘削工事は、本件土地1とそれ以外を区別して行われたものではなく、越境掘削はあった上、原告は越境掘削した他人地を占拠し続けている。[被②13頁、被④6頁、争(2)](乙139〈遠藤〉(111))

(ウ) 〈村田商店代表乙の父〉による山林掘削が〈東鳴川C〉にとって不本意な工事であったことを示すため、原告も認めているように、裁判があったという事実のみを摘示したものである。[被②13-14頁、争(3)](甲5甲6=裁判はあった、乙139〈遠藤〉(112))

(エ) 小括

以上(ア)乃至(ウ)の通り、本件記事に、平成15年(2003年)ころ、〈村田商店代表乙の父〉が本件土地1を掘削した際、〈村田商店代表乙の父〉に掘削権限がなかった事実(〈村田商店代表乙の父〉と亡〈東鳴川Cの亡父〉の賃貸借契約に本件土地1の掘削権限が含まれていなかった事実)は、そもそも記載されていない。

② 「〈村田商店代表乙の父〉と亡〈東鳴川Cの亡父〉との間の本件土地1に関する賃貸借契約が解除され終了した事実」に関する被告の主張及び立証

(ア) 平成17(2005)年2月以降、〈東鳴川C〉は、本件土地1賃貸借契約に基づく〈村田商店代表乙の父〉からの賃料支払いを拒否しており、〈東鳴川C〉が本件賃貸借契約の解消を望んでいたのは明らかである。[被①17-18頁、被④7頁、表(4)](甲5:6頁、甲6:7頁)

(イ) 平成20(2008)年7月頃、木津川市からの問い合わせに対し、〈東鳴川C〉は「内容は土地の明け渡しに関して双方の借地契約書の借地期限の違いから調停が行われ、不成立になった。相手の契約書の借地期限の切れる来年(平成21(2009)年)2月まで静観をしたい」旨述べた。[被①18頁、被②16-17頁、被④7頁、表(5)](乙6:15頁、乙81:2頁)

(ウ) 原告は平成22(2010)年4月14日付け内容証明郵便で、本件賃貸借契約を解除することを〈東鳴川C〉に通知し、同郵便は翌15日に配達された[被①18頁、被②15頁、被④7頁、表(6)](甲5:6頁)

(エ) 本件土地1の掘削をめぐって原告と〈東鳴川C〉が争った裁判(以下、「本件土地1裁判」という。)において、裁判所は本件賃貸借契約の解除が無効となったとの判断は示していない。[被④6-7頁、表(7)](甲5甲6)

(オ) 【証】証人尋問において、被告が本件賃貸借契約が継続していないと判断した根拠について特に関心が持たれていたように思われるため、この点について補足する。

上述(イ)は、被告第1準備書面12頁(12))で述べた通り、木津川市が原告に対し市道上の建築物を撤去するよう求めていたことに関連した出来事である。上述(イ)の〈東鳴川C〉の発言は、〈村田商店代表乙の父〉が「奈良市側の所有者から借地している範囲に市道が入っていると聞いている。市の言うこともわかるが、所有者から話があってしかるべき」として、市の求めを拒否したことを受けてのものであった。すなわち、平成20(2008)年7月時点では、本件賃貸借契約が障害となって、木津川市が、原告に木津川市道から建築物を撤去させることができなかったとわかる。

また木津川市の平成20(2008)年第4回定例会(第3号)においても、建設部長が以下の通り同様のことを答えている。

「先ほどの道路でございますが、養豚場を経営されている方につきましては、道路を含んだところまで借りているという主張でございまして、土地所有者につきましては、ここまでだということはわかっているわけですけれども、その話し合いが、借りている方が土地所有者しか話をしないということでございまして、私どもは「ここまでですよ」ということを言いに行っているわけですが、「市とは 話をしない。所有者としか話をしない」ということですので、その話の中でちょっとおくれているということでございます。」(乙6:19頁)

ところがそれから2年半後に開かれた木津川市の平成23(2011)年第1回定例会(第6号)では、建設部長が「市有地に設置されているプレハブにつきましては、平成21(2009)年10月ごろに養豚場経営者がプレハブを撤去することとなっておりました」と述べている。[被①13頁](乙6:34頁)

平成21(2009)年10月ごろは、〈東鳴川C〉が本件賃貸借契約の借地期限とした平成21(2009)年2月の7ヶ月後である。なお、その半年後の平成22(2010)年4月14日、原告は〈東鳴川C〉に本件賃貸借契約の解除を通告している(甲5:6頁)。

そして、平成24(2012)年5月17日となってようやく、木津川市道上の建築物が撤去された旨、木津川市に報告があった[被①13頁](乙7-3)。これは本件土地1裁判の控訴審で、本訴反訴ともに請求が棄却された平成24(2012)年3月21日の2ヶ月後である。

被告は、原告が〈東鳴川C〉に本件賃貸借契約の解除を通告したことや、本件土地1裁判の正確な結審日を知らなかったが、市道上の建築物が結局撤去されたことは現地を見れば一目でわかる。またその他の上記の経緯はすべて木津川市議会議事録で木津川市の答弁として確認できることである。

以上の通り、本件賃貸借契約が障害となって、木津川市が市道上から原告の建てた建築物を撤去させられなかったところ、〈東鳴川C〉が本件賃貸借契約の期限とした時期の7ヶ月後に原告が市道上に設置した建築物の撤去が決定し、さらに本件土地1裁判が実質的に終結(控訴審結審)したと思われる時期の2ヶ月後に原告は実際に市道から問題の建築物を撤去したのであるから、遅くとも市道から建築物が撤去された頃までには、本件賃貸借契約が完全に解消されたと、被告が考えたことは当然である。

なお、証人尋問において、原告代理人は「この賃貸借契約は建物所有ですよ。建物所有目的というのは、借地借家法で30年は保証されている契約です」と強調した(証〈遠藤〉26頁)が、本件土地1裁判の控訴審判決において、裁判所は、原告がまさにそのように主張すれば、本件土地1における使用収益が法的に可能だったにも拘らず、原告はそうしなかったと指摘している(甲8:8-9頁)。

つまり原告は、現実には原告代理人が証人尋問において強調したような主張は行わず、本件土地1で畜産業を営むことを断念して、本件賃貸借契約を解除したのであった。実際原告は、証人尋問において、被告代理人から「あなたは,反訴のときに,〈東鳴川C〉さんとの契約を解除されていますね。」と問われ、「はい」と答えて、本件賃貸借契約を解除したことを認めている。

現在原告は、本件賃貸借契約が本件土地1裁判後も継続していたと主張している(証〈代表乙父〉10頁)。しかし原告は本件土地1裁判の後、本件賃貸借契約の解除を撤回したとも、〈東鳴川C〉と賃貸借契約を再契約したとも述べていない。また原告は、本件賃貸借契約を解除した後、本件土地1買取が決まった令和元(2019)年8月までの間、〈東鳴川C〉に全く賃料を払っていないことを認めている(証〈代表乙父〉16頁)。したがって、現在における原告の認識とは裏腹に、現実には本件賃貸契約が継続していた実態は何ら存在しない。

(カ) 原告は、本件賃貸借契約の解除を通知した平成22(2010)年4月ごろまでに、本件土地1において本件賃貸借契約の目的とされた「畜産業(牛の放牧)」を営むことを断念した。実際その後も本件土地1において牛の放牧は全く行われなかった。[被②17頁、被④6頁、表(8)](甲6:9頁)(乙139〈遠藤〉(113)、乙136〈加茂町B〉(9))

(キ) 平成27(2015)年10月22日、〈東鳴川C〉は、被告に対し、原告に勝手をさせないため本件土地1に抵当権をつけてもらったと語った。[被②15・19頁、表(9)](乙139〈遠藤〉(71)、証〈遠藤〉11頁)

(ク) 原告が〈東鳴川C〉から聞いたとする「尋常でない打ち明け話」は事実と異なる。[原①8-9頁、被②17-20頁、表(10)](乙80の1乃至2乙136〈加茂町B〉(2))

(ケ) 平成18(2006)年11月ごろに、〈東鳴川C〉と、本件土地1隣接地所有者らが、土地不譲渡確約書を交わし、その際、土地を貸さないことについても約束していた。[被②18・24頁、被④10-11頁、表(11)](乙80の1乃至2)

(コ) 令和元(2019)年5月ごろ、〈東鳴川C〉が本件土地1売却を前向きに検討するようになったのだとすれば、原告が〈東鳴川C〉に好条件を示したことが、その理由だと考えられる。[原①9頁、被②20-21頁、表(12)](乙136〈加茂町B〉(6)、証〈加茂町B〉8頁)

(サ) 本件土地1裁判確定後、〈東鳴川C〉が原告から賃料を受け取ることを拒否していたにも拘わらず、原告はこれに対抗して賃料の供託を再開したとは主張していない。[原①8頁、被②21頁、表(13)]

(シ) 令和元(2019)年8月8日付けの領収書は、本件賃貸借契約の規定と異なり、賃貸借期間が年末ごとに区切られているため、これら領収書を本件賃貸借契約が継続していた証拠とみなすことはできない。[被②21-22頁、表(14)](甲12の1乃至3、乙139〈遠藤〉(176))

(ス) 売却交渉成立後に追加で支払われた賃料に、本件賃貸借契約の継続を認定する効力があるとは、到底考えられない。[被④8-9頁、表(15)](甲12の1乃至3、乙139〈遠藤〉(176))

(セ) 平成27(2015)年10月22日、〈東鳴川C〉は、被告の聞き取りに対し、平成21(2009)年には契約は解消されたと明言した。その後も、〈東鳴川C〉が、被告の聞き取りに対し、本件賃貸借契約が継続しているとの認識を示したことはない。[被①18-19頁、被②14-17頁、表(16)](乙139〈遠藤〉(71,162)、乙136〈加茂町B〉(5)、証〈遠藤〉11頁)

(ソ) 〈東鳴川C〉は、被告のほか、〈加茂町B〉と木津川市議〈木津川市議P〉に対しても、本件土地1売却の事情を語っているが、その内容はいずれも本件賃貸借契約が継続していたことを前提としないものであった。[被④8-9頁、表(17)](乙139〈遠藤〉(177,178)、乙136〈加茂町B〉(6)、証〈加茂町B〉8頁)

(タ) 原告は、本件御通知書においては、本件賃貸借契約が存在し、かつ、同契約が継続しているとは主張していない。[被①19頁、表(18)](乙1乙139〈遠藤〉(161))

(チ) 奈良県は、平成28(2016)年2月ごろ、村田養豚場の衛生管理区域から、里道と赤田川北側の土地を除外する変更を行った。原告が賃貸契約が継続していたと主張する東鳴川町502についても、この時、村田養豚場の衛生管理区域から除外されたと考えられる。(乙33:43頁(平成28(2016)年6月16日)、乙99:1頁、乙139〈遠藤〉(99))

(ツ) 小括

以上(ア)乃至(タ)から、〈村田商店代表乙の父〉と亡〈東鳴川Cの亡父〉との間の本件土地1に関する賃貸借契約が解除され終了したことは真実であり、少なくとも真実相当性は優に認められる。

(2)本件土地2及び本件土地3の不法掘削について

「本件土地1と本件土地2及び本件土地3の境界線が,被告の主張する範囲内に存在する事実」に関する被告の主張と立証

(ア) 〈村田商店代表乙の父〉の掘削当時にも、境界に関する合意は存在した。[被④27頁、表(19)](乙136〈加茂町B〉(2))

(イ) 原告は不法掘削はなかったと主張するが、これは、元々の本件境界が掘削域の外縁もしくはその外側にあると主張していることと同義である。しかし、元々の本件境界が掘削域の外縁もしくはその外側にあることはあり得ない。[被②33-34頁、表(20)](乙83:8-11,30-31頁、乙84の1乙85甲13乙86乙87乙88の1乃至5、乙111の2乙112の1乃至2、乙113乙139〈遠藤〉(53))

(ウ) 元々の本件境界は、昭和58(1983)年に確定した赤田川南岸府県境点から、東北東に緩やかなカーブを描きながら109mほど稜線を辿り、本件土地2と東鳴川町501の境界である北へ上る稜線に接続していたと考えられるが、原告の掘削域は明らかに元々の本件境界を越境している。[被②27-35頁、被④22-25頁、表(21)](乙83:8-11,30-31頁、乙84の1乙85甲13乙86乙87乙88の1乃至5、乙111の2乙112の1乃至2、乙113乙139〈遠藤〉、証〈遠藤〉12ー16頁)

(エ) 添上郡鳴川村実測全図の村界には実測値が記載されており、比較的信頼できる。[被②27-35頁、被④22-25頁、表(22)](乙86乙88の1乃至5、乙112の1乃至2、乙113乙139〈遠藤〉(53))

【証】本人尋問において被告は、被告代理人より「先ほどの〈村田商店代表乙〉さんの証言にもありましたように,特にこの住宅地図みたいなのを重ね合わせしてるところは,これ,確かにずれてると思うんだけども,この地図の正確性についておっしゃってください。」と問われたが、この時示されたのは、原告のいう「古図」を航空写真に重ねた合成図(乙88の5)ではなく、奈良市東鳴川町の公図を航空写真に重ねた合成図(乙88の4)であった。そのため被告は、この質問に答えて、公図を川筋に合わせると府県境が時計回りに数度回転する理由について説明した(証〈遠藤〉16頁)。しかし、もし「古図」を航空写真に重ねた合成図(乙88の5)を示されて問われたならば、被告は、現在の府県境に当たる村界については、測量点間の方角と距離が計測されているため正確である一方、土地区画についてはそのような計測はなされていないため不正確なものとなっていると答えたであろう。被告は、原告代理人の同様の質問に対してはそのように答えた(証〈遠藤〉29ー30頁)。

(オ) 山林掘削時、〈村田商店代表乙の父〉が「古図」という、土地境界を判断する上で重要な資料を持ち合わせていた可能性がある。[被②29-30頁、表(23)](甲13)

(カ) 〈村田商店代表乙の父〉は、越境して山林を掘削していると、〈加茂町B〉らから複数回にわたって抗議を受けていた。[被②23頁、表(24)](甲5:6頁、甲6:7頁)

【証】 〈加茂町B〉は証人尋問において、原告代理人から「抗議したの〈東鳴川C〉さんを通じて抗議したんじゃないですか」と問われ、「いいえ,直接もうやめてくれということは何回か言いましたし,そしたらそのときにどっかの男の人が来て,夜中に土を削っていったんは知ってると,だから私はしてませんということだったんです。だけど,家にいたら重機の音が聞こえてくるので、慌てて主人と一緒に山へ入っていくと,村田さんがブルドーザーいうんですかね,機械で中腹のとこまでこう段をつけながら削ってるのを何回か見ております。」と証言した(証〈加茂町B〉14頁)。

(キ) 〈加茂町B〉らは刑事告訴の告訴状において、平成16(2004)年4月28日に、〈加茂町B〉らが現地で〈村田商店代表乙の父〉に抗議した際、〈村田商店代表乙の父〉が口頭では工事の中止を了解したことや、平成17(2005)年2月25日に、〈村田商店代表乙の父〉の代理人が、やはり掘削の中止と堆積物の撤去で合意していたことを指摘している。[被②23頁、表(25)](乙82:2頁)

(ク) 原告は奈良市を通じ、木津川市に対して、二度にわたり本件原確定の修正を要求しているが、二度目の修正要求においても、原告は掘削域の中にある確定点108及び202の削除を求めていない。したがって原告は、少なくとも現在は、越境して掘削したことを認めている。[被②35-36頁、表(36)](甲7の4乙28:5-6頁、乙136〈加茂町B〉(3))

(ケ) 〈加茂町B〉らは、経済的にも精神的にも負担が大きすぎるため民事訴訟は提起しなかったが、原告の代替わりによって、原告の態度が変わることに期待し、機会を捉えては、口頭で原告の説得を試みていた。[被②24-27頁、表(40)](乙136〈加茂町B〉(4)、乙139〈遠藤〉(185)、証〈加茂町B〉16頁)

【証】しかし、令和3(2021)年9月9日、〈加茂町B〉ら本件土地2の共同所有者全員が、原告会社らを被告として、境界確定、所有権確認、妨害排除、損害賠償を求めて京都地方裁判所に提訴した(乙144)。〈加茂町B〉らの提訴について、被告が〈加茂町B〉及び〈加茂町B〉の娘である〈加茂町Bの娘〉から聞き取ったところによると、原告の陳述書に虚偽ばかりが書き連ねられていたことが、〈加茂町B〉らに提訴を決意させたとのことである。また〈加茂町B〉らは、原告が土地境界が未確定だと主張していることをこのまま放置すると、原告がなし崩し的に、本件土地2のみならず、本件土地2を越え、その隣接地までもを、いつの日か自らの敷地に取り込んでしまいかねないことを恐れたという。

多くの場合、山林の土地境界は法的には未確定であり、土地所有者同士の信頼関係によって、土地境界に関する合意が守られている。したがって、原告のように、土地境界が法的に未確定であれば、隣接地所有者から越境を指摘されてもそれを無視し、越境しているというなら多額の費用をかけて訴訟を提起するよう要求して、思うがままに土地を使用して良いと考える土地所有者は、周辺の土地を所有する者にとって脅威以外のなにものでもない。

(コ) 原告の本件境界に関する主張は矛盾しているため、信用するに値しない。[原①10-12頁、被②39-40頁、被④17頁、表(46)](乙84の1乙139〈遠藤〉(182))

(サ) 裁判所は、〈村田商店代表乙の父〉が「民事調停の申立てを行い、正当な権利者として行動をとって」いたと認定しているが、これは当該民事調停のあった平成19(2007)年9月時点においても、〈村田商店代表乙の父〉が本件賃貸借契約の借主として行動していたことを認定したもので、民事調停における〈村田商店代表乙の父〉の主張が正当であったと認めるものではない。[被④25頁、表(47)](甲5:6-7頁)

(シ) 本件記事のFACT.1に、〈村田商店代表乙の父〉の「不法行為責任」について触れた箇所はない。[被②23頁、表(49)](甲2乙139〈遠藤〉(114))

(ス) 【証】証人尋問において、原告が初めて本件土地1と本件土地2の土地境界がどこにあると考えているかを明らかにしたため、この点について補充する。

㋐ 〈村田商店代表乙の父〉は証人尋問において、甲第7号証の4を参照して、「108のA'と書いてますね。A'が昭和58(1983)年の京都府と奈良県の府県境の渡りの確定されたA'なんです」と述べている(証〈代表乙父〉24頁)が、これは誤りである。甲第7号証の4にある「A」及び「A'」は、図面右側中央にある断面図の範囲を示すものであって、昭和58(1983)年の国有水路確定図(乙108:6頁)とは何の関係もない。ちなみに、昭和58(1983)年の国有水路確定図(乙108:6頁)にある「A」は確かに、赤田川南岸府県境確定点を指すように見える。しかしこの「A」及び「A'」も、本来の意味は、別頁に記載された断面図の範囲を示す記号である。

したがって、〈村田商店代表乙の父〉は赤田川北岸の府県境の位置を誤って認識した上で、その赤田川北岸の府県境を起点として、本件土地境界を説明していることになるから、〈村田商店代表乙の父〉の主張する土地境界は全く信用するに値しない。なお、昭和58(1983)年の国有水路確定図(乙108:6頁)と里道確定図(乙108:7頁)のいずれにおいても、赤田川北岸の府県境については確定していない。

㋑ 〈村田商店代表乙の父〉は証人尋問において、目印となる松の木が5本あったがそれらはすべて倒れていて、倒れた松は一部残っていると、これまでにない主張を突然初めて述べた(証〈代表乙父〉25-26頁)。被告は掘削面の縁に沿って山林の中を歩いたこともある。しかし掘削面の縁に、目印となるような松の倒木があった記憶はない。そもそも目印となるような松の木が揃って倒れてしまい、現在は存在しないということが不自然である。

㋒ 〈村田商店代表乙の父〉と〈村田商店代表乙〉は証人尋問において、甲第7号証の4を参照して、108・202点付近の赤田川川縁に、赤田川北岸の府県境があり、そこから202点付近を経て310点付近を通り、掘削面の縁沿いに半円を描く線が、本件土地境界だと、両人とも同様に主張した(証〈代表乙父〉23-25頁、証〈代表乙〉5-6頁)。

しかし、㋐で述べた通り、「A'」は 昭和58(1983)年の国有水路確定図(乙108:6頁)にある「A'」とは無関係の記号である。一方で、昭和58(1983)年の国有水路確定図(乙108:6頁)にある赤田川南岸府県境確定点(「A」が指すように見える確定点。以下、「A点」という。)とその対岸に当たる場所(「A'」が指すように見える確定点。以下、「A'点」という。)は、木津川市が令和3(2021)年2月3日に作成した市有土地境界確定図で復元されており、同図の2023点がA点、2025点がA'点に該当する(乙108:4頁)。

既に被告第4準備書面21〜22頁で述べた通り、被告は、この復元は不正確であり、真の2023点はもう少し南にあると考える(乙111の1及び2)が、この再確定図が正しいと仮定して原告の主張する土地境界及び府県境界を再確定図上に描くと次のようになる。

すなわち原告によれば、府県境界は、赤田川南側の2023点から赤田川を渡って2025点に向かい、2025点でやや左(北)に折れ曲がって202点付近を通り、北に大きく膨らむ形で310点付近を目指した後、掘削面の外縁を辿りつつ半円を描くというのである。

しかし奈良市の公図にも、木津川市の公図にも、このような府県境界が描かれているものは一つもない。いずれの公図も、府県境界は赤田川を渡って北岸に達したところで、明確に右(東)に向きを変えている(乙83:8-10頁)。したがって、本件土地境界が原告の主張するような位置にあったとは到底考えられない。

㋓ 〈村田商店代表乙〉は本人尋問において「防護柵を張ったのは、502の土地として有効活用する部分の一部として張りました。」と述べ、本件土地1が防護柵より西側にも広がっていると主張した(証〈代表乙〉8頁)。ところが、〈村田商店代表乙〉が本件土地2共同所有者全員に送った通知書には、そのようなことは一言も述べてられておらず、「法務局より取り寄せた公図と木津川市より取り寄せた里道確定図を参考にフェンス柵をはらしていただくしだいです」としている。この一文は、原告が防護柵のあたりを土地境界だと考えているという意味にしか受け取れない(乙84の1:1頁)。また、〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、原告代理人より「防護柵より越える部分についても,斜面地として502が存在するという考え方ですか,どうですか。」と問われ、「そうです。」と答えたが、原告が設置した防護柵より西側は、平坦地であり、斜面地ではない。

㋔ 前述㋒の通り、〈村田商店代表乙の父〉と〈村田商店代表乙〉は証人尋問・本人尋問において、甲第7号証の4を参照して、108・202点付近の赤田川川縁に、赤田川北岸の府県境があり、本件土地境界はそこから202点付近を経て310点付近を通るとしたが、そうすると、少なくとも202点と301点を結ぶ線より西側は、本件土地1の範囲に含まれないということになる。しかし原告が、202点と301点を結ぶ線より西側を掘削あるいは埋め立てたことは、現地の航空写真からも明らかである(乙144:別紙2、乙145乙146)。

一方木津川市の公図を見ると、赤田川北岸の府県境から下流側(北西)では、川縁から順に、本件土地3、木津川市道(当時は加茂町道)、本件土地2が並んでいたと判明する(乙83:8-10頁)。

したがって、原告が主張する土地境界からすれば、原告が本件土地1の範囲を超えて、本件土地2の一部及び木津川市道の一部及び本件土地3の一部を掘削あるいは埋め立てたことについては、原告も認めている、ということになる。

(セ) 【証】証人尋問において、原告代理人は「山の頂上」という言葉を使用していたが、その定義が曖昧であったために、複数の意味が混同され得る状態で尋問が行われた(証〈加茂町B〉14ー15頁、証〈遠藤〉30ー31頁)。このことには注意が必要だと考えられるので、その点補充する。まず、「山の頂上」という言葉は、本件土地境界を議論する上で、以下の三つの意味で解釈され得る。

㋐ 字義通りに「山の頂上」として解釈する場合、本件土地1の北東280メートルの地点が「山の頂上」である。甲第19号証の地図を見ると、村田養豚場の北東で府県境が一度南に折れ曲がるが、そのカーブのあたりに「山の頂上」がある。なお原告による掘削面はこの山の頂上から南西に伸びる尾根の先端である。この山全体からすれば、掘削面は「中腹」に過ぎない。

㋑ 「山」を「持ち山」と解釈し、その持ち山が本件土地1を指す場合、「山の頂上」は本件土地1の範囲の北の頂点(本件土地境界の北東端)を意味する。㋐の「山の頂上」から南西に伸びる尾根は赤田川近くで切れ落ち、尾根の伸びる方向をやや西に変えるが、その折れ曲がる地点である。

㋒ 「山」を「掘削面」と解釈した場合は、掘削面の頂上が「山の頂上」となる。掘削された平坦地から掘削面の頂上を見上げた場合、掘削面の頂上は「山の頂上」という印象を与える。なお、被告の理解では、掘削面は㋐の「山の頂上」から南西に伸びる尾根の断面である。つまり、本件土地境界を成す尾根よりさらに北東の尾根の断面である。したがってこの場合の頂上は、㋐の「山の頂上」から南西に伸びる尾根の上にある。

ところが原告代理人は、「山」を「尾根の断面」と解釈していたようにも思われる。つまり原告代理人のいう「山の頂上」は「尾根の断面の一番高いところ」という意味であった可能性がある。とは言え、一般には「尾根」そのものに一番高いところという意味合いが含まれる(例えば「尾根を歩く」と言う時、通常は尾根の山裾を歩くとは考えない)から、本人尋問の際、被告には原告代理人が「(山の)頂上」という言葉で何を問いたいのか全くわからなかった。そのため、字義通りに「頂上」を解釈して、一般論として答えるほかなかった(証〈遠藤〉30ー31頁 )。

同様に、〈加茂町B〉も、原告代理人の言う「(山の)頂上」がどういう意味なのか理解できず、明らかに上記㋐㋑㋒を混同しながら質問に答えている。このように、定義が定かでない中で答えた内容に、何かを立証する能力があるとはあまり思われないが、「まだそれから後にまた削って,頂上はなくなったようです」と〈加茂町B〉が述べていることからすれば、この場合は㋐と㋒の「頂上」ではありえない(㋐は現存しているし、㋒は掘削面が広がってもなくなることはない)から、〈加茂町B〉は㋑の頂上がなくなったと証言していることになる。つまり〈加茂町B〉は本件土地1の境界が掘削で破壊され失われたと証言しているのである。

(ソ) 【証】ところで、「大辞泉」によれば「尾根」とは「山の峰と峰とを結んで高く連なる所。また、隣り合う谷と谷とを隔てて連なる突出部。」だという。なるほど原告代理人が尾根について語るにあたり「頂上」という概念を持ち出したことも理解できる。

しかしそれ以上に、〈村田商店代表乙の父〉が証人尋問において、原告代理人から「尾根というのは、一番高いところですか。」と問われた際、「低いところです。谷間になっているんです。」と答え、さらに原告代理人から「谷間になっているんですか。」と聞き返されてなお、「境界自体が,こう木と木が,かぶさったような形で。」と続けていることには注目しなければならない。当初、〈村田商店代表乙の父〉は明確に「谷間」に境界があったと述べている。つまり「尾根」を「大辞泉」のいう「隣り合う谷と谷とを隔てて連なる突出部」と解釈したのか、尾根を越えた一つ向こうの谷間に境界があったと証言しているのである。

実はこのことは、現地の地形とある程度整合している。被告は掘削面の縁に沿って何度か山林を歩いているが、確かに掘削面中腹のすぐ北側に小さな谷があって、掘削面の縁から急に地面が落ち込み、掘削面の縁のわずか数メートルから十数メートルほどの場所が谷底となっている。その谷は、掘削面中腹の縁のあたりから、乙第88号証の3の掘削面左上の「里道」と書かれたあたりに続いており、〈村田商店代表乙の父〉の「こう木と木が,かぶさったような形で。」という証言は、細い谷間の様子を表現したものかもしれない。つまり、〈村田商店代表乙の父〉は正しく現地の地形を知っている可能性がある。被告は「谷間」に境界があったとは考えないし、〈村田商店代表乙の父〉自身も原告代理人に誘導されすぐに発言を修正しているが、「谷間」に境界があったという〈村田商店代表乙の父〉の当初の発言には、自身が掘削した場所の地形に関する〈村田商店代表乙の父〉の認識が、正直に反映されているとも考えられる。

一方で、掘削面の縁が本件土地境界であり尾根の一番高いところだとすると、掘削面中腹の数メートル北に谷があることは、自然の地形として極めて不自然である。尾根の一番高いところを越えてその向こうの谷底近くまで掘削しない限り、このような地形にはならないと考えられる。また、尾根の一番高いところで、「境界自体が,こう木と木が,かぶさったような形で。」という状態になるとはあまり考えられない。

〈村田商店代表乙の父〉が当初の証言通り「谷間」が境界だと考えていたのであれば、確かに現地の掘削範囲は谷底より手前に収まっていることになるが、尾根に本件土地境界があったとする原告の主張とは矛盾する(証〈代表乙父〉5頁、証〈代表乙〉9頁)。しかし掘削面の縁がちょうど土地境界で尾根なのだとすると、掘削面のすぐ北に谷がある現地の地形とは明らかに矛盾する。いずれにしても〈村田商店代表乙の父〉の証言には信用性がない。

(タ) 【証】被告は、被告第2準備書面32頁で述べた通り、赤田川北側では山の稜線、すなわち尾根(の一番高いところ)が府県境となっていたと考えている。したがってこの点ではおそらく原告と被告の間に争いがないが、尾根があった位置については前述(イ)(ウ)(エ)の通り、被告は原告とは主張が異なる。

なお、原告は乙第88号証の1について、尾根がある場所は白い点線よりも上(北)にある影がついているあたりではないかと指摘する(証〈代表乙〉9頁)が、尾根の影と白い点線の位置がずれているのは、白い点線が航空写真周縁部の位置ずれを補正した上で描かれているためである。この航空写真は、元の航空写真の北東の周縁部を切り抜いたものであるから、地形に高低差がある場合は、北東方向に位置が引き延ばされて写っている。そこで、既に被告第2準備書面32頁で述べた通り、乙第88号証の2に使用した昭和50(1975)年3月14日撮影の航空写真(地理院地図シームレス衛星写真用に歪みが補正されたもの)を参考にして、尾根の位置を示す白い点線は、多少調整されているのである(証〈遠藤〉13ー14頁)。

付言すると、たとえ乙第88号証の1の影の位置が尾根であったとしても、乙第88号証の1及び3を見比べると、結局原告による掘削域はその尾根を越えてしまっているのがわかる。

(チ) 【証】〈村田商店代表乙の父〉は証人尋問において裁判長から「108と310を結んだ線のことを言っているんですか。まず,松の木がここですと指さしできるんだったら,してください。できないんだったら結構です。」と問われ、「私の記憶で,説明できるのは310,その木は里道から見えましたから。」と答えた。このやりとりから、〈村田商店代表乙の父〉は山林掘削当時、木津川市道(当時は加茂町道)が存在していることを認識していたとわかる。一方、その直前に、裁判長から土地境界の目印だったと主張する松の木の位置を問われ、第7号証の4を参照して「108から310,そちらに向いて行って,それからこの2番、この大体尾根ですわ、こういう形です。」と述べていることからすると、〈村田商店代表乙の父〉は木津川市道付近から赤田川側は、東鳴川町502ではないと認識していたこともわかる。したがって、〈村田商店代表乙の父〉は、木津川市道の位置を認識し、かつ、木津川市道近辺が既に東鳴川町502を越えた場所にあると理解しながら、木津川市道付近より赤田川側までを掘削あるいは埋め立てたということになる。(証〈代表乙父〉25頁)

(ツ) 【証】〈村田商店代表乙の父〉は証人尋問において「それは,検察庁のほうが言いました。木津川市が作成した里道と境界線に関しては,今更,こんなん出されてもしゃあない話やというて,検察庁から」(証〈代表乙父〉8頁)と証言する一方、被告代理人から「あなたが,検察庁のほうから,近隣関係でもめないほうがよいと言われたのは,既に先ほど申しました大がかりな境界確定が終わった後のことですね。平成19(2007)年に,乙第144号証の別紙2の土地の境界確定が終わった後のことですね。」と問われ、「それは知りません。そんなん知っているわけがおまへんがな。」と答えている。またその直後には、平成19(2007)年の現地立ち会いの現場に行き、説明などをしていたと認め、乙第83号証24頁の写真に自分が写り込んでいうことも認めた(証〈代表乙父〉19ー20頁)。ことほどさように、〈村田商店代表乙の父〉の証言には矛盾があり信用性がない。

(テ) 【証】〈村田商店代表乙の父〉は陳述書においては「その亡〈東鳴川Cの亡父〉らから示されたところを境に、樹木の塊りや成育状況など、林相に差異が見られたので、私は、それが、山林の境界だと認識することができた」としていた(乙20:2頁)。しかし証人尋問において、原告代理人に「現場を見に行って,何が境界の指示だと,〈東鳴川C〉さんは言っていたんですか。」と問われた際、〈村田商店代表乙の父〉は「その境界のところに,松の木が5本あったんです。それを境界として指示されました。」と答えた。さらに続けて原告代理人から「〈東鳴川C〉さんの土地と,それから,〈加茂町B〉さんの京都側の土地,山ですけれども,この山の生えている樹木は,違いがありましたか。」と問われた〈村田商店代表乙の父〉は、「いや,一緒ですわ大体,雑地は。」と答えている。(証〈代表乙父〉1・2頁)

〈村田商店代表乙の父〉のこの証言は明らかに陳述書と矛盾しているが、裁判長からその点を指摘された〈村田商店代表乙の父〉は、「違いがないというのは、雑木やから違いがないですけれども,境界に関しては,皆,こういうふうに折り重なっているんですわ」と答えた(証〈代表乙父〉27ー28頁)。とはいえ、この説明には無理がある。陳述書には、「その亡〈東鳴川Cの亡父〉らから示されたところを境に(中略)林相に差異が見られた」とある。陳述書の記述は、本件土地1と本件土地2の林相に違いがあったとしか読めないものであって、結局のところ本件土地境界に関する〈村田商店代表乙の父〉の証言は陳述書と矛盾しているのである。〈村田商店代表乙の父〉の証言は全く信用に値しない。

(ト) 【証】〈村田商店代表乙〉は証人尋問において、山林掘削前の航空写真に赤田川北側の木津川市道が写っていることを認めた上で、山林掘削後には市道がどこだかわからなくなっていることを認めた(証〈代表乙〉21ー27頁)。木津川市の公図(乙83:8ー9頁)によれば、赤田川北側の木津川市域にある木津川市道の東には本件土地2が存在し、西には本件土地1が存在する。この木津川市道が地形としてもどこだかわからなくなっているということは、市道の左右にあった土地が市道とともに破壊されたということを意味する。よって、原告が本件土地1及び本件土地2に越境して掘削あるいは埋め立てを行なったことは明らかである(証〈遠藤〉6頁)。

(ナ) 小括

以上(ア)乃至(ト)から、本件土地1と本件土地2及び本件土地3の境界線が,被告の主張する範囲内に存在することは真実であり、少なくとも真実相当性は優に認められる。

また、上述の(ク)及び(ス)㋔から、原告が本件土地1の範囲を越え、本件土地2の一部及び木津川市道(当時は加茂町道)の一部及び本件土地3の一部を掘削あるいは埋め立てたことについては原告も認めており、争いがない。すなわち、土地境界の位置や越境面積については争いがあるとしても、原告が本件土地1の範囲を越えて掘削したことは真実であり、少なくとも真実相当性は優に認められる。

したがって、被告が原告による掘削工事を不法掘削と論評したことは、明らかに表現の自由の範疇に属する。

(3)その他

① 「2005年,A,Bが原告のことを刑事告訴した事実」に関する被告の主張と立証

(ア) 被告は、〈加茂町B〉から原告を刑事告訴したと聞いていたことと、木津川市議会議事録の記述(乙6:1頁)から、平成17(2005)年8月に〈加茂町B〉らが原告を刑事告訴したと考えたが、正確には、〈加茂町B〉らは平成17(2005)年8月から木津警察署に相談をし始め、平成19(2007)3月に〈加茂町B〉らは改めて〈村田商店代表乙の父〉を刑事告訴したということであった。[表(52)](乙6:1頁、乙82乙139〈遠藤〉(67)、乙136〈加茂町B〉(2))

(イ) 【証】〈加茂町B〉は証人尋問において「養豚場の関係で川も汚れていたし,大変だったのでなんとかしてほしいと,地域の人たちにも協力をお願いして,なんとか抗議しようと思ったんですが,いつも脅されるし怖いから自分たちはよう行かんと,そういうことには協力できひんということになりました。いつも誰かが通ったりすると,俺は同和やということで脅されるんですけども、主人もトラックで土地へ入っていったとき,帰りしなに重機を置いて生きて帰れると思うなというようなことも言われたということを聞いております。私自身も俺は同和やって言われたんですけど,教師の時代に同和の研究いろいろとさせられてましたから,同和がどうしたんということで言い返して,それ以来同和という言葉は余り聞かなくなりました。だけど,いろいろと怖いということもあったりして,加茂の町長になんとかしてほしいというふうに言ったんですけれども,加茂の町長もそんな危険なところへ職員を送るわけにはいかんので,どうすることもできないという返事になりました。どうすることもしてもらえへんのやったら,次はどうする方法があるかなとみんなで相談した結果,告訴をすることにしたようです。」と証言した。(証〈加茂町B〉2頁)

(ウ) 小括

以上(ア)及び(イ)の通り、時期に誤りはあるものの、〈加茂町B〉らが原告を刑事告訴したことは真実である。

② 「村田養豚場の農場主が他人地で野焼きをした結果現行犯逮捕された事実」に関する被告の主張と立証

村田養豚場の農場主が他人地で野焼きをした結果現行犯逮捕されたことは原告も認めており真実である。なお本件記事の文章では、野焼きでは現行犯逮捕されたが、山を削り取られたことに関する刑事告訴は起訴猶予に終わったと言う文脈となっている。[被②40頁、表(53)](甲2:4頁、甲20:3頁、乙139〈遠藤〉(71))

2 FACT2について

(1)犬の放し飼いについて

「原告が犬を数十頭放し飼いにしている結果、その犬が養豚場の敷地を越えて、浄瑠璃寺にまで入り込み、糞尿被害を起こしている事実」に関する被告の主張と立証

(ア) 浄瑠璃寺住職〈浄瑠璃寺住職〉は、自身の陳述書において「2015(平成27)年の年末から翌2016(平成28)年の年始にかけ、村田養豚場方面から山を越えて来たと思われる10頭ほどの犬が、特に早朝当山境内に侵入していたことは事実です。犬の姿が見えない時も、境内に犬の糞が落ちていたり、足跡が残っていたりしました。」と述べている(乙138〈浄瑠璃寺住職〉)。

(イ) 常に放し飼いの状態になっている犬が存在しないことは、常に一定数の犬が放し飼いの状態にあるということと矛盾しない。[訴状8頁、被①32頁、表(56)]

(ウ) 本件訴状における原告の主張は、本件御通知書と異なっている。本件御通知書では「犬を違法に放し飼いしておらず、檻の中で飼育している」としていたのに対し、本件訴状においては「犬の一部を檻から放すことはある」としている。[訴状8頁、被①32頁、表(57)](乙1:3頁、乙139〈遠藤〉(161))

(エ) 【証】〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、飼い犬の数が二、三十頭だと述べた後、原告代理人から「その犬は常に放し飼いにされているんですか?」と聞かれ、「常にではないですけども、昼間とかは、朝の間は敷地内に放していて、夕方とかになったら小屋に入れたり、部屋に入れたりしています。」と答えた。続けて原告代理人から「敷地内に放すというのは、先ほど言った二、三十頭、すべて放すんですか?」と問われると、〈村田商店代表乙〉は「一斉に門を開けてしまうので放します。」と答えている。(証〈代表乙〉10頁)

これは、「犬の一部を檻から放すことはある」としていた訴状における原告の主張とも矛盾するものである。原告の主張は、檻の中で飼養しているとした当初の主張(乙1:3頁)から、放し飼いをあからさまに認める方向へと、次第に変遷している。

なお、被告は、早朝あるいは日暮れ過ぎに村田養豚場の様子を見に行ったこともあるが、夜間に全ての犬が収容されていた様子はなかった。いずれにせよ、本人尋問における〈村田商店代表乙〉の主張は、犬が敷地外を徘徊し得る状態で、原告が多数の犬を放し飼いにしていることを認めたものと言える。

㋐ 第一に、令和元(2019)年10月以前に、村田養豚場の周囲に防護柵は存在しなかった(乙122)。したがって令和元(2019)年10月以前は、たとえ原告が犬を放った場所が敷地内だったとしても、それらの犬は自由に敷地外へ移動できた。また当然のことながら、それらの犬が夕方までに敷地内に戻るとは限らない状態であった。

㋑ 第二に、原告は現在も村田養豚場の敷地の間にある市道と敷地との間に防護柵を設置していない。したがって、令和元(2019)年10月以降においても、原告が市道上に設置した門扉に係る道路占用許可条件に従うならば、日中は門扉を開扉しなければならない(乙121:2頁第2条)から、結局、敷地内に放した犬は自由に市道へ敷地外へ移動できてしまう状態のままとなる。

㋒ 実際には、原告は現在、門扉に係る道路占用許可条件を遵守しておらず、日中も門扉を閉鎖している。しかしそれにも拘らず、令和元(2019)年10月以降も多数の犬が浄瑠璃寺近辺などで目撃されている(乙128乙141)。

㋓ また門扉が完全に閉鎖されている場合でも、村田養豚場の敷地の間にある木津川市道には常に多数の犬が徘徊しており、一般人の通行が極めて困難な状態となっている(乙42と同様の状態)。多数の犬が村田養豚場の敷地の間にある市道を自由に徘徊することは、敷地と市道の間に柵がないことの当然の結果である。言うまでもなく、市道は敷地には当たらない。

(オ) 原告は、犬の不適切な飼養と野犬への餌付けについて、奈良市保健所・京都府山城南保健所の双方からこれまで繰り返し指導を受けている。[被①32-35頁、被③17頁、表(58)](乙34:2頁、乙35:2-3頁、乙36:1・3・4(別表)頁、乙39乙41:1頁、乙44:2頁、乙33:H29.4.12他、乙52:4・6・11・17頁、乙139〈遠藤〉(77,92))

(カ) 村田養豚場周辺で捕獲された犬は、京都側奈良側を合わせ、平成26(2014)年以降だけで100頭を超え、そのうち少なくとも21頭が原告に返還された。[被①35-36頁、被③8頁、表(59)](乙35:2頁、乙36:2頁、乙49:1頁、乙52乙53乙54)

(キ) 浄瑠璃寺周辺住民の証言によれば、原告は1990年代から犬を多数放し飼いにしており、これまでにどれだけの数の徘徊犬が捕獲され処分されたかわからない。[被①3・36頁、表(60)](乙35:1頁)

(ク) 村田養豚場周辺の徘徊犬は広範囲を数頭から10頭ほどの群で移動している。村田養豚場周辺の徘徊犬は、若草山にも現れたことがあり、浄瑠璃寺周辺など近隣地域だけでなく奈良市内の観光地にも危険を及ぼしている。[被①36-39頁、表(62)](乙33:H26.4.21・H26.4.23・H2014.4.28・H26.4.30・H27.11.2・H29.9.15・H31.2.12・H31.2.20、乙35:2頁、乙37乙38乙43乙48乙51:H29.12.12・H30.1.5・H30.1.18・H31.1.21・H31.3.13、乙52:37頁(H28.1.29)、乙55)

(ケ) 奈良市保健所は村田養豚場周辺の徘徊犬について「広範囲に移動しており、若草山で捕獲された犬について村田養豚場が引き取りに来たこともあった」と述べている。[被①36-39頁、被③9頁、表(63)](乙35:2頁)

(コ) 平成28(2016)年1月29日、京都府山城南保健所が浄瑠璃寺の協力を得て徘徊犬を捕獲した際、京都府山城南保健所は、浄瑠璃寺から「年末年始に10頭くらいの犬が山の向こう(養豚場)から来て困っている」との相談を受けている。[被①37-38頁、表(64)](乙52:37頁(H28.1.29)、乙44:2頁)、乙138〈浄瑠璃寺住職〉)

(サ) 原告が奈良市保健所に徘徊犬を通報したり、徘徊犬の捕獲を依頼した記録はみつかっていない。[被①39頁、被③16頁、表(65)]

(シ) 原告は、檻や囲いの外にいる犬について、飼い犬とそれ以外の野犬を区別して餌を与えていない。[被①39頁、被③16頁、被⑤15-16頁、表(66)](乙56:(9)(10)、乙128:(30)-(33)(56)(57)、証〈代表乙〉30ー31頁)

(ス) 平成31(2019)年2月20日、原告は一度に多数の犬を登録している。原告の都合次第で、多数の犬が登録され得るのであれば、村田養豚場周辺の徘徊犬が、原告の飼い犬であるかどうかについては、ただ原告の心のうちにあるというほかはない。これではその犬が飼い犬かどうか、他者が見分けることは不可能である。[被①39頁、表(67)](乙33:H31.2.20、乙139〈遠藤〉(160))

(セ) 原告が何をもって飼い犬と野犬を区別しているのか不明である。原告は飼い犬について正確な数を提示していない上、原告の主張する飼い犬の数は、狂犬病予防法に基づいて登録された犬の数と一致していない。原告の主張する飼い犬の数とは、「原告が村田養豚場周辺で最低限徘徊させておきたい犬の数」という以上の意味がないようにも思われる。[被③15-17頁、訴状8頁、原②3頁、表(68)](乙35:2頁、乙44:1頁)

(ソ) 被告は、村田養豚場の敷地の内外で、首輪のある犬と首輪のない犬が行動を共にしているようすを何度も目撃している。[被③16頁、表(69)](乙56乙60乙91の2及び3、乙94の1乃至3、乙128)

(タ) 実態として、原告は放し飼いにしている飼い犬と野犬とを区別していないが、訴状にあるように、原告は、村田養豚場周辺には飼い犬以外の野犬もいると主張するので、奈良市保健所は、放し飼いだけでなく野犬への餌付けをやめるよう指導している。[被①40頁、表(70)](乙41)

(チ) 原告には村田養豚場周辺の徘徊犬のほとんどを収容した実績がある。このことは、原告がその気にさえなれば、村田養豚場周辺の徘徊犬のほとんどを、囲いの中に収容し続けられることを示す。しかし一年と待たず犬の放し飼いは再開された。[被①40-41頁、被③16-17頁、被⑤15-16頁、表(71)](乙44:2頁、乙33:H28.5.31、乙45:1頁、乙46:1頁、乙16:1頁、乙55乙60乙92乙128乙139〈遠藤〉(109))

(ツ) 被告は、平成28(2016)年1月20日に、木津川市議会議員の〈木津川市議O〉とその支持者男性4名とともに、村田養豚場の間にある木津川市道を通り抜けているが、この時の参加者が現地で50頭以上の犬を数えたと証言している。通過時に撮影された写真からも、少なくとも32頭の犬が確認できる。首輪のない犬も首輪のある犬と行動をともにしており、原告も首輪のない犬を追い払うようなことはしていなかった。[被③4-5頁、被③16頁、表(73)](乙91の1乃至3、乙36:3頁、乙139〈遠藤〉(90))

(テ) 平成28(2016)年1月以降に捕獲され、原告に返還されることなく処分された徘徊犬の数は、京都側で22頭、奈良側で28頭にのぼり、合計すると50頭となる。したがって、当時、村田養豚場周辺には、少なくとも70〜80頭の犬が徘徊していたことになるから、平成28(2016)年1月20日に、村田養豚場周辺に50頭以上の犬がいたとしても、何ら不思議はない。[被③5頁、表(74)](乙52乙53乙54)

(ト) 平成24(2012)年2月27日、木津川市議会議員〈木津川市議P〉が、木津川市に、村田養豚場で多くの犬が放し飼いになっていることについて苦情を申し立てているが、その際、支持者が数えた数として、40頭以上の犬を確認したと述べている。[被③5頁、表(75)](乙34:1・2頁)

(ナ) 原告が飼養する犬には、必ずしも首輪がつけられていなかった。[被③6・16頁、表(76)](乙35:2頁、乙36:3頁・別表)

(ニ) 原告が、飼い犬を収容するのに十分な、犬小屋あるいは囲いを整備したのは、平成28(2016)年3月末ごろである。[被③6-7頁、表(77)](乙92:1頁、甲9:8頁)

(ヌ) 被告は、本件記事において、写真とともに、原告が設置した新しい囲いについても記載している。しかし、残念ながら、その後原告による犬の放し飼いは再開された。[被③7頁、被⑤15-16頁、表(78)](甲2:64-66頁、乙55乙60乙128)

(ネ) 平成28(2016)年3月ごろ、京都府山城南保健所が、村田養豚場内を徘徊している犬が浄瑠璃寺側へ出入りしている様子を確認している。[被③7-8頁ア乃至ウ、表(79)](乙42:1頁、乙93乙44:2頁、乙139〈遠藤〉(90))

(ノ) 被告は、浄瑠璃寺周辺で首輪のある犬を度々目撃している.[被③8頁、表(80)](乙55:(7)(8)(14)(15)(20)、乙60:(2)(3)(19)、乙139〈遠藤〉(206,207,208))

(ハ) 原告は、被告が図示した犬の徘徊範囲よりも遠くで捕獲された犬について、奈良市保健所に返還を求めたことがある。[被③9頁、表(81)](甲2:12頁、乙35:2・4頁)

(ヒ) 本件記事において被告が図示した犬の徘徊範囲(甲2ー12頁)は、被告が実際にその範囲内で犬を目撃したことに基づく。[被③9頁、表(82)](甲2:12頁、乙139〈遠藤〉(18,25,28,76))

(フ) 本件記事記載の犬の徘徊状況の図にある写真3枚に写っている犬がいる場所は、いずれも村田養豚場の敷地の外である。[被③9-10頁、表(83)](甲2:12頁、乙94の1乃至4)

(ヘ) 原告が主張する、ククリ罠にかかった犬を救出した経緯は、事実と異なる。被告がククリ罠にかかった犬を撮影したのは、平成26(2014)年2月11日午後2時13分であり、被告は原告男性従業員と現地に向かう前に、撮影した写真をiPhoneの画面に映して男性従業員に見せている。[被③10-14頁、原②4頁、表(84)](乙94の2及び3、乙95の1乃至3、乙139〈遠藤〉(25))

(ホ) 原告が主張する、ククリ罠にかかった犬を救出した経緯は、飼い犬を適切に飼養しているとする原告の主張と矛盾する。現地で村田養豚場で飼育している犬ではないことを確認したとする原告の主張は、「村田養豚場の飼い犬には、敷地外のどこにいるかわからない犬が含まれる」ということが前提とされている。[被③14-15頁、原②4頁、表(85)](乙139〈遠藤〉(26))

(マ) 少なくとも平成28(2016)年ごろまでは原告自身、犬を放し飼いにしている認識があった。(乙35:2頁、乙36:1・4頁、乙92乙139〈遠藤〉(26,37,38,100))

(ミ) 平成27(2015)年3月6日、木津川市平成27(2015)年第1回定例会において河井規子木津川市長は、曽我千代子議員の質問に答えて「ここ、通れなくなって、私も行きましたけれども、犬にほえられたり、そういう状況になっている」と述べた。(乙6:43頁、乙139〈遠藤〉(55))

(ム) 【証】〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、被告代理人から「村田養豚場以外に,大量にこういう形で犬を飼っておられるところは周辺にありませんよね。」と問われ、「ないと思いますけれども。」と答えた。(証〈代表乙〉30頁))

(メ) 【証】〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、被告代理人から何をもって飼い犬とそうでない犬を区別されているのかを問われ、首輪をしていない犬は飼い犬ではなく野犬であるという趣旨の事を答えた(証〈代表乙〉30頁))。しかし〈村田商店代表乙〉は、防護柵の内側に首輪がない犬が多数存在していて、防護柵の内側においても首輪ありの犬と首輪なしの犬が混在している状況であり、しかも首輪のない犬にも餌を与えていることを認めた(証〈代表乙〉31頁))。これでは、原告は、実質的に「野犬」を飼っているのと同じである。

(モ) 【証】〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、裁判長から「犬の話ですけれども,犬は,業務上飼うことが必要なんですか。」と問われ、猪や野生動物を寄せつけないため必要だという趣旨の事を答えた(証〈代表乙〉34頁))。しかし、農林水産省が作成した文書は、犬や猫を衛生管理区域に入れないよう求めている(乙57:2(12)頁、乙58:2頁)。[被①41ー43頁]

(ヤ) 小括

以上(ア)乃至(モ)から、原告が犬を数十頭放し飼いにしている結果、その犬が養豚場の敷地を越えて、浄瑠璃寺にまで入り込み、糞尿被害を起こしていることは真実であり、少なくとも優に真実相当性は認められる。

(2)原告が通行人を恫喝していることについて

「〈村田商店代表乙の父〉や〈村田商店代表乙〉が通行人を恫喝している事実」に関する被告の主張と立証

(ア) 村田養豚場は市道を通行しようとする人を脅したり制止することがある。[被①45頁、被③22-23頁、表(92)](乙40乙47乙96乙97の1乃至2、乙139〈遠藤〉(14,40,80,131,157)、乙137〈通行人〉)

(イ) 本件記事記載の草刈りをしていた人の体験談(甲2:26-27頁)は被告自身のものであるが、被告は、赤田川北側で草刈りをした際、実際に〈村田商店代表乙の父〉から「今度ここを通ろうとして里道から少しでもはずれたらどうなっても知らんぞ」と恫喝された。ただしこれは、正確には、平成27(2015)年11月4日のことであった。なおこのとき被告は、〈村田商店代表乙〉から、以前何回か通ったことがあるのではないかといったことは聞かれたが、被告は、〈村田商店代表乙の父〉、〈村田商店代表乙〉のいずれからも、被告がインターネット上に公開した記事については何も言われていない。[被③19-20頁、表(94)](甲2:26頁、乙39乙139〈遠藤〉(76))

(ウ) 【証】〈加茂町B〉は証人尋問において、1ー(3)ー①ー(イ)でも引用した通り、〈村田商店代表乙の父〉が村田養豚場を訪れた地域住民らを脅していたと証言した。〈村田商店代表乙の父〉の恫喝ぶりは、当時の加茂町長が「そんな危険なところへ職員を送るわけにはいかんので,どうすることもできない」とするほどであった。(証〈加茂町B〉2頁)

(エ) 小括

以上(ア)乃至(ウ)から、〈村田商店代表乙の父〉や〈村田商店代表乙〉が通行人を恫喝していることは真実であり、少なくとも優に真実相当性は認められる。

3 FACT3について

① 「原告が養豚場前の公道に常に(日常的に)トラックや重機を停めている事実」に関する被告の主張と立証

② 「公道で原告の作業員が残飯の仕分けなどを常に(日常的に)行っている事実」に関する被告の主張と立証

(ア) 村田養豚場は現在も公道上で日常的に作業をしている。村田養豚場の敷地の間にある市道は、本件記事で紹介した奈良交通のメールにある状況から改善しておらず、今なお安全に通行できる状況にはない。[被①43-44頁、被③24頁、被⑤16-18頁、表(103)](乙59乙101の1及び3、乙122:2頁1枚目の写真、乙129乙133乙134乙135乙139〈遠藤〉(45,51,52)、乙141)

【証】確かに、被告が撮影した写真にある木津川市道の状況は、その写真が撮られた時々を切り取ったものと言える(証〈遠藤〉37頁)。しかし、これだけの数の曜日や時間帯が異なる写真に、公道上で原告の従業員が作業をしている様子が写っているのであるから、原告の従業員が日常的にそうした行いをしていることは明らかである。被告が、本人尋問において「ずっとそこで見張ってるわけではないので,一,二週間に1回ぐらい,15分ぐらい見てるんですけども,その僅かな15分の間に,必ず作業があることが多いということなので,それはもう頻繁にやってると判断できると思います。」と述べた(証〈遠藤〉18頁)通り、ずっと見ていないにも拘らず、相当に高い確率で公道上の作業を目撃するということは、原告が日中頻繁に公道上で作業を行なっているのでなければ、起こり得ない。

(イ) 木津川市道から容易に豚舎の中が見えるような状態となっている村田養豚場の光景は、「道が途中で養豚場の敷地内に進入」していると見られても仕方のないものである。[被③29頁、表(113)](乙100の2)

(ウ) 株式会社都市景観設計と木津川市文化財保護課が編集・執筆を担当した、令和元(2019)年8月19日発行の「特別名勝及び史跡 浄瑠璃寺庭園 保存修理事業報告書II(保存修理工事編)」の「第5章 今後の課題」に、「2 活用上の課題」として、「奈良県側の悪質な土地利用による古道の実質的な封鎖」が挙げられている。[被③29頁、表(114)](乙102乙139〈遠藤〉(179))

(エ) 平成27(2015)年1月ごろ、奈良県農林部畜産課は、被告の問い合わせに対する返信メールで、「現在、当該養豚場内については、重機やトラック等が行き交っており通行するには非常に危険な状況です」と述べた。(乙140:1頁、乙139〈遠藤〉(51))

(オ) 「施設への出入りが不便になる」という原告の主張は、実際には公道に重機が頻繁に出入りしているということを、原告自ら認めたものである。(乙75乙139〈遠藤〉(174))

(カ) 【証】〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、被告代理人から「(赤田川の)北側は養豚場の敷地として使われているということですね,その道も含めて」と問われ、「そうです。」と答えた。被告代理人は「道も含めて,養豚場の敷地として。」と確認したが、〈村田商店代表乙〉は「道も含めてというか。」とのみ答え、明確に否定はしなかった。(証〈代表乙〉27頁)

(キ) 【証】〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、被告代理人から「養豚場の敷地として使っていて,フェンスが張っていたら,事実上,そんな普通の人は通れへんでしょう。」と問われ、声を掛けてもらったら通れなくはないという趣旨の事を答えた(証〈代表乙〉27ー28頁)。実際、現地はとても通行できるようには見えない(乙141(36))。

(ク) 【証】〈村田商店代表乙〉は本人尋問において、原告代理人から「そもそも養豚場の中の里道を通行しようとする人って,年間何人ぐらいいますか。」と問われ、「私が戻ってからですけれども,まあ,年に1組,2組とかでした。」と答えた。続けて原告代理人から「戻ってからというのは,何年のことですか。」と問われると「平成18(2006)年ぐらいから。」と答えた(証〈代表乙〉18頁)。しかし、平成18(2006)年は、原告が市道の一部を破壊する形で山林掘削工事をしていた最中である。そしてその後原告は、平成19(2007)年から平成24(2012)年にかけ、市道上に建物を設置し続けた(乙7の3)。また平成23(2011)年から平成28(2016)年にかけて、原告は市道上に立ち入り禁止の看板を掲示してもいる(訴状8頁)。最近では、令和元(2019)年10月から令和2(2020)年1月にかけて市道上に門扉が設置され(乙122乙130)、道路占用許可条件に反して門扉が日中も閉鎖されている。そしてこの間、山城南保健所が「一般人が通行することは困難」と評した(乙42)犬の放し飼いはずっと続いてきた。

〈村田商店代表乙〉がどのようにして通行者数を把握しているのか全く定かではないが、このような状況の中で、通行人が減ることは当然である。すなわち原告自身が、通行人が減る原因を次々と人為的に作出しているのであって、通行人は自然に減ったのではない。[被③46-47頁]

(ケ) 小括

以上(ア)乃至(ク)から、原告が養豚場前の公道に常に(日常的に)トラックや重機を停めていること及び公道で原告の作業員が残飯の仕分けなどを常に(日常的に)行っていることは真実であり、少なくとも優に真実相当性は認められる。

③ 「原告が他人地に犬小屋や小屋を建てている事実」に関する被告の主張と立証

(ア) そもそも、原告が本件賃貸借契約の解除を通知して以降、原告が本件土地1を取得した令和元(2019)年8月末までの間、原告が本件土地1を使用することに正当性がなかった。したがって、その間に原告が赤田川より北の土地に設置していたものは、本件境界がどこにあるかに拘らず、他人地を不法に占拠していた。[表(27)](甲2:2頁の合成図、乙3:1頁=被告の主張として、乙7の2乙88の3乙136〈加茂町B〉(4))

(イ) 【証】〈東鳴川C〉は被告に、駐車するぐらいは黙認しているが本件土地1においてあるものは撤去してほしいと思っているという趣旨の事を語った。[被①18-19頁、 被②14-15頁 ](証〈遠藤〉11頁)

【以降は、原告が令和元(2019)年8月末に本件土地1を購入し、その後本件土地2に越境する形で防護柵を設置していることに関する被告の主張である】

(ウ) 本件境界については、平成18(2006)年に土地境界確定図が作成されたものの、原告の掘削により全ての境界杭が失われたため、平成19(2007)年に、当時の本件土地1所有者及び本件土地2共同所有者らが同意して、本件原確定に、本件境界が府県境の確定線として書き込まれた。[被④12-13頁、表(28)](乙104乙81の1乃至5、乙136〈加茂町B〉3頁、証〈加茂町B〉2・5・6頁)

(エ) 本件原確定境界は、本件境界に関する、本件土地2共同所有者らと本件土地1前所有者〈東鳴川C〉との合意を表す。このことは、本件原確定に際し隣接所有者全員から同意書が提出されていることからも、明らかである。[被②36-39頁、被④16頁、表(29)](乙6:4頁、乙27:7-8頁、乙83:5-6頁、乙88の3乃至5、乙112甲7の1証〈加茂町B〉5・6頁))

【証】なお、〈村田商店代表乙の父〉は証人尋問において、被告代理人から「土地の境界は民民の話であって,〈東鳴川C〉さんと〈加茂町B〉さんたちが,どこで合意でしたかということの問題だということですね。」と問われ、「そうですわ。」と答え、これを認めている。(証〈代表乙父〉21頁)

(オ) 本件原確定が、原告の違法行為をやめさせるため、京都府警の捜査に協力する形で確定されたという経緯を鑑みれば、原告には、当時の隣接土地所有者が同意した、原確定の境界線を尊重する責任がある。[被①10-14・27-28頁、表(30)](乙6:4頁)

(カ) 原告は本件原確定境界を越境して本件土地2にコンテナ等を設置している。[被①31頁、表(32)](甲2:2-3頁地図、乙32乙88の3乙112の1乙141(36)、乙144)

(キ) 本件原確定から本件境界が削除された理由は、木津川市の手続きに不足があったとされたためで、境界が未確定だからではない。[被①19-20頁、表(33)](甲7の1乃至2、乙25:1頁、乙27:2頁・別紙2頁、乙28:2頁、乙115証〈加茂町B〉7頁)

(ク) 平成30(2018)年3月ごろから、原告は排水設備改修の交換条件として、木津川市に本件原確定の修正を要求しているが、奈良市から十分な協力を得られていないにも拘らず、木津川市が修正に踏み切ったのは、こうした原告の強い働きかけがあったためだと考えられる。[被①14-17・23-27頁、表(34)](乙21:1頁、乙22乙23:2頁、乙26乙27別紙1頁)

(ケ) 本件原確定の修正は、隣接所有者の同意書を得ずに行われた。これは木津川市の規程を逸脱する手続きだったと考えられるが、木津川市は、改めて確定手続きを行うことを前提に一旦修正するものであるので問題はないとした。

[被①20-23頁、表(35)](甲7の1乃至2、乙25乙27-2頁・別紙2頁、乙28-2頁、乙76:2頁、乙77:1頁、乙30-補充理由説明書1頁)

(コ) 被告は、平成30(2018)年11月28日に、木津川市からメールで本件原確定が修正された旨を周知されたが、当該メールに「指示」と呼べるような記述はなかった。[被①21頁、訴状7頁、被②8頁、表(37)](甲8) 

【証】 なお、木津川市からのメールが対象としていたのは、「弥勒の道プロジェクト」ウェブサイト上で公開していた資料(PDFファイル)であって、本件記事ではない。当初原告が、木津川市のメールが本件記事を対象としていたと思い込んでいた(乙1:5頁)ことは、そもそもこの木津川市のメールが、原告の強い要求により送られたものであったことを示唆している。被告は、木津川市からのメールを受け、木津川市にことの詳細について問い合わせたが、木津川市から返答がないまま今に至っている。また被告は木津川市から重ねて「配慮」をお願いされたこともない。[被①23ー24頁、被②8頁](証〈遠藤〉28ー29頁)

(サ) 木津川市と奈良市は、令和元(2019)年12月23日に、再確定に関する協議を行った。このとき木津川市は、「点番号201が、両地権者で確認した点である」として、本件原確定境界に従い、点番号201を動かさずそのまま再確定する方針を説明しているが、奈良市はそれを了解している。[被④13-14頁、表(38)](乙105:2頁)

(シ) 令和2(2020)年3月11日、木津川市は、本件再確定に係る現地立ち会いにおいて、当時の隣接所有者が確認したものであることを根拠に、木津川市道の府県境点を、原確定のまま復元すると説明した。[被④15頁、表(39)](乙108:2頁、乙115:1頁)

(ス) 令和元(2019)年10月から、原告は本件原確定境界を越境して防護柵を設置することを認めるよう本件土地2共同所有者らに求め、令和元(2019)年1月には一方的に防護柵を設置したが、これに対し〈加茂町B〉ら本件土地2共同所有者は、防護柵の越境を明確に拒否する内容証明郵便を原告に送っている。

[被②25-27頁、被④13頁、表(41)](乙84の1乃至5, 乙107:3-4頁)

(セ) 本件土地1と本件土地2の土地境界に争いがあることが明らかになったのは、原告が本訴訟を提起した後、原告が本件土地1を取得し、本件土地2共同所有者らに対し、本件原確定境界を越境して防護柵を設置することを認めるよう求めて以降である。本件土地1前所有者の〈東鳴川C〉と本件土地2共同所有者らとの間に土地境界に関する争いはなかった。[被②25-27頁、被④12-13・16-17頁、表(42)](乙84の1乃至5,乙107:3-4頁、証〈加茂町B〉2・5・6頁)

(ソ) 令和元(2019)年12月27日、奈良県は「自分の土地で明らかな位置に張るのはどうか」と原告に提案した。また、木津川市も「平成19(2007)年確定の所に柵を張るのであれば、隣接地権者は異議がないと思う」と指摘した。[被④14頁、表(43)](乙106)

(タ) 令和2(2020)年3月中頃、奈良県畜産課長溝杭は〈加茂町B〉に電話をして「防護柵のあるところまで土地を売る気はないか」と持ちかけた。この発言は、本件土地2共同所有者らが主張するとおり、本件原確定境界が正当な土地境界であることを前提とするものである。[被④15頁、表(44)](乙115:2頁)

(チ) 令和2(2020)年1月、原告は、本件土地2に越境して設置しているものを全て取り囲む形で防護柵の設置を強行したが、この防護柵の位置は赤田川南岸に存在したという既設金属鋲の位置を根拠としているようにも見える。しかし、その既設金属鋲は本来の位置にないことが木津川市によって確認されており、境界損壊罪への関与が疑われる。[被④18-22頁、原①10-12頁、表(45)](乙107乙109乙110)

(ツ) 【証】〈加茂町B〉は証人尋問において、被告代理人から「本件土地1と本件土地の2の土地の境界について,〈東鳴川C〉さんは本件土地1を村田さんに売却したときに,境界の確認について引き継いだというふうにおっしゃってましたか。」と問われ、「はい,自分たちで測ったときの地図を渡して,それからもう一つは19年の木津川市の作ってる私たちがそれで了解しましたという判こを押したものを見せて,〈加茂町B〉との境界はこちらになってはっきりしてるからというのをちゃんと説明をして、売ることにしたというふうに聞いてます。」と答えた。(証〈加茂町B〉8ー9頁)

(テ) 小括

以上(ア)乃至(ツ)から、原告が他人地に犬小屋や小屋を建てていることは真実であり、少なくとも優に真実相当性は認められる。

4 FACT4について

村田養豚場下流の水質汚濁について

「水質汚濁につき,村田養豚場がその原因となっていると疑われている事実」に関する被告の主張と立証

(ア) 赤田川の水質汚濁は合併前の加茂町時代から懸案事項となっており、平成14(2002)年ごろに地元三区長から加茂町長への要望など平成14(2002)年ごろから記録があるが、村田養豚場は当初から水質汚濁の原因として疑われていた。[被①49頁、表(117)](乙8の2:2頁、乙9の1:1頁)

(イ) 被告は、本件記事公開前に、木津川市議会において、赤田川の水質汚濁問題が長年議論されており、村田養豚場がその原因と疑われていることを、インターネット上に公開された木津川市議会議事録で確認していた。[被②43頁、表(161)](乙6乙139〈遠藤〉(103))

(ウ) 平成28(2016)年までに行われた民間の調査においても、赤田川の化学的酸素要求量(COD)が木津川水系の中で突出していることが指摘されており、その原因として「上流域にある産廃の山と養豚場」が挙げられていた。[被②43頁、表(142)](乙89:4頁、乙139〈遠藤〉(103)、証〈遠藤〉19頁)

(エ) 平成28(2016)年12月26日、木津川市による赤田川の水質検査で、著しい水質汚濁が検出(高田で BODが30mg/L、CODが26mg/L)された。[被①14・49頁、表(118)](乙8の1:4頁)

(オ) 平成29(2017)年4月10日、エヌエス環境株式会社は、提案書において「特に糞便生大腸菌が10,000個/mlを超過した状態は、し尿レベルの汚染であり、他の病原菌に汚染が心配される。一般河川、また農業用水として衛生的に心配。」と指摘した。[被①14・50頁、表(119)](乙8の1:2頁)

(カ) 平成29(2017)年4月14日、京都府山城南農業改良普及センターは「現在の水質が続けば、水稲・ナス等への生育への影響が懸念される」との見解を示した。[被①14・50頁、表(120)](乙8の2:1頁、乙9の2:2頁)

(キ) 木津川市は赤田川の水質汚濁を「府県境を跨ぐ公害」と捉えている。[被①49-51頁、表(121)](乙9の1:4頁、乙9の2:1・2頁)

(ク) 平成29(2017)年5月30日、木津川市は赤田川水質汚濁状況調査を実施した。現地調査の報告書では、村田養豚場を境に河川の状況が変化する様子が報告された。こうした河川の状況は、被告が川の上から観察して感じていた印象(本件記事)と一致する。[被①15・49-51頁、表(122)](甲2:51頁、乙10:2頁、乙139〈遠藤〉(128))

(ケ) 平成29(2017)年6月23日には、京都やましろJAから木津川市長に、赤田川の水質改善を求める要望書が直接手渡された。[被①15・51頁,表(123)](乙11)

(コ) 平成29(2017)年7月21日、西小・大門・高田・観音寺・大野の流域五地区から、赤田川の水質改善要望書が、木津川市長に直接手渡された。この要望書で、下流地域地区長らは「木津川市の水質検査によると、大腸菌群数や糞便生大腸菌群数が以上に高いことから、上流の奈良市側にある養豚場の事業活動が原因ではないかと危惧しています」と述べている。[被①15・51-52頁、表(124)](乙12)

(サ) 加茂町と京都府は原告に対し立ち入り調査を受け入れるよう求めていたが、平成15(2003)年3月、原告は京都府側の立ち入りを拒否している。[被①49頁、表(125)](乙9の1:3頁)

(シ) 平成29(2017)年8月、原告は木津川市及び京都府による村田養豚場への立ち入り調査を拒否し、京都府が求めた調査内容についても回答を拒否した。[被①15・51-52頁、表(126)](乙13:3頁)

(ス) 平成29(2017)年11月7日、木津川市長が奈良県農林部長と懇談し、村田養豚場を念頭に、赤田側水質改善への協力と、事業者を適切に指導することを依頼した。[被①15・52-53頁、表(127)](乙14)

(セ) 平成29(2017)年11月、木津川市による赤田川水質汚濁状況調査報告書は、赤田川の汚濁原因について「府県境に位置する養豚場付近で、高濃度かつ大量の有機汚濁成分が排出されて、赤田川の水質汚濁を引き起こしていると考えられる」と結論づけた。[被①15・53-54頁、表(128)](乙15:25頁、乙139〈遠藤〉(136))

(ソ) 平成29(2017)年11月14日、木津川市長が奈良県知事を訪れ、赤田川の水質改善に配慮を願う要請書を手渡してた。当初木津川市はこの要請書を京都府知事と連名で発出することを希望していたが、このことは木津川市の問題解決にかける強い意志を感じさせる。また、検討中の文案では「奈良市と木津川市の境界付近で河川の状況が大きく悪化していることが確認され、その付近にある事業所が上流側の汚濁源の一つとなっている可能性が示唆されています」としており、最終案よりも踏み込んだ表現となっていた。[被①15・54頁、表(129)](乙17の1乃至3)

(タ) 平成29(2017)年11月22日、木津川市長が奈良市長を訪問して、奈良県知事宛と同内容の要請書を手渡している。この要請文においても、途中の文案は最終案と少し異なっており、「調査・対応をされた結果につきましては、木津川市及び京都府に提供いただけますようお願いいたします」という具体的な要請が含まれていた。[被①16・54-55頁、表(130)](乙18の1及び2)

(チ) 村田養豚場は、下流で問題視されている有機汚濁物質に関して、排水規制を受けておらず、したがって、村田養豚場が水質汚濁防止法上の排水基準を満たしていることは、村田養豚場が下流で問題となっている有機汚濁の原因者ではないことを何ら保証しない。[被②42-43頁、甲①15-16頁、被④29-30頁、表(141)](甲14:15-16頁)

(ツ) 奥之院下流の砂防ダムが、赤田川の二次的な水質悪化の原因となっている可能性が考えられるようになったのは、平成29(2017)年5月30日に行われた木津川市による赤田川水質汚濁状況調査の後である。したがって、平成28(2016)年6月公開の本件記事に、砂防ダムが二次汚濁源となっている可能性について記載がないことは、当然と言える。[被②45頁、(145)](乙62:1頁)

(テ) 砂防ダムの取水設備の開閉が行われなくなったのは、開閉機構が故障したことに加え、開放時に汚濁した底質を含んだ黒い水が下流に流れ込むためである(乙15ー25頁)。[被②45頁、表(146)](乙15:25頁)

(ト) 砂防ダムが二次的な水質悪化の原因となる理由は、ガスとともにスカム状の物質が噴き上がり、それらが水面を浮遊して、下流に流れ下ることなどによる。この現象は、赤田川上流から大量の有機汚濁成分が流れ込むことによって生じていると考えられ、それゆえに砂防ダムは、「二次的な」水質悪化の原因とされている。[被②45-46頁、表(147)](乙15:20頁)

(ナ) 現在では、砂防ダムにおいて、スカム状物質の噴き上がりは少なくなっており、砂防ダムが二次汚濁源となっているとは考えられていない。[被②46頁、表(148)](乙62:2頁)

(ニ) 被告は、本件記事の水質汚濁に関する記事において、原告に違法性があるとは述べていない。[被④5・30-31頁、表(156)](甲2:47-54頁)

(ヌ) 「赤田川で著しい水質汚濁が続いている中、その原因として疑われてもいるのだから、原告は、ブランド豚のうたい文句にふさわしい環境対策として、浄化槽を設置するべきだ」という意見の表明が、「赤田川下流の水質汚濁(FACT.4)」の趣旨である。[被④28-29頁、表(157)](甲2:47-54頁、乙114:3頁)

(ネ) 「平成29(2017)年11月の木津川市赤田川水質汚濁状況報告等(乙15)において、赤田川の水質汚濁源が村田養豚場付近であることまでは特定している」ことは、赤田川の水質汚濁源が村田養豚場であると疑われていることの妥当性を補強しこそすれ、否定するものではない。[被④29頁、表(158)](乙15:25頁)

(ノ) 被告は「村田養豚場が赤田川の水質汚濁の原因者である」とは断定していない。[被④30頁、表(159)](甲2:47-54頁)

(ハ) 村田養豚場直下の赤田川に、強烈な悪臭を放つ泥が溜まっていることや、村田養豚場を境に赤田川の水質汚濁状況が一変することについても、木津川市が行った赤田川の踏査によって、確かめられている。[被④30頁、表(162)](乙10:2頁)

(ヒ) 本件記事に、原告による水質汚濁防止法違反を指摘する記述はない。また、赤田川下流で具体的な農業被害が発生していると指摘している箇所もない。村田養豚場からすぐ下流の浄瑠璃寺奥之院近辺では、著しい水質汚濁が頻繁に観察されているので、被告はそのことを象徴する出来事をいくつか紹介したに過ぎない。[被②8・9・44頁、表(163)](甲2:50-51頁)

(フ) 「人が少なくなる時間を見計らって汚水が流されて」いたことは、のちに木津川市が、赤田川の奥之院付近で実施した、EC連続モニタリング調査において、高い頻度で夜間に、人為的な水質汚濁が検知されたことにより、科学的に裏付けられた。[被④30頁、表(164)](乙15:22頁、乙139〈遠藤〉(134))

(へ) 【証】被告は本人尋問において、被告代理人から赤田川水質汚濁問題の取材源として本件土地1所有者の〈加茂町A〉から聞き取った内容を問われ、「〈加茂町A〉さんにお会いしたときに,下流でしいたけ栽培をしてる人が,そのしいたけ栽培に,何か,水が要るらしくて、ポンプで水をくみ上げてるんだけれども,ふん尿とかごみですぐに詰まってしまうとぼやいていたというふうな話を聞きました。」と答えた。(証〈遠藤〉19頁)

(ホ) 小括

以上 (ア)乃至(ヘ)から、水質汚濁につき,村田養豚場がその原因となっていると疑われていることは真実であり、少なくとも優に真実相当性は認められる。

第3 本件記事の公益性について

1 本件記事の趣旨について

本件記事には以下の通り大きく三つの論点がある。

  1. ① 原告が山林掘削以降、長年にわたり様々な問題を引き起こしていること。

  2. ② 関連行政機関、中でも奈良県及び奈良市は、①を事実上容認しており、原告を適切に指導することに極めて消極的であるばかりか、農林水産省が原告の経営する村田養豚場をエコフィード事例集に含めたり(甲2:58頁)、奈良市が原告の経営する村田養豚場が生産するブランド豚「郷ポーク」をふるさと納税の返礼品として取り扱う(甲2:56頁)などして、関連行政機関が様々な形で原告を支援していること。

  3. ③ ①が、高級ホテルやレストランに採用され、雑誌などでも紹介される「奈良を代表するブランド豚」を生産する農場にふさわしい振る舞いか否か。

なお被告は、関連行政機関が原告を適切に指導することを求めるとともに、読者に対し、なぜ原告を適切に指導しないのか、関連行政機関に問い合わせるよう促して、本件記事を締めくくっている(甲2:67頁)。このことからもわかるように、本件記事の上記論点うち被告が最も重要と考えているのは、論点②である。

なぜなら、既に被告第1準備書面41〜42頁及び被告第3準備書面25頁で述べた通り、奈良県が飼養衛生管理基準及び農水省の通達に基づき、原告を適切に指導していれば、犬の放し飼いや市道上での作業は本来不可能であり、原告が引き起こしている問題の大半はそもそも生じ得ないからである。すなわち、衛生管理区域を犬が出入り可能な形で犬の放し飼いは行われず(乙57:2(12)頁、乙58:2頁)、衛生管理区域になり得ない公道と敷地の間には当然に柵が作られ(乙57:3(28)頁、乙98:5-6頁)、衛生管理区域になり得ない市道に餌が入ったドラム缶が乱雑に置かれることはなく、市道上でフォークリフトなどの重機を用いて餌の混ぜ合わせが行われることもない(乙57:3(28)頁、乙98:5-6頁)。それが、法と衛生管理基準を最低限遵守している、正常な養豚場の姿である。しかるに原告が経営する村田養豚場の現状は、そうした正常な養豚場の姿とはかけ離れており、関連行政機関が現状を放置し続けていることは信じがたい。

なお被告が、原告に直接何かを要求するのではなく、関連行政機関に、原告に対する適切な指導を求めているのは、原告自身が、犬の放し飼いなどについて、かねてより、行政から認められているから問題ないと主張していることに加え、何か問題が起きるたびに、住民自身が事業者と直接交渉することを強いられるのではなく、関連行政機関が住民に代わって、事業者に対し適切な指導を行うことの方が、住民にとって、より望ましい状態だと考えるためである。また、住民自身が事業者と交渉した結果、事業者が問題解決に動いたとしても、行政にその状態を保つ意志がなければ、すぐに問題のある状態に戻ってしまう可能性も考えられる。

2 繰り返される原告の主張の欺瞞性

〈村田商店代表乙の父〉が村田養豚場を継いだ、およそ20年前以降、山林の越境掘削に始まり、原告は次々と周囲との間に争いを持ち込んでいる。その際、原告が争う根拠として掲げるのは、多くの場合「防疫」(訴状8頁など)と「土地境界が未確定」(訴状6-7頁など)との主張である。

しかし、少なくとも外形的には、村田養豚場において衛生が管理されている実態は観察できない。犬が自由に徘徊し多数のカラスが群がる公道上で、公道脇に多数置かれたドラム缶の中の餌を、公道上でフォークリフトを用いてミニローダーのバケットに注ぎ込み、時に路上にこぼれ落ちた餌をスコップですくい上げバケット戻すような養豚場(乙56乙141)の、いったいどこに「衛生管理」があるというのか。しかも作業場と化している公道上を含め、養豚場一帯にはところ構わずカラスの白い糞がこびりついており、犬の糞もあちこちに落ちているのである。原告が、自らに都合の良い文脈でのみ持ち出す「防疫」には、原告の養豚場経営に「防疫」の実態が伴っていない以上、何の説得力もない。

また土地境界が未確定であったとしても、争いが起きない範囲で事業を行えばよいだけのことである。実際原告は、奈良県からそのように助言されている(乙106:2頁)。それにも拘らず、原告は、隣接地権者の抗議を無視して土地使用を強行し、隣接地権者が土地境界に異議があるとしながら裁判を起こさないのは自らの主張が間違っていると認めているからだなどと、隣人でもあるはずの隣接地権者を挑発するようなこと(甲21:4頁)を述べた。しかし少なくとも「奈良を代表するブランド豚」を生産する農場には、一般に、このような振る舞いは全く期待されていない。

3 本件記事の公開を継続することの公益性

現在の本件記事では、本件土地1が原告に売却されたことについても追記されている。

ところで確かに、本件土地1の売却によって、原告による本件土地1の土地使用に関わる問題は、解消されたと言える。しかしそれは、本件土地1前所有者である〈東鳴川C〉と原告の間で、問題が解消されたというだけであって、その解消のされ方が、「奈良を代表するブランド豚」を生産する農場としてふさわしいかどうかという問題は残る。たとえ前述の論点①が解消されても、他の論点は残るのである。

これまで被告が主張してきた通り、原告は、本件土地1を買い取る前、〈東鳴川C〉の許可なく本件土地1に様々なものを置いていたが、それだけでなく原告は、余剰食品残渣や豚舎から出た汚泥を本件土地1に頻繁に投棄していた(乙31)。そのため本件土地1は、もはや誰の目にも、原告以外にとって価値がないどころか、何が埋まっていて、それがいつ流出するかもわからない、所有することにリスクを伴うような土地となってしまっていた。

そのような土地使用の末に、原告は〈東鳴川C〉にそれまでにない好条件を示し(乙136〈加茂町B〉(6))、本件土地1を買い取ったのであるが、それは同時に、原告と本件土地2共同所有者との間に、新たな争いを準備するものでもあった。

すなわち原告は、〈東鳴川C〉に対し、〈加茂町B〉には土地売却を知らせないよう要求し、奈良側の東鳴川町501と本件土地1の土地境界は確定する一方、本件土地2と本件土地1の土地境界には防護柵設置を強行することで、土地境界に明確な争いをもたらした。

現地の地理的条件から想像される通り、本件土地2近辺の山林の土地評価額は低く、土地境界のために多額の費用がかかる裁判を起こすのには全く見合わない山林である。原告は、本件土地2共同所有者らに、所有地への越境を容認するか、所有地の評価額には見合わない、多額の費用をかけて訴訟を起こすか、過酷な選択を迫ったと言わなければならない。結果、本件土地2共同所有者らは、原告の越境行為を放置した場合の地域社会への影響も考慮し、原告を提訴することを選んだ(乙144)。

しかし、原告がどうしても防護柵の位置までを自らの敷地としたかったのだとしても、原告は別の方法を取ることもできた。一例を示せば、もし原告が、犬の放し飼いをやめ、市道を誰もが、昔のように軽トラックでも、安心して通ることができる状態に戻し、原告が費用を負担して敷地と隣接地及び市道の境界を確定して、越境物を全て一旦撤去し、以降は土地境界に争いを持ち込ないことを誠意を持って隣接地権者に明らかにしたなら、本件土地2共同所有者らは、土地を防護柵の位置で分筆した上で、分筆した土地を原告に売却することでさえ、前向きに検討したかもしれない。もし仮に原告がここで述べたような方法を取った結果、論点①に該当する越境防護柵の問題が解消したのであれば、被告は越境防護柵に関連する論点②③も解消されていると考えるから、被告にとり本件記事中の越境防護柵につながる過去の一連の出来事を公開し続ける意義は消失する。

しかしながら現実の原告は、「防疫」あるいは「土地境界が未確定」との主張を振りかざし、次から次へと周囲との間に軋轢を生み続けている。つまりこの事態は昨日今日始まったのではなく、関連行政機関が問題と向き合わない中、およそ20年にわたって絶え間なく続いているのである。このような状態が、個別の問題としてだけでなく、行政の対応の適切性あるいは地域ブランドのあり方として、広く一般市民に関心を持たれることは全く正当であると考えられる。したがって、これまでの経緯を含め、村田養豚場が周囲と軋轢を生み続けている現状を摘示し、それを批判的に論評することは、言うまでもなく表現の自由の範疇に属する。

第4 結語

本訴訟の判決は、村田養豚場周辺地域の安全と環境、そして市民の通行権に、大きく影響し得ると考えられる。御庁がどのような判断を下すにせよ、原告及び原告と一体化した奈良県などの行政機関が、御庁の判断から、御庁が意図しない解釈を導き出すことのないよう、御庁におかれては、判決文に細心の注意を払われることを願う。

第5 調書の不正確な一部記載について

〈加茂町B〉証人調書
6頁12行目「反抗しました」
→「判こを押しました」
12頁14行目「許可証」
→「境界書」
遠藤千尋本人調書
3頁下から1行目「26年かな、4年ぐらいに」
→「(平成)26年かな、(20)14年ぐらいに」
19頁19行目「私有地土地確定図」
→「市有土地確定図」
40頁6行目「卵黄の何か目みたいなもの」
→「ラーメンの何か麺みたいなもの」
43頁21行目「様子なんかは出てませんで」
→「様子なんかは出てますんで」
以上