乙第139号証

令和元年(ワ)第338号 損害賠償等請求事件
原  告  株式会社村田商店
被  告  遠藤 千尋

陳述書

2021(令和3)年7月19日
氏名:遠藤 千尋

第1 はじめに

  1. 私は、2016(平成28)年6月初めごろに、「GO-PORK FACTS 奈良ブランド豚肉『郷Pork(郷ポーク)』について知るべきこと」という表題の記事(以下、「本件記事」と言います。URL:https://goporkfacts.com/index.html)を作成し、インターネット上に公開しました。本陳述書では、本件記事を公開するまでの経緯と、本件記事記載事実の根拠を述べます。また、裁判所が示した真実性の抗弁に係る主要事実に関する陳述については、文字を大きくし、文頭の【】内に裁判所の争点整理に対応する番号を付記しました。

第2 私が村田養豚場の敷地の間にある市道に関心を持った経緯

  1. 私は小学生の頃から、浄瑠璃寺や岩船寺界隈の石仏に関心を持っていました。小学校高学年の頃には、石仏の場所と写真をまとめることを自由研究の課題に選んだこともあります。その時、当時の友人と、現在は村田養豚場の敷地の間にある市道を通り抜けて、中ノ川町と旧木津町の境にある牛塚を探しに行ったことを、今でも覚えています。そのほかにも、自宅から奈良まで遊びに行くのに、自転車や徒歩で、何度もこの道を通り抜けましたが、当時の村田養豚場は道の東側だけにあり、あたりは人の気配を感じさせない静けさで、当然のことながら放し飼いの犬もいませんでした。ひどい悪臭がした記憶もありません。ごくまれに動物の鳴き声らしきものが聞こえるものの、柵と植え込みの向こうに何かの小屋があるということしかわからず、私は放棄された廃屋かもしれないと思っていました。

  2. また私は、中学生の時、大晦日の晩に、当時仲が良かった友人たち数名と、除夜の鐘をついて初詣に行くことを口実に、現在村田養豚場の敷地の間にある道を通り抜けて春日大社まで歩きました。当時この道は、深夜中学生だけで懐中電灯の灯りを頼りに通り抜けることに、何の心配も感じられない道でした。

  3. 2012(平成24)年5月8日、奈良国立博物館で開催された特別展「解脱上人貞慶」を観覧したことをきっかけに、私の中で当尾地域の歴史や文化財に対する関心が再度高まりました。

    この日私は自転車で展覧会を見に行ったのですが、展覧会が非常におもしろかったこともあって、貞慶上人が歩いたであろう道筋に近いルートを辿る形で、月ヶ瀬街道を登って中ノ川町から笠置街道に入り、岩船寺まで大きく回って自宅に帰ることを思い立ちました。

    ところがその途中、中ノ川町の信号のあたりにある、旧道の入口を通りがかった時、そこに「ゴマ石」と書かれた手製の看板があることに気がつきました。私はその道を行くと牛塚があることは知っていましたが、「ゴマ石」は初耳でした。そこで私は、夕暮れまでにはまだ時間があったものですから、案内板を頼りに「ゴマ石」を探してみることにしました。はたしてその護摩石(ゴマ石)は、牛塚から林の中の山道をしばらく行き、途中で子尾根の尾根道に入って、300メートルほど尾根筋を歩いたところの尾根の突端、梅谷三角点のすぐそばにひっそりとありました。何かの台座と思われる不思議な大石です。

    この時かなり久しぶりに牛塚を訪れた私は、林の中の道を自転車を押して歩きながら、小学生の時、牛塚を探して歩いた山道はこの道ではなかったかと思いました。小学生当時、もう引き返そうか、いやせめてもう少し先までと、友人と初めて行く山道に不安でいっぱいだったことを思い出しました。その時は、浄瑠璃寺側から歩いてきましたので、そうこうするうちに少し開けた場所に出て、その近くの小高い丘の上に目指す牛塚があったのでした。

    貞慶展から帰宅した私は、その日通った道が気になり、ウェブ上の地図で場所を確認しました。するとどうやら、牛塚から林の中に入る山道が、京都府と奈良県の府県境となっているように思われました。京都府と奈良県の府県境のうち、この区間だけは、尾根筋や川など地形上の特徴ではなく、道が府県境となっているのです。それで私は、この道はかつて重要な街道だったのではないかと考えました。

  4. その後、インターネット上に公開されている情報からも、府県境の道が長く主要な道の一つとして扱われていたことを確認しました。例えば、現在の地図に古い地図を並べて比較できる「今昔マップ」(http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html)では、明治時代や大正時代の地図に府県境の道が主要道として記載されていたことがわかりました。また国際日本文化研究センターが所蔵する「奈良市街全圖:實地踏測」でも、右上の簡略化された「付近精図」の中に、府県境の道が二重線でしっかり書き込まれていました(https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002423788)。

  5. その後も私は、時間を見つけては、奈良県立図書情報館や国会図書館に通い、この道のことについて調べました。その中でこの道が非常に古くから存在し、地域の歴史に深く関わっていることがわかってきました。

  6. はっきりと道の存在がわかる史料としては、享保20(1735)年頃に出版された大和志に、現在の笠置街道(県道33号・奈良笠置線)に当たる「廣岡越」の支線として、中ノ川から西小田原(浄瑠璃寺周辺)へ抜ける道が「中川越」という名前で記録されています(乙73)。

  7. また浄瑠璃寺の歴史を記録した古文書「浄瑠璃寺流記事」には、平治元(1159)年の十万堂棟上をはじめとして、中川寺の僧侶が度々浄瑠璃寺に出仕していた記録が残っています。中川寺から浄瑠璃寺へ向かう道は、中川越道すなわち村田養豚場の敷地の間にある道以外にあり得ません。なぜなら、現在村田養豚場がある場所より下流の赤田川は急峻な渓谷となっており、川を跨ぐ形で道を通すのには適していません。一方上流側の道では大きく遠回りすることになり、やはり合理的ではありません。したがって、この道が遅くとも平安時代後期には存在していたということは、浄瑠璃寺に残る古文書からも明らかだと言えます。

  8. さらに流記事を読み進めると、康永二(1343)年一月に、奈良大門を造営したとあり、その注記として「是ハ奈良道赤門之事也」と書かれています(清岡卓行・佐伯快勝「古寺巡礼 京都7 浄瑠璃寺」淡交社、昭和51(1976)年、148頁)。注記を「是ハ奈良道前門之事也」と読む説もありますが(「加茂町史 第四巻 資料編1」平成9(1997)年、74頁)、いずれにせよ浄瑠璃寺の地元では、奈良道にあった奈良大門は赤い門、「赤門」だったと伝わっており、村田養豚場から浄瑠璃寺へ登っていく道は、現在も「赤門坂」と呼ばれています。

    また明治16(1883)年に京都府が編纂した「山城国相楽郡村誌」では、西小村の「道路」として「奈良道」があげられており、「東方東小村界ヨリ、南方大和国添上郡中川村村界ニ入ル、長十五丁、巾一間」と説明されています(「加茂町史 第四巻 資料編1」平成9(1997)年、424頁)。つまり京都側から見た「奈良道」は、奈良側から見た「中川越道」なのです。

  9. こうして村田養豚場の敷地の間を抜ける道が、古い街道、それも奈良から笠置へ向かう笠置街道の主要な支線だったとわかると、私は当尾に立派な石仏が点在している理由がよりよく理解できる気がしました。

    中でも、岩船寺南にあるみろくの辻弥勒磨崖仏は、磨崖仏の前を通る道が奈良から笠置へ向かう古い街道であることと大いに関係していると見て、まず間違いありません。磨崖仏のある辻は、奈良から笠置へのちょうど中間地点に位置し、しかもこの場所は、街道中で最も標高が高いあたりにあるので、ここから笠置に向かうにしても、奈良に向かうにしても、あとはほぼ下りとなります。まさに街道の目的地である、笠置寺弥勒石を模したミニチュア版を作るのに、これほどふさわしい場所はないでしょう。

    山渓文庫35「奈良の散歩道」で奈良北郊を担当した赤谷明海氏は、みろくの辻弥勒磨崖仏について、「姿は笠置寺の本尊を模したものと言われ、笠置詣での道筋にふさわしい仏である(62頁)」と評しています。また当尾に石仏が多い理由についても、「それを興福寺の力と、笠置寺の存在の上に見たい(72頁)」とし、次のように考察しています。

    「笠置寺の創立は奈良時代を下ることはあるまい。しかし、そこが弥勒菩薩の浄土として上下の信仰を集め、盛大な活況を示すようになるのは、鎌倉時代興福寺の貞慶が再興してからである。興福寺と笠置寺の中間に位置するのが当地であり、笠置詣での人々で賑わったことであろう。したがって、それまでの当地が、主として貴族の経済力に頼っていたとしても、中世においては、それ以外に庶民の力によっても支持されることとなる。元弘の兵火以来、笠置が衰退してから後には、ほとんど磨崖仏の造顕が見られないということに注意したい。(74頁)」

    私は氏の考えを強く支持します。この本を見つけた時、道についてあれこれ調べ、現地を歩きながら考えていたことが、すでに見事に言い当てられていたことにたいへん感動しました。

  10. そうして道について調べるうち、私は、弥勒信仰の巡礼路であったこの道を「弥勒の道」と呼ぶアイディアを思いつきました。私は、中川越道すなわち村田養豚場の敷地の間にある道が、一筋の道として途切れることなく現在も残されていることは、地域の歴史と文化を理解する上で、非常に幸運なことだと考えています。

  11. そこで平成25(2013年)5月ごろ、私は、村田養豚場の敷地の間にある道を抜け、牛塚から養豚場まで府県境の道を、一度一通り歩いてみることにしました。

    私が、浄瑠璃寺から赤門坂に歩みを進めると、記憶よりも道が荒れているようには思いましたが、そこかしこに草刈りがされた跡があり、今も地元の方々が時折整備している様子がみて取れました。ところが、赤門坂を下り切ったところで山が大きく掘削されており、掘削されてできた平地に重機やトラックが置かれ、鉄屑や廃材などもあちこちに雑然と積まれていました。私は、記憶と異なるその殺伐とした光景を前に、しばし立ち尽くしてしまいました。そうするうちに、10頭ほどの犬がけたたましく吠えながら、私の方へ駆け寄ってきました。それを見て私は引き返そうかとも思いましたが、以前は確かに何の問題なく通ることができた道でしたから、府県境の道を一通り歩いてみたいという思いの方がまさり、犬を刺激しないよう一定ペースで歩いて、そのまま通り抜けることにしました。その間、10頭あまりの犬がずっと足元にまとわりつき、足を甘噛みしてくる犬もいました。

    この時、養豚場の従業員が何か作業をしていたように思いますが、私が足早に通り過ぎたのでこちらに気がつかなかったのか、何も言われませんでした。私は、養豚場を抜けて、まずは県道33号に出ました。県道に到達するまでの間も、道のあちこちに犬がいて、路上には犬の糞が点々と落ちており、数頭から10頭ほどの犬が、入れ替わり立ち替わり、次々と吠えながら駆け寄ってききました。記憶と全く異なる、現代日本と思えない異様な光景に内心ひどく驚きつつ、この日私は牛塚を周って、牛塚から養豚場までの府県境の道を一通り歩きました。

    府県境の道は、牛塚から中ノ川町共同墓地の奥までの間が、それほど荒れていない一方、そこから養豚場までの区間には、荒れた場所が点在していました。特に養豚場側の林の出口は、笹藪でほとんど分からなくなっていました。このことは、記憶と異なる養豚場付近の異様な状況と無関係ではないようにも思われました。つまり人が通行を躊躇するような状況があるために道を通る人が減り、道が荒れてしまったのではないかと思われたのです。しかしこの日、道自体はまだ山中にしっかり残されていることが確認できました。私は、これなら人力でも道を再整備できるのではないかと思いました。

  12. その一二週間後、私は般若寺のご住職が木津川市の鹿背山でハイキングを企画していると知り、そのハイキングに飛び入りで参加しました。その中で府県境の道のことが話題になり、般若寺のご住職から、「その道は昔はハイキング道だった」と教えていただきました。若い頃のご住職は、秋になると、浄瑠璃寺の柿をもらいに、府県境の道、すなわち現在村田養豚場の敷地の間にある道を通って、自転車で浄瑠璃寺まで通ったのだそうです。「浄瑠璃寺の柿」とは、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」や会津八一の歌にも登場するあの柿です。

    そのほかにも、般若寺のご住職からは、府県境の道の途中にかつて中川寺というお寺があり、そこが現在は高野山を本拠地とする南山進流声明の発祥の地であったことなど、中川寺についても詳しく教えていただきました。私は、中川寺のことはそれまで存在すら知りませんでしたが、ご住職のお話を聞いて興味を引かれ、この後、中川寺と、中川寺を開いた実範上人についても調べるようになりました。

    その中で私は、中ノ川町の実範上人御廟塔周辺が中川寺跡だとされてはいるものの、中川寺跡がどこにあるかはまだはっきりとはわかっていないということを知りました。しかし中川寺は、中世、興福寺の学僧から絢爛豪華にすぎると批判されたほどの大寺院でした(堀池春峰「南都仏教史の研究 遺芳編」法蔵館、「大和・中川寺の構成と実範」初出・昭和32(1957)年、332頁)。私は現地に行けば、何かしらお寺の痕跡が残っているのではないかと思いました。

  13. 【FACT2-(2)】また、確かこのハイキングの時だったと思うのですが、ハイキングに参加されていた、奈良市クリーンセンターの中ノ川町への移転に反対する奈良市内の団体に加わっている方から、「以前村田養豚場を通り抜けて浄瑠璃寺へ行こうとしたが、農場主に通れないと言われ、押し問答になった。最終的に恫喝してきたので、諦めて別の道を歩いた」という話を聞きました。同様の体験談は、こののち木津川市で観光ガイドをしてらっしゃる方など、複数の人から聞いています。

    なお平成26(2014)年5月26日に、「加茂の水と緑の会」が木津川市に申し入れ書を提出していますが、その中で「現状は「市道」に立ち入ることを明らかに拒んでいます」と書かれています(乙97)。つまりこのころ、私が全く関わっていなかった団体によって、私が聞いたのと同様の状況が木津川市に報告されていたとわかります。

第3 私がくくり罠にかかった犬を原告に知らせた経緯

  1. 平成26(2014)年1月ごろ、私は、奈良から笠置まで続く古道を、かねてから考えていた通り「弥勒の道」と名付けた上で、沿道の歴史や文化財を紹介して、最終的には古道の復興を目指す「弥勒の道プロジェクト」を立ち上げることを思い立ちました。それで私は、このころからプロジェクトのロゴマークをデザインしたり、この時点で道についてわかっていたことを記事にまとめたりし始めました。ウェブサイト公開をにらんで、ツイッターに「弥勒の道プロジェクト」のアカウントを開設したのもこのころです。

  2. 平成26(2014)年2月1日、私は実際に、浄瑠璃寺から、村田養豚場の敷地の間にある道を抜け、府県境の道を通って、奈良まで歩いてみることにしました。この日は、それまでに確認していた明治時代の地図から、中川寺跡のある場所を推測して、その辺りに寺院の痕跡がないか調べてみることも、目的の一つでした。また、沿道の石造物などについては、それぞれあとでウェブサイトの記事にまとめるつもりでしたから、要所要所で写真を撮りながら歩きました。それから地図上にルートを描くため、出発から到着まで、私はずっとiPhoneのアプリでGPSログを取っていました。ですから私がこの日、いつどこにいたかは、GPSログから正確に再現できます。

  3. この日も私が赤門坂を下り赤田川北側の林の出口に差し掛かると、やはり犬が10頭近く、吠えながら駆け寄ってきました。それだけでなく、この日は林の出口付近に立入禁止の看板が立てられていました。その看板は、前年に訪れた時には無かったように思われました。

    看板には「家畜伝染病発生予防の為、関係者以外立入禁止/立ち入る者は車両、手指、靴の消毒を実施すること。」「家畜伝染予防法第12条の3の2に定められている飼養衛生管理基準に従い、農場主の許可なく、みだりに敷地内に立ち入ることを禁じる。」と書かれていました。私は道の上にこうした看板があることを訝しく思いましたが、少なくとも道は敷地に含まれないはずですから、道から外れなければ良いと考え、そのまま通り抜けることにしました。この時もたまたま道の近くには従業員しかいなかったため、私はたくさんの犬に纏わり付かれはしたものの、通行を制止されることはありませんでした。

  4. その後私は、中川寺跡があるのではないかと考えていた場所へ向かいました。その途中中ノ川町の山林の中でも、村田養豚場からやって来たと思われる徘徊犬を見かけました(乙95の1)。

  5. 私が中川寺跡があるだろうと思っていた場所にたどり着くと、そこには人工的に四角く整地されたたくさんの平坦地があり、それらが山の斜面に階段状に並んでいました。谷底から尾根筋に向け直線的にスロープが作られ、その両側に平坦地が並んでいるあたりなど、畑や水田あるいは筍栽培のために造成されたと考えるには、あまりに不合理な労力が注がれた地形となっており、それらの平坦地は、寺院の跡と見るのが妥当であるように思われました。

  6. それから私は、思いの外あっけなく中川寺跡を見つけたかもしれないことに少し興奮しながら、中川寺跡のある谷を後にし、中ノ川町の三社神社に立ち寄りました。三社神社は、中川寺の鎮守社だったとされる神社です。すると、社務所を兼ねた旧神宮寺の建物に、地元のお婆さん二人が腰掛けており、そこで少し立ち話になりました。その中で「どこから来たのか」と聞かれたので、私は「浄瑠璃寺から養豚場の敷地の間を抜けて来た」と答えました。それを聞いたお婆さん二人は口々に「犬がたくさんいるから危ない。あんなところに近づいてはいけない。怖い目にあうからやめときなさい」と忠告し始めました。お二人とも、真剣な面持ちで私を心配してくださっていたことが、とても印象に残っています。

  7. 三社神社に立ち寄った後、私は、中ノ川町共同墓地を抜けて府県境の道に戻り、牛塚、奈良坂、般若寺を経て、東大寺まで歩きました。そしてこの日のことは、紹介するべき場所ごとに記事をまとめ、一週間ほどかけて「弥勒の道プロジェクト」ウェブサイト上に順次公開していきました。

  8. このとき公開した14本の記事の一つに、「浄瑠璃寺裏の養豚場」と題した記事があり、その記事には村田養豚場を通り抜ける上で注意すべきことが記載されていました。具体的には、道がどこにあるかや、付近に多数の徘徊犬がいるので、犬を刺激しないよう犬を無視しつつ一定ペースで歩いた方が良いことなどです。私自身が、村田養豚場の敷地の間にある道を実際に通り抜けてみて、ここを通行するにはこうしたことをあらかじめ知っておいた方が良いと感じたためでした。

  9. また私は、立入禁止の看板が立てられていたことを疑問に思ったので、翌日ごろ奈良県家畜保健衛生所に電話をして、村田養豚場周辺の公道上に立入禁止の看板が設置されているので、それらを撤去するよう指導してほしい旨伝えました。応対した女性職員は、公道を衛生管理区域にすることはできないので、次回訪問時に立入禁止の看板を撤去するよう指導すると答えました。

  10. 私は2月1日に訪れた場所の記事をまとめながら、GPSログを重ねた地図を眺め、中川寺跡が谷の東側だけでなく、西側にも広がっているに違いないと確信しました。そこで、平成26(2014)年2月11日、私は再び中川寺跡を訪れることにしました。この日は、谷の西側の踏査に加え、現地に残された平坦地の縁を歩きながら、iPhoneでGPSログを取り、GPSの軌跡によって地図上に中川寺跡らしき平坦地の範囲を描くことも目的としていました。

    そのため、この日についても、中川寺跡到着から、村田養豚場の敷地の間を抜ける道を通って、石仏の道へ抜けるまでの間、途切れることなく私の辿ったGPS位置情報が記録されています。したがって、私がこの日いつどこにいたかは、GPSログから正確に再現可能です。もちろんこの日の私は、中川寺跡と思われる平坦地を見つける度、その周辺を入念に撮影しましたから、写真ファイルに記録された情報(撮影地点のGPS情報を含む)によっても、私がいつどこで何を見ていたかは、ある程度わかります(乙95の2乃至3)。

  11. この日私は、西小のふもとから直接中ノ川町へ山道を登りました。そして、府県境の道から外れて谷の西側を遡り、中ノ川町共同墓地の下あたりに差し掛かった時のことです。少し上の木の陰のあたりから、犬が激しく吠える声が聞こえました。

    前述の通り私は、2月1日にも、この場所に近い里道で、村田養豚場からやって来たと思われる徘徊犬を見かけていた(乙95の1)ため、私はまた近くまで徘徊犬が来ているのだろうと考えました。そうだとすれば、そのうちその犬はどこかへ行ってしまうはずです。そう考えた私は、犬の様子を窺いつつ、犬の声がする場所から少し離れた山林を踏査していました。しかしその間、犬が移動する気配が全くありませんでした。

    それで私は、犬が動かないことを訝しく思い、思い切って犬の方へ近づいてみました。すると黒茶の犬がククリ罠にかかっていました。私はなんとか罠を外そうと試みましたが、犬が激しく暴れ、すぐに噛み付こうとするため、やむなくそれを断念しました。

    そこで私は、ククリ罠にかかった犬のことを保健所に連絡するほかないと考えました。しかし現場は道から外れた山林であり、保健所職員に携帯電話で場所を伝えることは難しいと思われました。また正直なところ私は、それ以上犬に時間を取られることをわずらわしく感じていました。

    そのため私は、一旦犬を放置することにしました。ククリ罠にかかった犬のことは、帰宅後、保健所にメールで、地図画像上に場所を示して知らせればよいと考えたのです。その際保健所に現地の状況を伝えるため、私はククリ罠にかかった犬の写真を撮影しました。 私がククリ罠にかかった犬を撮影したのは、平成26(2014)年2月11日午後2時13分のことで、中川寺跡を歩いて回る前です(乙95の2)。

    その後私は、当初の予定通り、中川寺跡の踏査を行いました。予想していたとおり、谷の西側にも中川寺跡と思われる平坦地が多数みつかり、しかも谷の東側と向かい合う形で、谷底から尾根まで伸びる真っ直ぐなスロープまでありました。平坦地の座標を一つ一つGPSで記録していたため、私は、予定していた時間より遅い時間まで、中ノ川町の山林を調べていました。(乙95の3

    午後4時ごろ帰路についた私は、ようやく村田養豚場の敷地の間を通り抜ける木津川市道に差し掛かりました(乙94の2及び3)。私がこの道を通って帰ることにしたのは単純に一番の近道だからです。

    先ほども述べたとおり、私は、ククリ罠にかかった犬は、村田養豚場の犬だろうと考えていました。それまでにも、村田養豚場から来たと思われる犬を、中ノ川町の山林で目撃していた(乙95の1)ことに加え、村田養豚場の犬は、黒茶の雑種犬が多く(乙52乙53乙54)、ククリ罠にかかった犬は黒茶で、この特徴によく一致していたためです。

    ところで私は、前述の通り、この時までに複数の人物から、村田養豚場の農場主が通行を拒否して、時に恫喝してくるという話を聞いていました。

    その一方で私は、それまでに何度か村田養豚場を通り抜けられた経験から、通行人に声をかけてくるのは、〈村田商店代表乙の父〉氏と〈村田商店代表乙〉氏だけであり(この時の私は農場主とその娘という認識でした)、他のほとんどの従業員は、敷地の間にある木津川市道を誰かが歩いていても何も言わないことを知っていました。従業員は、近くに〈村田商店代表乙の父〉氏か〈村田商店代表乙〉氏がいれば呼びに行くことはありましたが、私が足早に通り抜けてしまえば、〈村田商店代表乙の父〉氏あるいは〈村田商店代表乙〉氏に、後ろから「通行できない」といったことを言われることはあっても、追いかけてきてまで通行を制止されるようなことはありませんでした。

    そのため私は、日暮れが迫っていたこともあり、当初はいつも通り村田養豚場を素早く通り過ぎるつもりでいました。しかし村田養豚場を少し通り過ぎたところで、やはりククリ罠にかかった犬がかわいそうに思い、引き返して村田養豚場の従業員男性に声をかけることにしました。

    私が「山中で罠にかかっている犬を見たが、ここの犬ではないか」と村田養豚場の従業員男性に声をかけ、午後2時13分にiPhoneで撮影した犬の写真をiPhoneの画面に映し、それを従業員男性に見せると、「確かにうちの犬だ」ということになりました。その場には〈村田商店代表乙の父〉氏もいました。

    私は、ククリ罠にかかった犬がいる場所を、「中ノ川町共同墓地の下あたり」だと、従業員男性に口頭で説明しましたが、村田養豚場の従業員男性は、その場所がまったくわからないようでした。そのため私は、従業員男性から「一緒に軽トラに乗って、現地まで案内してほしい」と頼まれました。私はそれを承諾し、従業員男性2名とともに、村田養豚場の軽トラで、ククリ罠にかかった犬がいる場所へ向かいました。

    私はこの時、従業員男性に、村田養豚場には犬が何匹いるのか聞きましたが、従業員男性が「何匹いるのかわからない。勝手に増えた。時々いなくなるやつもいる」という趣旨のことを事も無げに答えたので、私は少なからず驚きました。帰宅後私が、「浄瑠璃寺裏の養豚場」と題した記事に、「違法性を認識していない従業員」などと追記した(甲9)のは、この時の経験に基づいています。

    また私は、〈村田商店代表乙の父〉氏を含め、村田養豚場にいる従業員が、養豚場周辺にあるものをあまり把握しておらず、大して土地勘がないことを意外に思いました。上述の記事を追記した際には、そのことについても触れています。

    さて話を戻しますが、現地への案内を頼まれたものの、それまで私は、車で中ノ川町共同墓地を訪れたことはなく、軽トラとは言え、細い山道を墓地があるところまで車で入れるのか、入れたとしてもUターンして引き返せるのか、全く確信が持てませんでした。そこで私は、中ノ川町の民家があるあたりで一旦軽トラを停めてもらい、まずは徒歩で従業員男性らを現地へ案内しようとしました。

    ところが実際には中ノ川町共同墓地の手前に手ごろな駐車スペースがあったため、従業員男性は「これならここまで軽トラで入った方が良い」と言い、軽トラを取りに戻りました。この時私が、中ノ川町共同墓地へ向かう道を右往左往していた様子はGPSログにも記録されています。

    上記のような経緯があり、私が従業員男性とともに現地に到着するまでには、私が思っていたよりも長い時間がかかりました。

    そうこうしてようやっと現地でククリ罠にかかった犬を確認した従業員男性は、「いつも???(具体的な場所を言っていた記憶はあります)のあたりにおるやつや」「こいつこんなとこまで来とるんか」と言っていました。

    私は犬の救出を手伝おうとしましたが、やはり犬が噛み付こうとするため、従業員男性から手を出さないよう言われました。そこで何か道具が必要だという事になり、もう一人の従業員男性が軽トラに道具を探しに行きました。

    しかしそのころにはあたりがかなり暗くなってきており、犬の救出にはまだ時間がかかりそうだったので、私は暗くなってきたので先に帰る旨、従業員男性に伝え、山道を帰路につきました。なお私は、従業員男性2名をククリ罠にかかった犬のところへ案内した時には、今さら必要もないので写真を撮っていません(乙95の3)。また私は先に帰ったため、従業員男性らが犬の罠を外すところは見ていません。

    私が、二度目の帰り道、再び村田養豚場の間にある道を通りがかると、そこに〈村田商店代表乙の父〉氏がいたので、私は〈村田商店代表乙の父〉氏に、無事犬を見つけて今犬を助けているところだと伝えました。すると〈村田商店代表乙の父〉氏は私に礼を述べました。

    それで私は、この時点では、「村田養豚場の人は、意外と話が通じるのかもしれない」と感じました。私は、その後村田養豚場を通り抜けたときに、〈村田商店代表乙の父〉氏に、「あの犬は元気にしていますか」などと声をかけた事もあります。すると〈村田商店代表乙の父〉氏は、少し困ったような顔をしていましたが、「おう元気にしとる」と答えていました。私は、犬を助けた後しばらくは、それまでのように「通行できない」と声をかけられることもありませんでした。

  12. ところで原告は、現地で村田養豚場で飼育している犬ではないことを確認し、私もそれを知っているはずだと主張していますが、これまで述べたとおり、原告の主張する経緯は事実に基づくものではありません。

    そもそも、現地で村田養豚場で飼育している犬ではないことを確認したとする原告の主張は、「村田養豚場の飼い犬には、敷地外のどこにいるかわからない犬が含まれる」ということが前提されているもので、これは、飼い犬を適切に飼養しているとする原告の主張と明らかに矛盾しています。

  13. 私は帰宅後、谷の西側にも中川寺跡が広がっていることを、「弥勒の道プロジェクト」の記事としてまとめ、数日中にはインターネット上に公開しました。

  14. それと同時に、ククリ罠にかかった犬のことや、村田養豚場が放し飼いにしている犬の徘徊範囲についても、「浄瑠璃寺裏の養豚場」と題した記事に追記しました。

    前述の通り、2月11日に私が村田養豚場の敷地の間の道を通り抜けた時は、足早に通り過ぎていたそれまでと異なり、ククリ罠にかかった犬のことを養豚場の従業員男性に説明するため、私は養豚場の二階がある小屋のあたりで、しばらく立ち話をしていました。それでその間、付近をじっくり見渡すことができ、村田養豚場周辺にいる犬が、思っていたよりもはるかに多いことがわかりました。私には、少なく見積もっても20頭以上、付近の道路や山林を徘徊している犬を含めれば、40頭を優に超えるように思われました。しかも、従業員男性が私に語った説明によれば、それらの犬はほとんど全く管理されていないのです。

    そのため私は、放し飼いの犬が多数いることを知らずにここを通るのは、極めて危険だと感じました。とりわけ犬に慣れていない人が、思いがけず犬の群れに遭遇した場合、驚いて逃げるなどして犬の本能を刺激し、追いかけられて噛まれたり、噛まれなくとも自ら転倒するなどして怪我をする可能性があります。

    そこで私は、この時点で私が犬を目撃した範囲を図示した地図を作成し、その地図を「浄瑠璃寺裏の養豚場」と題した記事に追記しました。地図に配置した写真はいずれも、2月11日に村田養豚場の敷地の間を抜けた際撮影したもので、写真に写り込んでいる主な犬がいる場所は、村田養豚場の敷地の外側にあたります(乙94の1乃至4)。これは、本件記事記載の図とほぼ同じものでした。なお本件記事記載の図には、大雪が降ってまもない2月23日に、中ノ川町の山林で見つけた犬の死骸が追記されています(甲2:12ページ)。

  15. また私は、2月13日ごろ、木津川市長、山城南保健所、京都府知事、奈良市保健所に、メールあるいはウェブフォームからメッセージを送りました。その中で私は、上述の犬の徘徊範囲を図示した地図を添付した上で、村田養豚場の放し飼いの犬が広範囲を徘徊していることとを説明し、それにより道が通れなくなっているので、犬の放し飼いをしないよう村田養豚場を指導してほしい旨、各行政機関にお願いしました。

第4 私が浄瑠璃寺奥之院を訪れた時の赤田川の状況について

  1. 【FACT4】平成26(2014)年2月23日、私は浄瑠璃寺奥之院を訪れました。浄瑠璃寺奥之院は中川寺跡の真北付近に位置しているため、中川寺跡との位置関係を興味深く思ったためです。

    この時すでに赤田川の水質汚濁はひどく、浄瑠璃寺奥之院前の橋のあたりでは、谷中に悪臭が漂い、川面にたくさんの泡が浮いてました。その様子を見て、私は上流の状況が気になり、行けるところまで川を遡ってみることにしました。本件記事にある「どろりとした茶色いヘドロが」溜まっている「渓流にある水たまり」の写真は、この時私が撮影したもので、撮影した人の体験として書かれていることは、全て私自身の体験です(甲2:50ー51頁)。本件記事に記述した通り、撮影地点付近では、谷中に悪臭のする滝しぶきが漂っていました。それでもその先へ進もうと、私はしばらく道を探していましたが、その場に長くいるうちに気分が悪くなってきたので、私はそれ以上川を遡ることを諦めました。帰宅後、頭痛がして熱が出たことも事実です。

    後日私は、赤田川の状況を、木津川市まち美化推進課の中谷課長にもお話ししましたが、中谷課長は「確かに赤田川の水質は悪く、これまでも苦情が多く寄せられているが、年4回の水質調査では、概ね基準以下となっている」と答えました。私はこれ以降も、赤田川の水質汚濁について、中谷課長と何度かお話しする機会があり、その中で中谷課長から「過去に木津川市が村田養豚場への立ち入り調査を行おうとしたが、養豚場から断られ実現しなかった」と教えていただきました(乙8の2資料乙9の1)。

  2. 【FACT4】私が子どものころの赤田川は、上流に産業廃棄物が不法投棄されたため、汚染物質が流れていると言われていました。しかし、これほどの悪臭がすることはありませんでした。私は赤田川を行けるところまで遡ってみて、知らない間に、赤田川の水質が著しく悪化していたことに衝撃を受けました。このころ以降、私は、時々赤田川奥之院付近の様子や、反対に東鳴川町側の上流の様子を見に行くようになりました。下流と異なり上流ではあまり濁りのない透明な水が流れており、臭いは全くしませんでした。その様子は本件記事にも記載しています(甲2:52頁)。

第5 村田養豚場が放し飼いにしている犬に関する保健所からの回答について

  1. 平成26(2014)年2月27日、村田養豚場の放し飼いの犬についてメールした件で、山城南保健所から返事がありました。その内容は、奈良市保健所がすでに犬の捕獲等を行っているということや、京都府としても現地確認する予定であることを取り急ぎ報告するもので、村田養豚場が犬を放し飼いにしていること自体を否定するようなことは一切書かれていませんでした。

  2. 平成26(2014)年3月4日、木津川市、京都府山城南保健所、奈良市保健所が合同で、犬の捕獲場所の視察と情報交換を行っていますが、この時奈良市は「奈良市としては首輪を付ける、囲うように指導しており、首輪に(村田の)名前が書いてあるようになった。しかし、首輪が外れた等全ての犬に徹底できていないとのことだった」と述べ、原告が飼育する犬には必ずしも首輪がつけられていない現状を報告しています。

    【FACT2-(1)】また奈良市は「村田養豚場の□が主に世話をしており、イノシシから身を守るために放し飼いにしているとのことだった」とも述べ、村田養豚場が犬を放し飼いにしていること自体は自明視されており、村田養豚場自身にも、犬を放し飼いにしている認識があるように読めます。

    このころ奈良市保健所は、山城南保健所からの返信メールにあった通り、村田養豚場周辺で犬の捕獲等を行っていたようです。ただ、奈良市は私のメールがきっかけで捕獲を行っていたわけではありませんでした。それより2ヶ月前の1月に、主要地方道奈良笠置線沿いで野犬が確認され、それ以降、犬の捕獲を進めていたとのことです。奈良市保健所は3月4日までに徘徊犬を16頭捕獲し、うち2頭を村田養豚場に返還しています(乙35:2頁)。

    この情報交換で奈良市は、「広範囲に移動しており、若草山で捕獲された犬について村田養豚場が引取に来たこともある」とも述べています。加えて、この情報交換の報告書に添付された地図(乙35:4頁)に、当時奈良市が設置していた犬の捕獲檻の位置が書き込まれていますが、いずれの捕獲檻も、私が図示した犬の徘徊範囲よりも村田養豚場から遠い場所に、設置されています。

    つまり、奈良市は前述の通り、平成26(2014)年の1月から3月12日までの間に16頭の犬を捕獲して、うち2頭を村田養豚場に返還していますが、これら村田養豚場に返還された犬は、私が図示した犬の徘徊範囲よりも外側で捕獲された犬だったということになります(乙35:2頁)。

第6 私が明治22年作成の鳴川村実測全図を知った経緯

  1. 平成26(2014)年3月4日、私は奈良市役所の土木管理課を訪れ、そこに設置された端末で「奈良市道路網図」を閲覧し、村田養豚場の敷地の間にある道が、奈良市の里道とされていることを確認しました。

    そうして端末のデータをいろいろ見ていたところ、府県境の道全体の詳細な平面図(地内平面図里道 京都府相楽郡木津町・京都府相楽郡加茂町・奈良県奈良市中ノ川町・奈良県奈良市東鳴川町)が登録されていることに気がつきました。私は、土木管理課にいた職員にお願いして、その昭和58(1983)年に作成された平面図全体をA3一枚に収めたものと、平面図をA3の用紙複数枚に分割したものを印刷してもらいました(乙85の1・2)。

    私はそのついでに、土木管理課にいた職員に、奈良市役所で「中ノ川村実測全図」を閲覧できるかどうか相談しました。中川寺について調べる中で、明治時代に作られた「中ノ川村実測全図」に、中川寺跡を示唆する小字が記載されているということがわかったため、それ以来私は、ぜひともその実物を見てみたいと思っていたからです。職員の方は、当初そうしたものがあるかどうかもわからないと言っていましたが、旧東里村のものであれば東部出張所にあるかもしれないということで、東部出張所に問い合わせてくださいました。その結果、奈良市東部出張所で「中ノ川村実測全図」の複製品を閲覧できることがわかりました。

  2. 平成26(2014)年3月7日、私は早速奈良市東部出張所を訪れ、「中ノ川村実測全図」や明治時代の公図を閲覧しました。実測全図は大きすぎるため、コピー不可でしたが、写真撮影は構わないとのことでした。そこで私は手持ちのiPhoneで中川寺跡がある谷を中心にたくさんの写真を撮って帰りました。この時の東部出張所訪問で、私は、奈良市東部出張所には中ノ川町だけでなく、鳴川村など、旧東里村地域の各村それぞれについて、明治時代の実測全図と公図の複製品が保管されており、閲覧料を払えばそれらを自由に閲覧でき、写真撮影も可能だということを知りました。

第7 村田養豚場の敷地の間にある市道の平成26(2014)年ごろの状況について

  1. 中ノ川村実測全図を確認した私は、東福、地蔵院、清浄院、弥勒院といった、中川寺の子院由来と考えられる小字の場所を調べるため、村田養豚場の敷地の間にある道を通り抜けて、その後もたびたび中川寺跡を訪れていました。村田養豚場周辺には相変わらず放し飼いの犬が多数徘徊していました。

  2. 【FACT2-(1)】先ほども触れましたが、そもそも当時は、原告自身、犬を放し飼いにしていることを否定していませんでした。

    平成26(2014)年3月28日の山城南保健所の報告書(乙36)によると、3月26日に原告が山城南保健所を訪れています。この時山城南保健所は「イノシシ、サル避けのためと言えども犬が多数放たれており、観光地である浄瑠璃寺周辺まで来ているので大変危険であるので、できるだけ早く繋ぐか囲うようにすること」といったことを原告に指導したようです。

    しかし原告は「犬を囲えというのであれば山全体を囲わなければならない、京都府側でイノシシが来ないようにしろ」と主張し、犬を囲うことを頑なな態度で拒絶しています。つまり原告は犬を囲っていないことを前提に、指導を拒絶していたのです。

    またこの時原告は、「奈良市から野犬か自分の犬か区別するように指導を受けており、自分の犬に首輪をつけた。ただし犬によっては首輪を嫌がって外してしまい、以降首輪を着せなくなった犬もいる」と述べ、飼い犬の中に首輪のいない犬がいることを自ら認めています。

  3. 【FACT2-(1)】しかも原告は、平成26(2014)年3月7日から3月25日の間に、山城南保健所から4回、計11頭の犬の返還を受けており、そのうち3回計6頭については、上述の指導と同様の指導票まで交付されています(乙36:1頁・4頁)。そしてこのうちの2頭については首輪がついていませんでした。

  4. 平成26(2014)年3月28日、私は芳山を経て地獄谷の方まで歩くため、しばらくぶりに赤門坂を下って、村田養豚場の敷地の間を抜ける道を徹ことにしました。ところが村田養豚場手前の林の出口近くに差し掛かると、たくさんの倒木に行手を阻まれてしまいました。この間、これだけの木が倒れるほどの大風が吹いた日はなく、同じように大量の倒木があった場所は他に全く思い当たりませんでした。現地には土砂崩れの跡もなく、倒れた木の梢枝の葉はまだ青々としていて、病気などで倒れたようにも見えませんでした。それで私は、それらの木が人為的に倒された可能性もあるのではないかと思いました。具体的に言えば、私が犬を気にせず平然と村田養豚場の敷地の間にある道を通るようになったため、それを嫌って、村田養豚場が木を引き倒した可能性を少し疑っていました。もしそうだとすれば、これらの倒木には、私にも責任の一端があるようにも思われました。しかし私は、浄瑠璃寺から赤門坂下の林の出口までは、秋口に地域の草刈りがあるということを知っていましたから、秋ごろになれば、地域の方が倒木を片付けてくださるのではないかと思いました。ともあれ、倒れているものは仕方がないので、私は15メートルほどの距離を、倒木をくぐったり跨いだりしながら、枝をかき分けて進み、いつも通りそのまま村田養豚場の敷地の間の道を通り抜け、目的地へと向かいました。

  5. 【FACT2-(2)】ところで平成26(2014)年4月26日に、木津川市の市民団体が、村田養豚場の敷地の間にある道を抜けるウォーキングを企画していたようです。しかし京都府側からは歩けなかったとのことで、このことは山城南保健所の報告書にも記録が残っています(乙96)。

    その報告書によれば、市民団体が事前に村田養豚場に電話をしたところ「浄瑠璃寺から村田養豚場への道は入られないことになっている」と言われたとのことです。

    またこれは後日わかったことですが、このウォーキングに参加した方によれば、京都側から村田養豚場に向かったところ、林の出口付近に多数の倒木があっただけでなく、倒木がある区間には石灰が撒かれており、さらにその手前の浄瑠璃寺側にも立入禁止の看板が設置されていたそうです。石灰の散布と倒木手前の看板は私が3月28日に通った際にはなかったので、ウォーキング企画の少し前に追加で設置されたものと思われます。

  6. しかし、人間には通り抜けることが困難な倒木も、犬にとってはそうでもなかったと見え、平成26(2014)年4月30日には、観光客も多数散策に訪れる石仏の道にある「唐臼の壺」付近で、10頭ほどの犬の群れが目撃されています。この時は岩船区区長が山城南保健所に通報したようです(乙37)。

  7. ところでこのころ私は、奈良市東鳴川町にお住まいの方(氏名不詳)から、「県道33号線は大型車両が多くて怖いので、養豚場の前を通る道を使って、中ノ川町方面へ行き来したい時もあるが、衛生管理区域だとかいうことで、通るなと言われている。養豚場手前の林のところに立入禁止の看板も設置された。奈良市に問い合わせてもまともに取り合ってくれない」といった話を聞きました。村田養豚場が立入禁止とした道は、奈良市側の住民にとっても、通行できることが望ましい道でした。

    またその方は、村田養豚場が設定した衛生管理区域図(乙116:2頁)左下に丸印で示された「この先車両通り抜けできません」という奈良市の看板についても、「いつの間にか設置されていた。養豚場のそばと県道からの分岐に同じ看板があるが、看板と看板の間の道はつながっていて本当は通り抜けできるのにおかしな話だ。あれも養豚場が奈良市に言って設置させたのだろう」ともおっしゃっていました。

    周辺住民が村田養豚場周辺の公道を通らないよう要求されていたことについては、本件記事に記載があります(甲2:17頁)。

  8. ちなみに私自身は、3月以降村田養豚場の敷地の間にある道を通り抜けておらず、12月まで山林に入ることはありませんでした。このあたりの山では夏の間、マダニやヤマビルのほかマムシも出るため、この頃の私は、夏期に山に入ることを避けていたからです。

  9. 平成26(2014)年12月1日、山城南保健所に、前日の11月30日に、浄瑠璃寺に野犬が5頭現れ、境内に住み着いている猫を1匹噛み殺したとの通報がありました(乙38)。私自身も、このころ浄瑠璃寺近辺に犬の群れが現れているという話を浄瑠璃寺周辺で耳にしています。

  10. 平成26(2014)年12月10日、私は2月1日に歩いた時とは逆に、東大寺から浄瑠璃寺まで、府県境の道を歩いてみることにしました。

    この時私は、2月に自分自身が通報したことによって、多少なりとも犬の放し飼いが改善していることを期待していました。ところが村田養豚場周辺の様子は、2月ごろと全く変わっていないどころか、悪化しているようにすら思われました。私はこの状況なら、浄瑠璃寺に犬が出てくるのは当たり前だと思いました。なお本件記事にもこの時撮影した村田養豚場の写真を記載しています(甲2:32・33頁の写真4枚)。

    【FACT3】本件記事に掲載した写真(甲2:32頁1枚目)にある通り、この日は食品残渣の荷下ろし作業で道が完全に塞がれていました。そのため私は、人が通ることができる隙間ができるまで、しばらくその場で待たなければなりませんでした。

    この日は〈村田商店代表乙の父〉氏が道端にいましたが、駐車場にいる従業員と何か話していて、後ろを通り過ぎる私には全く気づかなかったようでした。ところが、橋を渡る頃になると、私の周りにたくさんの犬が寄ってきて激しく吠えるようになり、その騒ぎで〈村田商店代表乙〉氏が私に気づきました。私は背後から「ここは通れない。どこへ行くのか」と声をかけられましたが、赤門坂の方向を指差して「浄瑠璃寺です」と告げ、そのまま足早に歩き去りました。

  11. またこのとき私は、林の出口の倒木が片付けられていることを少し期待していました。しかし残念なことに倒木はそのままでした。それだけなく、3月に私が通ったときにはなかった立入禁止の看板が、倒木の浄瑠璃寺側に新たに設置されていました。私は知りませんでしたが、先に述べた通り浄瑠璃寺側の看板は4月ごろに設置されたもののようです。ところがその先の浄瑠璃寺までの道は、例年通りきれいに草刈りされていました。

    つまり地域の草刈りは浄瑠璃寺側から下って来るわけですから、多数の倒木のある区間は、村田養豚場が設置した立入禁止看板の先ということになります。私は、立入禁止の看板があったために、地域の皆さんは、その先の倒木を片付けることを断念し、看板のところで引き返したのだろうと思いました。

第8 平成26(2014)年末頃の、村田養豚場に対する行政の対応について

  1. おそらくその数日後と思いますが、犬の放し飼いが改善していないことに落胆した私は、奈良市保健所に電話をするか、直接保健所を訪問して、なぜ放し飼いの犬を放置しているのか口頭で問い合わせました。すると奈良市保健所が、「村田養豚場周辺には野犬もいると村田養豚場が主張している」といった説明をしたため、私は「野犬ならばなぜ捕獲しないのか」と聞きました。それに対し奈良市保健所は「村田養豚場から県道奈良笠置線(33号)に至る道は私道であるから、奈良市保健所といえども勝手に通行できない。通行する場合は事前に村田養豚場に連絡するよう家畜保健衛生所からも言われているため、村田養豚場には自由に近づけない」という趣旨のことを答えました。

    実際このころ、村田養豚場の敷地の間にある市道だけでなく、赤田川北側の他人地や養豚場から県道奈良笠置線(33号)へ抜ける道(この道には木津川市道の区間と、大阪の不動産会社が所有する私道の区間があります)までもが、村田養豚場によって村田養豚場の衛生管理区域に指定されていました(乙74乙116)。

    私はこの回答を聞いて、公道やそれまで市民が自由に通行できていた道を、一農場が封鎖できてしまうのみならず、そのことによって保健所までもがその行動を制約されていることに驚愕しました。

  2. そこで平成26(2014)年12月18日、私は木津川市役所管理課を訪れ、公道に立入禁止の看板が立てられていることについて相談しました。この時私は、管理課から、奈良県家畜保健衛生所が管理課にしたという説明を聞きました。管理課を訪れた奈良県家畜保健衛生助職員は、管理課に「敷地の間を公道が通っている場合、公道を含めて衛生管理区域にできる。衛生管理区域に設定された以上、公道であっても、区域内に入る際には消毒が必要。したがって、通行したい場合は、事前に電話で連絡してほしい。農場従業員が消毒の準備などして適切に対応する」と説明したといいます。

    本件記事にも記載した通り、これは端的に詭弁であって、極めて不誠実な説明だと言わざるを得ません(甲2:20ー21頁)。

    またこのとき私は、管理課で、平成19年に作成された赤田川北側の市有土地境界確定図があることを知り、一枚コピーしてもらいました(甲7の3乙83:4頁と同じもの)。

  3. それから、確か管理課を訪れる前後だったと思いますが、私は村田養豚場が立てた立入禁止の看板について聞くため、大和郡山市にある奈良県家畜保健衛生所を一度訪れています。しかしこの時は担当者が不在で、事務所の電話で出先にいる担当者とつないでもらって話をしました。

    事務所にいた職員は電話を私に替わる前に、電話口で私の用件を担当者に話していましたが、電話の向こうにいる担当者が「あそこはそれでいいことになっている」と言っているのが漏れ聞こえました。

    そのあと電話を受け取った私は、担当者に、公道を立入禁止としたり、通行に際して住所と名前の記録や消毒を強制できるとする法的根拠を示すよう要求しましたが、担当者ははっきりしたことは言わず、私が疑問点を指摘するたび、言うことがコロコロと変わっていきました。当初担当者は「事前に養豚場に電話をして通行したい旨伝えれば、消毒と記帳の準備をしてくれるはずである。消毒をして住所と名前を記帳した上でなら、通行できる。物理的に通行を妨害しているのではないから、問題はない」と主張していました。それが次第に「消毒と記帳に法的義務があるわけではない。現場は危ないので、村田養豚場は連絡をもらえれば、安全に通行できるよう案内すると言っているから、問題はない」などと説明が変わっていくのです。

    そこで私は「公道の上に立入禁止の看板を立てるのはおかしいのではないか。看板を撤去するよう指導してほしい」と改めて要望しました。すると担当者は、「それはできない」と明言しました。担当者は、村田養豚場の敷地の間の里道は、敷地との土地境界が確定されていないので、里道を含めた敷地全体を衛生管理区域とせざるを得ないと主張しました。その上で、衛生管理区域に指定されている限りは、そこに農場と関係のない人が入らないよう、立入禁止の札を立てなければならず、そのように家畜保健衛生所が指導しているところなので、立入禁止の看板は、里道境界が未確定である間は撤去させることができないと言い切りました。

    私は、公道の境界が未確定であれば、隣接地所有者が公道を所有地扱いして、実質的に封鎖して良いとなどということが、法的にまかり通るのだろうかと思いました。この日対応した家畜保健衛生所の担当者は、人を小馬鹿にしたような話し方をする人物で、私は奈良県家畜保健衛生所に対し、強い不信感を抱きました。

  4. 奈良県家畜保健衛生所訪問のすぐあと、私は農林水産省安全局動物衛生課に電話をして、担当の鶴田氏に、衛生管理区域の設定が公道の通行権に優先するのか確認しました。当然のことながら鶴田氏の見解は、衛生管理区域の設定によって公道の通行を妨げてよいとする法的根拠はなく、一般市民の公道通行が優先されるべきというものでした。公道の通行を、一家畜保健衛生所職員の裁量によって妨げ得る法的根拠などあるはずがないのです。

  5. 農林水産省安全局動物衛生課の見解を得たので、次に私は奈良県の公式ウェブサイトにある「県政の窓」を通じて、奈良県農林部畜産課としても、上述の奈良県家畜保健衛生所の指導方針を追認するのかどうか問い合わせました。平成27(2015)年1月5日に奈良県農林部畜産課防疫衛生係係長の前田寛之氏から返信があり、その内容は次のようなもので、家畜保健衛生所の指導方針を追認するものでした。

    「農林水産省担当者も回答しているとおり、衛生管理区域は公道の通行を妨げてはならず、県は公道を避けて設定するよう指導しています。当該養豚場については奈良市の公道と敷地境界が明確になっていない状態です。奈良市と当該養豚場が協議され境界が確定されれば、衛生管理区域と公道が明確に区別されます。

    現在、当該養豚場内については、重機やトラック等が行き交っており通行するには非常に危険な状況です。そのため通行される方が通過する場合には、農場へ声をかけて安全に通過していただくよう、当該農場が対応していると聞いてい ますので、敷地境界が確定するまでご理解をお願いいたします。」(乙140

    これに対し、私は返信メールで、境界が定かでないから公道を含めて敷地扱いするようなことが正当化できるなら、境界が定かでないから敷地の全てを公道扱いして、どこを通っても良いとすることも正当化できるはずで、奈良県家畜保健衛生所の指導は、農場の都合のみを優先しており、著しく不公正であると指摘しました。その上で、境界が未確定であるとしても、公道の機能を果たしている通路を衛生管理区域から除外することが、飼養衛生管理基準上も望ましいはずだと主張しました。

    また私は、返信メールの中で、村田養豚場が敷地を拡大する前と比較して里道の位置が変わっていないことを示すため、昭和58(1983)年に作成された平面図(乙85)に現在の航空写真を重ねた合成図を作成しました(乙140:6頁)。

    このメールのやり取りは、本件記事に付属する資料編として、本件記事公開当初から、インターネット上に公開されています。

    ただし現在の私は、公道に接する形で衛生管理区域を設定したいのであれば、そうしたい事業者の側が、衛生管理区域を設定する前に奈良市に境界確定を申請し、事前に公道と敷地の境界を確定しておくべきだと考えています。

    【FACT3】ところで、奈良県農林部畜産課が、家畜保健衛生所の担当者と同じく、「現在、当該養豚場内については、重機やトラック等が行き交っており通行するには非常に危険な状況です」としていることは注目に値します。要するに奈良県農林部畜産課は、「公道を重機やトラック等が行き交っていて危険だ」と述べているのです。しかもその後段からは、原告も同様の認識であることがうかがえます。これは、公道上では、日に10分ほど、食品残渣の積み下ろし作業をするだけだとする、本訴訟における原告の主張とは相容れないものです。

第9 奈良交通「浄瑠璃寺南口」バス停が改称された経緯

  1. 平成27(2015)年1月ごろ、私は奈良交通「浄瑠璃寺南口」停留所の前を通りがかった際、停留所の名前が「中ノ川東」に改称されていることに気がつきました。「浄瑠璃寺南口」停留所は、村田養豚場から県道奈良笠置線(33号)へ続く道が、県道にぶつかるところにあります。かつて京都側のバス道が整備される以前は、多くのハイカーが「浄瑠璃寺南口」停留所でバスを降り、そこから徒歩で現在村田養豚場の敷地の間にある道を通って浄瑠璃寺へ向かいました。

    知らない間に停留所の名前が変わっていたことを私の周りの人に告げると、皆一様に驚いていました。そこで私は、奈良交通にホームページの問い合わせフォームを通じて、「浄瑠璃寺南口」停留所の名称を変更した理由について問い合わせました。すると、停留所周辺の住民からの要望が発端となり、奈良市も関与して名称が変更されたとわかりました。このときの奈良交通及び奈良市とのメールのやり取りについては、本件記事に記載しています(甲2:33ー46頁)。名称変更の発端となった、停留所周辺住民の主張は、本訴訟における原告の主張とほとんど同じです。この点について原告は特に否定していませんから、「浄瑠璃寺南口」停留所の名称は、原告の要望を発端として、奈良市が奈良交通に働きかけ、「中ノ川東」に変更された、ということになります。

    【FACT3】また本件記事にも書きましたが、平成27(2015)年3月27日の奈良交通からの返信に「実際、浄瑠璃寺への道がどういった状況であるのかを確認いたしましたところ、道が途中で養豚場の敷地内に進入し、作業用の重機も往来しており、だれが見ても「これ以上奥へ進めない」状況であり、このような状況でお客様への案内に「浄瑠璃寺南口」は不適切であると判断した」と書かれていることは、違法な公道占拠が放置されていることを示す証言と言えます。

第10 鳴川村実測全図(明治22)記載の土地境界について

  1. 平成27(2015)年1月20日、私は再び東部出張所を訪れました。この日は、当尾から笠置までの里道を調べるため、笠置街道が通る各村の実測全図を全て撮影しました。また、現在の東鳴川町にかつて鳴川山善根寺というお寺があり、やはり東鳴川町の古い小字に、そのお寺の痕跡が残っているということでしたので、鳴川村については明治時代の公図についても全て撮影しました。

    【FACT1-(1)-②】このとき私は、鳴川村実測全図に、長尾2と東鳴川町502の土地境界が、村界として描かれていることに気がつきました(乙86の1)。しかもよく見ると、村界については、測量点間の距離と方位が細かく記録されています(乙86の2)。私はこれは重要な資料だと思ったので、その部分についてはアップで撮影しました。

    この 「鳴川村実測全図」に基づけば、村界は赤田川南岸府県境点から、赤田川を跨ぎつつ、東北東に109メートルほど緩やかなカーブを描いて、長尾2と東鳴川町501の境界となっている北側の稜線に接続しています。長尾2と東鳴川町502の元々の土地境界は、この村界のうち、赤田川北岸から北側の稜線までの区間です。なお、水田の区画が同じであるため、昭和58(1983)年に確定した赤田川南岸府県境点は、「鳴川村実測全図」からほぼ位置が変わっていないと考えられます。

    「鳴川村実測全図」を見て、私は、村田養豚場が京都側に越境して山林を掘削したことは、明白であるように思いました。原告による掘削域を迂回して、赤田川南岸府県境点から北の稜線まで109メートルの線を描くことは、どうやっても不可能だからです(乙88の1乃至5、乙112の1乃至2)。

第11 村田養豚場付近から県道奈良笠置線(33号)に続く私道は何ら通行を制限されていなかったことについて

  1. 平成27(2015)年1月29日、私は、村田養豚場付近から県道奈良笠置線(33号)に続く私道の所有者である〈不動産業者U〉に電話をし、当該私道の通行を制限しているのかどうか問い合わせました。担当者は「土地取得前からある勝手道であり、なんら通行は制限していない」と答えました。私は、村田養豚場に私道を賃貸するなどしていないかどうかも確認しましたが、これについても「賃貸などの契約は何もない」とのことでした。このころ私は、府県境の道を整備することを考えていましたので、念のため、里道の草刈りや倒木の撤去を行っても良いかということと、刈った草や撤去した倒木を道の脇の土地に置いて良いかについても担当者に確認しました。担当者は、「里道の整備は誰がやっても良いはずだ」とした上で「いちいち許可を求めないでほしい」と言いました。私は尤もだなと思い電話を切りました。

第12 木津川市議会での議論について

  1. 平成27(2015)年3月6日、木津川市平成27年第1回定例会において、〈木津川市議Q〉議員が「当尾地区を世界遺産に」というテーマで質問を行いました。

    私は、一市民として行政に働きかけるのでは限界があると考え、この少し前から、〈木津川市議Q〉議員に、村田養豚場の敷地の間にある道が実質的に封鎖されていることについて相談していました。〈木津川市議Q〉議員は、私の問題意識を当尾地区に対するご自身の問題意識に取り込む形で、うまく質問にまとめてくださいました(乙6:41ー44頁)。

    なおこの時、木津川市の若狭朝明建設部長は、〈木津川市議Q〉議員の質問に答えて、「この道は、養豚場の衛生管理区域設定により、通行禁止看板が設置されているところでございますが、その看板の撤去を奈良県家畜保健衛生所から養豚場に指導していただくよう申し入れており、通行について家畜保健衛生所と協議を行ってまいります。」と述べています(乙6:42頁)。

    またこれに関連して駒野弘子生活環境部長は、次のように述べています(乙6:43頁)。

    「ハイキング道として整備するということでございますけれども、今現在、おっしゃっておられますように、養豚場の衛生管理区域という通行を妨げるような状況があるということで、そこのことに対しましては、奈良市の、先ほど建設部長が答えましたように、奈良県家畜衛生保健所のほうから御指導いただき、許可権者でもあるところでございますので、しっかり御指導いただき、対策を講じていただけるように求めてまいりたいと思います。」

    【FACT2-(1)】さらには河井規子木津川市長も、〈木津川市議Q〉議員の質問に答えて、次のように述べています(乙6:43頁)。

    「今、先ほど言っていただいた、通行できなくなっているところですけれども、これまでもいろんな本や、いろんな方に紹介していただいている、そういった歴史のある道ということで、ちょっと今難しいことの中で、ここ、通れなくなって、私も行きましたけれども、犬にほえられたり、そういう状況になっているということで、ちょっと残念な思いをしております。何とかここが解決できたらなという思いでおりますので、そういった面でも、奈良市のほうにしっかり申し入れていきたいなと思っております。」

    しかしながら、公道上に設置された立入禁止の看板は、その後も撤去されませんでした。

  2. なお〈木津川市議Q〉議員の質問からしばらく経った頃、〈木津川市議Q〉議員の質問に対して「その養豚場は奈良の有名なブランド豚を生産してがんばっているところだ」と抗議する人がいたと聞きました。それで私は村田養豚場が生産しているというブランド豚について、調べてみることにしました。その結果、抗議した人が口にしたブランド名は、村田養豚場が生産するブランド豚とは別のブランド豚で、村田養豚場が生産しているのは「郷ポーク」というブランド豚だとわかりました。「郷ポーク」については、2012年に奈良県庁食堂が率先して採用していることが奈良新聞の記事になっており、その後も奈良ホテル・メインダイニング三笠のランチコースなどが奈良県産ブランド豚として採用しているようでした。さらに奈良市も、「ふるさと納税」の返礼品に「奈良が誇る、流通量の少ない希少なブランド豚」として「郷Pork(郷ポーク)」を採用しています。

  3. またこのころまでに私は、インターネット上に公開された木津川市議事録に、当時の市議の質問と木津川市の回答という形で、赤田川北側の山林が掘削された経緯が詳しく記載されていることに気がつきました(乙6:1ー22頁)。当時私は「村田養豚場が勝手に削った」という大まかな話は聞いていたものの、議事録上で語られる実態は私の想像を遥かに超えており、非常に驚かされました。

第13 「弥勒の道プロジェクト」のウェブサイトに、「行政の対応」と題するコーナーを新設したことについて

  1. 平成27(2015)年5月16日、私は「弥勒の道プロジェクト」の公式ウェブサイトに、「行政の対応」と題するコーナーを新設しました。その中には、乙第6号証と全く同じ内容の「村田養豚場に関する木津川市議会での質問と答弁」、公道上に立てられた立入禁止の看板に関して「浄瑠璃寺南の村田養豚場について奈良市土木管理課とメールでやり取りした記録」、「浄瑠璃寺南にある村田養豚場について奈良県農林部畜産課とメールでやり取りした記録」、「奈良交通 旧「浄瑠璃寺南口」停留所の名称変更に関するメールのやり取り」があり、これらは現在本件記事に付属する資料編として公開している記事と、末尾のコメント以外同じものです。

    これに加え「行政の対応」コーナーには「浄瑠璃寺南の村田養豚場による違法な里道占用に対する木津川市の対応」という記事があり、赤田川北側の山林が2000年代半ばに掘削され、許可なく里道の原状が変更されたため、里道境界が確定されたといったことを説明した上で、前述の木津川市平成27年第1回定例会における〈木津川市議Q〉議員の質問と木津川市の答弁を記載しました。この時私は、確かにツイッターの「弥勒の道プロジェクト」アカウントでもこれらの記事を紹介していますが、記事の表題と一行程度の要約をつぶやいただけです。

    原告は、のちに私を刑事告訴した際、告訴事実の一つとして「浄瑠璃寺南の村田養豚場による違法な里道占用に対する木津川市の対応」と題した記事の内容を指摘しています。したがって、原告は記事の存在そのものは知っているはずです。しかし原告は、記事が作成された当初からこの記事に気づいていたわけではなく、刑事告訴する段になって初めて、この記事に気がついたのではないでしょうか。原告が平成27(2015)年5月ごろ、ツイッターの発言を見たと主張しているのは、当該発言をツイッターの過去ログから確認できたものの、現時点ではリンク先の記事が存在しないため、ツイッターの投稿が紹介している記事が何かわからなくなっていたためとも考えられます。

第14 私が赤田川北側の土地の所有者に関心を持った経緯

  1. またこのころ私は、ある人から「数年前、村田養豚場の赤田川を挟んで北側に、産廃ゴミらしきものが大きなトラックで運び込まれていたのを見た。現地を見に行ったが、トラックが沈み込まないよう鉄板を敷いて、大きなトラックが行き来していた」という証言を得ました。

    そこで私は、平成27(2015)年6月ごろ、上述の証言について、奈良市環境部産業廃棄物対策課にメールで問い合わせました。その時のやりとりは本件記事に記載しています(甲2:6ー9頁)。

    実のところ、このころの私は、公道を誰もが安心して通行できるようにしたいという思いが強く、赤田川北側の土地の所有者については、それほど関心を向けていませんでした。しかし奈良市環境部産業廃棄物対策課が「法務局でお調べいただく方が良い」と複数回返答してきたこともあって、私は一度きちんと土地所有者を確認する必要があると考えました。

  2. 平成27(2015)年6月25日、私は奈良地方法務局に赴き、村田養豚場の敷地と思われる地番と奈良市東鳴川町502について、全部事項証明書を取得しました。

  3. 平成27(2015)年7月2日、私は木津川市役所で、村田養豚場の敷地と村田養豚場周辺の土地の土地台帳を閲覧し、それぞれメモを取りました。

第15 私が本件土地3所有者の〈加茂町A〉さんと本件土地2所有者の〈加茂町B〉さんから聞き取った話について

  1. 平成27(2015)年9月ごろ、私は、村田養豚場に掘削された山林の所有者から話を聞きたいと思い、人を介して、木津川市加茂町西小長尾2を所有する〈加茂町B〉さんにその旨打診していただきました。すると〈加茂町B〉さんは、亡くなった夫が主に対応していたので、自分にはわからない部分があるかもしれないから、木津川市加茂町西小長尾谷1ー乙を所有する〈加茂町A〉さんのところへ、一緒に話を聞きに行くのはどうかと提案してくださいました。

  2. 平成27(2015)年9月9日、私は〈加茂町B〉さんと一緒に〈加茂町A〉さんのお宅を訪問し、赤田川北側の土地のことや、〈加茂町A〉さんが元々住んでいた東小地区の出来事など、たくさんのお話を伺いました。〈加茂町A〉さんの話は、釈迦寺跡にある首切り地蔵が一時橋本関雪に売られたという話や、農地改革で土地を譲ったこと、高度成長期盗伐が相次いだこと、浄瑠璃寺の思い出話など多岐にわたり、私にはどれもたいへん興味深いものでした。のちに、〈加茂町A〉さんの奥さんが、昔の話を聞きに来る人は滅多といないので本人も喜んでいたとおっしゃっていたと聞きました

  3. 村田養豚場の敷地の間にある道については、〈加茂町A〉さんは次のような話をしてくださいました。

    「赤田川から県道へ抜ける私道は当尾の東小区の人が作った。道を作るため土地を購入して東小区に寄付した。つまり、もともとは東小の道だった。養豚場が自前の橋をかける前の元あった赤田川の橋も東小の人が架けた。川から高さがあったが、どうやって架けたのかと思う。壊れるたびにちゃんと東小で補修した。昔は府県境沿いの道を通って奈良へ出ていた。牛の背に荷物を載せて歩いた、そういう道。刑務所に勤めていた東小の人は歩いて奈良阪へ下りていた。自分も京都の学校へ行っていた頃、自転車で県道まで出て奈良まで下っていた。」

  4. 【FACT4】また〈加茂町A〉さんは、赤田川の水質について、「養豚場の少し下流の山林の持ち主がしいたけ栽培をするため川からポンプで水を汲み上げていたが、糞尿やゴミですぐポンプが詰まるとぼやいていた。村田養豚場は、最初は浄化槽もなく、汚水を垂れ流していた。文句を言われて浄化槽をつけたようだが、家庭用の小さなもの。今はどこかから水を引いて来て、糞尿を水で川に押し流していると思う」とおっしゃっていました。

    これを聞いた〈加茂町B〉さんは、「残飯を入れていたビニール袋などが下流にたくさん流れて来る。お不動さんそばのダムにも糞尿やゴミがたまって、堰を動かせない。」と付け加えました。

  5. 原告に対する警察の捜査については「〈原告〉は、うちの田畑の上に、山を削ったとき出た竹や木、石などを捨てて積み上げた。警察が来て、産廃などがないか掘って調べた。産廃は出てこなかったが、竹などが出て来た。そのあと刑事告訴した。京都府警が穴を掘ったとき、その場に〈原告〉と土地を勝手に削られた東鳴川の〈東鳴川C〉さんもいた。」とのことでした。

    〈加茂町B〉さんは、「その時、〈原告〉は〈東鳴川C〉さんに「勝手にしていいと言ったお前とこの親(故人)が悪い」と詰め寄っていた。木津警察の人は間に入って「死人に口無しなことを言うな」とたしなめていた。」と当時の様子を振り返っていました。

  6. 【FACT1-(3)-①】私が〈加茂町B〉さんや〈加茂町A〉さんによる告訴状を見たのは、本訴訟が提起されたあとですが、木津川市平成19(2007)年第1回定例会の議事録に、村城恵子市議の発言として「4人の方が2005年の8月、木津警察署に告発をしました」とあった(乙6:1頁)ため、私は本件記事では「2005年AさんBさんらは村田養豚場(村田畜産/村田商店)を刑事告訴しました」と記述しました。しかし本訴訟提起を受け、〈加茂町B〉さんに確認したところ、実際には平成17(2005)年の8月から警察に相談しはじめ、それでも掘削を止められなかっため、平成19(2007)年3月9日に改めて正式に刑事告訴したとのことでした。

  7. ところで長尾谷1ー乙は掘削されたのではなく、埋め立てられたのですが、これについて〈加茂町A〉さんは、「田んぼが埋められたために、谷の北側が川にせり出すかっこうになっている。大水が出たとき川が塞がれないか心配だ。赤田川には400年ほど前に大水でたくさん石仏が流されて来たという話もある。」と話して、将来災害を引き起こす原因となることを心配されていました。

  8. 私は〈加茂町A〉さんのお話を聞いて、村田養豚場が過去に設置し現在は機能していない浄化槽の規模など、木津川市議会議事録にある情報(乙6:29頁)と異なるところがあるものの、ご本人や知人が体験されたことの証言には、信頼が置けると考えました。

  9. またこの時私は、長尾谷1ー乙に隣接する里道で草刈りや倒木の撤去を行っても良いかについても、念のため、〈加茂町A〉さんに伺いました。〈加茂町A〉さんは、「好きにしてくれてかまわない」とのことでした。

第16 私が本件土地1前所有者の〈東鳴川C〉さんから聞き取った話について

  1. 【FACT1-(3)-②】平成27(2015)年10月22日、〈加茂町B〉さんが、今度は当時東鳴川町502を所有していた〈東鳴川C〉さんと連絡を取り、〈東鳴川C〉さんからお話を伺う機会を作ってくださいました。それで私は、〈加茂町B〉さんの運転する軽トラックで、〈東鳴川C〉さんのご自宅を訪ねました。

    〈東鳴川C〉さんはから聞いたお話は次のようなものでした。

    「〈村田商店代表乙の父〉氏の先代が存命のうちはなごやかな関係だった。東鳴川町では、特に二人、先代と仲よくしていた人がいた。ところが仲よくしていた三人が全員亡くなってから、〈村田商店代表乙の父〉氏が暴れ出した。最後に亡くなったのは、自分の父親。

    〈村田商店代表乙の父〉氏に東鳴川町502を掘削されたことで裁判を起こしたが、逆に工事代を請求され、最初の弁護士が頼りなかったため一審で負けた。それで弁護士を替えて控訴し、最終的にチャラにはなったものの、不本意な結果に終わった。

    そのあと村田養豚場に東鳴川町502で勝手をさせないため、大きな建設会社の抵当権がつけば手を出せないだろうということで、パートタイムの勤め先でもある〈建設会社N〉に、東鳴川町502に抵当権をつけてもらった。

    今は〈原告〉に東鳴川町502を貸していない。平成21(2009)年には、東鳴川町502の賃貸借契約はどのような解釈によっても解消している。

    駐車するぐらいは黙認しているが、東鳴川町502に置いてあるものは撤去してほしいと思っている。

    〈村田商店代表乙の父〉氏は、東鳴川町502で野焼きを繰り返し、現行犯逮捕されたこともある。その時は、自分も土地所有者として警察の捜査に呼び出されて、現場を指差している写真を撮られた。

    東鳴川町502に産廃が持ち込まれていたことは知らない。養豚場近くの別の場所に、産廃が不法投棄された場所はある。

    道の整備はぜひやってほしい。本当は自分がロープでも張りに行ければいいのだが、村田養豚場相手に個人で何かするのはなかなか難しい。」

    このうち「今は〈原告〉に東鳴川町502を貸していない。平成21(2009)年には、東鳴川町502の賃貸借契約はどのような解釈によっても解消している」と話した時、〈東鳴川C〉さんは非常に自信に満ちた態度で、きっぱりと言い切っていました。この発言は、平成20(2008)年8月ごろ、〈村田商店代表乙の父〉氏が何らかの根拠に基づき、平成21(2009)年2月まで東鳴川町502の賃貸借契約が継続すると主張していた(乙6:15頁、乙81:2頁)ことを意識しているとみられ、信憑性があります。

    なお野焼きで〈村田商店代表乙の父〉氏が逮捕されたことについては、木津川市の平成19(2007)年第1回定例会において、当時の市議が「養豚場の持ち主は、昨年、野焼きの現行犯で奈良市に逮捕されました」と質問の中で述べていることから、平成18(2006)年の出来事だったと考えられます(乙6:1頁)。

第17 私が本件土地2所有者の〈加茂町B〉さんから折に触れ聞き取った話について

  1. またこのころ私は、〈加茂町B〉さんにお会いするたび、〈加茂町B〉さんからも、いろいろと当時のお話をうかがいました。〈加茂町B〉さんによれば、村田養豚場は他人地を占拠するだけでなく、地権者をしばしば恫喝していたといいます。

    〈加茂町B〉さんによれば、山林が削られ始めたころ、〈加茂町B〉さんの亡くなったご主人、〈加茂町Bの亡夫〉さんは、削られ続ける自分の山をなんとかして守ろうと、当時の加茂町長に何度も直談判し、あるときようやく町の協力を取り付けたのだそうです。しかし、それまでの心労がたたったのか、その翌日脳梗塞で倒れ、その後は身体を自由に動かせなくなってしまいました。

    それでも〈加茂町Bの亡夫〉さんは、不自由な身体を押して、村田養豚場に削られた自分の土地を見に行っていたそうです。すると〈原告〉は帰り道を重機で塞ぎ、酷い言葉で恫喝したといいます。しかし〈加茂町Bの亡夫〉さんは毅然として脅しをはねのけたのだと、〈加茂町B〉さんは誇らしげに語っていました。同様の出来事は告訴状の中でも触れられています(乙82:2頁第6段落)。

    しかし一方で、ご主人に先立たれた〈加茂町B〉さんは、原告に持ち山を削られたことが、ご主人の寿命を縮めたと感じてらっしゃるようでした。

    〈加茂町B〉さんは「山林を削り取られた地権者による刑事告訴はなぜか起訴猶予に終わった。検察には「けが人や死人が出たわけではないから」と言われた」とも話していました。刑事告訴が「起訴猶予」に終わったということについては、平成20(2008)年第1回定例会で、当時の市議が質問の中で触れています(甲2:10頁)。

    【FACT1-(3)-③】また長尾2と東鳴川町502の土地境界については、〈加茂町B〉さんは次のように語っていました。

    「〈原告〉が山林を大きく削ってしまったので、それまでの土地境界がわからなくなってしまった。そのため〈東鳴川C〉さんと相談して、赤田川の南側にあった府県境の杭と、山林掘削面の一番高いところにある木を結ぶ線を新しい土地境界にすることにした。この土地境界は市有土地境界確定図に書き込まれたが、境界確定の現地立ち会いには警察も来ていた。赤田川南の府県境の杭と、掘削面の一番高いところにある木を白い紐で結んで、土地境界の位置を確認した。上空にはヘリコプターが来ていて、そのヘリコプターは、上から土地境界を確認していた。」

    〈加茂町B〉さんの証言は、境界確定時の報告書にある写真とも一致しています(乙83)。報告書の写真には多数の捜査官らしき人物が写っている他(乙83:24頁)、山上から白い紐が垂れ下がっている様子も写真で確認できます(乙83:29頁)。

    〈加茂町B〉さんは、市道の隣接地所有者として、赤門坂から先も道をきちんとつなげておきたいという強い思いがあり、私が里道の草刈りをしたいと申し出たところ、ぜひやってほしいと快諾してくださいました。

  2. またこのころ私は、〈加茂町B〉さんや浄瑠璃寺周辺の方から、20年ほど前から犬が出てきていると聞いていました。しかし、私の記憶にある、山が掘削される前の静かな養豚場のようすと、犬が放し飼いにされている現在の状況が、どうしても結びつかず、私は本件記事を書く際、「20年前」というのは聞き間違いだろうと考え、山が掘削された頃から犬が放し飼いされたように記述しました。ところが実際には、20年ほど前からというのが正しく、山城南保健所の報告書にも、地元住民からの聞き取りとして「20年ほど前から犬がうろついている」と記載されています(乙35:1頁)。

第18 私が赤田川北側で木津川市道の草刈りをして〈村田商店代表乙の父〉氏に恫喝された経緯

  1. 平成27(2015)年10月ごろ、私は一度、赤門坂を下って、村田養豚場手前の倒木がどうなっているか見にきました。すると3月議会で生活環境部長や市長が奈良県あるいは奈良市に申し入れると答弁していたにも拘わらず、まだ立入禁止の看板が倒木手前に設置されており、看板のあたりまでは草刈りされているものの、その先の倒木や雑草は前年同様そのまま放置されていました。

    そこで私は木津川市管理課を訪れ、公道上に立入禁止の看板を設置することの是非を改めて聞きました。管理課の職員は「そうした看板を設置するのはおかしい」と答えました。私は、それなら木津川市で撤去してほしいと要望しましたが、管理課職員からは要領を得ない答えしか返ってきませんでした。そこで私は「木津川市がやらないなら、私が撤去してかまわないか」と聞きました。すると、管理課の職員は「判断はお任せする」と答えました。

  2. 平成27(2015)年10月31日、私は倒木手前の立入禁止の看板を撤去し、林の出口までの倒木を全て片付けて、道の草刈りを行いました。

  3. 平成27(2015)年11月4日、私は赤門坂下の林の出口から、村田養豚場北側の橋まで道を通すため、その区間の草刈りを行いました。

    赤田川北側の里道周辺では、しばらく草刈りが行われていなかったため、背の高い草が生い茂っていて見通しが悪く、村田養豚場の従業員は私が草刈りをしていても、そのことに全く気づきませんでした。しかし私が、原告が赤田川の北側に止めている車の数メートル手前あたりまで迫ると、さすがに数頭の犬が私の気配に気がつき、激しく吠え始めました。その騒ぎを聞きつけた若い従業員男性が、私の方にやってきて「何をしているのか」と声をかけてきました。私が「草刈りをしている」と答えたところ、その若い従業員男性は、〈村田商店代表乙の父〉氏と〈村田商店代表乙〉氏を呼びに行きました。

    その後のやりとりは、概ね本件記事記載の通りです(甲2:26ー27頁)が、いくつか省略した点もあります。

    当初〈村田商店代表乙の父〉氏は、赤田川北側の掘削された土地全体が敷地であるかのように主張し、道はつながっていないと言いました。それに対し私が、そもそも赤田川北側の土地は養豚場の敷地ではないと指摘した上で、里道はつながっているし、養豚場は里道の隣接地所有者ではなく、隣接地所有者からは草刈りの許可を取ってあると反論しました。すると〈村田商店代表乙の父〉氏が、それを証明できるものはあるのかと言うので、私はそんなこともあろうかと用意しておいた、平成19年の市有土地境界確定図のコピーを〈村田商店代表乙の父〉氏に渡しました。すると〈村田商店代表乙の父〉氏は、私が草刈りをしていた一帯が敷地であるということは言わなくなりました。また〈村田商店代表乙の父〉氏は東鳴川502は借りているとも主張しませんでした。その代わり、本件記事にも記載したように、〈村田商店代表乙の父〉氏はいろいろなところに電話をして、とにかく私に住所と名前を言わせようとしました。

    敷地に入っているわけではないので私がそれを拒否すると、〈村田商店代表乙の父〉氏は「養豚場から先の道は私道なので通れない」と言い出しました。それで私は「私道の所有者に確認したところ、通行を制限していないと言っていた。それに養豚場少し南の退避場のようになっているところまでは市道のはずで、そこから山の中に道が続いてもいる」と告げました。〈村田商店代表乙〉氏は、府県境沿いに市道があることを知らなかったようですが、〈村田商店代表乙の父〉氏は市道の存在を把握していたようで、〈村田商店代表乙〉氏に「うちがコンクリ張ったとこに道があるんや」と呟いていました。

    それから〈村田商店代表乙の父〉氏は、村田養豚場の敷地の間にある里道は、木津川市の里道の上に奈良市の里道が重なっているといった、よくわからない話をし始めました。この時〈村田商店代表乙〉氏は、当初〈村田商店代表乙の父〉氏とは少し違う説明をしていました。二人が、里道が重なっているだとか、木津川市の里道が上か下かいうような話を、口々に言い合っている間、私は仮に両市の里道が「重なっている」のなら、余計に道を塞いではいけないのではないかと思っていました。少しすると、〈村田商店代表乙〉氏は〈村田商店代表乙の父〉氏の様子を上目遣いに観察して、話を完全に〈村田商店代表乙の父〉氏に合わせるようになりました。その様子を見て私は、〈村田商店代表乙〉氏には、養豚場に関することに最終決定権はないのだろうと感じました。

    ちなみに、後日私は、念のため木津川市管理課で「村田養豚場の人が奈良市と木津川市の里道が重なっているとか、どちらかが上側だとか、そういう話をしていたが、どういう意味か、どちらかが上側というようなことがあるのか」と聞きましたが、管理課の職員は「重なっていることはない。なんのことか全くわからない」と答えました。

    【FACT2-(1)】私がお二人とお話ししている間も、終始数匹から10頭ほどの犬が周りをうろついていたので、私は「危険だから犬を繋ぐか囲うかしてほしい」と言いました。しかし、〈村田商店代表乙の父〉氏と〈村田商店代表乙〉氏は「イノシシ避けのために認められている」と言って、聞く耳を持ちませんでした。

    【FACT2-(2)】この時は、こうしたやりとりがしばらく続きましたが、何を言っても私が反論して草刈りをやめないので、〈村田商店代表乙の父〉氏は「今度ここを通ろうとして里道から少しでもはずれたらどうなっても知らんぞ」と捨て台詞を吐くようにして私を恫喝し、肩で風を切りながら去っていきました。

    〈村田商店代表乙〉氏は、私が掘削された山の崖を眺めているのに気がついて、「あなたも何か誤解しているようだが、この山は京都府と奈良県の許可を得て掘削した」とも言っていました。しかし私はそうした話は初耳でしたし、木津川市議会の議事録にもそのような報告はなかったため、本当にそんなことがあったんだろうかと思いました。原告と〈東鳴川C〉氏との間であった裁判の判決にも、そのような経緯は登場しません(甲5甲6)。

    なお、この時私は、〈村田商店代表乙の父〉氏、〈村田商店代表乙〉氏のいずれからも、私がインターネット上に公開していた記事について、何か言われることはありませんでした。

    実のところ私は、ククリ罠にかかった犬を助けた時、〈村田商店代表乙の父〉氏ともなごやかに話ができた経験から、村田養豚場の人も、話をすれば、多少は説得できるのではないかと思っていました。ところが現実には、この時の〈村田商店代表乙の父〉氏と〈村田商店代表乙〉氏は、いくつもの嘘を私に話しました。しかも反論されるとすぐ別の話をし始めました。私には、お二人が嘘を嘘だと知りながら話しているように思われました。私は、村田養豚場の人が言っていることは信用ならないという印象を持ちました。

    【FACT2-(2)】また私は、それまでに複数の人から聞いていた、村田養豚場の敷地の間にある道を通行しようとすると恫喝を受けるという話は、やはり〈村田商店代表乙の父〉氏が恫喝していたということだろうと思いました。〈村田商店代表乙の父〉氏が里道周辺にいるタイミングで里道を通行しようとすると、〈村田商店代表乙の父〉氏に「通れない」などと声をかけられ、素直に引き返せば恫喝されることはない一方、それでも通ろうとする通行人に対しては、このとき私にしたのと同様、〈村田商店代表乙の父〉氏が恫喝に及ぶということなのだろうと考えました。

  4. 【FACT2-(1)】なお平成27(2015)年11月4日17時過ぎ、すなわち私が草刈りを終えて立ち去った後すぐ、原告は山城南保健所に電話をし、私が犬を繋ぐよう言ったことに苦情を申し立てています(乙39)。これに対し、山城南保健所は「公道を通る際に犬に吠えかかられては、通行者が脅威を感じることは当然である。イノシシの害は理解できるが、人に危害を与えないよう係留は必要なことと思われる」と答えています。この時、原告は「弥勒の道プロジェクト」の名前を出していない上、以前インターネット上に嘘の記事を書かれたとも訴えてもいません。

  5. 平成27(2015)年11月6日、私は農林水産省安全局家畜防疫対策室に電話をして、イノシシ避けのために犬を放し飼いにすることの是非について問い合わせました。電話に出た担当の福原氏は「イノシシの進入を防ぐために犬を飼うことは飼養衛生管理基準違反ではない。ただし放し飼いにするのは、犬がどこで野生のイノシシと接触するかわからないので、いい措置とは言えない。柵で囲い、その中で犬を飼うことが望ましい。犬が衛生管理区域を出入りしないようにすることが望ましい。犬が行動できる範囲を衛生管理区域の内側か外側かのいずれかに限定するべき。」と答えました。この回答は、農林水産省としての回答と受け取って良いとのことでした。

第19 村田養豚場の間にある市道を通行した人が〈村田商店代表乙の父〉氏に恫喝された経緯

  1. 平成27(2015)年11月9日、私はツイッターのダイレクトメッセージで、府県境の道を歩きたいという方から、府県境の道を歩くにあたって注意するべき点などがあるか問い合わせを受けました。

    その方は中川寺跡に興味があるようでしたし、この数日前に私自身〈村田商店代表乙の父〉氏に恫喝を受けたところでもありましたので、はじめ私は、浄瑠璃寺側からではなく、牛塚側から回ることをお勧めしました。ところが、その方ができれば浄瑠璃寺側から行ってみたいとおっしゃるので、私にはこの道を通る人が増えてほしい思いもありますから、くれぐれも無理をしないよう念押ししつつも、養豚場で通行を制止されても反論できるよう、地図など里道に関する資料をまとめたファイルを、インターネットを通じてその方に提供しました。

  2. 【FACT2-(2)】平成27(2015)年11月12日、前述の、私に連絡をくれた方は、実際に浄瑠璃寺から村田養豚場の敷地の間にある道を通り抜けて、奈良まで歩いたとのことでした。私が事前に資料を提供したこともあり、その方は府県境を歩いている途中から、ツイッターのダイレクトメッセージで、私に現地の状況をお知らせくださっていました。さらにその方は帰宅後、村田養豚場で〈村田商店代表乙の父〉氏に罵詈雑言を浴びせられ恫喝されたことや、府県境の道の状況をくわしく報告してくださいました。本件記事記載の証言(甲2:23ー24頁)は、その報告のうち、村田養豚場通過時に関わる部分を抜き出したものです。本件記事では、私の記憶違いで、「2015年10月ごろに」としましたが、正しくは平成27(2015)年11月12日のことでした。私はこの時点では、この方のツイッターアカウントから読み取れること以外、この方については何も知りませんでした。

第20 私が村田養豚場が放し飼いにする犬に危機感を抱き、問題を解決するために行なったことについて

  1. 平成27(2015)年11月ごろ、原告が相次いで恫喝を行ったことに失望した私は、「弥勒の道プロジェクト」ウェブサイトの「浄瑠璃寺南の村田養豚場による違法な里道占用に対する木津川市の対応」と題した記事に、「また大きく削られている土地も村田養豚場の土地ではありませんでした。好きにしていいと言う約束だったと主張して、借りていた土地を削ったのだそうです。この件も裁判になっています。」と追記しました。

  2. 平成27(2015)年11月ごろ以降、浄瑠璃寺近辺で頻繁に犬の群れを見かけるようになったため、私はいつか事故が起きるのではないかと強い危機感を抱くようになりました。浄瑠璃寺周辺の方も、このところ犬がよくやってくると言っていました。

  3. 私は、村田養豚場周辺の状況について、平成27(2015)年の春ごろまでは〈木津川市議Q〉議員に相談をしていましたが、その後〈木津川市議Q〉議員が引退されたので、それ以降は〈木津川市議O〉議員に、村田養豚場の敷地の間にある里道が通行しにくくなっている現状や、浄瑠璃寺付近まで犬が来ていることなどについて情報を提供し、行政への働きかけについてもお願いしていました。両市議会議員とも私の住んでいる地域から選出された市議会議員で、ご自宅が私の自宅から歩いてすぐのところにあります。

  4. 平成27(2015)年12月6日、私は友人や知人の協力を得て、「弥勒の道プロジェクト」の企画として、牛塚近くの不法投棄ゴミを撤去したり、府県境の道の草刈りをする活動を行いました。当時、府県境の道が村田養豚場の南で車道に出るあたりに笹に生い茂っており、車道から府県境の道に入る入口がわからなくなっていたのですが、この笹をすっかり刈り取り、誰が見ても道の入口がわかる状態にしました。

  5. 平成27(2015)年12月23日、私は、総務省ウェブサイトの専用フォームを利用して、総務省の行政相談窓口に投稿し、村田養豚場の現状を簡単に説明した上で、本件記事末尾にあるもの(甲2:67頁)とほぼ同じ要望を述べ、この要望を受け入れるよう、総務省からも奈良県家畜保健衛生所に要請してほしい旨、お願いしました。

  6. 平成28(2016)年1月上旬ごろ、私は、浄瑠璃寺で、浄瑠璃寺のご住職から、昨年末から早朝に10頭単位で村田養豚場の犬が境内に現れるようになっており、犬の姿がなくても犬の糞がたくさん落ちていて困っているという話を伺いました。このころは、私自身浄瑠璃寺周辺で頻繁に犬を目撃していましたが、村田養豚場の犬が10頭単位で境内に入り込んでいることには、衝撃を受けました。

  7. 平成28(2016)年1月14日、私は、「村田養豚場から赤田川と周辺環境を守る有志の会」名義で、奈良県家畜保健衛生所に、本件記事末尾にあるもの(甲2:67頁)とほぼ同じ要望を伝え、同年3月末日までには犬の放し飼いをやめさせることなどを実現するよう求めました。それと同時に奈良市保健所にも、犬の放し飼いをやめさせるよう改めて要望しました。

  8. 平成28(2016)年1月15日、私は、それまでにも村田養豚場周辺の状況について相談していた木津川市の〈木津川市議O〉議員に、改めて協力をお願いしました。すると〈木津川市議O〉議員は、まずは現地を確認したいと要望されました。

  9. 同じ日私は、村田養豚場の生産するブランド豚「郷ポーク」を飲食店に卸している食肉問屋業者などに、「村田養豚場から赤田川と周辺環境を守る有志の会」名義で手紙を送りました。その内容は、本件記事と同様の内容を記した上で、3月末までに奈良県に、本件記事末尾にあるもの(甲2:67頁)とほぼ同じ要望を受け入れるよう要請してほしいとするもので、要望が奈良県に受け入れられなかった場合は、メディアやインターネット上での告発に踏み切らざるを得ないことを予告するものでした。

    それまで奈良県が木津川市からの申し入れさえ実質的に無視してきた現状を考えると、奈良県は、一般市民からの要望はもちろん、隣接市からの申し入れに対しても、まったく聞く耳を持っていないように思われました。一方で事業者の言い分については、私が家畜保健衛生所を訪れた時に聞いた「そこはそれでいいことになっている」という言葉通り、法やガイドラインをねじ曲げてでも「それでいいこと」にしてしまう傾向があるようでした。ということは、家畜保健衛生所あるいは奈良県畜産課の業務と関連する事業者であれば、前述の要望を聞き入れるよう、奈良県を説得することが可能かもしれないと、私は考えました。

    なおこの手紙を最初として、私があちこちに送った手紙が、のちに原告が私を刑事告訴した際の、主な告訴事実となっています(甲9)。

  10. 平成28(2016)年1月20日、私は、〈木津川市議O〉議員とその支持者男性4名とともに、村田養豚場の間にある木津川市道を通り抜け、現地の様子を確認しました。

    その際、私たちの姿を見つけた〈村田商店代表乙〉氏が飛び出てきて「今日見に来るとは知らなかった。今はとりあえず犬を押し込めておけと言われている。25日に保健所と会議をして、そこで三つの檻に犬を入れることを提案しようと思っている」などと、こちらが聞いてもいないことをいきなりまくしたてました。この時の〈村田商店代表乙の父〉氏と〈村田商店代表乙〉氏は、それまで見たこともないような低姿勢で、私は非常に驚きました。〈村田商店代表乙の父〉氏と〈村田商店代表乙〉氏が、誰が見に来ると思っていたのかは、私には全くわかりません。

    また〈村田商店代表乙〉氏は私に「総務省にもメールを送ったそうですね」と話しかけてきました。この時私は特に気にすることもなく、それを肯定しましたが、のちに警察でこの話をしたところ、担当の〈刑事R〉に「そんなことまで行政が言う? 普通は言わんのとちゃうか」と言われました。私は、〈刑事R〉にそう指摘されて、確かに行政がそうした裏事情まで伝えるのは、あまり考えられないことなのかもしれないと思いました。

    【FACT2-(1)】私は、村田養豚場の現地を確認した後、〈木津川市議O〉議員とその支持者らとしばらく話をしましたが、その際、支持者の男性(氏名不詳)が、「村田養豚場には少なくとも50頭の犬がいた。現地で数えた。実際にはもっと多くいたと思う」と話していました。私自身の観察でも、村田養豚場を通過した際、少なくとも50頭は犬がいるように見えました。

    私は、本件記事に「2016年1月には、ざっと数えただけでも50匹以上、山林に隠れている犬を含めればおそらくもっと多くの犬が、村田養豚場周辺を徘徊していました」と書きましたが、これは〈木津川市議O〉議員の支持者男性の証言と、私自身の観察に基づいています。

    なお私自身と〈木津川市議O〉議員らが当日撮影した写真に写っている犬の数を数えたところ、青い檻の中で飼養されているとされる4頭(乙36ー3頁)を加えると、32頭の犬が確認できました(乙91の1乃至3)。このうち6頭は明らかに首輪がありませんでした(乙91の1乃至3の赤字)が、首輪のない犬も首輪のある犬と行動をともにしており、〈村田商店代表乙の父〉氏も〈村田商店代表乙〉氏も首輪のない犬を追い払うようなことはしていませんでした。

    乙第91号証の2は、〈村田商店代表乙の父〉氏の顔が入らないよう一部トリミングした上で、本件記事にも掲載した写真です。この写真に写っている人物のうち、青いリュックを背負っているのが私で、私に体を寄せているのが〈村田商店代表乙の父〉氏です。このとき私は、私の立っている木津川市道の右手、村田養豚場の休憩小屋の前(南側)あたりに、多数の犬がたむろしているのを見ています。また、村田養豚場敷地南側の市道にも、数頭の犬が徘徊していました。

    ですから、私が、平成28(2016)年1月に、村田養豚場に50頭以上の犬がいたと記載したことは、まったく誇張ではありません。

  11. 〈木津川市議O〉議員は、平成28(2016)年1月20日の現地確認で、犬の多さと、路上に所構わず犬の糞が落ちている現状に、ひどく驚いた様子でした。そこで〈木津川市議O〉議員は、早速知り合いの京都府議に声をかけ、村田養豚場の問題に京都府家畜保健衛生所を関与させることができないかを模索するため、急ぎお二人で京都府家畜保健衛生所に連絡を取ってくださいました。

    その時、〈木津川市議O〉議員が、1月25日になんらかの会議があるらしいと京都府家畜保健衛生所に伝えたところ、京都府家畜保健衛生所が奈良県家畜保健衛生所に、そういった会議があるのかについて問い合わせたとのことです。その結果、確かに会議があるとわかり、会議の結果は、奈良県家畜保健衛生所から京都府家畜保健衛生所に報告され、その内容は両議員にも知らされることとなりました(乙33:25頁(平成28(2016)年1月26日))。しかし、この時は村田養豚場に指導を行ったという程度の簡単な報告しかなかったようです。

  12. 【FACT2-(1)】実際平成28(2016)年1月25日、原告は奈良市保健所から犬の放し飼いと野犬への餌付けをやめるよう指導書の交付を受けています(乙41)。

  13. 【FACT2-(1)】なお京都府山城南保健所は、平成28(2016)年3月1日に村田養豚場を抜ける市道を現地確認した際、現地の状況を次のように評価しています(乙42)。

    「浄瑠璃寺〜村田養豚までの里道において、多数の犬の足跡が認められた。また、複数の徘徊犬(少なくとも4頭)が京都府内の里道を徘徊していた。村田養豚場内では多数の犬が放し飼いにされており、これらが里道の上から吠えかかるため、里道を通行することができなかった(元の道を戻りました)。(中略)

    上記里道については、例え家畜伝染病予防法の「衛生管理区域」の対象外となったとしても、多数の徘徊犬が存在しているため、一般人が通行することは困難であると考えます。」

  14. しかしながら、村田養豚場が奈良市から文書で指導を受けてなお、村田養豚場が放し飼いにしている犬は、その後も浄瑠璃寺周辺に10頭単位の群れで現れ続けました(乙43)。私自身、このころ何度も、浄瑠璃寺周辺や中ノ川町の山林で、数頭から10頭の犬の群れを目にしています。

  15. 平成28(2016)年3月16日と17日、私は木津川市と奈良市の当時の市議会議員全員に、「村田養豚場から赤田川と周辺環境を守る有志の会」名義で手紙を送りました。その内容は、食肉問屋などに送ったものとほぼ同じです。

  16. 平成28(2016)年3月17日、この日、京都府山城南保健所が、奈良市保健所に対し、犬の適正な使用に関し、原告を指導するよう文書で要請しています(乙44)。

  17. 平成28(2016)年3月19日、奈良県農林部より、私が「村田養豚場から赤田川と周辺環境を守る有志の会」名義で送った要望に対する回答がありました。しかし、その回答は単に現状を説明するだけのもので、今後奈良県が村田養豚場をどのように指導するつもりなのか、具体的なことが何も書かれていませんでした。私は実質的にゼロ回答と言って良いこの回答には大いに失望しました。奈良県は、里道や他人の土地が含まれる村田養豚場の衛生管理区域を、撤回させるかどうかさえ答えませんでした。

  18. 【FACT1乃至4】結局その後も、村田養豚場では路上での作業が途切れることなく続き(乙59乙101の1及び3、乙122:2頁1枚目の写真、乙129乙133乙134乙135乙141)、いったん囲いに入れられていた犬も、数ヶ月後にはそれまで同様周辺地域を自由に徘徊するようになりました(乙33乙48乙51乙55乙56乙60乙91の2及び3、乙94の1乃至3、乙128乙141)。また、2017年には赤田川の著しい水質悪化が明らかとなりましたが(乙8乙9乙15)、その際原告は木津川市の立ち入りを強硬に拒絶しています(乙13)。私が奈良県の回答をゼロ回答だと判断し、本件記事において「何も変える気がない奈良県と奈良市」と論評した(甲2:63頁)ことは、全く妥当であったと言えます。

  19. 【FACT1-(1)-②】ところが奈良県は、実際には、平成28(2016)年2月ごろ、村田養豚場の衛生管理区域から、里道と赤田川北側の土地を除外する変更を行っていました(乙33:43頁(平成28年6月16日)、乙99:1頁)。なぜ奈良県がそのことを私には回答しなかったのか不可解ですが、奈良県が「赤田川から北を衛生管理区域から除いた変更をした(乙33:43頁(平成28年6月16日))」ということは、原告が賃貸契約が継続していたと主張する東鳴川町502についても、この時、村田養豚場の衛生管理区域から除外されたと考えられます。

  20. 【FACT2-(1)】平成28(2016)年3月25日、原告は京都府山城南保健所との協議の中で、「現在、犬を囲うオリを作っている最中。(中略)イノシシ対策として、犬の放し飼い以外の方法(電柵の設置等)は過去にも検討している」と発言しています(乙92)。この発言から、原告自身、少なくともこの時点では「犬の放し飼い」を行っている認識はあったと考えられ、また犬を囲う檻についても不十分なものしかなかったとわかります。

  21. 平成28(2016)年3月27日、私はゴミ拾いをかねて府県境の道を歩くハイキングを行いました。私はこの一二週間ほど前からツイッターなどで参加を呼びかけていました。この日は、〈加茂町B〉さんのご家族と知人、私の友人の家族のほか、ツイッターのフォロワーさんなど、8人が参加しました。村田養豚場の間にある道を通り抜けた際、ほとんどの犬が、急ごしらえの囲いの中や、二階のある小屋の階段の上に押し込められているのが見えました。囲いに容れられていない数頭の犬が周辺を徘徊してはいましたが、怯えたように逃げていくばかりで、それほど吠えることもありませんでした。この日は行きも帰りも、誰かに呼び止められることはなく、何もトラブルは発生しませんでした。しかし、私は狭い囲いにたくさんの犬が押し込められている様子を見て、この状態が長続きするわけがないと思いました。そのことは本件記事でも触れています(甲2:64ー66頁)。

  22. 平成28(2016)年4月14日、近畿農政局からメールがあり、「家畜を飼養する際の衛生管理のため、家畜伝染病予防法第12条の3により定めた、飼養衛生管理基準の遵守につきましては、都道府県が家畜の所有者に対して指導及び助言をすることになっており、当局としては、奈良県畜産課(家畜保健衛生所を所管)に対して、丁寧な対応をとっていただけるよう、お願いしております。また、農林水産省消費・安全局動物衛生課からも、奈良県畜産課に対して助言を行っております。」と書かれていました。

    このころ私は、奈良県からの回答が不誠実かつ不十分なものだったので、メディアやインターネットを通じ、村田養豚場をめぐる問題を広く告発して、世論に訴えるほか解決方法がないと考え始めていました。しかし、農水省の方で奈良県に働きかけを行っているのであれば、もう少し様子を見るべきだろうと考えました。

    ところが結局これ以降行政機関からの返答はありませんでした。

第21 私が本件記事公開前に赤田川の水質汚濁に関し把握していたことについて

  1. 平成28(2016)年5月初めごろ、私は、独立行政法人 農業技術研究機構のウェブサイトに「調査・報告-畜産の情報(国内編)平成15年10月号「養豚に切っても切れない汚水処理」」と題された記事があるのをみつけました(乙114)。私はこの記事から「放流できる処理水を得るためには浄化槽(活性汚泥処理施設)が必要である。養豚ではふんと尿を分離し、ふんはたい肥化、尿は浄化槽がメジャーな方法となっているのである。」という記述を、本件記事に引用しています(甲2:53ー54頁)。

  2. 【FACT4】またこの頃までに私は、木津川市議会において、赤田川の水質汚濁問題が長年議論されており、村田養豚場がその原因と疑われていることを、インターネット上に公開された木津川市議会議事録で確認していました(乙6)。加えて、木津川とその支流の水質汚染に関する民間の調査においても、「次に汚染値がぬきんでているのが、赤田川上流地点の COD 23.93ppm です。この支流の上流の汚染原因として考え得るのは、上流域にある産廃の山と養豚場の影響です。第3回(2013.10.5)調査では、最大の汚染値33.79ppmとなっており、ここも対策が必要です。」(乙89)と評価されていることを確認しています。

  3. それからこのころ、浄瑠璃寺周辺地域では、夕方になると悪臭がすると言われていました。私自身も、夕方ごろに浄瑠璃寺周辺や、赤田川北側の尾根にあたるバス道を通りがかると、ひどい悪臭がすると感じていました。このことについては本件記事で触れています。(甲2:51頁)

第22 私が本件記事を公開した経緯

  1. 平成28(2016)年5月10日、原告は私を刑事告訴しました(甲9)。なお言うまでもないことですが、平成28(2016)年5月10日時点の私は、自分が刑事告訴されていることを全く知りませんでした。

  2. 平成28(2016)年5月12日ごろ、私はツイッター上でたむらけんじ氏が、自身が開発に関わった「奈良バーガー」を宣伝していることを知り、「奈良バーガー」の必須材料とされているブランド豚「郷ポーク」を生産する村田養豚場には様々な問題があることを、ツイッター上の「弥勒の道プロジェクト」アカウントで、連続投稿しました。

  3. 【FACT4】平成28(2016)年5月18日、私が浄瑠璃寺奥之院下流の砂防ダムを訪れると、ダム湖の水面が全て泡で覆われ、下水のような匂いが谷中を漂っていました。その様子は、本件記事に記載しています(甲2:49ー50)。

  4. 【FACT2-(1)】平成28(2016)年5月31日には、京都府山城南保健所が、奈良市保健所を訪れ、「(村田養豚場)周辺で見かける犬がほとんどいなくなった。浄瑠璃寺でも見かけなくなり、捕獲箱は置いてあるが閉めてある状態である。指導対応していただいたことに感謝している」と礼を述べています(乙33:42頁(平成28(2016)年5月31日))。つまり原告には、平成28(2016)年3月末ごろからしばらくの間、村田養豚場周辺にいた犬を、原告が野犬だと主張する首輪のない犬を含めて、ほぼ全頭囲いの中に収容した実績があります。

  5. 【FACT1-(1)-①】平成28(2016)年6月9日ごろ、私は、ツイッターの「弥勒の道プロジェクト」アカウントで連続投稿した内容をベースに記事をまとめ、「GO-PORK FACTS」と題したウェブサイトとして、インターネット上に公開しました。

    これは、村田養豚場の問題を告発することは、古道のおもしろさを広めることなど「弥勒の道プロジェクト」本来の趣旨と異なると考えたためです。またツイッターでの私の投稿が、様々なアカウントのコメントとともに、一つの話題でまとめられてしまうことがあり、その際そのまとめに、私の投稿とともに、私とは意見の異なる、私とは無関係の第三者のコメントが、数多く掲載されてしまうケースが散見されました。私は、そうした第三者のコメントが私の見解だと誤解されないためにも、村田養豚場の問題については、独立したウェブサイトとしてインターネット上に公開する方が望ましいと考えました。

    「GO-PORK FACTS」と題したウェブサイトには公開当初から、本件記事に加え、行政機関との間で交わされたメールの記録や木津川市議会議事録(乙6)など、 本件記事に付属する資料が付属していました。

    なお私は、本件記事をインターネット上に公開した後、誤字脱字を修正した以外は、その後状況に大きな変化がなかったため、原告が訴訟を起こし、東鳴川町502を購入するなどして大きく状況が変化した2019年9月まで、内容を一切変更していません。

  6. 【FACT1-(1)-①】また本件記事に、東鳴川町502の掘削のみを取り出して、「無断で掘削、侵奪」したと記述している箇所はありません(甲2)。そもそも原告による山林掘削工事は、東鳴川町502とそれ以外を区別して行われたものではなく、かつ、原告による山林掘削工事全体の中に「無断で掘削、侵奪」した他人地が含まれることは明らかでした(乙83:8−11,30−31頁、乙84の1、乙85甲13乙86乙87乙88の1乃至5、乙111の2、乙112の1乃至2、乙113)。したがって、原告による掘削工事全体を指して、他人の山林を無断で不法に掘削、侵奪した工事であったと指摘することは、虚偽事実の摘示には当たらないと考えます。

    加えて、原告が指摘する民事裁判で確定したのは、東鳴川町502の掘削が「賃貸借契約」に含まれることであり、〈村田商店代表乙の父〉氏が無断で掘削したかどうかについて、裁判所は明確な判断を下していません。

    裁判で確定した通り、賃貸借契約内に掘削が含まれていたとしても、例えば、図面を示して山林掘削予定の範囲を説明し、山土の処分方法についても打ち合わせするなどして、〈村田商店代表乙の父〉氏が〈東鳴川C〉氏から事前に十分な確認を得ていれば、そもそも訴訟が提起されるような事態にはならなかったはずです。一般に、借りている土地の形状を大きく変える工事を行う場合、借主が図面を示すなどして貸主と入念に打ち合わせをすることが、強く期待されると考えられます。したがって、原告の指摘する民事裁判の結果をふまえても、貸主の確認を十分に受けなかったという意味で、「〈村田商店代表乙の父〉氏が、〈東鳴川C〉氏に無断で山林を掘削した」と指摘することは、依然として虚偽と言えません。

  7. 【FACT1-(1)-①】そもそも原告による掘削工事は決して円満に行われたものではなく、原告と〈東鳴川C〉氏との間で裁判があったことは事実です。本件記事では、〈東鳴川C〉氏が東鳴川町502を原告に賃貸していたことや、原告が「どのように使ってもいいという約束で先代から借りた」と主張していたことにも触れています。

  8. 【FACT1-(1)-②】また東鳴川町502の賃貸借契約は、東鳴川町502において畜産業(牛の放牧)を行うことを目的として締結されたものです(甲5ー5頁、甲6ー7頁)が、原告は、〈東鳴川C〉氏との裁判が終結した後、東鳴川町502において計画されていた畜産業(牛の放牧)を、全く実行に移していません。

  9. 【FACT1-(2)、FACT4】なお本件記事に、山林掘削に関連して、〈村田商店代表乙の父〉氏の「不法行為責任」に触れた箇所はありません。また、私は本件記事の中で「村田養豚場が赤田川の水質汚濁の原因者である」とは断定しておらず、本件記事の水質汚濁に関する記事において、私は原告に違法性があるとも述べていません。「赤田川で著しい水質汚濁が続いている中、その原因として疑われてもいるのだから、原告は、ブランド豚のうたい文句にふさわしい環境対策として、浄化槽を設置するべきだ」という意見の表明が、本件記事「赤田川下流の水質汚濁(FACT.4)」の趣旨です。

第23 原告代理人がホームページの削除を要請してきたが、具体的に書面で要請するよう求めたところ返答がなかったことについて

  1. 【FACT1-(1)-①】その後私は、原告による刑事告訴に基づき、時折奈良警察署で事情を聞かれるようになりました。その中で、平成28(2016)年8月4日午後4時40分ごろ、担当の〈刑事R〉から、私の携帯に電話があり、原告の代理人弁護士がホームページの記述を消すよう求めているとの連絡がありました。しかしどのウェブページのどの記述を削除するべきかについて具体的な指示は何もなく、〈刑事R〉も「そうしないからといって警察が動けるわけではない。お願いと言うしかない」と言っていました。それで私は〈刑事R〉に、「弁護士と相談したのち、対応を返答します」と答えました。

  2. 【FACT1-(1)-①】その後私は、私の選任弁護士から「具体的なページや記述を書面で指定してもらえれば検討する」と答えるよう助言されたので、平成28(2016)年8月8日の取り調べ時に、そのことを〈刑事R〉に伝えました。その際私は、〈刑事R〉から「ホームページを消す云々は、従う根拠もない上に具体性のない話だから、いずれ弁護士さん同士でどこを消すか協議することになるかもしれないので、その後で対応すれば良い。今は放っておいて良い」と助言を受けました。しかしその後原告の代理人弁護士からは何の連絡もありませんでした。

  3. 【FACT1-(1)-①】また平成28(2016)年8月末か9月ごろにも、担当の〈刑事R〉から、原告の代理人弁護士がまたホームページを削除するよう求めてきたと伝えられましたが、やはり具体性がなかったため、私は前回同様、具体的に書面で要請するよう回答しました。このとき私は、原告から明らかな誤りを指摘された場合は、記事を修正するつもりでいました。しかしながら原告の代理人弁護士からは、結局何の連絡もありませんでした。

    このとき私はまだ取り調べを受けている最中でしたから、原告にとって有利な状況だったとも考えられます。それにも拘らず、原告からは具体的な要請が何もなかったため、私は、原告にはインターネット上の記事を消してほしいという希望はあるものの、記事記載の事実について、原告は根拠をもって問題点を指摘できないのだろうと考えました。

第24 原告の刑事告訴が不起訴に終わったことについて

  1. 平成28(2016)年9月14日、奈良警察署での最後の取り調べがありました。

  2. 平成28(2016)年10月ごろ、私は近所のスーパーの前で、偶然〈加茂町B〉さんに会ったので、いろいろとお話を伺いました。〈加茂町B〉さんは、「今年の地域の草刈りは道がつながるところまではできなかった。村田養豚場近くまで行ったところで犬がいっぱい出てきた。その上、〈原告〉が「誰に許可とって草刈ってるんじゃ」と怒鳴り込んで来たためだと聞いた。それで草刈り担当の人が「地域の草刈りをしているのに、犬が出てきてできないので困る」と話したところ、「来年から事前に市役所を通じて草刈りの日を伝えてくれたら、ちゃんとしておく」と言われたらしい。最近自分も養豚場を見に行ったが、犬がたくさんいて近づけなかった。奈良側からは自分の土地にも入れなかった」とおっしゃっていました。

  3. 平成28(2016)年10月28日、検察での取り調べがありました。私の選任護士が、取り調べに付き添えないことは承知の上で、窓口まで付き添ってくださいました。すると担当検察官の方から、弁護士さんに話があるということで、検察官と私の選任弁護士が少しの間何か話をしていました。弁護士さんは私の方へ戻って来ると「見習い中の検事の練習として取り調べをしてもいいかと聞かれたが、どうしますか」と言いました。私は「別にかまわない」と答えました。どうやら検事には付き人のような人がいて、しばらく検事の補佐しながら経験を積み、やがて検事として独り立ちする、というシステムになっているようでした。検察での取り調べで私は、二時間ほど奈良県と奈良市の行政がおかしいというお話をしました。見習いの検事さんから「行政と事業者が癒着しているように思うんですか」と聞かれたので、私は「そりゃ癒着してるでしょう」と答えました。この日は調書も取られませんでした。

  4. 実際私は、私が考えていたよりも、奈良県及び奈良市の行政と村田養豚場は、なんらかの事情で「癒着」しているのではないかと疑っていました。そのため私は、奈良の行政が全く信頼ならない以上、現地の写真や映像をできる限り多く記録しておく必要があると考えました。それで私はこのころ以降、曜日と時間をずらしながら、なるべく定期的に現地を撮影するよう心がけました。

  5. 平成28(2016)年12月、奈良市保健所が村田養豚場に立ち入り調査を申し入れましたが、平成29(2017)年1月4日、原告から奈良県畜産課、京都府畜産課、木津川市市民部長、管理課長、全て管理職の同行を求められ、加えて、インフルエンザ予防接種証明書および防疫服の着用、万一、インフルエンザ被害が出た場合の補償まで求められたとのことです。その結果、日程指定を受けるも、状況が整わず立ち入りを中止することになりました(乙9の1)。

    この一件は、原告が実現困難な条件を突きつけて実質的に立ち入りを拒否したものと言えます。

  6. 平成28(2016)年12月19日、私の知らない間に、原告が私を刑事告訴した事件の不起訴が決定していました(甲10)。

  7. 平成29(2017)年1月10日、私は検察からの連絡が全くないので、奈良地方検察庁に電話をして状況を確認しました。ところが奈良地方検察庁の事務の方が言うには、12月半ばにすでに処分が決定しているとのことでした。嫌疑の有無については事務からは言えないが、もし私に何も通知が来ていないなら不起訴だと言われました。ただ担当検事は一ヶ月ほど出張しているので、その間連絡できないとも言われました。それで私が弁護士さんに現状を報告したところ、弁護士さんの方からも奈良地方検察庁に確認の電話を入れ、「不起訴処分告知書を請求したいが、担当検事が戻るまで一ヶ月放置されるのか」と問い合わせてくださいました。それで、翌日不起訴処分告知請求をすれば、不起訴処分告知書を発行してもらえることになりました。

  8. 平成29(2017)年1月11日、私は奈良地方検察庁で、不起訴処分告知書を受け取りました。

第25 本件記事公開後に再開された犬の放し飼いについて

  1. 平成29(2017)年4月10日と4月12日、京都府山城南保健所が原告による犬の放し飼いの再開を二回にわたって確認し、犬の捕獲を再開しました。このころ私自身も、平成28年の秋ごろから、浄瑠璃寺周辺や中ノ川町の山林で、犬を多数目撃していました。

第26 本件記事公開後の赤田川の状況について

  1. 平成29(2017)年4月ごろ、木津川市では、赤田川の水質汚濁が、市の水質調査でも明らかとなり、「公害」として問題視され始めていました(乙8乙9)。

  2. 平成29(2017)年5月30日、木津川市は、調査業務を委託したエヌエス環境株式会社、京都府環境管理課、山城南保健所、奈良市保健所に加え、地元代表者ともに、赤田川水質汚濁状況調査を実施しています。この調査では、砂防堰堤から上流へ向けて100mごとに底質のサンプルを採取しつつ、この区間に沢や支流の流入がないかについても確認されました(乙10)。

    【FACT4】現地調査の報告書では、以下のように、村田養豚場を境に河川の状況が変化する様子が報告されましたが、こうした河川の状況は、私が川の上から観察して感じていた印象(甲2:47ー52頁)と一致するものです。

    「養豚場直下では、川底に大量の食品残渣が見られ、川底の泥から強烈な悪臭が発生していた。赤田川本流への養豚場からの排水路を過ぎると、川底の食品残渣が見られなくなり、底質が黒く変色していることもなくなった。養豚場を過ぎると、水の濁りはましになり魚影も見られた。」

  3. 平成29(2017)年6月23日、京都やましろJAから木津川市長に赤田川の水質改善要望書が直接手渡されました(乙11)。

  4. 平成29(2017)年7月21日、西小・大門・高田・観音寺・大野の流域五地区から合同で木津川市長に赤田川の水質改善要望書が直接手渡されました(乙12)。

  5. 【FACT2-(2)】平成29(2017)年7月10日の木津川市まち美化推進課に「昨日弥勒の道を歩いて村田養豚場付近まで行ったところ、複数の犬に取り囲まれ吠えられ怖い思いをした。養豚場から出てきた人に「入るな」とも言われた。」との通報がありました(乙47)。

    私には該当する人物が思い当たりませんが、「弥勒の道プロジェクト」のウェブサイトを見て、道を歩いてみた方がいたのだろうと思います。

  6. 平成29(2017)年8月17日、木津川市が奈良県と協議し、その中で、木津川市及び京都府による村田養豚場への立ち入り調査について、奈良県に調整を依頼しましたが、翌日原告により拒否された旨報告がありました。このとき原告は京都府が求めた調査内容についても回答を拒否しています(乙13)。

  7. 平成29(2017)年11月7日、木津川市長が奈良県農林部長と懇談し、水質を改善したいこと、事業者を適切に指導してほしいことを依頼しました(乙14)。

  8. 【FACT4】平成29(2017)年11月8日、赤田川水質汚濁状況調査報告書(乙15)が奈良県畜産課及び奈良市保健所に手渡され、ECメーターのピークが夜間にあることも合わせて報告されました。ECメーターの夜間のピークは奈良側でも衝撃をもって受け止められています(乙16の1)。

    本件記事には「最近は特に日暮れごろ臭くなります。谷の上の尾根道まで臭いが漂ってくるほどです。外にいる人が少なくなる時間を見計らって汚水が流されているのかもしれません」という記述がありますが、ECメーターの夜間のピークは、この記述を科学的に裏付けるものと言えます。

  9. 平成29(2017)年11月14日、木津川市長が奈良県知事を訪問し、赤田川水質汚濁状況調査報告書と要請書(乙17の1)を手渡しました。木津川市は当初、この要請書を木津川市長と京都府知事の連名で発出することを目指しており(乙17の2)、検討途中の文案では「事業所が上流側の汚濁源の一つとなっている可能性が示唆されています」と、かなり踏み込んだ表現をしていました(乙17の3)。

  10. 【FACT4】平成29(2017)年11月22日、木津川市長が奈良市長を訪問し、赤田川水質汚濁状況調査報告書と要請書(乙18の1)を手渡しました。なお木津川市による赤田川水質汚濁状況調査報告書は、赤田川の汚濁原因について、次のように結論づけています(乙15)。

    「連続モニタリング調査の結果から、赤田川の水質汚濁については、「奥の院」における水質を著しく悪化させるような、高濃度かつ大量の有機汚濁成分が、人為的に、高い頻度で主に夜間に排出され、河川に流入することによって生じている可能性が高い。

    4月17日の水質調査では、「奥の院」で従来見られなかった高濃度の有機汚濁が確認されたが、これは、有機汚濁成分の流入時の水質である可能性が高い。

    本年度の赤田川の水質は、参考資料2のとおりだが、河川への汚濁成分の流入が短時間に集中していると考えられる今回のようなケースでは、通常の水質検査では、汚濁状況を十分把握することが困難である。

    一方、底質は、河川水の影響を蓄積するため、一時的な汚濁成分の流入についても、一定捕捉することができる。汚濁源の確認調査において、底質に大きな差異が認められたのは底質⑤と底質⑥の間であり、底質⑤から下流側で底質の有機物汚濁を示す化学的酸素要求量(COD)が高い状況であった。

    また、養豚場周辺の流入水に強い有機物汚濁が認められたことから、府県境に位置する養豚場付近で、高濃度かつ大量の有機汚濁成分が排出されて、赤田川の水質汚濁を引き起こしていると考えられる。

    なお、事業所敷地内の状況が不明であることから、付近の事業所の汚水処理等の調査が必要である。」

    著しい水質汚濁が検知された平成29(2017)年ごろの赤田川は、私自身が観察した限り、見た目としては平成28(2016)年5月ごろとあまり変わっていませんでした。これは、上記結論にある通り、「河川への汚濁成分の流入が短時間に集中していると考えられる今回のようなケースでは、通常の水質検査では、汚濁状況を十分把握することが困難である」ため、著しい水質汚濁が検知される以前から、水質調査で把握されないまま、ひどい水質汚濁が進んでいたからだと考えられます。

    少なくとも、平成29(2017)年11月の木津川市赤田川水質汚濁状況報告等(乙15)において、赤田川の水質汚濁源が村田養豚場付近であることまでは特定していることは、赤田川の水質汚濁源が村田養豚場であると疑われていることの妥当性を補強しこそすれ、否定するものではないと言えます。

  11. 平成29(2017)年12月8日、EC連続モニタリング調査を再開しました。すると夜間のピークが消え、10時と14時にピークが現れるようになっていました(乙19)。

  12. 平成30(2018)年1月16日、村田養豚場が奈良県畜産課を通じ12月8日から22日のEC連続モニタリング調査の詳細について問い合わせています。木津川市はそれに回答しています(乙20)。

第27 平成19年に確定した赤田川北側の市道に関する市有土地境界確定図が修正された経緯

  1. 平成30年(2018)2月16日、奈良県が「養豚場は[不開示]の費用をかけて排水処理施設の改修を行う意向を示している」と連絡してきました(乙21)。

  2. 平成30(2018)年3月5日、奈良県から木津川市に以下の連絡がありました(乙22)。

    「村田養豚場の意向が変わり、排水対策の実施自体がどうなるかわからない状況になった。(養豚場が)過去から主張されている、木津川市の市道管理、水路管理、境界確定等の改善を改めて求められ、これらが整理されなければ、予定されていた排水対策は取りやめるという意向であった。本件について、関係行政機関(木津川市、京都府、奈良市)と話し合う場を求められ、これに奈良県も同席してほしいという意向であった。」

  3. 平成30(2018)年3月、原告は木津川市に対し数度にわたり文書を送っています(乙27)。この後、この文書がきっかけとなり、木津川市は平成19(2007)年の市有土地境界確定図を「修正」することを決定します。

  4. 平成30(2018)年3月ごろ、村田養豚場の駐車場へ上がる坂道の側溝を修理する工事を、原告と近しい関係にあると思われる〈建設業者H〉(乙67)が行っていました。この工事は、奈良市発注の水路修繕工事で、元請負業者は〈建設業者H〉ではありませんでした(乙68(5))。〈建設業者H〉はこれ以降、村田養豚場内での様々な工事を施工しています。(乙68(5)ー(14))

  5. 平成30(2018)年3月29日、赤田川水質汚濁に係る関係行政機関と村田養豚場の合同会議が開かれました。その中で原告は、村田養豚場における1日当たりの平均的な排水量が、規制対象とならない量であることを指摘した上で、村田養豚場の排水が法規制にかかる可能性がない以上、奈良県も奈良市も村田養豚場を指導することはできないのだから、木津川市が赤田川の水質調査を行って、奈良県や奈良市に結果を報告することに意味はなく、木津川市が水質調査を継続するのはおかしいと主張しています。原告は「村田養豚場は、基準を満たしており、BOD、CODは基準に含まれていない。河川の色で汚濁していると言えるのか。塩水を流してやろうか」とまで言い放っていますが、これなどは、とても「奈良を代表する」ブランド豚を生産する農場の発言とは思われません(乙24)。

  6. 平成30(2018)年4月16日から20日ごろ、村田養豚場の汚水貯留槽から豚舎西南端へ上る小さなスロープとスロープ脇の石垣が、〈建設業者H〉により修繕されました。汚水貯留槽脇の配電盤が撤去されコンクリートの台を作るための型枠が設置された。これらの工事が行われた時期は、木津川市が発注した国有水路修繕工事の工事期間に当たりますが、国有水路の修繕というよりは、村田養豚場の工事が行われているように見えました。また、国有水路工事の出来高報告書にある写真にこの時の工事の様子は含まれていません。〈建設業者H〉の小型バックホウは23日以降も汚水貯留槽近くに置かれていました。

    なお、この時修繕されたスロープと石垣は、この翌年村田養豚場の排水設備が改修された際、縦穴を作るために一部破壊されています。

  7. 平成30(2018)年5月8日から9日にかけ、興福寺で将棋の第76期名人戦があり、奈良ホテルが村田養豚場の生産するブランド豚「郷ポーク」を使用したメニューを羽生竜王と佐藤名人に提供しました。

  8. 平成30(2018)年5月13日、木津川市一帯に豪雨がありました。

  9. 平成30(2018)年5月15日から18日ごろ、〈建設業者H〉の黄色い中型バックホウが村田養豚場の西側にある水路の法面(長尾谷7、長尾谷4-丙など)を約80メートルに渡って掘削しました。

    この水路工事は木津川市の発注によるものでしたが、この水路工事の出来高報告書に、平成30(2018)年4月16日から20日に行われた工事のものとして添付されている写真は、実際には5月15日から18日ごろに行われた工事の写真です。

  10. 平成30(2018)年5月16日、私は村田養豚場の様子を見に行った際、村田養豚場の敷地ではない水路法面で掘削工事が始まったことに気がつきました。何のための工事かわからなかったため、以前のようにまたおかしな山林掘削工事が行われるのではないかと心配した私は、日を置かず翌日も現地を見に行きました。すると、午後2時半ごろ、パトライトのついた木津川市のピックアップトラックが、村田養豚場にやって来ました。中から木津川市職員と見られる男性が一人出て来て、車から刈り払い機を取り出し、それを持って掘削されたばかりの水路法面をとぼとぼと歩いて行きました。その男性は、掘削された法面の端まで来ると持っていた刈り払い機でそのあたりの草を刈り始めました。少しして〈村田商店代表乙の父〉氏と村田養豚場の従業員男性がその男性に近づいていきました。木津川市職員と見られる男性は、ペコペコしながら〈村田商店代表乙の父〉氏が指差す方向を確認していました。

    あとでわかったことですが、この木津川市職員は、木津川市管理課長の松本敏也氏でした。また〈村田商店代表乙の父〉氏が指差していたのは、木津川市加茂町西小長尾4ー丙と長尾4ー乙の境界と思われます。このあと、松本課長は、〈村田商店代表乙の父〉氏が指差したあたりの草を刈り、境界を示す赤白の測量ポールを立てていました。

  11. 私は木津川市職員がたった一人で村田養豚場を訪れ草刈りをしていたことを不審に思い、以前から何かあれば相談していた〈木津川市議O〉議員に、このことを伝えしました。〈木津川市議O〉議員は早速翌日の平成30(2018)年5月18日から動いてくださり、村田養豚場に来ていたピックアップトラックのナンバーが確かに木津川市所有のものと一致することを確認した後、木津川市の建設部長に事情を聞いてくださいました。建設部長は「国有水路の管理を市が行っているので、水路の土砂を除去している」と答えたとのことです。建設部長に呼び出された管理課の松本課長は、「昨日自分が草刈りをした」と自ら話したそうですが、関わらないでほしそうにしていたとのことでした。

  12. 平成30(2018)年6月7日、村田養豚場の赤田川を挟んで北側の土地に関する市有土地境界確定図の修正について、木津川市が奈良市を訪問して協議を行い、この後修正作業が実際に始まりました(乙25)。木津川市は「長尾2と東鳴川町502の民々界が記載されていること(ヒゲ線だけで足りるのに)」と「奈良市側と思われる箇所にまで里道を作ったこと(奈良市・奈良市地元の了解を得ずに)」を修正する理由に挙げました。

  13. 平成30(2018)年8月10日、木津川市が、村田養豚場の赤田川を挟んで北側の土地に関する市有土地境界確定図から、東鳴川町502と長尾2の土地境界線を削除しました(乙27)。この時の木津川市も「境界線が、奈良市域まで入っている」「本件確定に関係のない民々界が記載されている」「方位の記載がない」ということを修正の理由としました。

    つまりこの市有土地境界確定図修正は、木津川市による奈良市側への越境確定が問題視されたために行われたものです。奈良市と連携して再確定手続きを進める上で必要とされたことから、木津川市で確定した確定線のうち、越境の可能性がある境界線を一旦未確定にしたのであって、境界線は「未確定ゆえ削除された」のではありません。

  14. 平成30(2018)年8月21日、奈良市より木津川市にファックスがあり、原告が市有土地境界確定図の追加修正を求めている旨連絡がありました(乙28)。

  15. 平成30(2018)年8月末から9月始めごろ、〈建設業者H〉が水路にコルゲート管を布設する工事や、法面の再掘削などを行いました。またこれと並行して〈建設業者H〉の小型バックホウにより汚水貯留槽が撤去され、素掘りの穴が掘られました。素掘りの穴の土留めには不要となった廃コルゲート管が使われていました。豚舎北西端の穴から水路下流へホースが伸び、ポンプで汚水を直接水路下流に流しているようでした。(乙68(1)乃至(3))

  16. 平成30(2018)年9月13日、木津川市の水路工事に不審な点があったため、〈木津川市議O〉議員が、木津川市の平成30年第3回定例会で、水路工事の総額、目的、期間について質問してくださいました。木津川市の答弁は、「4月に崩土除去工事を、6月から9月の工期で水路修繕工事を実施」したとしながら、工事期間ではなかったはずの5月の中ごろに草刈りをしていたことを認めるという、矛盾を孕んだものでした。

  17. 平成30(2018)年11月28日、木津川市は原告の求める追加修正を受け入れ、村田養豚場の赤田川を挟んで北側の土地に関する市有土地境界確定図から、木津川市道のうち、赤田川に架かる橋付近の土地境界線を削除し、当該市有土地境界確定図の修正を確定しました(乙28)。ただし、この修正には、必須であるはずの隣接所有者の同意書が提出されていません。そのため、私はこの修正は木津川市の「木津川市所管法定内公共用財産、法定外公共用財産及び市有地境界確定事務取扱要領」を逸脱していると考えています(乙30)。その一方で木津川市は、隣接地所有者ではない原告からは、修正に際していちいち確認を受けています。極めて異様な修正だと言わざるを得ません。

    なお、この時木津川市は、今後の方針として「上記の修正により推定線としたため、改めて確定線とするため、当該市有里道敷に市有水路敷(準用河川赤田川)も含め、既確定を考慮して、本市が申請人となって府県境確定を奈良県・奈良市に申請する」としており(甲7の2)、木津川市が修正前の既確定を尊重して、削除した境界線を奈良市とともに再確定する方針であることがわかります。修正に至るまでの経緯を考えると、これは当然のことと言えます。

第28 私が木津川市に不信感を持ち、情報公開請求を行ったことについて

  1. 修正が確定した日と同じ平成30(2018)年11月28日、木津川市は、おそらく原告からの求めに応じたのだと思いますが、私に一通のメールを送ってきました。私が「弥勒の道プロジェクト」ウェブサイト上の記事に掲載していた市有土地境界確定図は、里道境界と民々界を削除するなど、修正が行われたので、インターネット上の掲載について配慮をお願いしたいというのです(甲8)。

    これを読んだ私は、〈加茂町B〉さんからそのような話を聞いたことがなかったため、非常に驚きました。私は、〈加茂町B〉さんから何度も、里道をつなげておくことに対する強い思いを聞いていました。〈加茂町B〉さんは、里道隣接地の所有者として、村田養豚場の敷地の間にある道を、誰もが安心して通行できる状態に戻す責任があると考えておられるようでした。

    私は木津川市からのメールを読み、木津川市のいう修正が意味するところを、市有土地境界確定図で確認して、〈加茂町B〉さんが里道境界と民々界を削除するような 修正を許容するはずがないと思いました。私はすぐに〈加茂町B〉さんに連絡を取り、木津川市から市有土地境界確定図を修正したというような話があったか確認しました。すると〈加茂町B〉さんは、「6月ごろに、木津川市の管理課長が、奈良市と道をつなげるために市有土地境界確定図を修正したいと言ってきたので、そういうことならかまわないと言ったが、修正が完了したとは聞いていない。隣接地所有者の同意なしに、そんなことをできるはずがない」と言いました。それで私は、木津川市管理課のメールにますます不信感を持ちました。私は木津川市管理課に、詳細を説明をするよう求めましたが、その後木津川市管理課からは返事がありませんでした。

  2. 【FACT2-(2)】平成30(2018)年12月2日、私は、平成27(2015)年11月4日に村田養豚場の敷地の間の道を通り抜け、〈村田商店代表乙の父〉氏に脅された人物と、初めて実際にお会いしました。この方と私の年齢はそれほど近くなく、古い道や遺跡、石造物などを訪ねるのが好きなこと以外、共通点はほとんどありません。この時私は、村田養豚場の敷地の間の道を通り抜けた時のことを、改めて伺いました。この方がおっしゃるには、「最初ここは立ち入り禁止だと言われ押し問答になった。たまたま二人ほど保健所の職員がいて、〈原告〉はその人たちにも名前を聞けと言っていた。養豚場を通り抜けたあとも、〈原告〉は林の入り口のところまでついてきた。県道へ抜ける道も通行禁止だと主張していた。山の中へ入れ、戻ってこれると思うなよと脅された。山の中を進みながら振り返ると、林の入り口でタバコをふかしながら戻ってこないか監視している様子が見えた」とのことでした。

    この日も私は浄瑠璃寺付近で犬を見かけました。周辺住民の方に聞くと、相変わらず、村田養豚場が放し飼いにしている犬が頻繁にやって来ているとのことでした。

  3. 2ヶ月待っても木津川市から市有土地境界確定図修正の事情について返答がなかっため、平成31(2019)年2月1日、私は木津川市に対し、市有土地境界確定図の修正に関する行政文書と、かねてより不審に思っていた村田養豚場西の国有水路で行われた工事に関する行政文書、それから赤田川の水質に関する行政文書について、開示請求を行いました。同時に京都府に対しても、赤田川の水質に関する行政文書及び浄瑠璃寺周辺の徘徊犬に関する行政文書の開示請求を行いました。いずれも対象となる文書が多かったため、数週間から二ヶ月の開示延長となりました。

第29 〈村田商店代表乙〉氏が多数の犬を一度に登録していたことついて

  1. 平成31(2019)年2月14日、〈村田商店代表乙〉氏と見られる人物が、京都府山城南保健所が捕獲した犬を引き取っています。浄瑠璃寺野犬についての経過文書(乙51)に「飼い主娘」に返還したとあることから、この人物は〈村田商店代表乙〉氏であると推定できます。

  2. そしてこの6日後の2月20日、原告とみられる人物が奈良市保健所を訪れ、犬を登録しています(乙33:平成31(2019)年2月20日付の記事)。

    のちにこのことがわかる奈良市保健所の経過文書が開示された際、奈良市保健所犬担当の浦久保氏が、私に口頭で情報提供したところによると、この時の登録は多かったとのことでした。私の「10頭程度か」との問いに、浦久保氏は「そんなような数です」と答えました。

    平成31(2019)年2月14日の犬の返還は、約一年ぶりのことで、京都府山城南保健所では、その一年の間に11頭の首輪のない徘徊犬を捕獲し、淡々と処分していました。もし原告が2月14日にその事実を初めて知ったとすると、それ以上犬が減るのを避けるため、多数の犬を一度に登録しようとしたとも考えられます。

    【FACT2-(1)】いずれにせよ原告の都合次第で、多数の犬が突然登録され得るのであれば、村田養豚場周辺の徘徊犬が、原告の飼い犬であるかどうかは、ただ原告の心のうちにあるというほかはありません。これではその犬が飼い犬かどうか、他者が見分けることは不可能です。外形的には、どの犬にも餌が与えられており、首輪のあるなしに拘わらず、どの犬も、村田養豚場が放し飼いにしている犬に見えます。

第30 原告からの「ご通知書」到達後、私が関係者に再確認した事について

  1. 平成31(2019)年3月2日、原告の代理人弁護士から、私がインターネット上に公開している「奈良ブランド豚肉『郷Pork(郷ポーク)』について知るべきこと」と題する記事を削除するよう求める「ご通知書」が、私宛ての内容証明郵便で届きました。私は、ご通知書の内容とは別に、原告の代理人弁護士が、たまたま私が傍聴した、平成28(2016)年8月3日に開かれた奈良市クリーンセンター計画策定委員会で、しきりに「養豚場の女性が」云々と話していた、弁護士の〈原告代理人弁護士〉委員であったことに目が丸くなりました。

    【FACT1-(1)-②】ところで原告は、〈東鳴川C〉氏との裁判の後も、東鳴川町502の賃貸契約が継続していたと主張していますが、この日私に届いたご通知書にはそのことが明確には書かれていませんでした(乙1)。例えば、端的に「東鳴川町502については、現在も〈東鳴川C〉氏との間に賃貸借契約が存在しています」とでも書けば良いところ、ご通知書にはそう書いていなかったのです。このことは私には不自然に思えます。

    【FACT2-(1)】また原告は、ご通知書では「犬を違法に放し飼いしておらず、檻の中で飼育している」としていました。しかしのちの訴状では「犬の一部を檻から放すことはある」としていて、原告はむしろ放し飼いの存在を認める記述に変えています。このことには、本裁判を通じ、危険な犬の多頭放し飼いを正当化しようという、原告の戦略的な意図が感じられます。このような原告の態度は、村田養豚場周辺の地域社会にとって脅威以外のなにものでもありません。

  2. 【FACT1-(1)-②】私は、ご通知書が届いた3月2日のうちに、〈東鳴川C〉氏の携帯電話に電話をかけました。私は〈東鳴川C〉氏と以前お会いした時に、互いの携帯電話番号を交換していました。この時〈東鳴川C〉氏は、次のような話をしてくださいました。

    「確かに去年の7月に木津川市の職員が来た。何を話したかはよく覚えていない。杭の位置がどうとか言っていたが、そのあとは何もない。もし境界が消されたなら、それはおかしな話だ。

    〈原告〉に今は東鳴川町502の使用権はない。裁判では山林掘削時に〈原告〉の使用権があったということになった。でも今現在は賃貸契約などはない。駐車場に使うのは構わないと言ったことはあるかもしれない。小屋やゴミは片付けてもらわないと困る。」

    後段については、私が以前お聞きしたこととほぼ同じ内容です。

  3. 【FACT1-(1)-①】なお原告が、私に対し、本件記事を特定できる形で、本件記事の削除を求めてきたのは、平成31(2019)年3月1日に、原告が内容証明郵便で送付したこのご通知書(乙1)が最初です。それまで私は、原告から、本件記事のURLはおろかタイトルすら指定されたことがありません。

  4. 平成31(2019)年3月11日、私は奈良地方裁判所を訪れ、念のため原告と〈東鳴川C〉氏の間で行われた裁判の判決を閲覧しました。

  5. 平成31(2019)年3月14日、私は原告の指摘が当たらない旨を述べた返答書を、原告の代理人弁護士に内容証明郵便で送りました(乙3)。

第31 私が木津川市が行なった国有水路工事などに強い不信感を抱いた理由について

  1. その帰りがけ、私は〈加茂町B〉さんのご自宅に伺い、お話を伺いました。〈加茂町B〉さんは、その少し前に、境界修正について聞くため、奈良市役所と木津川市役所を訪れたとのことでした。

    〈加茂町B〉さんが、奈良市役所で里道の境界確定がどうなっているのか聞いたところ、「もし修正する場合には、地権者に全員集まってもらって、もう一度現場を確認することが必要」との返事だったそうです。

    その後、〈加茂町B〉さんは木津川市役所を訪れて、「6月ぐらいに修正したいと言っていたが、もう年度末だけれど進んでいるのか」と聞いたそうです。すると、管理課の松本課長が出てきて「奈良との相談が進んでいないので、まだ変えていない。変える場合には地権者の皆さんに集まってもらって確認をお願いすることになる」と返事したとのことでした。

    私は、奈良市と木津川市が、〈加茂町B〉さんには、市有地境界確定図が修正されていないと説明したことに非常に驚きました。両市が〈加茂町B〉さんにどう説明したのか実際のところはわかりませんが、少なくとも、〈加茂町B〉さんがそう受け取るような説明をしたということです。しかし、〈加茂町B〉さんが、木津川市と奈良市の説明に安堵している様子だったので、私も当面様子を見ることにしました。

    というのも、私はこの頃までに、村田養豚場が掘削した山林の所有者らが、京都側と奈良側それぞれで、土地を売らない約束を書面でかわし、その写しを京都側と奈良側で交換して、関係者間で、村田養豚場に対しては土地を売らないし貸すこともしないことの保証としていたことを、〈加茂町B〉さんから聞いていました(乙80の1及び)。そのため私には、〈東鳴川C〉氏がそう簡単に村田養豚場に土地を売ったり貸したりすると思えなかったので、今現在、市有土地境界確定図から里道や民々界が消されていたとしても、将来〈加茂町B〉さんと〈東鳴川C〉氏が、正式に境界を再確定すれば、結局修正前と同じ位置に境界が復元されるだろうことは確実と思われました。土地境界が図面上一時的に削除されたとしても、過去に交わされた土地所有者間の合意が覆るわけではないのですから、私は境界が削除されたことに、それほど大きな影響力があるようには思わなかったのです。今思えばこのときは事態を甘く見ていたと思います。

  2. 平成31(2019)年3月ごろから、木津川市と京都府に開示請求をしていた行政文書が、相次いで開示されました。

  3. この中で私は、木津川市が行った国有水路工事に不審な点が多々あることに気がつきました。国有水路工事の出来高報告書(乙66)によると、国有水路工事は随意契約によるいわゆる単価契約で、当初こそ70万2000円の見積もりでしたが、6月5日の第一回変更で318万6000円もの費用が追加され、総額で388万8000円が支出されていました。これは木津川市の随意契約に関する発注基準を逸脱していると考えられました。また第一回変更は5月13日の豪雨を理由としていましたが、4月に行われたとされる工事は、実際にはその後5月の15日から18日ごろに行われていたわけで、この理由づけも不可解でした。工事を元請負業者と異なる業者が施工している点も不審でした。しかも下請業者が存在するにも拘わらず、この工事には施工体制台帳が提出されておらず、その上、出来高報告書には日報が一切含まれていませんでした。そのため私は、この工事は違法な一括下請負に該当する可能性が高いと考えました。

    こうしたことから、私はこの国有水路工事についても、境界修正同様、木津川市が相当な無理を重ねて実現したもののように思いました。そしてそのことには、平成30(2018)年3ごろに、村田養豚場が「過去から主張されている、木津川市の市道管理、水路管理、境界確定等の改善を改めて求められ、これらが整理されなければ、予定されていた排水対策は取りやめる」という態度をとるようになったことが、密接に関係していると思われました。そうでなければ、法や規則を逸脱することを厭わない、木津川市の不可解な振る舞いに説明がつかないからです。

  4. 開示された行政文書を確認した私は、木津川市全体に対する不信感をいっそう強めました。これ以降私は、村田養豚場の問題に関連する行政文書を可能な限り全て取り寄せています。私はこれより前にも、市有土地境界確定図や公図、登記簿、木津川市議会議事録などは、それぞれ関心を持った時に随時入手していましたが、特に断りがない限り、準備書面と本陳述書が依拠している行政文書については、この時以降に入手したものです。

第32 原告が改修した排水設備が安定して稼働していないように見えることについて

  1. さて前述の国有水路工事が完了したにも拘わらず、原告は、平成31(2019)年3月から4月にかけ、奈良県を通じてさかんに、木津川市に対し、追加の水路工事を求めていました(乙62乃至65)。

  2. しかし結局、特に支障なく、平成31(2019)年4月末ごろから新しい排水設備を作る工事が始まり、6月中旬ごろには、完成した排水設備が稼働し始めました(乙68)。新しい排水設備の工事を施工したのは、木津川市の水路工事を施工したのと同じ、大和郡山市の〈建設業者H〉でした。

  3. なお木津川市は、村田養豚場の排水設備について、その後も奈良県あるいは奈良市から詳細を一切知らされておらず、京都府からも何の情報提供もないとのことで、実態をほとんど把握していません(乙119:3頁)。そのため、令和元(2019)年5月13日に開かれた地元説明会でも、木津川市が説明に苦慮している様子が見られます(乙69)。

  4. また新しい排水設備は、その作りが極めて粗雑で、これが本当に原告の主張する通り、京都府畜産センターの指導を受けて作られた(甲17)ものなのか、にわかに信じがたいものです。この排水設備は完成した後にも何度か配管が変わっていますが(乙72)、特に縦穴から最初の振動ふるいに汚水を流し込むパイプには不具合が発生しやすいようで、原告が、排水設備が完成したとする令和元(2019)年10月以降も、このパイプは何度も取り外されています。新しい排水設備は、未だ安定して稼働しているようには見えません。

第33 木津署が施設の出入りが不便になるという理由で市道を門扉で封鎖することは原告の「身勝手」だと指摘していたことについて

  1. 令和元(2019)年5月7日、木津川市が、市道を封鎖する防護柵門扉を許可するかどうか、木津署と協議を行いました。この席で木津署交通課は「公道を遮断し、通行権を制限するには相当の事情が必要と考える。電気柵設置でイノシシ等野生動物の侵入を防ぐのであれば、豚舎等養豚場施設のみを包囲し、公道部分を解放することができるはずである。施設への出入りが不便になるという言い分は、申請者の身勝手である」と指摘しています(乙75)。私は、「申請者の身勝手」と断じるこの時点での木津署交通課の判断を全面的に支持します。

    【FACT3】ところで木津署交通課の発言からは、原告が、「施設への出入りが不便になる」ことを理由に、公道部分を解放する形で防護柵を設置することはできないと主張していたことがうかがえます。しかしこの「施設への出入りが不便になる」という原告の主張は、1日10分程度、食品残渣の積み下ろしのために路上で作業をしているだけだとする、FACT.3争点表における原告の主張(33)とは明らかに矛盾しています。もし本当に原告が、1日10分程度しか路上で作業していないのであれば、「豚舎等養豚場施設のみを包囲」して「公道部分を解放」しても大した不便は発生しないはずです。「施設への出入りが不便になる」という原告の主張は、実際には公道に重機が頻繁に出入りしているということを、原告自ら告白したものだと言えます。

第34 原告が本訴訟提起後に東鳴川町502を購入したことについて

  1. 令和元(2019)年7月18日、原告が本訴訟を提起しました。

  2. 令和元(2019)年8月8日、原告は、この日〈東鳴川C〉氏に東鳴川町502について2年半分の賃料を支払ったと主張しています。

    なるほど確かに、原告が提出した令和元(2019)年8月8日付けの領収書には、賃料の対象となる賃借期間として、それぞれ、「2017年1月〜12月」(甲12の1)、「2018年1月〜12月」(甲12の2)、「2019年1月〜6月」(甲12の3)と付記されています。

    しかし、元々の東鳴川町502の賃貸借契約においては、賃料の支払いは、3月1日から翌年の2月末日までの先払いと規定されています(甲4)。しかも〈東鳴川C〉氏は、令和元(2019)年8月末に、原告に本件土地1を売却する予定となっていたのですから、令和元(2019)年分を、賃貸借契約の通り 、半年分として「2019年3月〜8月」とした方が、賃貸借期間と売却時期とが連続し、都合がよいと考えられます。

    【FACT1-(1)-②】ところが、前述の通り、実際の領収書ではそうなっておらず、賃貸借契約に規定された賃貸借期間を無視して、年末ごとに支払いが区切られています。すなわち賃貸借期間が賃貸借契約とは別のものに変わっているのです。したがって、令和元(2019)年8月に、過去に遡った賃料の支払いが一部なされたのだとしても、そのことが直ちに東鳴川町502の賃貸借契約が継続していたことを示すとは考えられません。これらはむしろ賃貸借契約が断絶していたことの証拠であるとさえ言えます。

    加えて、すでに手放すことが決定している土地について、これまでも使っていたのは事実だからと、土地の購入代金とは別に、数年分の賃料を払いたいと、買主から申し出られた場合、売主である〈東鳴川C〉氏にこれを断る理由がないのは当然です。このような、売却交渉成立後に追加で支払われた賃料に、賃貸借契約の継続を認定する効力があるとは、到底考えられません。

    また、この領収書の宛名は「(株)村田商店」となっていますが、賃貸借契約の賃借人は「〈村田商店代表乙の父〉」です。

第35 東鳴川町502売却後に〈東鳴川C〉さんが語ったことについて

  1. 【FACT1-(1)-②】令和元(2019)年8月9日、原告からの訴状が私の自宅に届きました。そこで私は、〈東鳴川C〉氏に、改めて賃貸借契約の有無等について電話で確認しました。〈東鳴川C〉氏は私に次のように話してくださいました。

    「東鳴川町502土地は8月の末に〈原告〉に売却することになっている。〈原告〉がまた借りるということにしても永久に借りることになるから、どうせなら売ってほしいというので、そこまで売ってほしいならということになった。夏までに、奈良側の隣接所有者とは境界を確定した。〈原告〉が言うには、今までも使ってきたのは事実だから、今まで賃借していたことにして、その分の賃料を払いたいとのことで、今までの賃料数年分と、今年の分は半年分を、8月初め頃に払ってもらった。京都側の境界は〈原告〉が木津川市と相談しているというので、知らない。京都側のことはよくわからないが、〈原告〉は木津川市とは市道の買い取りについても相談していると言っていた。〈加茂町B〉さんが何か言ってきても、〈原告〉が対応するということになっている。」

    これを聞いた私は、東鳴川町502が原告に売却されたことに衝撃を受け、すぐに〈加茂町B〉さんにも連絡しました。〈加茂町B〉さんは、売却のことは何も知らされていないとのことでした。

    また〈東鳴川C〉氏のお話によれば、原告は土地の購入にあたり、土地を借りていない前提で、交渉を進めていたと考えられます。

  2. 【FACT1-(1)-②】令和元(2019)年8月16日、〈加茂町B〉さんと、〈加茂町B〉さんから相談を受けていた木津川市の〈木津川市議P〉議員が、〈東鳴川C〉氏の自宅を訪れ、東鳴川町502売却の事情について、詳細を聞き取りました。〈木津川市議P〉議員によれば、このとき〈東鳴川C〉氏は「去年までは〈原告〉も何も言って来なかったが、今年の2・3月くらいから頻繁に電話がかかって来た。最初は「新しい豚小屋を造るので資材置き場として土地を貸してほしい」という話だった。しかし以前の事があるので、一度貸したら永久に使われかねない。そこで「貸すつもりはない。資材も置くな」と返事をしたところ、しばらくして「買い取りたい」と言ってきた。養豚場の娘が土地購入の交渉にやってきた。」と話していたとのことです。

第36 浄瑠璃寺庭園保存修理事業報告書に課題として「古道の実質的な封鎖」と記載されていることについて

  1. 【FACT3】株式会社都市景観設計と木津川市文化財保護課が編集・執筆を担当した、令和元(2019)年8月19日発行の「特別名勝及び史跡浄瑠璃寺庭園保存修理事業報告書II(保存修理工事編)」の「第5章 今後の課題」に、「2 活用上の課題」として、「奈良県側の悪質な土地利用による古道の実質的な封鎖」が挙げられています。(乙102

    私が担当者にこの記述について伺ったところ、「将来、現状の検証のために必要となるので、現時点での課題を全て書いておくことにした」とのことでした。

第37 令和元(2019)年9月11に、状況に大きな変化があったことを受け、私が本件記事の内容を一部変更したことについて

  1. 東鳴川町502が原告に売却されるなど、本件記事記載の事実に大きな変化があったため、令和元(2019)年9月11日に、私は記事の内容を一部修正しました。具体的には、本件記事に東鳴川町502が原告に売却されたことを追記し、本件記事のうち、東鳴川町502が村田養豚場の敷地ではないことを前提とした記述については、現在では状況が変わっていることを明記しました。また私は、原告が訴状において、本件記事に根拠がないと主張していたことを踏まえ、本件記事記載の事実の根拠となる写真や動画、行政文書を、本件記事に多数追記しました。

    なお、平成28(2016)年6月に私が本件記事をインターネット上に公開して以降この時まで、本件記事記載の事実に大きな変化はなかったため、誤字脱字を修正した以外、この間、私は一切本件記事を変更しておらず、私が本件記事の内容を本件記事公開後に「エスカレート」させた事実はありません。

    また令和元(2019)年9月11日以降、私は、原告被告双方の準備書面及び書証の全てを、仮名化の上、本件記事に付属する「裁判編」として、随時インターネット上に公開しています。したがって、正確な原告の主張とその根拠については、現在誰もが自由に閲覧できる状態にあります。当初、原告代表の氏名は仮名化していませんでしたが、原告が代表の氏名を公開することがプライバシー権の侵害にあたるとして強く抗議してきたため、本来法人にプライバシー権はないと考えられますが、抗議を考慮して、原告代表の氏名についても仮名化する対応を取りました。なお、本件記事付属の裁判編では、私自身の氏名については仮名化していません。

    裁判編の公開に伴い、原告が証拠として提出した、〈東鳴川C〉さんと原告が争った裁判の判決(甲5甲6)についても、仮名化処理の上、インターネット上に公開しました。私は、本件記事の中で、原告と〈東鳴川C〉氏が争った裁判に触れている箇所に、判決の概略とともに、判決全文を記載したウェブページへのリンクを追記し、読者に判決の詳細を確認するよう促してもいます。

第38 東鳴川町502売却後に〈東鳴川C〉さんが〈加茂町B〉さんに語ったことについて

  1. 令和元(2019)年11月ごろ、私が〈加茂町B〉さんから聞き取ったところによると、〈東鳴川C〉氏は〈加茂町B〉さんと話をした際、東鳴川町502の売買に関して、原告からそれまでとは異なる好条件を提示されたと言っていたそうです。さらに〈東鳴川C〉氏は、「当初は10年の分割払いという話だったが、それでは10年先まで本当に支払われるかわからないため、一括払いを要求したところ、すでに全額振り込まれている」とも語っていたそうです。〈東鳴川C〉氏は、具体的な金額については、〈加茂町B〉さんに話さなかったものの、裁判などに費やした額程度は最低限取り返せたとして、それなりに満足している様子ではあったといいます。

    また、「東鳴川町502売却にあたり、〈東鳴川C〉氏と土地不譲渡確約書を交わしていた隣接する東鳴川町501共同所有者らから、東鳴川町502と東鳴川町501の土地境界を法的に確定しない限り、売却は認めないと強く言われたが、原告が土地境界確定の費用を全額負担することになったので、令和元(2019)年夏ごろまでに関係者が立ち会って土地境界が確定され、売却が可能になった」とのことでした。その一方、京都側の長尾2の共同所有者らには、事前に土地売却の話は一切伝えられませんでした。

第39 原告が東鳴川町502購入後に土地境界に争いを引き起こしたことについて

  1. 原告は、令和元(2019)年10月7日付けで、豚コレラ対策として、イノシシ侵入防止のための防護柵を、長尾2に越境する形で、東鳴川町502の周囲に設置する旨、〈加茂町B〉さんら本件土地2共同所有者全員に通知しました(乙84の1)。

    【FACT1-(2)】この通知書の中で原告は、防護柵位置が長尾2に越境する形となっていることについて、東鳴川町502と長尾2の土地境界が未確定であるという、本訴訟と同様の主張をした上で、公図などを参考に防護柵の位置を決めたと説明しています。しかし一方で原告は、防護柵の位置が土地境界であるとも府県境であるとも考えていないとしています。

  2. これを受け、長尾2共同所有者らは、令和元(2019)年10月20日、原告に対し、長尾2に越境して防護柵を設置しないよう求める内容証明郵便を送付しました(乙84の2)。なお東鳴川町502と長尾2の土地境界に争いがあることが明らかとなったのは、これが最初です。すなわち、東鳴川町502と長尾2の土地境界を巡る争いは、原告が本訴訟提起後に、東鳴川町502を取得したあと、原告自身が引き起こしたものです。

    この返答で長尾2共同所有者らが求めていたのは、長尾2に越境して置かれているものの撤去と、長尾2に越境して防護柵を設置しないことであり、長尾2共同所有者らは、防護柵の設置そのものには、反対していませんでした。原告が防護柵を設置する場合は、東鳴川町502前所有者である〈東鳴川C〉氏と長尾2共同所有者が合意した土地境界、すなわち平成19(2007)年11月20日確定の市有土地境界確定図にある土地境界を越えないよう、求めていただけです。

    ところが原告は、令和元(2019)年11月28日に、京都府畜産課と木津川市農政課にファックスを送り、長尾2共同所有者らが、原告による防護柵設置そのものを了承していないかのように訴え、「対応」を依頼しています(乙84の3)。

    このファックスには、長尾2共同所有者らが原告に送った内容証明郵便が添付されていますが、一枚目のみの添付となっており、長尾2共同所有者らが、原告による防護柵設置そのものには反対していないことがわかる二枚目が省略されています。原告による、こうした姑息とも言える行政への働きかけには、長尾2の土地に対する、原告の強い執着が表れていると考えられます。

  3. 【FACT1-(2)】これは言うまでもないことですが、長尾2共同所有者らは、市有土地境界確定図にある府県境が、〈東鳴川C〉氏と合意した土地境界であると認識しており、これまで法的手段に訴えなかったのは、土地不譲渡確約書と市有土地境界確定図によって、長尾2を原告から守りつつ、代替わりに期待して、越境物を撤去し土地境界を守るよう、いずれは原告を説得できるであろうと考えていたためです。

    そもそも、山林掘削が〈村田商店代表乙の父〉氏への代替わりの後起きているということを思えば、次の代替わりに期待することは全く不自然な考えではありません。

    しかし防護柵の一件で、少なくとも表向きは代替わりしたにも拘わらず、次の〈村田商店代表乙〉氏にも期待が持てないとはっきりしたため、前述の通り、令和元(2019)年10月20日には、長尾2共同所有者らは、内容証明郵便で、原告に対し、越境して柵をしないことに加え、越境して置かれているものを全て撤去するよう求めています(乙84の2)。また後述するように、防護柵が設置されたのちにも、長尾2共同所有者らは、原告に対し同様の要求を行なっています(乙84の5)。

  4. 令和元(2019)年12月16日に、ようやく再確定部分の復元測量が行われました。この復元測量を受け、木津川市と奈良市は、令和元(2019)年12月23日に、再確定に関する協議を行いました。このとき木津川市は、「点番号201が、両地権者で確認した点である」として、本件原確定境界に従い、点番号201を動かさずそのまま再確定する方針を説明していますが、奈良市はそれを了解しています(乙105ー2頁)。

  5. しかし、木津川市が、令和元(2019)年12月16日に行った測量では、赤田川南岸の府県境が、昭和58(1983)年10月に確定した国有水路境界確定図(乙105-10頁)とは全く異なる位置に、復元されました(乙110)。

  6. 令和元(2019)年12月27日、原告は、奈良県畜産課、奈良市土木管理課、京都府山城家畜保健衛生所、木津川市管理課を、一堂に集め、長尾2共同所有者を説得して、原告の計画通りに防護柵を設置することを、長尾2共同所有者に認めさせるよう、協力を依頼しました。

    これに対し奈良県は、「自分の土地で明らかな位置に張るのはどうか」と原告に提案しました。また、木津川市も「平成19(2007)年確定の所に柵を張るのであれば、隣接地権者は異議がないと思う」と指摘し、原告の協力依頼に応じることはできないとしました(乙106)。

  7. ところが原告は、こうした関連行政機関からの説得を無視し、令和2(2020)年1月6日付けで、長尾2共同所有者に宛てて、長尾2に越境する形で防護柵を設置することを、一方的に通告する文書を送付しました。

    この文書においても、原告は、「フェンス柵の設置場所は(中略)民民境界及び府県境界及び里道境界及び赤田川の府県境界ではないと考えております」と述べ、公図等を参考にしながら、境界ではないと考えるところに防護柵を設置するという、不可解な主張をしています。

    しかし一方で原告は、「今後、赤田川の境界(府県境)・里道確定(府県境)等が、確定され、確定位置よりフェンスの設置位置がずれていた場合、速やかに確定位置にフェンスの設置位置を移動させます」と述べ、フェンスの設置位置が、行政界が再確定されるまでの暫定的なものである旨、釈明していました(乙107)。

  8. そして実際に、令和2(2020)年1月10日ごろ、長尾2共同所有者らの抗議にも拘わらず、原告は、村田養豚場を囲う防護柵を、長尾2に越境する形で強行設置しました(乙84の4)。当然、長尾2共同所有者は、これに対し連名で、越境して設置された防護柵を撤去するよう、改めて要求しています(乙84の5)。

    この時原告が設置を強行した防護柵は、木津川市が再確定を進めている木津川市道を横切っており、防護柵の門扉についても、木津川市道を半ば塞ぐ位置に設置されています(乙109)。そのため現在、再確定図にある木津川市道を正しく通行することは誰にもできない状態となっています。

  9. しかも原告は、長尾2に防護柵を設置した直後から、令和2(2020)年1月末頃まで、市道上の門扉に以下のように書かれた看板を掲げていました(乙130)。

    「家畜伝染病予防のため
    ・1週間以内に海外から入国した方の立ち入りを固くお断りします。
    ・4ヶ月以内に海外で使用した衣服や靴の持ち込みは禁止です。
    ・車両および靴底の消毒、立入記録ノートへの記帳をお願いします。」

    上記掲示は、木津川市道を衛生管理区域として扱うことを既成事実化しようと目論むものだとも考えられます。このような掲示が、門扉設置に係る木津川市の占用許可条件に反することは明らかです。

    そのため、おそらく木津川市あるいは奈良県から何らかの指導があり、令和2(2020)年1月末頃までには、通行人に消毒や記帳を求める上記掲示は、市道上の門扉から全て撤去されました。しかしこの一件は、原告が、木津川市道の衛生管理区域化をいまだ諦めていないことを示唆しています。

  10. 令和2(2020)年2月ごろ、〈加茂町B〉さんが、木津川市管理課の松本課長に対し、当初誤った位置に赤田川南岸の府県境を復元した理由について問い合わせたところ、松本課長は、原告が、赤田川南岸にある金属鋲が府県境を示す境界標で、絶対に位置が変わっていないと主張したので、赤田川南岸の府県境を、既設金属鋲の位置にしたと答えたそうです。しかしこれらの金属鋲が、偽の境界標であることは明らか(乙110)で、現地にこれらの金属鋲が存在したことには境界損壊罪の関与が疑われます。

  11. なお、木津川市が新たに書き込んだ赤田川南岸の府県境点もまた、昭和58(1983)年10月に確定した国有水路境界確定図(乙105-10頁)を正確に復元しているとは言い難いものでした(乙111の1)。私は、木津川市はより正確な位置に、赤田川南岸の府県境を復元するべきだと考えます(乙111の2)。

  12. 令和2(2020)年3月11日、木津川市は、平成19(2007)年に確定した市有土地境界確定図を、木津川市の手続きに瑕疵があったことから、平成30(2018)年に一部修正したことに関し、再度、正式な手続きを踏んでこれを再確定するにあたり、その状況を関係地権者に事前に確認するため、現地立ち会いを行いました。

    この現地立ち会いにおいて木津川市は、元の確定図の点番号106及び201を移動させることなくそのまま復元し、点番号106及び201が府県境になることを示しました。これについては、点番号106及び201が、平成19(2007)年に、東鳴川町502の当時の所有者と、長尾2共同所有者らで確認されたものであることが、その根拠とされました(乙108-2頁)。

  13. ところで、令和2(2020)年4月14日に開かれた木津川市と奈良県との協議において、奈良県畜産課の溝杭課長は、長尾2共同所有者の一人である〈加茂町B〉さんに対し、「事業者(原告)への売却すればと聞いた」ことを明かしています(乙115ー2頁。かっこ内は被告による補足)。

    このことは、少なくとも溝杭課長個人は、長尾2共同所有者らが主張するとおり、元の確定図にある境界が正当な土地境界であるということを前提として、原告が設置した防護柵が、長尾2に越境するものであると認識している可能性を示唆するものです。

    それにも拘わらず、奈良県は、原告の主張する防護柵の位置をそのまま認め、防護柵設置に係る補助金が交付されたと発言したのですから、〈加茂町B〉さんはもとより、原告が協力的でないため、市有土地境界確定図の再確定に困難を抱える結果となった木津川市が、奈良県に不信感を持つのは当然と言えます。

第40 防護柵設置後の村田養豚場の状況について

  1. 原告は、防護柵設置後の令和2(2020)年春ごろになっても、以前(乙56(11)〜(16))と変わらず、長尾2あるいは村田養豚場南の三叉路脇で、定期的にイノシシなど野生動物の餌となるものを撒いていました(乙126)。私の観察では、原告が餌を撒いてから数分以内に、イノシシが餌場に姿を現しており、村田養豚場周辺に生息するイノシシは、原告が餌が撒く時間を知っているか、餌場近辺からあまり移動せずに生活しているものと考えられました。

    なお村田養豚場周辺にいる徘徊犬は、野生イノシシが近くにいても吠えることはなく、せいぜい遠巻きに眺めるだけで、餌場付近に野生イノシシがいることにすっかり慣れてしまっていました(乙126:(2)(12)(21)(22)、乙128:(39))。私には、犬の存在が、野生イノシシ対策として、何か効果があるようには全く見えませんでした。

  2. この原告による餌撒きは、餌場とされている長尾2の所有者からすれば、所有地に生ゴミを投棄されているのと同じでことです。また、原告による餌撒きにより、周辺地域に生息するイノシシが増え、イノシシによる農作物被害が増えることも当然心配されました。そのため、長尾2共同所有者の一人である〈加茂町B〉さんは、令和元(2019)年秋頃から、原告及び奈良県畜産課に対し、餌撒き行為をやめさせるよう求めてきました(乙131:2頁)。しかし、原告の餌撒き行為はその後も続きました。

  3. 原告は、防護柵設置後も柵の外での犬の放し飼いを続けています。私は、令和2(2020)年3月18日に 、村田養豚場から1.2キロほど離れた、牛塚近くの里道でも、村田養豚場の敷地内にいたと思われる犬を目撃しました(乙128:(12)乃至(16))。また私は、令和2(2020)年4月6日に、村田商店代表の〈村田商店代表甲〉氏が、柵の外にいる首輪のない犬に餌を与えている様子を確認しています(乙128:(31)(32))。

  4. しかし原告に何らかの指導が入ったのか、令和2(2020)年5月初めごろから同年年末まで、赤田川北側の防護柵の外では、徘徊犬をほとんど見かけませんでした。その一方で村田養豚場南側の三叉路付近では、その後も数頭の犬が徘徊していることが多く、それらの犬は、原告が意図的に防護柵の外に配置しているようにも思われました(乙128:(47)(48)(50)(51)(54))。防護柵の外に首輪のある犬が徘徊していることもありました(乙128:(48)(50)(51))。

    一方で村田養豚場の敷地の間にある木津川市道とその周辺には、現在でも常に数頭から10頭ほどの徘徊犬がおり、一般人が当該市道を通行することに躊躇するような状況が、今なお続いています(乙122:3頁1枚目の写真、乙128乙141(10)(12)(16)(19)(21)(23)(24)(29))。

  5. また木津川市道上に設置された門扉は、占用許可条件の2(乙121:2頁)に反して、日中も閉じられていることが多く、これを開閉して当該市道を通行しようとすると、開閉に手間取る間に門扉周辺に多数の犬が集まってくるだろうことは容易に想像できます。この状況で、一般人が門扉を開けて当該市道を通行することは、極めて難しいと言えます。

  6. 私は、令和2(2020)年3月から6月にかけ、中ノ川町の山中にある府県境の道で、村田養豚場から引き返してきたという通行人に何度か遭遇しています。そのいずれの通行人も、私がどこから来たのか聞くと「府県境の道を奈良坂から浄瑠璃寺まで歩こうとしたが、途中で村田養豚場に行き当たり、路上に犬がいて怖かった上、市道上の門扉が閉まっていたため、村田養豚場の間にある里道を通り抜けられるようには思えず、やむなく引き返してきた」という趣旨のことをおっしゃいました。

    道路占用許可条件にある通り(乙121:2頁:3)、この当時、市道上の門扉に近づけば、確かに通り抜けられる旨が掲示されてはいましたが(乙122:2頁3枚目の写真)、遠目には看板に書かれていることを読み取ることが困難です(乙122:2頁1枚目の写真)。その上、市道上に門扉があり、その門扉の向こうで重機が往来しているとなると、市道としては明らかに不自然ですので、門扉にある掲示が、実際とは逆に、敷地に入らないよう求めるものだと推測し、門扉に近づく前に道を引き返す人が少なからずいたとしても、全く不思議はありません。

    ただし、門扉に取り付けられていた、通行できる旨書かれた看板は、その後劣化し現在ではそのほとんどが失われています。

    なお私が令和2(2020)年6月17日に遭遇した通行人は、「閉まっている扉のところまで行ってみたが、犬がたくさん寄ってきただけじゃなく、ややこしそうな奴が出てきたので、面倒なことになると困るから引き返した」と語っていました。このように、原告が市道上に設置した門扉は、一般人の通行を不当に阻害しているのです。

  7. 令和2(2020)年6月12日、イノシシの子供が多数繁殖していることに驚いた〈加茂町B〉さんらが、奈良県畜産課ではなく木津川市農政課に文書で申し入れをしました(乙131)。これにより、ようやく奈良県家畜保健衛生所から原告に何らかの指導が入り、それ以降、少なくとも赤田川の北側では、原告によって餌が撒かれた形跡は見られなくなりました。ちなみに、上記申し入れに際し、私は〈加茂町B〉さんに依頼され、要望書に添付する写真を提供しています(乙131:4頁)。

    この原告による餌撒きについては、京都府家畜保健衛生所が、木津川市からの問い合わせに対し、「飼養(衛生)管理基準上好ましくない」と回答しています(乙131:1頁担当者メモ。かっこ内は私による補足。)。それにも拘わらず、奈良県畜産課が、まさに餌を撒かれている隣接地の所有者当人から問い合わせを受けてなお、そのような「飼養(衛生)管理基準上好ましくない」行為を黙認し続けていたことは、全く理解に苦しみます。

  8. 原告がなぜ、野生イノシシの餌付けとも取れる「飼養(衛生)管理基準上好ましくない」行為を執拗に繰り返しているのか、その真の目的は不明ですが、意図的にイノシシを引き寄せ、イノシシが近寄ることを理由に、犬の放し飼いや、門扉による市道封鎖を正当化し、それらをより強化しようという目論見があるとも考えられます。したがって、そうした目論見を達成するために、今後、原告が時期を見計らい、餌撒きを再開することが心配されます。

  9. 令和2(2020)年7月31日、木津川市農政課が、当尾地区の要請を受け、赤田川北側の長尾2のあたりに、イノシシの捕獲檻を2基設置しました。これ以降しばらくの間、少なくとも私は、浄瑠璃寺側で犬を見かけなくなりました。私は、村田養豚場が長尾2に設置されたイノシシの捕獲檻に犬が入ってしまうことを恐れて、赤田川の北側では犬を防護柵の外に出さないよう注意しているのではないかと思いました。

  10. 令和2(2020)年11月中ごろ、理由は不明ですが、木津川市農政課が長尾2に設置していたイノシシの捕獲檻の運用が停止されました。この後、浄瑠璃寺側でも徘徊犬がしばしば目撃されるようになりました。

  11. 【FACT2-(1)】令和2(2020)年12月29日、私が、浄瑠璃寺の裏手の、赤門坂を上り切ったところにある峠から、石仏の道方面へ向かう道を、石仏の道側から浄瑠璃寺方向へ向かって歩いていた時、前方に6頭の犬が現れ、激しく吠えながら駆け寄ってきました(乙141(1))、写真の4頭の他に、もう2頭が奥の方にいました)。そのうち2頭は首輪をしていました(乙141(2))。私はこのあたりで犬に吠えられたのは久しぶりでしたので、少しびっくりしましたが、それでも私が怯まずに道を進むと、犬の群れは養豚場の方へ逃げて行きました(乙141(3))。

  12. 令和3(2021)年1月1日、この日私は中ノ川町の府県境の道を歩きました。この時も、養豚場の犬が6、7頭、中ノ川町の側に出てきているのが見えました(乙141(4))。

  13. このころ、私が浄瑠璃寺周辺で聞いたところでは、年末ごろから数頭の犬がうろついているとのことでした。私自身も年末以降、犬を頻繁に見るようになっていました。中ノ川町の山林でも5頭ほどの犬の群れが山の中の尾根筋を走っているのを見かけましたし、浄瑠璃寺近くの車道でも少し体が大きな黒茶の犬を見かけました(乙141(7))。その後も令和3(2021)年5月ごろまで、門扉の道路占用許可条件(日中は開扉する)に反して門扉が日中閉鎖されているにもかかわらず、防護柵の外に多数の犬が徘徊していました(乙141(1)〜(8)(11)(13)〜(15)(20)(25)(26)(28))。

    どういう理由があるのかわかりませんが、原告には、村田養豚場の周囲に多数の犬を徘徊させておくことに、強い執着があるものと思われます。

  14. 【FACT3】また原告は、以前(乙59)と全く変わらず、村田養豚場の敷地の間にある木津川市道で、重機を使った作業を日常的に行っています(乙122:2頁1枚目の写真、乙129乙141(9)(10)(12)(18)(21)(23)(27)(31)〜(34))。市道を安全に通ることができるとはとても思えない状況が今も続いています。

  15. なお和解条項案(12)でも指摘した通り、飼料保管小屋を養豚場北西の資材置き場(乙143)に移せば、現在木津川市道上で行われている作業を、休憩小屋南の広場で行うことが可能と考えられます(乙142)。原告は木津川市道上で作業を行わずに済む方法を考えるべきです。

  16. 加えて、2021(令和3)年6月2日ごろ、原告は赤田川北側の門扉を塞ぐ形で大きな飼料タンクを4基置きました(乙141(32))。そのため、人一人がやっとすり抜けられる程度の隙間はあるものの、通行が非常に困難な状態となっています(乙141(35)(36)(37))。

第41 おわりに

  1. 以上の通り、私は、本件記事公開に至るまでの間、村田養豚場をめぐるさまざまな問題について、関連行政機関に何度も相談をしています。地域の市議会議員に依頼して、木津川市議会で村田養豚場の問題を取り上げていただいたこともあります。また市議会議員さんのご尽力で、京都府のほか奈良県や奈良市の行政とも、問題解決へ向けた交渉をしていただきました。それでも、事態はほとんど改善しませんでした。そのため私は、それまでに私が確認していた事実に基づいて、本件記事をまとめ、それをインターネット上に公開しました。もはやこの問題を広く告発して世論に訴えるほか解決方法がないと考えたからです。しかし結局、私が本件記事に記載した村田養豚場の問題は何一つ解決しませんでした。

    また本件記事公開の後、赤田川の水質はいよいよ悪化し、下流地域や京都やましろJAからの水質改善要望を受けて、木津川市が本格的な調査を行い、市長自ら奈良県と奈良市に申し入れを行う事態ともなりました。その後、赤田川の水質は一時期より改善しましたが、いまだ環境基準を超える汚濁が検知されることが少なくなく、決して水質がきれいになったとは言えない状況です。しかし原告は、今なお排水設備の詳細を木津川市には伝えておらず、木津川市に対し非協力的な態度を貫いています。

  2. 私が本件記事で求めているのは、関連行政機関が原告を適切に指導することですが、私が関連行政機関に求めている指導内容を、原告に対する要求と読み替えたとしても、その内容はいずれも、「奈良を代表するブランド豚」を生産する農場ならば、法令と飼養衛生管理基準に照らし、地域との共存のため、当然のこととして受け入れてしかるべきものばかりです(甲2:67頁)。

  3. 私が、原告に直接何かを要求するのではなく、関連行政機関に、原告に対する適切な指導を求めているのは、原告自身が、犬の放し飼いなどについて、かねてより、行政に認められているから問題ないと主張していることに加え、何か問題が起きるたびに、住民自身が事業者と直接交渉することを強いられるのではなく、関連行政機関が住民に代わって、事業者に対し適切な指導を行うことの方が、住民にとって、より望ましい状態だと考えるためです。また、住民自身が事業者と交渉した結果、事業者が問題解決に動いたとしても、行政にその状態を保つ意志がなければ、すぐに問題のある状態に戻ってしまう可能性も考えられます。そもそも頻繁に嘘を織り交ぜる相手とは、まともな交渉は成立しません。この場合、何らかの指導権限を持つ行政機関でなければ、問題の解決は不可能でしょう。

  4. 加えて原告には、法的手段を用いた要求でなければ、一切聞く耳を持たず無視しても構わないとする態度がまま見られます。

    しかし一般に、法的手段に訴えることは、個人にとって、経済的にも精神的にも負担が極めて大きいと言えます。まして連続して裁判等を遂行することは、ほとんどの個人にとり、重すぎる負担です。その点で原告は資金力のある法人であり、裁判等法的手段を遂行する経済的資源あるいは人的資源を、個人より豊富に持つことは疑いようがありません。このように社会的にみて比較強者である側が、比較弱者に対し、何か要求があるのであれば、その都度法的手段を用いるべきだ、という立場をとることは、多くの場合、恫喝的に要求を拒絶するのと同じ効果を持ち、望ましいこととは言えません。このような態度が、「奈良を代表するブランド豚」を生産する農場に、全くふさわしいものではないことは明らかです。

  5. また原告は平成19(2007)年の市有土地境界確定図に不満があるようですが、市有土地境界確定図が原告の違法行為をやめさせるために確定されたという経緯を鑑みれば、原告には、当時の隣接土地所有者が同意した、市有土地境界確定図にある境界線を尊重する、道義的責任があると考えます。

    どのような事情があれ、原告が山林を掘削したことによって、それまで土地所有者間で土地境界として了解されていた地形上の目印が失われたことは事実です。したがって、土地所有者間で、失われた地形上の目印に替えて、新たな地形上の目印を頼りに、それまでと異なる土地境界線が同意されたことに対し、地形を失わせた原因者たる原告が、ことさら疑義を申し立てることは、道義にもとる行為だと言わなければなりません。少なくともそれは、「奈良を代表する」にふさわしい振る舞いではありません。

    そもそも原告が物理的に市道の通行を妨げていた期間だけを数えても、その合計は実に14年におよびます。元の市道が掘削工事によって原告に跡形もなく損壊された上に、その後もこれだけの期間にわたって原告が市道の通行を妨げてきたわけですから、たとえ村田養豚場周辺の市道が荒廃しているとしても、その責任の大部分は原告にあると言えます。

    木津川市等の市道管理責任を問う前に、原告には、草刈りなど市道の再整備に協力する道義的責任があるのではないでしょうか。市道が草むらに覆われがちなのは、原告が山林を掘削して平らにした、赤田川北のほんのわずかな区間にすぎません。原告は、道に迷った人を車に乗せて目的地に送り届けるよりも、その区間を草刈りするなど整備に努めた上で、わかりやすいところに道案内の立て札を立てた方が良いでしょう。

  6. また訴状によれば、原告は排水の水質に自信を持っていることがうかがえます。そうであるならば、相手が木津川市であれどこであれ、立ち入り調査を認めたとして何も支障はないはずです。今後原告は、木津川市の立ち入り調査を快く受け入れるとともに、排水設備に関する詳細な情報を自らすすんで木津川市に伝えるべきです。そうすれば、木津川市も、下流地域に対して、赤田川の水質改善見通しに関し具体的な説明ができるようになり、もし新しい排水設備が赤田川の水質改善に十分なものであるなら、それは下流地域の理解と安心につながるはずです。

  7. ところで原告は、本件記事を、私と原告の個人的な問題として矮小化しようとしているようにも思われます。しかし本件記事で私が指摘した問題は、いずれも村田養豚場周辺地域の安全と環境に、密接に関係しています。私の一存で何か取引できるような性質のものは一つもありません。

  8. 最後に、本件記事がインターネット上に公開されていることは、私にとっても決して望ましいことではないということを、指摘しておきたいと思います。本陳述書の前半で述べたように、私は、村田養豚場の敷地の間にある道を、誰もが安全に、躊躇することなく通れるようにしたいと考えています。「この道の周りには問題が多く、通行に支障がある」などと、できることなら広くお知らせしたくはないのです。

    赤田川の水質についても同じです。赤田川の水質が悪化していることは、地域にとって全く誇れることではありません。しかし現状では数ヶ月おきに、奥之院前や砂防ダムで、環境基準の5倍から8倍の水質汚濁(BOD)が検知されており、赤田川は決してきれいになったとは言えない状態です。それにも拘わらず、木津川市が十分な情報を入手できずにいる状態がいまだに継続しています。

    私は、もし本件記事で指摘している問題が解決すれば、その都度そのように追記したいと考えています。もちろんその「解決」は、詭弁やごまかしによる解決ではなく、当然のことながら、ほとぼりが覚めるまでの一時的な解決でもなく、持続する仕組みを備え、第三者が検証可能な解決でなければなりません。

    そうしていつか全ての問題が解決し、かつ、将来にわたって同種の問題が再発しないという確信が持てたならば、問題が完全に解決した旨、本件記事冒頭でしばらく告知したのち、本件記事全体を削除するということも当然あり得ます。私にとっても、それが最も望ましい未来だと言えます。しかし現状は、そのような状態からほど遠く、私としても大変残念に思っています。

以上