本編

FACT.1
絶え間ない
土地境界トラブル

 村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、2002年(平成14年)頃から賃借していた赤田川北側の山林を大きく掘削しはじめ、2004年(平成16年)には、隣接する京都府側の山林の所有者から、越境して掘削していると抗議されましたが、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は抗議を受け入れず、掘削は2007年(平成19年)まで続きました。その後も村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、土地境界あるいは土地使用をめぐるトラブルを次々と引き起こしています。

FACT.1 目次

赤田川北側の山林掘削

村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、村田商店現代表(〈村田商店代表乙〉氏)の祖父が1960年(昭和35年)ごろに奈良市法華寺町で創業した養豚場に始まりますが、周辺の住宅開発のため、1969年(昭和44年)ごろ、奈良市法華寺町から東鳴川町に移りました。飼料は、奈良県中央卸売市場で売れ残った野菜、麺工場が出荷を保留した麺、奈良ホテルなど奈良市周辺のホテルやレストラン、学校給食センター、ゴルフ場などから出た残飯などを使用しているといいます。村田養豚場(村田畜産/村田商店)の代表とその家族は、現在も東鳴川町には居住してはおらず、奈良市の平野部などから東鳴川町まで車で通っているため、東鳴川町周辺の地理や歴史にはあまりくわしくありません。

東鳴川町に移転した後、村田養豚場の創業者である村田商店現代表の祖父は、地元地域とも良好な関係を築いていたそうです。当会が東鳴川町にお住まいの方から聞いたお話では、創業者のころは正月に豚肉を配ってくれたりもしたといいます。ところが、1989年(平成元年)に創業者がくも膜下出血で倒れ、現代表の父が代表を引き継ぐと、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の性質は次第に変化していきました。そのことを最も強く印象づけたのが、2002年(平成14年)から始まった赤田川北側の山林掘削です。

山林掘削の経過

まず、村田養豚場の位置を確認しておきましょう。村田養豚場は京都府木津川市と奈良県奈良市の市境に接する位置にあり、主な敷地は奈良市側にあります。また村田養豚場は、木津川に流れ込む赤田側の上流で、赤田川に隣接しています。京都府木津川市の浄瑠璃寺からは、直線距離で南に約300mのあたりにあります。下Googleマップでは「村田畜産」と表示されている場所が村田養豚場です。

村田養豚場(村田畜産/村田商店)が掘削工事を始める前、赤田川北側の土地境界はおよそ下図のようになっていました。下図は1985年に国土地理院によって撮影された航空写真に、1971年に測量された国土基本図(薄い黒)と、1889年(明治22年)作成の鳴川村実測全図(黄緑)を重ね、山林掘削前の土地境界を復元したものです。鳴川村実測全図の正確性については、こちらをご覧ください

村田養豚場周辺の土地区画

上図のとおり、村田養豚場から赤田川を挟んで北側の山林には、西(左・川下)から、加茂町のAさんが所有する長尾谷1-乙、加茂町のBさんらが共同所有する長尾2、東鳴川町のCさんが所有する東鳴川町502、東鳴川町のDさんらが共同所有する東鳴川町501が並んでいます。山林掘削前、村田養豚場の所有地は、赤田川の南側にある市道(当時は加茂町道)の東側の川沿いに建てられた、東西に細長い豚舎があるあたりだけでした。上図は解像度が低いため、より広い範囲を含めた下図と見比べると、位置がわかりやすいかもしれません。

1985年の航空写真に国土基本図と尾根線推定線を重ねた合成図

山林掘削前に、当時の農場主で現村田商店代表の父である〈村田商店代表乙の父〉氏は、赤田川の北側にある土地のうち、東鳴川町502については土地所有者であるCさんと賃貸借契約を結んでいました。詳細は後述しますが、のちにCさんは山林掘削をめぐって〈村田商店代表乙の父〉氏を提訴し、これに対し〈村田商店代表乙の父〉氏もCさんを反訴しています。その裁判の控訴審判決(大阪高等裁判所)木津川市議会議事録などによると、〈村田商店代表乙の父〉氏による山林掘削は次のような経過をたどりました。

2002年(平成14年)3月1日、〈村田商店代表乙の父〉氏は、東鳴川町502について、その所有者だった今は亡くなっているCさんの先代と、畜産業を営むことを目的として、土地の賃貸借契約を結びました。そして〈村田商店代表乙の父〉氏は、契約成立に先立つ2002年(平成14年)2月ごろから、赤田川北側で山林掘削工事を始めました。

1999年:まだ山は削られておらず、里道西側の畜舎も存在しない。/2003年:山が削られ始めている。/2008年:山が削られ池ができている。道の西側にも畜舎が増築されている。

翌年の2003年(平成15年)末にCさんの先代が亡くなり、Cさんが東鳴川町502を相続しました。その頃には山林掘削の範囲が大きく広がっていたため、山林掘削裁判の控訴審判決によれば、2004年(平成16年)ごろ、東鳴川町502に隣接する長尾2を所有するBさんの、今は亡くなっているご主人が、〈村田商店代表乙の父〉氏に対し、〈村田商店代表乙の父〉氏が越境して掘削を行っていると苦情を述べています。なお、Bさんはこの時以外にも、〈村田商店代表乙の父〉氏に抗議したと主張しています。Bさんからのこうした苦情を受け、Cさんは、2005年(平成17年)2月以降、〈村田商店代表乙の父〉氏から賃料を受け取ることを拒否しました。一方〈村田商店代表乙の父〉氏は、この後、Cさんが受け取りを拒否した賃料を毎年供託するようになり、Bさんらの抗議を受け入れることなく山林掘削工事をそのまま続行しました。

2006年(平成18年)ごろには、山林掘削がかなり進み、赤田川北側に現在とほとんど変わらない広さの平坦な土地が造成され、掘削範囲の中にあった木津川市道「加2092号線」は跡形もなくなりました。破壊される前の木津川市道は、軽トラが通ることもある道だったにもかかわらずです。

急遽作成された土地境界確認書

山林掘削工事が止まらないことに危機感を抱いた、Dさん、Bさんら、東鳴川町502に隣接する東鳴川町501と長尾2の所有者らは、東鳴川町502を所有するCさんと土地境界を確定させるべく、2006年(平成18年)5月21日に現地立ち会いを行い、同年10月26日に境界確認書を作成しました。

平成18年10月26日-東鳴川町502土地境界確認書-03

それだけでなく、東鳴川町502に隣接する土地の所有者らは、2006年(平成18年)11月、京都側と奈良側の関係者がそれぞれ、第三者に土地を譲渡しない確約書を作成しています。Bさんによると、その確約書の写しを互いに交換することで、関係者全員が、村田養豚場(村田畜産/村田商店)に土地を売らない、貸さない約束を交わしたことの証しとしたのだそうです。

しかし、それでも村田養豚場(村田畜産/村田商店)による山林掘削は続き、前述の境界確認図に対応する境界杭は、間をおかずして掘削により全て失われました。

2006年(平成18年)に代替わりした村田養豚場

〈村田商店代表乙の父〉氏によれば、2006年(平成18年)に、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の代表が、〈村田商店代表乙の父〉氏の妻の〈村田商店代表甲〉氏と娘の〈村田商店代表乙〉氏に引き継がれ、共同代表という形になったといいます。実質的な経営は娘の〈村田商店代表乙〉氏が行っているようですが、両名は現在も村田商店の共同代表となっています(このウェブサイトでは、「村田商店現代表」とは、実質的な経営を行なっている〈村田商店代表乙〉氏の方を指します)。

ちなみに、このころの村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、敷地を差し押さえられるなどしていた1998年(平成10年)ごろとは打って変わって、資金繰りに余裕があったようで、2005年(平成17年)6月には多額の借金を弁済して、養豚場の敷地に設定されていた抵当権を抹消しています。

東鳴川町635全部事項証明書-1

東鳴川町635全部事項証明書-2

また、抵当権が抹消されたのと同じ2005年(平成17年)6月に加え、2006年(平成18年)6月と2007年(平成19年)1月の少なくとも三回、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、赤田川南側の養豚場周辺の土地を代表名義で次々に購入し、敷地を広げました。2006年(平成18年)には、市道の西側に豚舎などが新たに建設されています。

村田養豚場の敷地が大きく広がった2006年(平成18年)には、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が、当時はCさんが所有していた東鳴川町502で野焼きを繰り返し、〈村田商店代表乙の父〉氏が、野焼きに関して廃棄物処理法違反で現行犯逮捕されるという出来事もありました。Cさんは土地の所有者として警察に呼び出され、野焼きの現場を指差している写真を撮られたそうです。

Aさん、Bさんらによる刑事告訴

ところで、当会がAさんとBさんから聞き取ったところによると、AさんとBさんは、Aさんの所有する長尾谷1-乙については、山を削られたわけではないと確信しています。Aさんは、〈村田商店代表乙の父〉氏が赤田川北側の山を削ったときに出てきた岩や樹木、土砂が、Aさんの放棄田の上に積み上げられたとおっしゃっていました。そのため以前は川まで歩いて降りられた場所が、現在は数メートルの断崖になっているというのです。

土砂積み上げ図

Aさんは、かさ上げされた土地が川にせり出すかっこうとなっていることをとても心配していました。ゲリラ豪雨がどこで発生するかわからない昨今、大水が出たとき土砂崩れで川が塞がれないか心配だといいます。

もしこの場所で川が塞がれたらどうなるでしょう。対応が遅れると、溜まった水がやがて鉄砲水となって下流の砂防ダムを襲うかもしれません。FACT.4で触れますが、下流の砂防ダムには大量の汚泥が溜まっています。万が一鉄砲水で砂防ダムの土砂が大きくえぐられたり、砂防ダムが決壊するようなことがあれば、砂防ダムに溜まっている大量の汚泥が、加茂盆地の田畑に流れ込む可能性があります。ただの洪水被害では済まないことも考えられます。

2007年(平成19年)3月、Aさん、Bさんらは、〈村田商店代表乙の父〉氏による山林掘削と川べりの埋め立てについて、不動産侵奪、廃棄物の処理及び清掃に関する法律違反により、〈村田商店代表乙の父〉氏を刑事告訴しました。当会がBさんから聞き取ったところによると、Bさんらは2005年(平成17年)ごろから山林掘削について警察に相談していたのですが、なかなか警察が動かず、いつまでも工事が止められないので、2007年(平成19年)3月に改めて刑事告訴したとのことです。

この時の告訴状では、Aさん、Bさんらが、「平成17(2005)年3月6日、現地へ行ったところ、被告訴人(〈村田商店代表乙の父〉氏)は、『連絡もせず無断で来た。俺の架けた橋を渡った。養豚場近くの町道を許可なく通った。』と言い掛かりをつけ、被告訴人(〈村田商店代表乙の父〉氏)の使用人に命じ、小型ブルドーザーを橋の上に停車し道路を封鎖して、約35分間にわたり現地からの立ち去りを妨害する嫌がらせを行いました」と訴えています。ちなみに当会がBさんから山林掘削についてお話を伺った際にも、Bさんは同じような出来事を話してくださいました。

Bさんによれば、山林が削られ始めたころ、Bさんの亡くなったご主人は、自分の山をなんとかして守ろうと、当時の加茂町長に何度も直談判し、あるときようやく町の協力を取り付けました。しかし、それまでの心労がたたったのか、その翌日脳梗塞で倒れ、その後は身体を自由に動かせなくなってしまいました。

それでもBさんのご主人は、不自由な身体を押して、赤田川の北側にある自分の山を見に行っていたそうです。すると〈村田商店代表乙の父〉氏は帰り道を重機で塞ぎ、酷い言葉で恫喝したといいます。しかしBさんのご主人は毅然として脅しをはねのけたのだと、Bさんは誇らしげに語っていました。その数年後ご主人に先立たれたBさんは、村田養豚場(村田畜産/村田商店)による山林掘削問題が、ご主人の寿命を縮めたと感じてらっしゃるそうです。

捜査に協力する形で市有土地境界確定図に書き込まれた土地境界

2007年(平成19年)7月下旬には、Aさん、Bさんらの刑事告訴に関する京都府警の捜査に協力する形で、市道の境界確定が行われることとなり、木津川市管理課に加え、Aさん、Bさん、Cさんら、市道の隣接地所有者が召集され、京都府警に対して、各自が所有している土地について、境界の確認が行われました。産業廃棄物関連の部署だったようですが、奈良市の職員も現場にいたといいます。

しかしこの時点では既に、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が赤田川北側の山林を大きく掘削したことによって、尾根線など、山林掘削前に土地境界の目印となっていた地形や地物が完全に破壊されていました。また、この前年の2006年(平成18年)に作成された土地境界確認図に対応する境界杭も、その後の山林掘削によって全て失われていました。そこで、Bさんら長尾2共同所有者と、当時東鳴川町502を所有していたCさんが、現地で相談して、その時にはまだ赤田川南岸に残っていた、1983年(昭和58年)に確定した府県境の杭と、掘削面の一番高いところを結ぶ線を、長尾2と東鳴川町502の土地境界とすることで合意しました。

平成19年11月13日-市有土地の境界確定について(木津川市加茂町西小長尾2、長尾谷1-乙)-29

Bさんによれば、この時実際に、赤田川南岸にあった府県境の杭と、掘削面の一番高いところにあった木を白い紐で結び、ヘリコプターによって上空から杭を打つべき位置を確認することまで行って、杭の位置を決めたといいます。上写真は、現地立ち会い時の写真ですが、確かに掘削面の一番高いところから、白い紐が写真手前に向かって垂れ下がっているのがわかります。

市有土地境界確定図(木津川市加茂町西小長尾2、長尾谷1-乙)9木管7-85

このようにして、京都府警木津警察署と木津川市管理課が立ち会った場で、長尾2と東鳴川町502の土地所有者らが赤田川南岸の府県境と掘削面の一番高いところを結ぶ線を土地境界とすることに合意し、木津川市が契約した土地家屋調査士によって、木津川市の市有土地境界確定図(上図)に、長尾2と東鳴川町502の土地境界が書き込まれることとなったわけです。

不起訴に終わったAさんBさんらによる刑事告訴

しかし結局、村田養豚場(村田畜産/村田商店)による掘削工事は、2008年(平成20年)1月ごろ、京都地方検察庁の検察官が、〈村田商店代表乙の父〉氏から事情を聞く中で、〈村田商店代表乙の父〉氏に山林掘削工事をやめるよう指導するまで続きました。そして、2008年(平成20年)2月29日、木津川市からも問題解決の端緒になると期待されていた、Aさん、Bさんらによる刑事告訴は、なぜか不起訴に終わりました。

Bさんによると、当時納得いかなかったBさんが京都地方検察庁に電話で問い合わせたところ、担当検事から「けがをしたわけでも殺されたわけでもないので今回は不起訴処分とした。同じことを繰り返した時には不起訴にはならないでしょう」と言われたそうです。

ところで、不起訴処分となるのは次の三つの場合です。被疑者が罪を犯したとの疑いが無い場合(嫌疑なし)、被疑者が罪と犯したとの証拠が不十分である場合(嫌疑不十分)、そして、嫌疑が十分あっても、犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状、犯罪後の情況といった諸般の事情に照らして、あえて起訴する必要はない場合(起訴猶予)です。Bさんは検察から「起訴猶予」という言葉そのものを聞いたわけではないとのことですが、Bさんが検察から聞いた不起訴理由は、証拠が不十分だったというものではなく、犯罪の軽重について触れた上で、新たに同種の犯罪が見つかった場合は不起訴にならないとするもので、これは起訴猶予を平易な言葉で説明したものと受け止めておかしくない説明だと言えます。

なおこの件に関しては、当時の木津川市議が木津川市の平成20年第1回定例会で「なぜこれだけの問題が不起訴なんだということで関係者の方が検察庁に電話を入れましたら(中略)今回の養豚場の関係は、起訴猶予ということでした」と発言しています

村田養豚場周辺の土地区画

ではここで、山林掘削前の国土基本図と明治時代の鳴川村実測全図を用いて、山林掘削前の尾根線がどこにあったのか簡単に検証してみましょう。

上図は2008年に国土地理院によって撮影された航空写真に、1971年に測量された国土基本図(薄い黒)と、1989年(明治22年)作成の鳴川村実測全図(黄緑)を重ねたものです。また、下図は2008年に国土地理院によって撮影された航空写真に、1971年に測量された国土基本図(薄い黒)を重ね、国土基本図の等高線から推定される尾根線(尾根の一番高いところを結んだ線/オレンジ破線)を書き込んだものです。

上図を見ると、鳴川村実測全図の村界からは、村田養豚場(村田畜産/村田商店)による山林掘削と埋め立てが、長尾2と長尾谷1-乙に越境しているように見えますが、現在村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、上図の紫の線があるあたりが山林掘削前からの尾根線であり、そこが元々の土地境界だと主張して、越境して山林を掘削した事実はないと主張しています

しかし下図のとおり、1971年に測量された国土基本図の等高線から推定される尾根線(オレンジ破線)は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が主張するような位置にはなく、鳴川村実測全図の村界とほぼ同じ位置にあります。1971年に測量された国土基本図を見る限り、少なくとも、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が主張するような位置に、元々の尾根線があったとは到底考えられません。したがって、1971年に測量された国土基本図に基づくならば、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が尾根線すなわち元々の土地境界を大きく越えて、山林掘削を行ったことは明白に思えます。よりくわしい検証はこちらをご覧ください

2008年の航空写真に国土基本図と尾根線推定線を重ねた合成図

終わらない土地境界・土地使用トラブル

このように、2002年(平成14年)から始まった、村田養豚場(村田畜産/村田商店)による赤田川北側の山林掘削は、越境を確信する周囲の抗議にもかかわらず、2019年(平成19年)まで続き、赤田川の北側にあったはずの公道は跡形もなく破壊され、現地の地形は山林掘削前から大きく変わってしまいました。その途中、2006年(平成18年)作成された土地境界確認図に対応する境界標も、続く掘削で全て失われました。

しかしBさんらは、村田養豚場(村田畜産/村田商店)を民事で訴えることはしませんでした。2019年(平成19年)に木津川市が作成した市有土地境界確定図に、東鳴川町502と長尾2の土地境界が確定線として書き込まれ、京都地方検察庁の指導により既に山林掘削が止まっており、関係者間で村田養豚場(村田畜産/村田商店)に土地を売らない、貸さない約束もしていたため、村田養豚場(村田畜産/村田商店)による掘削や埋め立てが、それ以上は広がらないと考えられたことが、その理由だそうです。また、このころBさんはご主人が亡くなり、心身ともに疲弊していました。そんな中、Bさんらは村田養豚場(村田畜産/村田商店)の代表が〈村田商店代表乙の父〉氏の娘に代替わりしたことを知り、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が代替わりによって、良い方向へ変わることを期待していたといいます。

ところがその期待は裏切られ、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の周囲では、この後も土地境界あるいは土地使用をめぐるトラブルが絶え間なく続くのです。

市道上の建物と山林掘削裁判

2007年(平成19年)に市道境界が確定したことで、木津川市は、ようやく2008年(平成20年)ごろから、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が市道上に建設していたプレハブ小屋の撤去を、村田養豚場(村田畜産/村田商店)に求めるようになりました。下写真は国土地理院が2011年(平成23年)10月27日に撮影した航空写真です。2007年(平成19年)に境界が確定した市道のあたりに建物が建っており、周辺にさまざまなものが置かれている様子も見て取れます。

整理番号:CKK20113/コース番号:C24/写真番号:2/撮影年月日:2011/10/27(平23)/撮影地域:宇陀/撮影計画機関:国土地理院

この市道上の建物に関して、2008年(平成20年)9月25日に開かれた木津川市平成20年第3回定例会で、木津川市の建設部長が次のように発言しています。なお、発言に登場する「奈良市土地所有者」とは東鳴川町のCさんのことで、「相手」あるいは「この借りている方」は村田養豚場(村田畜産/村田商店)のことです。

建設部長(炭谷 育夫)

建設部長でございます。

奈良市土地所有者(Cさん)の話でございますが、(2008年(平成20年))7月8日に建物の撤去を求めましたが、奈良市側の所有者(Cさん)から借地している範囲に市道が入っていると聞いていると。市の言うこともわかるが、所有者(Cさん)から話があってしかるべきとこういうふうに相手(村田養豚場)が申しました。

奈良市側の所有者(Cさん)から話をそういうことで聞くことにいたしました。内容は土地の明け渡しに関して双方の借地契約書の借地期限の違いから調停が行われ、不成立になったということ、相手(村田養豚場)の契約書の借地期限の切れる来年2月まで静観をしたいということで、奈良市の所有者と情報交換をしております。

今後は奈良市の所有者(Cさん)と連携をいたしまして、告発も含めまして最善の方法を検討していきたいというふうに考えてございます。以上でございます。

平成20(2008)年第3回定例会(第4号)

建設部長(炭谷 育夫)

建設部長でございます。

議員には絶えず叱咤激励をしていただきまして、この件につきましては非常に私どもも注視をしているところでございます。ただ、奈良市側の所有者(Cさん)とそれからこの借りている方(村田養豚場)との話し合いがまだ済んでいないと。借地権が切れるのが来年の2月ということでございますので、その2月で所有者(Cさん)と話し合いがされるということであります。

また、市道上に建っているものの撤去につきましても口頭で求めたところでございますが、建物を官民境界上で正確に切断ということは、これまた不可能なことでもございます。強くは求めて今後もいくつもりでございますが、奈良市側の所有者(Cさん)との協議も必要でありますので、その協議を進めながらやっていきたいというふうに思っております。決して逃げることはなく前向きに進めていきたいというふうに思ってございます。以上でございます。

平成20(2008)年第3回定例会(第4号)

上記引用のとおり「奈良市側の所有者(Cさん)から借地している範囲に市道が入っていると聞いている」と村田養豚場(村田畜産/村田商店)が主張していたため、東鳴川町のCさんは東鳴川町502の貸主として、市道上に建設されていた建物の撤去に関して、否応なしに対応せざるを得なくなっていました。このころCさんは賃料の受け取りを拒否していましたが、この当時の村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、2009年(平成21年)2月までは賃貸借契約が継続していると、主張していたようです。

■■養豚場一件 経過概略-01

しかし、2009年(平成21年)2月になっても市道上の建物は撤去されませんでした。木津川市議会での木津川市の答弁によると、2009年(平成21年)10月には市道上の建物を撤去することになっていたものの、結局その時も市道上の建物は撤去されなかったといいます。

こうした状況の中、2009年(平成21年)12月15日、東鳴川町のCさんが、〈村田商店代表乙の父〉氏(村田養豚場)に対する訴訟を奈良地方裁判所に提起しました。Cさんの訴えは、〈村田商店代表乙の父〉氏が東鳴川町502を掘削して山土を他人に売却し、8149万1723円の利益を上げる一方、Cさんは同額の損害を被ったとして、不法行為または債務不履行に基づき、〈村田商店代表乙の父〉氏に3000万円の損害賠償を求めるものでした。

これに対し〈村田商店代表乙の父〉氏は、Cさんは裁判を起こしたことにより、賃貸借契約に基づく貸主の義務を履行する意思がないことを明らかにしたとして、同契約を解除した上で、山林掘削工事にかかった5031万2652円の損害賠償を求めて、Cさんに反訴を提起しました

この裁判の結果、2011年(平成23年)9月30日に奈良地方裁判所が言い渡した判決は、Cさんにとって衝撃的なものでした。奈良地方裁判所は、〈村田商店代表乙の父〉が東鳴川町502を掘削することは賃貸借契約の内容に含まれていたと認定した上で、それにもかかわらずCさんは含まれていないとして訴訟を提起し、賃貸借契約の義務を履行する意思が全くないことを明らかにして、東鳴川町502において〈村田商店代表乙の父〉氏が畜産業を営めないようにしたと認め、Cさんの訴えを退ける一方、〈村田商店代表乙の父〉氏の訴え通り、Cさんに5031万2652円の支払いを命じる判断を下したのです。

当然のことながらこの判決を不服としたCさんは、弁護士を替えて、大阪高等裁判所に控訴しました。翌2012年(平成24年)3月21日に大阪高等裁判所で言い渡された控訴審判決は、〈村田商店代表乙の父〉氏が山土を売却したとは認められないとして、やはりCさんの訴えを退けましたが、Cさんが裁判を起こしたことは、賃貸借契約に基づく貸主の義務には違反しないとして、〈村田商店代表乙の父〉氏の訴えも認めませんでした。つまり控訴審では、Cさんと〈村田商店代表乙の父〉氏の双方とも、損害賠償が認められないという結果となりました。

そして控訴審の判決から2ヶ月ほど経った2012年(平成24年)5月17日ごろ、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は木津川市に、木津川市道上から建物を撤去したことを連絡しています。連絡を受けた木津川市はすぐに現地で撤去を確認したようです。

平成24年5月17日-加茂町養豚場に伴う市道敷きプレハブ撤去について-01

このように、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が市道上に建設した建物の撤去には、間に山林掘削をめぐるCさんと〈村田商店代表乙の父〉氏の裁判を挟み、2007年(平成19年)に市道境界が確定してから、4年半もの年月を要しました。ちなみに、2013年(平成25年)9月20日、最高裁判所第二小法廷において、〈村田商店代表乙の父〉氏からの上告は棄却されています。

衛生管理区域の設定と他人地占拠

2011年(平成23年)、他人地や公道を含む形で設定された村田養豚場の衛生管理区域

少し時をさかのぼる2010年(平成22年)、国内で口蹄疫や高病原性鳥インフルエンザが発生しました。対策を迫られた農林水産省は、2011年(平成23年)9月に家畜の飼養衛生管理基準を改正し、畜産農場に「衛生管理区域」の設定を義務付けました。飼養衛生管理基準上の「衛生管理区域」とは、病原体の侵入を防止するために衛生的な管理が必要となる区域をいいます。具体的には、農場内のある場所が「衛生管理区域」に設定されると、農場関係者以外のその場所への立ち入りが制限され、立ち入る際には消毒と、衛生管理区域専用の衣服と靴の着用、氏名と住所の記録が求められることになります。なお衛生管理区域は、事業者自身が設定するもので、都道府県の家畜保健衛生所など行政機関が設定するものではありません。

この飼養衛生管理基準の改正にしたがい、2011年(平成23年)ごろ、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は養豚場の衛生管理区域を設定しましたが、その範囲は他人地や公道を含む異例なものでした。奈良県畜産課が木津川市に提供した下記文書によると、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、遅くとも2014年(平成26年)5月までに、自らが所有する土地だけでなく、赤田川北側の山林掘削によって平坦に造成された土地の全体と、山林掘削で破壊された区間の木津川市道、敷地の間にある木津川市道、さらには、養豚場南側の県道に続く他人所有の私道まで、村田養豚場の衛生管理区域に設定しています。

平成26年6月12日-養豚場に係る奈良県家畜保健衛生所の見解-02

平成26年6月12日-養豚場に係る奈良県家畜保健衛生所の見解-03

これ以降、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、「防疫」を殊更に言いたて、市道の封鎖や周辺の囲い込みなどを試みるようになります。村田養豚場(村田畜産/村田商店)が設定していた衛生管理区域により、実際に公道の通行が制限されていた問題については、FACT.3でくわしく見ていきます。

2012年(平成24年)ごろ商標登録された「郷ポーク」

ところで2012年(平成24年)のはじめごろ、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は養豚場で飼育している豚の豚肉が、「郷ポーク」という名前で商標登録されました。この「郷ポーク」は、いち早く県庁食堂で採用されたほか、2012年(平成24年)の夏からは奈良ホテルの「Main Dining 三笠」でもメニューに追加されました。奈良ホテルでは、その後もほぼ継続して、「Main Dining 三笠」や「日本料理 花菊」で郷ポークを採用し続けています。

循環型農法でブランド化 - 村田商店の郷ポーク 2012年9月14日 奈良新聞

このころ村田養豚場(村田畜産/村田商店)が立ち上げたブランド豚「郷ポーク」は、奈良新聞などでも写真付きで取り上げられており、行政の後押しも得て、奈良県では新たな奈良県産ブランド豚として広く周知されるようになっていました。

越境して置かれた小屋や資材

話を戻しますが、前述のとおり、2012年(平成24)年5月17日ごろ、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が木津川市道上に建設していた建物がようやく撤去されました。つまり、このとき村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図に記載された土地境界にしたがって、建物を撤去したわけですから、少なくともこの当時、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、この市有土地境界確定図に記載されている土地境界が有効だと認めていた、ということになります。

村田養豚場の敷地範囲

ところが実際には、市道上から建物が撤去された後も、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図でBさんらの所有する長尾2に当たる場所に、小屋やコンテナ車、犬の檻などを、Bさんら長尾2所有者の許可を得ることなく、設置していました。上図は2015年ごろの航空写真に、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図に基づく土地境界などを合成したものです。2007年(平成19年)の市有土地境界確定図で長尾2に該当する場所に様々なものが置かれていることだけでなく、市道上から建物は撤去されたものの、そのコンクリートの基礎が残されたままだったことも見て取れます。

また、2014年(平成26年)春ごろまでに、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が公道上に設置した立入禁止の看板には、「敷地内立ち入り禁止 家畜伝染病予防法第12条の3の2に定められている飼養衛生管理基準に従い、農場主の許可なくみだりに敷地内に立ち入ることを禁じる。(黄色の看板)」と書かれており、一般の通行者に、その看板より先が全て村田養豚場の敷地であり、法律により立ち入りが禁止されていると信じさせるものでした。

村田養豚場(村田畜産/村田商店)が設置した「立入禁止」の看板

このように、「郷ポーク」がブランド豚として奈良県内で浸透する中、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、自らに占有権限があることが明らかな土地を越えて、勝手に衛生管理区域を設定し、その範囲を事実上、養豚場の敷地のように扱っていました。

なお、現在の村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、山林掘削範囲の縁あるいはその外側に掘削前からの尾根線があり、その尾根線が元々の土地境界であると主張しており、後述するとおり、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、Cさんとの裁判後も東鳴川町502の賃貸借契約が継続していたとも主張しているので、これらの主張に基づき、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が他人地を占拠した事実はないとしています。

貸主と借主で食い違う賃貸借契約の有無

このころ、当時はCさんが所有していた東鳴川町502にも、村田養豚場(村田畜産/村田商店)により、多くの資材や廃材が置かれていました。しかし、2015年(平成27年)10月ごろに、当会がCさんに聞き取ったところ、Cさんは「今は村田養豚場に東鳴川町502を貸していない。2009年(平成21年)には、東鳴川町502の賃貸借契約はどのような解釈によっても解消している。駐車するぐらいは黙認しているが、東鳴川町502に置いてあるものは撤去してほしいと思っている」とおっしゃっていました。また「本当は自分がロープでも張りに行ければいいのだが、村田養豚場相手に個人で何かするのはなかなか難しい」と困った顔をされてもいました。

そうした中、木津川市は、2014年(平成26年)ごろから、市道上に立てられた立入禁止の看板を村田養豚場(村田畜産/村田商店)に撤去させるよう、奈良県畜産課に申し入れを行っていました。そして、2016年(平成28年)春ごろ、ようやく立入禁止の看板が撤去されたのですが、この時、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図で、Bさん所有する長尾2に当たる場所に建てられていた物置小屋も撤去されました。しかしその物置小屋は、BさんとCさんには何の相談もなく、今度はCさんが所有していた東鳴川町502に移築されてしまいました(下画像)。

小屋が移動した。

また東鳴川町502では、豚舎から出たとみられる汚泥や余った豚の餌(食品残渣)が、特に冬期、村田養豚場(村田畜産/村田商店)によって、頻繁に捨てられるなどしていました。豚舎など大きな設備が建てられるようなことはなかったものの、結局、東鳴川町502は、Cさんの希望に反し、山林掘削をめぐる裁判の後も村田養豚場(村田畜産/村田商店)によって好き勝手に使われ続けていたと言えます。

続く汚泥・食品残渣等の投棄

続く汚泥・食品残渣等の投棄

一方、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、山林掘削をめぐるCさんとの裁判の後も、東鳴川町502の賃貸借契約は継続していたと主張しています。山林掘削をめぐるCさんとの裁判の控訴審で、Cさんの貸主としての債務不履行が認められなかったことにより、反訴に先立ち村田養豚場(村田畜産/村田商店)が行った、賃貸借契約の解除に理由がなくなったため、契約は継続していたというのです。

しかし裁判の後も、Cさんは村田養豚場(村田畜産/村田商店)から賃料を受け取っていませんでしたし、何らかの理由で「2009年(平成21年)には、東鳴川町502の賃貸借契約はどのような解釈によっても解消している」と確信していました。村田養豚場(村田畜産/村田商店)が裁判後に賃料の供託を再開した形跡もありません。ただ、後述するとおり、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の現代表がCさんから東鳴川町502を買い取ることが決まった後、2019年(令和元年)8月の初めごろに、Cさんは土地代とは別に直近2年半分の賃料を受け取っています。このことは、土地を売却することが決まった後になってからではあるものの、土地売却まで賃貸借契約が続いていたことに、最終的にはCさんが同意したとみなすことができる出来事だと受け止めざるを得ません。

いずれにせよ、土地売却前に、Cさんが当会や周囲に語っていたところによれば、裁判後から東鳴川町502売却までの間、Cさんにとっては不本意な形で、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が東鳴川町502を使用していたことは確かだと言えます。それが法的に許容されるかどうかは別として、そのような土地使用を押し通していたことが、地域ブランドを名乗るにふさわしい行いだったかどうかについては大いに疑問を感じます。まして、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の「郷ポーク」は、「奈良の自然豊かな村郷(むらざと)で育てられた」という売り文句で売られています。この売り文句を見た消費者は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が、周辺の自然環境を大切にして、近隣の村人とも良好な関係を築いていると想像するでしょう。ところが実際には、Cさんが納得いく形で、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が土地が使用していたとは、到底考えられません。むしろCさんは、続発するトラブルに土地所有者として対応していかなければならないことに疲弊し、周囲との約束を思えば不本意であっても、土地を手放すより他はないところに追い詰められていたように思います。東鳴川町にお住まいの方から聞いた話では、山林掘削をめぐる裁判の頃、Cさんはノイローゼのようになって苦しんでいたといいます。何らかの原因で再び村田養豚場(村田畜産/村田商店)と争いになり、裁判に持ち込まれるようなことは、Cさんにとって恐怖そのものだったことでしょう。

赤田川の水質悪化と市有土地境界確定図の修正

木津川市との取り引きに使われた排水設備改修

くわしくはFACT.4で触れますが、2017年(平成29年)、赤田川で著しい水質汚濁が発生し、農業被害があり得ると予想されたため、下流地域では赤田川からの取水を取りやめたところもありました。この時は木津川市が半年にわたって詳細な水質調査を行い、その調査結果は、同年11月に奈良県と奈良市に伝えられました。また木津川市長が、自ら奈良県農林部長と奈良市長を訪問し、それぞれに水質改善への「特段の配慮」を要請する文書を手渡しています。

こうした木津川市の強い働きかけによって、2018年(平成30年)2月には、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が、排水設備を改修する意向を表明しました。ところが同年3月、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の意向が変わり、「木津川市の市道管理、水路管理、境界確定等の改善を改めて求められ、これらが整理されなければ、予定されていた排水対策は取りやめる」と主張していると、奈良県が木津川市に連絡してきます。

平成30年3月5日-村田養豚場の排水対策に関する奈良県畜産課からの連絡-01

平成30年3月5日-村田養豚場の排水対策に関する奈良県畜産課からの連絡-02

これを受け、水質改善のために焦ったのでしょうか、木津川市は同年4月から10月にかけ、約388万円の費用を投じて、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の西側に隣接する素掘りの水路で工事を行い、同年11月には、2007年(平成19年)に作成された赤田川北側の市道に関する市有土地境界確定図から、府県境にあたる確定線を削除してしまいます。

疑問の多い、養豚場西側の水路工事

村田養豚場(村田畜産/村田商店)の西側に隣接する水路で木津川市が行った工事は、のちの住民監査において、木津川市の監査委員から「本事案については、地方自治法、建設業法、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律及び木津川市契約事務規則の規定に反して施工計画書などの提出を義務付けられた書類を発注者自らが不要としたことをはじめ、随意契約の適用条項の拡大解釈など、杜撰な事務処理が明らかになった」と指摘され、木津川市長が「公共工事における適正性や透明性の確保」と「随意契約によって契約する場合は原課以外のチェックが働くような内部統制」を求められるという結果となりました(木津川市監査委員告示第9号44〜45頁)。このことは、この水路工事が非常に無理のある事務処理によって実現したことを示すものです。

それだけでなく、そもそもこの水路工事を木津川市が行うべきだったのかどうか、極めて疑わしいと考えざるを得ない事情があります。実はこの水路は、2008年(平成20年)5月ごろまでに、元の位置から西へ5mほど移動している可能性が高いのです。

まず前提として、下図のとおり、この水路については、2006年(平成18年)4月20日に測量と立ち会いが行われ、同年5月9日に境界明示確定図が作成されています。

平成18年4月20日-水路境界明示確定図-8加法確第4号

そこで、この水路境界明示確定図と各年代の航空写真を重ねて、それぞれの年代で水路の位置を確認してみましょう。

2006年(平成18)4月20日測量立会の水路境界明示確定図(8加法確第4号)を1961年(昭和36年)6月19日の航空写真(国土地理院)に合成したもの

上図は2006年(平成18)の水路境界明示確定図(8加法確第4号)を、1961年(昭和36年)6月19日の航空写真(国土地理院)に合成したものです。水路境界明示確定図と、水田の区画がよく一致しており、水路が水路境界明示確定図と同じ場所にあることがわかります。

2006年(平成18)4月20日測量立会の水路境界明示確定図(8加法確第4号)を2008年(平成20年)5月15日の航空写真(国土地理院)に合成したもの

ところが、2006年(平成18)の水路境界明示確定図(8加法確第4号)を、2008年(平成20年)5月15日の航空写真(国土地理院)に合成した上図を見ると、水路が、半透明の赤で強調した水路境界明示確定図の場所から、西へ5mほど移動したように見えます。

2006年(平成18)4月20日測量立会の水路境界明示確定図(8加法確第4号)を2021年(令和3年)3月ごろの航空写真(Googleマップ)に合成したもの

2006年(平成18)の水路境界明示確定図(8加法確第4号)を、2021年(令和3年)3月ごろの航空写真(国土地理院)に合成した上図でも、やはり水路が元の位置から移動しているように見えます。

ところで、木津川市が行った水路工事は、水路西側の法面から土砂が崩落していることを理由としたものでした。しかし、その法面が元の法面を掘削したものであったなら、土砂崩落の責任は、過去に法面を掘削し、水路の位置を西へと移動させた何者かにあると言わなければなりません。法面が削られてそれまでよりも急な斜面となっていれば、土砂が崩落しやすくなるのは当たり前だからです。そもそも確定済みの水路境界を侵害して水路を移動させたなら、それ自体が不法行為です。

しかも木津川市は、水路が移動している可能性に気がついていた節があり、工事に際して、わざわざ「本工事においては境界復元作業を行わずに、現況水路に沿って施工すること」と明記した確認書を、水路西側の土地所有者と交わしています。

木津川市と水路西側の土地所有者が交わした確認書-01

木津川市と水路西側の土地所有者が交わした確認書-01

このように、村田養豚場の排水設備改修と引き換えのようにして行われた木津川市による水路工事は、違法な一括下請負が疑われても仕方がないような、杜撰な事務処理によって実現し、元の水路境界を復元することなく、移動した可能性が高い水路を現在位置のまま改修するという、疑問の多いものでした。この件も村田養豚場西側の土地境界で起きていますから、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が関わる土地境界トラブルのひとつと言えるでしょう。

市有土地境界確定図から消されてしまった土地境界

さらに驚くべきことに、水路工事と並んで村田養豚場の排水設備改修の条件とされた「境界確定等の改善」、すなわち、赤田川北側にある市道の境界確定図から、府県境にあたる確定線を削除する「修正」は、市道の隣接地権者には詳細が知らされないまま実行されました。一応は、2018年(平成30年)6月末から7月中旬に、木津川市管理課長が隣接地権者の自宅を訪問し、修正作業を行うことについて口頭で了解を得てはいます。しかしこの時、何をどう変えるのか、具体的な説明は一切なかったとのことで、例えばBさんは、口頭で、奈良側と道をつなげるため修正したいという趣旨の説明を受けただけだったそうです。

その一方、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、修正された図面を修正直後に逐一確認していました。下ファックスは、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図が、2018年(平成30年)8月10日に修正された11日後の、同年8月21日、奈良市が村田養豚場(村田畜産/村田商店)と見られる者(黒塗り)からの連絡を木津川市に知らせてきた時のものです。その連絡内容は、修正された図面を知らなければ指摘できないことばかりでした。市道の隣接地権者ではない村田養豚場(村田畜産/村田商店)に、なぜそれが可能だったのかはわかりませんが、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の要求を発端として、市有土地境界確定図の修正が始まったわけですから、修正の進捗状況について、木津川市に頻繁に問い合わせをしていたのかもしれません。

平成30年11月20日起案の回議書「法定外道路(加茂町西小長尾・長尾谷地内)の市有地境界確定図の再修正について」-05

平成30年11月20日起案の回議書「法定外道路(加茂町西小長尾・長尾谷地内)の市有地境界確定図の再修正について」-06

こうして、2018年(平成30年)11月28日、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が満足する形で、市有土地境界確定図が修正され、同確定図から長尾2と東鳴川町502の土地境界を表す確定線と確定点が削除されてしまいます。

平成19年11月20日付け9木管第7-85号(平成30年8月10日平成30年11月28日修正))

当然のことながら、2007年(平成19年)に市道境界が確定した際には、隣接地権者全員の同意書が提出されていました。しかし、2018年(平成30年)8月10日2018年(平成30年)11月28日の修正には隣接地権者の同意書が提出されていません。それどころか、市道隣接地の地権者、つまり、長尾谷1-乙を所有するAさん、長尾2を共同所有するBさんら三軒の家、東鳴川町502を当時所有していたCさんには、市有土地境界確定図が修正されたことさえ全く通知されませんでした。これは明らかに「木津川市所管法定内公共用財産、法定外公共用財産及び市有地境界確定事務取扱要領」に違反していますが、木津川市管理課は、同要領には修正の規定がないため、木津川市が自ら確定した市有土地境界確定図については、木津川市の裁量で、隣接地権者の同意書なしに修正することができると主張しています。しかし本当にそんなことが裁量の範囲であるなら、市有土地境界が一度確定すれば、木津川市は後からいくらでも勝手に修正できるということになります。木津川市の主張にはあまりにも無理があると言わざるを得ません。

ところでこの市有土地境界確定図の修正は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の要求が発端ではあったものの、確定図のうち府県境となる部分について奈良市と奈良県の確認を得ておらず、その点手続き上の問題があったということを、主な理由として行われました。そうであるならば、修正直後に、修正前と同等の図面で市有土地境界確定図を再確定させることは本来簡単です。長尾2を所有しているBさんら三軒の家も、当時東鳴川町502を所有していたCさんも、修正前の市有土地境界確定図に記載された、府県境にあたる両土地の土地境界に同意しているのですから、あとは奈良市と奈良県の確認さえ得られれば良いのです。

ところが、奈良市は府県境の確定線を抹消するよう木津川市に求めるばかりで、再確定への事前調整には極めて非協力的な態度を貫き、それは市有土地境界確定図の修正後も変わりませんでした。一方木津川市は木津川市で、市有土地境界確定図を修正した後、再確定への取り組みを積極的に進めることはなく、この問題は長く放置されました。しかも木津川市管理課は、2019年(令和元年)8月中頃まで、Bさんから修正の事実を隠すような行動をとっていました。Bさんが、その後どうなったのか問い合わせた際には、奈良市との調整が進んでいないなどと答え、Bさんはなぜか修正前の図面を見せられたといいます。木津川市管理課がなぜこのような対応をしていたのか、不可解としか言いようがありません。

本来、こうした、個人の財産権に深く関わる市有土地境界確定図を、行政のミスによる手続き上の問題から再確定する必要がある場合、たとえ手続き上いったん一部確定線を削除して、それらをなかったことにする必要があるとしても、一部確定線を削除した修正確定図と、修正前と同等の再確定図を同時に用意し、修正から間をおかず、可能ならその日のうちに、再確定を実行することが望ましいと考えられます。そうでなければ、一度確定したはずの土地境界が、確定していない状態に戻される期間が発生し、そのことが紛争の原因となりかねません。

そして実際に、後述するとおり、市有土地境界確定図の修正後すぐに再確定が行われなかったことによって、土地境界に関する紛争が起きてしまいました。もし、修正と再確定が間をおかずに行われ、かつ、そのことがBさんとCさんにもきちんと通知されていたなら、BさんとCさんは、修正前と同様に、東鳴川町502と長尾2の土地境界を、市有土地境界の再確定図に記載するよう求めることができたでしょうし、例えそれを木津川市に拒否されたとしても、BさんとCさんとの間で、修正前の市有土地境界確定図に記載された府県境を土地境界とする覚書を交わすなど、将来の紛争発生を抑止するため、何らかの対策を講じることができたはずです。したがって、後で触れる土地境界に関する紛争は、木津川市と奈良市が、市有土地境界確定図の修正と再確定を、迅速かつ適切に行わなかったことによって発生したもので、この点、木津川市と奈良市の責任は極めて大きいと言わなければなりません。

すぐには改修されなかった排水設備

一方、そもそもの発端となった村田養豚場の排水設備改修はなかなか始まりませんでした。それどころか村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、2019年(令和元年)3月から4月にかけて木津川市に追加の水路工事を求め、これにはさすがに木津川市も応じませんでしたが、2019年(令和元年)の4月末ごろになってようやく排水設備を改修する工事を開始しました。

平成31年3月27日-村田養豚場における豚コレラ防疫対策について

そして2019年(令和元年)の10月ごろに排水設備の改修が完了したものの、固体と液体を分離する一次処理設備が設置されただけで、浄化槽など二次処理設備は設置されませんでした。

市有土地境界確定図の再確定と豚熱(CSF/豚コレラ)対策の防護柵設置

Cさんから村田養豚場(村田畜産/村田商店)に売却された東鳴川町502

市有土地境界確定図が関係者に知らされぬまま修正されてから1年近くが経過した、2019年(令和元年)8月9日、当会が当時東鳴川町502を所有していたCさんに連絡を取ったところ、Cさんから次のような話がありました。

「東鳴川町502土地は8月の末に村田養豚場(村田畜産/村田商店)に売却することになっている。村田養豚場(村田畜産/村田商店)が、また借りるということにしても永久に借りることになるから、どうせなら売ってほしいというので、そこまで売ってほしいならということになった。夏までに、奈良側の隣接所有者とは境界を確認した。村田養豚場(村田畜産/村田商店)が言うには、今までも使ってきたのは事実だから、今まで賃借していたことにして、その分の賃料を払いたいとのことで、今までの賃料数年分と、今年の分は半年分を、8月初め頃に払ってもらった。京都側の境界は村田養豚場(村田畜産/村田商店)が木津川市と相談しているというので、知らない。京都側のことはよくわからないが、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は木津川市とは市道の買い取りについても相談していると言っていた。加茂町のBさんが何か言ってきても、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が対応するということになっている。」

実際、東鳴川町502が村田養豚場(村田畜産/村田商店)に売却することは、長尾2を所有するBさんにとって寝耳に水の出来事でした。そこで2019(令和元年)年8月16日、Bさんと、Bさんから相談を受けた木津川市議が、Cさんの自宅を訪れ、東鳴川町502売却の事情について、詳細を聞き取りました。市議によれば、このときCさんは「去年までは村田養豚場(村田畜産/村田商店)も何も言って来なかったが、今年の2〜3月くらいから頻繁に電話がかかって来た。最初は『新しい豚小屋を造るので資材置き場として土地を貸してほしい』という話だった。しかし以前の事があるので、一度貸したら永久に使われかねない。それで『貸すつもりはない。資材も置くな』と返事をしたところ、しばらくして『買い取りたい』と言ってきた。養豚場の娘が土地購入の交渉にやってきた」と話していたとのことです。

先に述べたとおり、現在、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、東鳴川町502の賃貸借契約はCさんとの裁判後も継続していたと主張していますから、Cさんが嘘をついていたのでなければ、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、交渉を円滑に進めるために、賃貸借契約が解消したと考えているCさんの認識に話を合わせていた、ということなのかもしれません。

また、BさんがCさんから聞き取ったところによれば、Cさんと土地不譲渡確約書を交わしていた隣接する東鳴川町501の共同所有者らから、東鳴川町501と東鳴川町502の土地境界を法的に確定しない限り、売却は認めないと強く言われたが、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が土地境界確定の費用を全額負担することになったので、改めて土地境界が確定され売却が可能になったとのことです。そして実際に、2019年(令和元年)9月4日に現地立ち会いが行われ、同年10月26日に東鳴川町501と東鳴川町502の筆界確認書が作成されました。

その一方、同じく東鳴川町502に隣接する長尾2の共同所有者らには、事前に土地売却の話は一切伝えられませんでした。

2019年(令和元年)以降の村田養豚場の敷地

東鳴川町502売却後に進み出した市有土地境界確定図の再確定

東鳴川町502がCさんから村田養豚場(村田畜産/村田商店)に売却された直後の、2019年(令和元年)9月2日、木津川市と奈良市はようやく赤田川北側の市道に関する市有土地境界確定図の再確定作業を開始します。

令和1年9月2日-境界確定について(奈良市との協議)-01

令和1年9月2日-境界確定について(奈良市との協議)-02

再確定作業が始まったことを何かで知ったのでしょう。2019年(令和元年)9月14日には、村田養豚場(村田畜産/村田商店)と見られる者から木津川市に、境界確定の進め方に関する質問書が送られました。

令和元(2019)年9月14日 民民境界確定及び府県境確定及び里道確定について(質問)

これに対し木津川市は、2019年(令和元年)10月2日に、境界確定に関わる行政機関が、木津川市の建設部管理課、奈良市の建設部土木管理課及び総務部資産経営課であることや、境界確定手順について回答しています。

令和元(2019)年10月2日 民民境界確定及び府県境確定及び里道確定について(回答)

村田養豚場(村田畜産/村田商店)がなぜこのようなことを問い合わせたのか不明ですが、もしCさんが東鳴川町502も所有者であるうちに再確定作業が進められていたならば、上回答書にあるような手続きが、何の問題もなく円滑に進んでいただろうことは明らかです。木津川市と奈良市が、十分な事前調整を行った上で迅速に再確定を進めなかったことは非常に悔やまれます。

豚熱(CSF/豚コレラ)対策として設置が義務化した防護柵

2018年9月(平成30年)、岐阜県で豚熱(CSF/豚コレラ)発生しました。奈良県でも、県内養豚農場への防護策設置が進められ、2019年(平成31年)春ごろから、村田養豚場でも西側水路の法面の縁に防護柵が設置され、村田養豚場南側には電気柵が設置されました。また、このころ奈良県畜産課は、豚熱(CSF/豚コレラ)対策として、木津川市に市道の封鎖を求めています。奈良県畜産課が繰り返し市道の封鎖を求めている問題については、FACT.3でくわしく見ていきます。

その後全国に豚熱(CSF/豚コレラ)感染が広がったため、2019年(令和元年)7月に、農林水産省が防護柵の設置を義務化する方針を発表しました。そして2019年(令和元年)10月には、奈良県も、アフリカ豚コレラ侵入防止緊急支援事業を活用して、防護柵設置にかかる費用を、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)と奈良県から、全額補助する仕組みを整えます。

令和元(2019)年10月-防護柵の整備について

こうして全国的に豚熱(CSF/豚コレラ)対策が進む中、2019年(令和元年)10月7日、同年8月末から東鳴川町502の新たな所有者となっていた村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図に記載された土地境界を越境する形で防護柵を設置したい旨、長尾2を共同所有する三軒それぞれに手紙で通知しました。

令和元(2019)年10月-防護柵の整備について

令和元(2019)年10月-防護柵の整備について

これに対し、長尾2の共同所有者らは、2019年(令和元年)10月20日、内容証明郵便で、防護柵を設置する場合は、東鳴川町502の前所有者であるCさんと合意した、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図に記載された土地境界を越えないよう求めました。

令和1年10月20日-長尾2土地所有者一同からのご返答-01

令和1年10月20日-長尾2土地所有者一同からのご返答-02

しかし、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、2007年(平成19年)の市有土地境界確定図に記載された府県境は抹消されたとして、長尾2共同所有者らの求めを拒否します。こうして現実に、再確定が迅速に行われなかったことによって、土地境界に関する紛争が起きたわけです。

令和1年11月28日-フェンス柵の設置について-01

令和1年11月28日-フェンス柵の設置について-02

上の手紙で、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は「フェンス設置の理由は木津川市側から出てくるイノシシを養豚場の管理敷地に侵入させないためです。(中略)イノシシが来ないようにしていただきたいです」と、イノシシが養豚場に近づいてくることをしきりに強調していますが、このころ村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、敷地周辺で毎日のように餌を撒いており、そのことが付近のイノシシを誘引する結果となっていました。自分で餌を撒いて、結果的にイノシシなどの野生動物を養豚場に引き寄せながら、イノシシが侵入するから緊急に柵が必要だというのは、あまりに矛盾しています。

村田養豚場のずさんな餌の管理-03

村田養豚場のずさんな餌の管理-04

またこのころ、誰によるものかは定かではありませんが、村田養豚場から南の県道へ出たあたりに、ラーメンくずが撒かれているのを奈良市保健所がたびたび発見しています。

令和1年7月4日-9日-中ノ川町と東鳴川町の徘徊犬に関する経過文書

その後、2019年(令和元年)12月6日には、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の求めに応じる形で、長尾2の共同所有者全員が現地に集まり、防護柵の設置について協議が行われましたが、物別れに終わりました。下記音声は、現地協議の翌日に、Bさんと、Bさんが相談している木津川市議など、Bさんの支援者らが現地を訪れたときのものです。Bさんらに罵声を浴びせているのは、村田養豚場(村田畜産/村田商店)前代表の〈村田商店代表乙の父〉氏で、山林掘削時の代表です。

赤田川南岸に打たれていた偽の境界鋲

村田養豚場(村田畜産/村田商店)と長尾2共同所有者らの間で土地境界をめぐる紛争が起きる中、2019年(令和元年)12月16日、木津川市は、2007年(平成19年)に作成され、2018年(平成30年)に府県境付近がいったん未確定とされた市有土地境界確定図について、再確定部分の復元測量を行いました。しかしこのとき赤田川南岸に現存し、1983年(昭和58年)に確定した府県境点に対応する既設金属鋲とされた2020H点は、1983年(昭和58年)に作成された国有水路境界確定図「9用1-722」(下図)とは全く関係のない境界鋲でした。

1983年(昭和58年)に作成された国有水路境界確定図「9用1-722」

というのも、下図のとおり、2019年(令和元年)12月16日作成の再確定図にある2019H-2020H-2021-2022点を、国有水路境界確定図の対応する確定点に一致させる形で、両図を重ね合わせると、橋の位置などが大きくずれてしまうからです。そもそも、国有水路境界確定図を見ると、1983年(昭和58年)当時、赤田川南岸に石垣はなく自然傾斜面となっており、府県境は水田の間の小さな水路のようなところにあったとわかります。つまり赤田川南岸の石垣は、2006(平成18年)ごろに村田養豚場(村田畜産/村田商店)が敷地を広げた後になって築かれたわけですから、石垣の上のコンクリートに打たれた金属鋲が1983年(昭和58年)から存在したはずがありません。

再確定図と国有水路境界確定図の合成図

一方で、既設鋲2019H点と既設鋲2020H点の距離は、国有水路境界確定図に記載された距離と全く同じ12.18mだったようです。これは偶然ではあり得ないため、これら既設鋲は、国有水路境界確定図に記載された確定点に対応する境界標に偽装する目的で、何者かが設置したものと考えられます。こうした行為は、境界損壊罪(刑法262条の2)に該当します。

なお、木津川市管理課に、これら既設鋲を国有水路境界確定図に記載された赤田川南岸の確定点に対応するものだと判断した理由を問い合わせたところ、木津川市管理課は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が「絶対に位置が変わっていない」と主張したからだと説明しました。

2007年(平成19年)の市有土地境界確定図に記載された府県境を越えて設置された防護柵

2019年(令和2年)12月27日、奈良市土木管理課、木津川市管理課、京都府山城家畜保健衛生所が、奈良県畜産課の呼びかけで奈良県庁に集められ、その場に同席した村田養豚場(村田畜産/村田商店)から、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が予定している防護柵の位置が長尾2共同所有者らに拒否されていることに関し、行政から長尾2共同所有者らに働きかけをしてほしいとの相談が、集まった行政機関に持ちかけられました。このとき、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、各行政機関から「自分の土地で明らかな位置に張るのはどうか」「そこにしか張れない理由が言えるのか、根拠が弱い」「隣接地権者の了解がいるのではないか」「川から南側を囲うだけでも説明できる」「揉めているところに柵を通すのは好ましくない」「平成19年確定の所に柵を張るのであれば、隣接地権者は異議がないと思う」などの助言を受けたようです

令和2年1月7日付連絡処理報告-村田商店に係る柵による衛星管理区域の囲い込みについて(協議)-01

令和2年1月7日付連絡処理報告-村田商店に係る柵による衛星管理区域の囲い込みについて(協議)-02

令和2年1月7日付連絡処理報告-村田商店に係る柵による衛星管理区域の囲い込みについて(協議)-03

しかしそうした行政機関からの助言を無視し、2020年(令和2年)1月、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、長尾2の共同所有者らが主張する土地境界を越境する形で、防護柵の設置を強行しました。

市道と防護柵の位置関係

ところでこのときの防護柵の位置をよく見ると、2019年(令和元年)12月16日に作成された再確定図の2020H点にあたる「既設鋲」真向かいの対岸から、防護柵が張られていることがわかります。もし2020H点が正式に赤田川南岸の府県境点だということになれば、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が設置した防護柵は、赤田川南岸の府県境から滑らかにつながる線を描くということになるでしょう。というより、実際には順番が逆で、赤田川北側に予定されていた防護柵の位置に合わせて、何者かが赤田川南岸に偽の「既設鋲」を打ったようにも思えます。いずれにしても、2019年(令和元年)12月16日の再確定図で、「既設鋲」の位置に赤田川南岸の府県境が復元されたことは、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が防護柵の設置を強行して良いと考えたことに、少なからず影響を与えていた可能性があります。

修正された再確定図

赤田川南岸の府県境確定点の位置がおかしいのではないかという指摘を受け、2020年(令和2年)2月3日、木津川市は追加の費用をかけて再確定図の測量を一部やり直し、現在の橋の下に現存する旧橋との位置関係から、赤田川南岸にある府県境を復元しなおしました。

令和2年2月3日-再確定図

上図のとおり、2020年(令和2年)2月3日の再確定図では、赤田川南岸の府県境確定点にあたる2023点が、最初の再確定図の2020H点よりも数メートル上流側(右下)に復元されています。しかしこれでもまだ、正確な位置に復元されたとは思われません。2020年(令和2年)2月3日の再確定図にある2024-2023-2025-2026点を、1983年(昭和58年)に作成された国有水路境界確定図「9用1-722」の対応する確定点に一致させる形で、両図を重ね合わせると下図のようになり、旧橋の北西たもとは位置が一致しますが、赤田川の川筋が大きくずれてしまうからです。

2020年2月の再確定図と1983年水路確定図の合成図(水路境界を合わせたもの)

一方、旧橋の位置と角度を一致させる形で両図を重ね合わせると、下図のとおり、赤田川の川筋を現況とほぼ一致させることができます。したがって、より正確に復元した赤田川南岸の府県境は、現在は村田養豚場の休憩小屋の下にある可能性が高いと言えます。

2020年2月の再確定図と1983年水路確定図の合成図(橋の位置と角度を合わせたもの)

しかしそうすると、村田養豚場の休憩小屋が赤田川(国有水路)の河川敷(水路敷)にはみ出しているということになりますから、木津川市は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)に休憩小屋の一部を撤去するよう指導しなければならなくなり、そうなれば木津川市と村田養豚場(村田畜産/村田商店)の間で、土地境界をめぐって激しいトラブルとなることが容易に予想できます。木津川市はそれを嫌って、不正確であることを承知の上で、旧橋との距離が国有水路境界確定図と同じで、かつ、現在赤田川南岸にある石垣の上となる場所に、あえて府県境を復元したのかもしれません。

いずれにしても、2020年(令和2年)2月3日に再確定図が修正されたことにより、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が設置を強行した防護柵は、もはや赤田川南岸にある府県境から滑らかにつながっているとは言えなくなりました。

不調に終わった隣接地権者による再確定図に関する現地確認

2020年(令和2年)3月11日、赤田川北側にある木津川市道の隣接地地権者が、木津川市により現地に招集されました。2007年(平成19年)に作成された市有土地境界確定図について、作成時の木津川市の手続きに不足があったことを理由に、2018年(平成30年)に一部が未確定とされましたが、それら未確定とされた点を今回木津川市が復元したので、木津川市が奈良市に境界確定申請と行政界明示申請を行う前に、復元された確定点を、市道の隣接地地権者が確認する必要があったためです。しかし予想通り、木津川市は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)からは、再確定に同意を得ることができせんでした。もし木津川市が再確定を迅速に進め、東鳴川町502の所有者がCさんであるうちに、再確定に関する現地確認が行われたなら、何の問題もなくスムーズに手続きが進んだことでしょう。なぜ木津川市と奈良市が、再確定作業を1年近く保留したのか、不可解でなりません。

令和2年3月16日-報告書-地権者による現地事前確認-03

防護柵設置後も続けられた餌撒き

村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、防護柵設置後の2020年(令和2年)春ごろになっても、それまでと同様、赤田川北側の土地や村田養豚場南の三叉路脇で、イノシシなど野生動物の餌となるものを定期的に撒いていました。このころは、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が餌を撒いてから数分以内に、イノシシが餌場に姿を現すようになっており、当時村田養豚場周辺に生息するイノシシは、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が餌が撒く時間を知っているか、餌場近辺からあまり移動せずに生活しているものと考えられました。

養豚場周囲での餌撒き行為

この村田養豚場(村田畜産/村田商店)による餌撒きは、養豚場周辺に生ゴミが投棄されているのと同じでことです。また、村田養豚場(村田畜産/村田商店)による餌撒きにより、周辺地域に生息するイノシシが増え、イノシシによる農作物被害が増えることも当然心配されました。そのため、長尾2を所有するBさんは、2019年(令和元年)秋頃から、奈良県畜産課に対し餌撒き行為をやめさせるよう求めてきました。しかし、村田養豚場(村田畜産/村田商店)の餌撒き行為はその後も続きました。

2020年(令和2年)6月12日、イノシシの子供が多数繁殖していること(上動画12:00ごろ)に驚いたBさんが、奈良県畜産課ではなく木津川市農政課に文書で申し入れをしました。これにより、ようやく奈良県家畜保健衛生所から村田養豚場(村田畜産/村田商店)に何らかの指導が入り、それ以降、少なくとも赤田川の北側では、村田養豚場(村田畜産/村田商店)によって餌が撒かれた形跡は見られなくなりました。

野生イノシシの餌付け行為に関する要望書

この村田養豚場(村田畜産/村田商店)による餌撒きについては、京都府家畜保健衛生所が、木津川市からの問い合わせに対し、「飼養(衛生)管理基準上好ましくない」と回答しています(上担当者メモ)。それにもかかわらず、奈良県畜産課が、Bさんから問い合わせを受けてなお、そのような「飼養(衛生)管理基準上好ましくない」行為を黙認し続けていたことは、全く理解に苦しみます。自ら餌を撒いて野生イノシシを引き寄せる結果を招いている農場と、それを黙認するような行政機関が、ことさらに防疫を振りかざし、隣接地権者が拒んでいる位置で防護柵設置を強行するということには、欺瞞を感じずにはいられません。

独立行政法人農畜産業振興機構(alic)からの村田養豚場の防護柵に関する照会を振り切った奈良県畜産会

奈良県畜産課による虚偽公文書作成

前にも少し触れましたが、村田養豚場の防護柵は、その費用が独立行政法人農畜産業振興機構(alic)と奈良県により全額補助される、アフリカ豚コレラ侵入防止緊急支援事業として設置されたものでした。この点に関し、2020年(令和2年)4月14日、奈良県は、木津川市との協議の席上、「『民々界が決まらないので、暫定的に張っていて、境界が決まれば事業者の責任で張り直される』旨を県から国に説明し、補助金を得ている」と述べています。

令和2年4月14日-村田養豚場の防護柵に係る奈良県との協議に関する報告書-「民々界が決まらないので、暫定的に張っていて、境界が決まれば事業者の責任で張り直される。」旨を県から国に説明し補助金を得ている。(奈良県の発言)

ところが実際には、2020年(令和2年)3月19日に、奈良県が独立行政法人農畜産業振興機構(alic)に送った報告書には、奈良県が木津川市にした説明にはなかった内容も書かれていました。

令和2年3月19日-畜第241号-令和元年度ASF侵入防止緊急支援事業における野生動物侵入防護柵の整備について

上文書は、2020年(令和2年)3月19日に、奈良県が独立行政法人農畜産業振興機構(alic)に送った報告書です。ここには、あたかも長尾2の共同所有者らが、防護柵の位置に異存がないかのように書かれています。言うまでもなく、これはまったくの虚偽です。しかもこの報告書は、奈良県農林部畜産課長の印がある有印公文書なのです。

したがって奈良県畜産課の行為は、虚偽公文書作成等罪(刑法第156条)及び偽造公文書行使等罪(刑法第158条)に該当する可能性が高いと言わなければなりません。それだけでなく、奈良県畜産課は独立行政法人農畜産業振興機構(alic)を欺いて、村田養豚場(村田畜産/村田商店)に補助金を得させようとしたのですから、奈良県畜産課の行為は詐欺罪(刑法第246条)に該当する可能性も考えられます。このような違法性が強く疑われる行為をもいとわない、奈良県畜産課の振る舞いは、明らかに常軌を逸しています。

独立行政法人農畜産業振興機構(alic)の照会

もしこの状態で補助金が交付されれば、他人の土地を囲う柵に国と県が全額出資している可能性を、国と県が許容しているということになるでしょう。そのため、長尾2を所有するBさんが独立行政法人農畜産業振興機構(alic)に現状を説明し、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が設置した防護柵について補助金を交付することに疑義を申し立てたところ、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)は補助金の支払いをいったん保留し、2020年(令和2年)年8月17日、前述の奈良県の文書を前提とした交付決定には瑕疵があったとして、事業実施主体である奈良県畜産会に対し、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が「防護柵を設置する土地の使用に関する許諾等を権利者から得、又は隣接地の権利者との間で問題とならない位置へ防護柵を移動させる等」の対応を取ること、及び、その結果について2020年(令和2年)11月16日までに書面で報告することを求めました。「等」とつけてはいるものの、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)に、長尾2所有者の許諾を得るか、問題とならない位置に防護柵を移動させるかの二択を迫ったわけです。

令和2年8月17日-令和元年度ASF侵入防止緊急支援事業補助金に係る照会について-2農畜機第2806号-01

令和2年8月17日-令和元年度ASF侵入防止緊急支援事業補助金に係る照会について-2農畜機第2806号-02

村田養豚場の防護柵を移動させる解決を回避した奈良県畜産会

ところが奈良県畜産会は報告期限を無視し、2021年(令和3年)2月26日になってようやく、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)にその後の対応を報告しました。しかしその内容は、問題となっている赤田川北側の防護柵を補助金対象から外す変更をしたというもので、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)が提示した、長尾2所有者から許諾を得る、あるいは、問題とならない位置に防護柵を移動させるといった対応ではありませんでした。なお、長尾2を所有するBさんが奈良県畜産会に問い合わせたところによると、奈良県畜産会に主体的な活動実態はなく、奈良県畜産会の事務処理は実質的に奈良県畜産課が行っているとのことです。そして驚いたことに、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)は、奈良県畜産会の報告を受け入れ、2021年(令和3年)3月ごろ、奈良県畜産会の請求通りに補助金を振り込んだとみられます。

令和3年2月26日-令和2年8月17日付け2農畜機第2806号の照会に対する回答-奈畜会第384号-01

令和3年2月26日-令和2年8月17日付け2農畜機第2806号の照会に対する回答-奈畜会第384号-02

ところで、「ASF侵入防止緊急支援事業実施要綱」「第4 事業の実施等」の5の(3)に、「補助対象経費は、本事業に直接要する経費であって、本事業の対象として明確に区分できるものであり、かつ、証拠書類によって金額等が確認できるものに限るものとする」との規定がありますが、赤田川北側の防護柵は赤田川南側の防護柵と区分されず、これらの防護柵は一体の工事として設置されました。そのことは防護柵の設置が完了した2020年(令和2年)3月1日より後の、2020年(令和2年)3月19日に、奈良県畜産会が独立行政法人農畜産業振興機構(alic)に提出した、事業実施計画書変更申請書を見ても明らかです。この申請書別添1の備考欄に、赤田川北側を含め防護柵の設置長が実測で412メートルであることを、家畜防疫員も立ち合いの上確認したという趣旨の記述があります。つまり、赤田川北側の防護柵は、赤田川南側の防護柵とは全く区分されておらず、この時点では両方ともが補助金対象事業とされていたとわかります。

令和2年3月19日-令和元年度ASF侵入防止緊急支援事業実施計画書の変更申請について-奈畜会第416号-04

実際、赤田川北側の防護柵は、赤田川南側の防護柵が設置し終わると同時に連続して設置され、使われている資材も全く同じです。したがって、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が設置した防護柵に対し補助金が支払われたことは、「ASF侵入防止緊急支援事業実施要綱」第4の5の(3)に反すると言わなければなりません。まして、赤田川北側の防護柵は、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)により、補助金交付対象として不適切だと判断されているのです。やはり、独立行政法人農畜産業振興機構(alic)が当初求めたように、村田養豚場(村田畜産/村田商店)が「隣接地の権利者との間で問題とならない位置へ防護柵を移動させる」対応を取ったのでなければ、補助金は支払われるべきではありませんでした。以上のことから、当会としては、「ASF侵入防止緊急支援事業実施要綱」第10の1に基づき、当該補助金の全額が返納されなければならないと考えます。

2019年12月中頃-防護柵資材の移動

こうして、一時は問題解決の緒となるかに思われた独立行政法人農畜産業振興機構(alic)による照会は、結局うやむやにされて終わりました。

長尾2共同所有者らが、境界確定、所有権確認、妨害排除、損害賠償を求めて村田養豚場を提訴

これまで見てきたとおり、様々な手を尽くしても問題を解決できず、将来的に問題が改善する見込みもないため、2021年(令和3年)9月9日、Bさんら長尾2共同所有者は、村田養豚場(村田畜産/村田商店)等を被告として、境界確定、所有権確認、妨害排除、損害賠償を求め、京都地方裁判所に提訴しました。

この提訴のあと、村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、山林掘削の縁に尾根線があり、そこが長尾2と東鳴川町502の土地境界だと主張するようになりました。なお、それまで村田養豚場(村田畜産/村田商店)は、土地境界は未確定だとしか主張していませんでした。

市道と防護柵の位置関係

Bさんによれば、Bさんらが提訴に踏み切ったことには、2021年(令和3年)7月に、〈村田商店代表乙〉氏が「境界がどこかを明確にさせるなら、B氏らが、直接、堂々と、私に対して、境界確定訴訟を提起するべきです。その結果、決まった境界には、私は、必ず従います。それなのに、境界の当事者であるB氏らは、何ら境界確定の法的手続きをとろうとしません。それは、被告(当会代表)の主張する『一直線の境界』など、山林の境界として認められないことが判っておられるからに他なりません」などと主張しているとわかったことが大きいと言います。この〈村田商店代表乙〉氏の主張に強い憤りを覚えたBさんは、多額の裁判費用がかかることを覚悟で、訴訟を起こすことを決意したそうです。

この裁判については、大きな進展があり次第、このページに追記する予定です。

実力行使をした上で異論があるなら裁判を起こせと求めることの暴力性

以上見てきたとおり、村田養豚場の周囲では、土地境界や土地使用に関するトラブルが絶え間なく続いています。そして村田養豚場(村田畜産/村田商店)はトラブルを起こすたび、行政機関とりわけ奈良県畜産課を巻き込み、自らの主張を強引に押し通してきました。

また一般に、法的手段に訴えることは、個人にとって、経済的にも精神的にも負担が極めて大きいと言えます。まして連続して裁判等を遂行することは、ほとんどの個人にとり、重すぎる負担です。その点で村田養豚場(村田畜産/村田商店)は資金力のある法人であり、裁判等法的手段を遂行する経済的資源あるいは人的資源を、個人より豊富に持つことは疑いようがありません。このように社会的にみて比較強者である側が、比較弱者に対し、何か要求があるのであれば、その都度法的手段を用いるべきだ、という立場をとることは、多くの場合、恫喝的に要求を拒絶するのと同じ効果を持ち、望ましいこととは言えません。

現在トラブルを起こしている防護柵については、たとえ防護柵が緊急に必要なものであるとしても、もし土地境界に争いがあるのであれば、まずは争いのない位置に防護柵を設置するべきであることは、言うまでもありません。その上で、どうしてもその位置に納得いかない場合は、事業を行いたい側が費用を負担して筆界特定制度などによって争いを解決し、それによって可能となった場合のみ、もともと希望していた位置に防護柵を移設する、というのが、本来あるべき手続きでしょう。営利事業を行いたい側が一方的に土地を囲い込んで、異論があるなら裁判を起こせというのはあまりにも乱暴です。少なくとも、地域ブランドを擁する農場がそうした態度をとることなど、その地域の誰も期待していないことです。