乙第136号証

令和元年(ワ)第338号 損害賠償等請求事件
原  告  株式会社村田商店
被  告  遠藤 千尋

陳述書

2021(令和3)年6月11日
氏名:〈加茂町B〉
  1. 私は、京都府木津川市加茂町西小長尾2の土地所有者の一人で、この土地は私と他二軒の共同所有となっています。

    私どもの所有する長尾2の山林は、平成14(2002)年ごろから平成19(2007)年末ごろにかけ、〈原告〉に無断で掘削されました。そのため土地境界がわからなくなり、平成19(2007)年に市有土地境界確定図が作成された際、私どもは木津川市にお願いして、長尾2と奈良市東鳴川町502の土地境界を市有土地境界確定図に書き込んでいただきました。本陳述書ではその時の経緯と、私が関係者から聞き取った話のこと、それから私が遠藤さんに提供した証拠についてお話しします。

  2. 私と遠藤さんの関係

    平成27(2015)年9月ごろ、人づてに、私どもの山林が掘削された時のことを聞きたいと言っている人がいると聞きました。その人物が遠藤さんで、これが、私と遠藤さんの最初の関わりです。それ以前には私は遠藤さんとは全く関わりがありませんでした。

    その後遠藤さんは、山を歩くのが好きだということで、山歩きのついでに、時折山裾にある私の家に立ち寄られるようになりました。私は遠藤さんとお会いした時には、村田養豚場のことだけでなく、昔の話や地域の出来事など、いろいろと立ち話をしています。

    遠藤さんは、〈原告〉から訴訟を起こされた後、改めて私のところにも詳しい事情を尋ねに来られました。私は遠藤さんに聞かれたことについては、私の知っていることを全て正直にお話ししています。

    令和元(2019)年の8月末に、〈原告〉が東鳴川町502を購入しましたが、令和2(2020)年1月、〈原告〉は、東鳴川町502前所有者の〈東鳴川C〉さんと私どもとで合意した土地境界を無視して、私どもの所有する長尾2に越境する形で、東鳴川町502を囲う防護柵を設置してしまいました。

    ちょうどそのころ遠藤さんは、〈原告〉から訴訟を起こされたことで、行政文書を取り寄せるなどしておられました。またそれ以前から遠藤さんは、私どもの山の上から村田養豚場を時々見てくださっていて、最近の現地の状況についてもよくご存知でした。そうした事情から最近では、私と遠藤さんは緊密に情報交換をする関係となっています。

    遠藤さんが私どもの山に入ることは、長尾2共同所有者全員が認めていることです。令和2(2020)年の3月には、共同所有者全員で、遠藤さんがよく村田養豚場を見ている場所に案内していただきました。

  3. 山林掘削から市有土地境界確定図が作成されるまでの経緯

    〈原告〉は、平成14(2002)年ごろから平成19(2007)年末ごろにかけて、赤田川北側の山林を掘削しました。この時掘削された山林には、〈原告〉が東鳴川町の〈東鳴川C〉さんから賃借していた東鳴川町502だけでなく、私どもが所有する長尾2の一部と、木津川市加茂町西小長尾谷1ー乙の一部、それから奈良県奈良市東鳴川町501の一部が含まれていました。

    そのため、平成17(2005)年8月ごろ以降、私の亡くなった夫を含む長尾2共同所有者3名と長尾谷1ー乙所有者1名は、所有する山林が不法に掘削されていることについて、たびたび警察に相談していました。しかし残念なことに、その後も〈原告〉による掘削は続きました。

    〈原告〉の掘削で、東鳴川町502と隣接地の土地境界とされていた地形上の目印が失われたので、東鳴川町502の当時の所有者である〈東鳴川C〉さんと、長尾2共同所有者3名、それから東鳴川町501共同所有者2名で新しい土地境界について話し合いをし、境界確認に必要な測量を行いました。そして関係者全員による現地立ち会いで境界が確認され、平成18(2006)年10月26日に、境界確認書が作成されました(乙104)。

    そのすぐあとの平成18(2006)年11月3日、私ども長尾2共同所有者は、お互いに判子をついて土地不譲渡確約書を交わしました(乙80の2)。同じころ東鳴川町の〈東鳴川C〉さんも、東鳴川町502に隣接する東鳴川町501を共同所有する皆さんとの間で、同様の土地不譲渡確約書を交わしていました(乙80の1)。

    その後、奈良市東鳴川町と木津川市加茂町西小両地域の関係者の間で、それぞれが作成した土地不譲渡確約書の写しが交換されました。これは、両地域の関係者の誰かが、〈原告〉に土地を売ったり貸したりしないことの保証とするためでした。

    一方そのころ〈原告〉は、まだ山の掘削を続けていました。それだけでなく〈原告〉は、長尾谷1ー乙に穴を掘りごみの不法投棄を行っていました。そのため私の亡夫を含め、所有する山林を掘削された木津川市側の4軒は改めて、平成19(2007)年3月9日に、不動産侵奪、廃棄物の処理及び清掃に関する法律違反の被疑事実で、〈村田商店代表乙の父〉さんを正式に告訴しました(乙82)。

    そしてこの告訴に基づく京都府警の捜査に協力する形で、平成19(2007)年に、木津川市が長尾2に隣接する里道の市有土地境界確定図を作成しました。この市有土地境界確定図には、府県境にあたる長尾2と東鳴川町502の民々界が確定線として書き込まれましたが、これは下記の通り、当時の土地所有者で話し合いをして、木津川市に書き込んでいただいた土地境界です。

    この当時、〈原告〉が山林を大きく削ったことで、それまでの土地境界が全くわからなくなっていました。平成18(2006)年に作成した境界確認書の境界杭も、その後に続いた〈原告〉の掘削工事で全て失われていました。そのため私は、〈東鳴川C〉さんと相談して、赤田川の南側にあった府県境の杭と、山林掘削面の一番高いところにある木を結ぶ線を、新しい土地境界とすることにしました。

    この土地境界は市有土地境界確定図に書き込まれましたが、木津川市の市有土地境界確定図を確認する現地立ち会いには警察も来ていました。この時は、赤田川南の府県境の杭と、掘削面の一番高いところにある木を白い紐で結んで、土地境界の位置を厳密に確認しました。上空にはヘリコプターが来ていて、そのヘリコプターは、上からも土地境界を確認していました。非常に大掛かりな現地立ち合いだったことを覚えています。

    それからこれは最近のことですが、令和元年(2019)年の12月6日、私は長尾2を共同で所有する他の2軒の皆さんともに、赤田川の北側で〈原告〉に会い、防護柵の設置について協議をしました。その協議は物別れに終わりましたが、話し合いの途中、〈村田商店代表乙〉さんが私たちに「山を削ったことは申し訳ない」と口にしました。〈原告〉が山を削ったことについて「申し訳ない」というようなことを、私どもに言ったのはこれが初めてです。ですから〈原告〉も、少なくとも現在は、山林掘削時に東鳴川町502だけでなく、私どもの山も不法に削ってしまったのだと、本当はわかっているのだと思います。

    残念ながら、私どもの告訴は確かに不起訴処分となりました。しかし私が不起訴の理由を知りたく思い、検察庁に電話をしたところ、担当検事から「けがをしたわけでも殺されたわけでもないので今回は不起訴処分とした。同じことを繰り返した時には不起訴にはならないでしょう」という説明を受けました。私だけでなく、長尾2を共同所有する全員、今でも〈原告〉の山林掘削は不法掘削だったと考えています。

  4. 〈原告〉が長尾2に越境して物や工作物を置いていたことについて

    令和元年(2019)年の8月末に〈原告〉が東鳴川町502を購入するまでは、長尾2と東鳴川町502の土地境界に争いはありませんでした。また、それまでは赤田川の北側は全て〈原告〉の所有地ではなかったので、赤田川の北側に〈原告〉が置いている物や工作物は、いずれも他人の土地に越境している状態でした。そのうちコンテナや小屋、犬の檻の一部などは、明らかに長尾2にも越境していました。現在もその状況には全く変わりがなく、長尾2に越境して新たに防護柵が設置され、様々な資材が次々に持ち込まれています。

    そのため私は、〈原告〉にはたびたび、長尾2に置いてある物を撤去するよう、口頭でお伝えしてきました。今から10年ほど前に、私がよく相談している市議会議員や私の友人と一緒に、長尾2の様子を見に訪れた時、〈村田商店代表乙〉さんが、今度から自分も養豚場に関わることになったと挨拶に来られたことがあります。その時私は〈村田商店代表乙〉さんに、土地を全部綺麗にして返すよう言いました。するとその時の〈村田商店代表乙〉さんは、必ずそうすると約束してくださいました。その言葉は当時その場にいた全員が聞いています。

    その後も私は折に触れ、〈村田商店代表乙〉さんに、長尾2に置いてある物を片付けるよう言っています。しかし最初の頃と違い、最近の〈村田商店代表乙〉さんは無視をして別の話にすり替えてしまいます。

  5. 長尾谷1ー乙所有者の〈加茂町A〉さんから伺った話について

    〈原告〉が山林を削った当時、私の家でこの問題に対応していたのは、亡くなった夫でした。それで私は長尾谷1ー乙を所有する〈加茂町A〉さんの方が、当時の正確な事情をご存知だと思い、平成27(2015)年9月9日、遠藤さんを〈加茂町A〉さんのお宅へお連れしました。

    〈加茂町A〉さんは遠藤さんに「養豚場の少し下流の山林の持ち主がしいたけ栽培をするため川からポンプで水を汲み上げていたが、糞尿やゴミですぐポンプが詰まるとぼやいていた」話など、いろいろなお話をしてくださいました。後日、〈加茂町A〉さんの奥さんから、昔の話を聞きにくる人はなかなかいないので、〈加茂町A〉さんも喜んでいたと伺いました。

  6. 平成27(2015)年10月22日に〈東鳴川C〉さんから伺った話について

    〈加茂町A〉さんのお話を伺った後、私は東鳴川町の〈東鳴川C〉さんとも連絡を取りました。〈東鳴川C〉さんは平成27(2015)年10月22日なら会えるとのことでしたので、私は遠藤さんをお誘いして、平成27(2015)年10月22日に〈東鳴川C〉さんのお宅を訪ねました。この日、〈東鳴川C〉さんは確かに「今は〈原告〉に土地を貸していない」と明言していました。

  7. 東鳴川町502売却後、〈東鳴川C〉さんから伺った話について

    令和元年(2019)年の8月10日ごろ、遠藤さんから、〈原告〉が東鳴川町502を購入するらしいとの連絡があり、私は令和元(2019)年8月16日に、私がよく相談させていただいている木津川市の〈木津川市議P〉にも同席していただいて、土地売却の事情を聞くため、〈東鳴川C〉さんのお宅に伺いました。

    土地売却の経緯について〈東鳴川C〉さんは、「去年までは〈原告〉も何も言って来なかったが、今年の2・3月くらいから頻繁に電話がかかって来た。最初は「新しい豚小屋を造るので資材置き場として土地を貸してほしい」という話だった。しかし以前の事があるので、一度貸したら永久に使われかねない。そこで「貸すつもりはない。資材も置くな」と返事をしたところ、しばらくして「買い取りたい」と言ってきた。養豚場の娘が土地購入の交渉にやってきた。」とお話しくださいました。

    それから〈東鳴川C〉さんは、売却交渉の中で〈原告〉がそれまでと異なる好条件を提示してきたとも話していました。加えて〈東鳴川C〉さんが言うには、「当初は10年の分割払いという話だったが、それでは10年先まで本当に支払われるかわからないため、一括払いを要求したところ、すでに全額振り込まれている」とのことで、〈東鳴川C〉さんは具体的な金額はおっしゃいませんでしたが、裁判などに費やした額程度は最低限取り返せたとおっしゃって、売却額には満足している様子でした。

    また東鳴川町502売却にあたっては、〈東鳴川C〉さんと土地不譲渡確約書を交わしていた、東鳴川町502に隣接する東鳴川町501を共同所有する皆さんから、東鳴川町502と東鳴川町501の土地境界を法的に確定しない限り、売却は認めないと強く言われたそうです。けれども〈原告〉が土地境界確定の費用を全額負担することになったので、令和元(2019)年夏ごろまでに関係者が立ち会って土地境界が確定され、売却が可能になったとのことでした。

    長尾2と東鳴川町502の土地境界については、「平成19(2007)年の市有土地境界確定図にある土地境界で〈加茂町B〉さんと合意したことに間違いはない。〈原告〉にも〈加茂町B〉さんとの約束があると伝えた」とおっしゃっていました。

  8. 〈原告〉が赤田側の北側で「牛の放牧」をしたことはありません。

  9. 当初誤った位置に赤田川南岸の府県境が復元された理由

    令和2(2020)年2月ごろ、木津川市管理課の松本課長にお会いした時、市有土地境界確定図の再確定図で、当初明らかに誤った位置に赤田川南岸の府県境が復元された理由について伺ったところ、松本課長は、〈原告〉が、赤田川南岸にある金属鋲が府県境を示す境界標であり、絶対に位置が変わっていないと主張したので、赤田川南岸の府県境を既設金属鋲の位置にしたと答えました。

  10. 私が遠藤さんに提供した証拠について

    遠藤さんが裁判所に提出した証拠のうち、乙第80号証の1及び2(土地不譲渡確約書)、乙第82号証(告訴状)、乙第84号証1及び2及び5(村田商店からの柵設置に関する通知・通知に対する返答・再返答)、乙第123号証(村田商店からの覚書案)、乙第124号証(覚書案に対する返答)は私が遠藤さんに提供したものです。いずれも原本の正確な写しであることに間違いありません。

以上