(一審被告)控訴理由書
2022年7月19日提出
控訴人(一審被告) 遠藤 千尋
被控訴人(一審原告) 株式会社村田商店
控訴理由書
頭書事件について、控訴人は、下記の通り控訴理由書を提出する。
記
第1 原判決が不当である理由の要旨
原判決は以下の理由で不当である。詳細は第2以降で述べる。
1 原判決は、法的な見解の表明は、事実を摘示するものではなく、意見ないし論評の表明の範疇に属するとする最高裁判例(最一小判平成16年7月15日民集58巻5号1615頁)を踏まえていない(15〜17頁)。
2 原判決は「FACT1において、本件土地1の無断掘削の事実が摘示されているものと認められる」(18頁1〜2行目)とするが、山林掘削工事が、本件土地1とその他の土地を区別して行われたものではないことを考慮しておらず不当である。
3 原判決は「被告において、契約の一方当事者の口頭での説明を軽々に信用した」(18頁23〜24行目)とし、控訴人が〈東鳴川C〉の証言のみに依拠して本件賃貸借契約が解消されたと信じたと断じているが、当時もう一方の当事者である被控訴人(一審原告)と奈良県畜産課は一体となって、信用するに値しない言動を繰り返していたのであり、控訴人(一審被告)が〈東鳴川C〉の証言を信用したことには合理的な理由があった。
4 原判決は「イ 本件土地2の無断掘削及び本件土地3の不法占拠について」(19〜22頁)に関し検討を加えているが、この争点は、裁判所が示した争点整理では「本件土地2及び本件土地3の不法掘削について」が争点とされており、争点整理になかった「本件土地3の不法占拠」については、被告に抗弁の機会が十分に与えられていない。また、争点整理では「本件土地1と本件土地2及び本件土地3の境界線が、被告の主張する範囲内に存在すること」について、被告が真実性の抗弁の立証責任を負うとされたが、原判決では「本件全証拠をもってしても、本件境界の位置を正確に認定することはできない」(19頁13〜14行目)とし、本件境界の正確な位置を認定できなければ越境を立証できないとしており、被告が立証責任を負うべき事実が、争点整理と異なっている。
5 原判決は「境界の目印が確認できない」(19頁19行目)「本件境界を正確に特定するのは困難であった」(20頁6行目)とし、本件境界の目印が〈村田商店代表乙の父〉の掘削によって失われた事実を認定しているものと考えられるが、そうすると、このことは〈村田商店代表乙の父〉の掘削が本件境界を破壊したことを認めたのと同じであるから、〈村田商店代表乙の父〉の掘削が本件境界を越境したことについて真実性は認められないとの結論(21頁9〜10行目)は、認定した前記事実と矛盾している。
6 原判決は「本件原確定図は、木津川市が市有道路の管理のため市有道路の境界を確定する趣旨で作成した図面であり、本件境界(民有地間の境界又は京都府と奈良県の府県境)の確定は目的とされていない」(20頁3〜5行目)とするが、本件原確定図作成の経緯からすると、本件原確定図が「京都府警に対し各自が所有されている土地の境界の確認が行われ」たこと(乙6:4頁)を踏まえて作成されたことは明らかである。
7 原判決は、「被告が提出した実測全図についても(中略)本件境界を確定するために収集されるべき資料全体における実測全図の位置付けも不明であって、これによって、本件境界の位置を正確に看取することはできない」(20頁18〜23頁)として、添上郡鳴川村実測全図(乙86の1及び2)の重要性を正当に評価していない。
8 本件境界の正確な位置は、現在全く不明なのではなく、〈加茂町B〉らが主張する本件原確定図(平成19(2007)年市有土地境界確定図(甲7の3))に基づく境界と、被控訴人が主張する境界のいずれかの範囲内で決まるが、被控訴人は、本人尋問及び証人尋問で、初めて自らが正しいと信じる本件境界を明らかにするまで、より正確な本件境界がどこにあるとも主張せず、ただ本件境界は未確定だと主張するばかりであった。原判決は、本人尋問に至るまで、現在の本件境界とされる境界線が、本件原確定図記載の境界線以外に存在しなかったことを全く検討していない。
9 原判決は「〈村田商店代表乙の父〉による産業廃棄物の違法投棄の事実については、真実性及び相当性を認めるに足りる証拠はない」(22頁1〜2行目)とするが、これは裁判所の争点整理にはない争点であるばかりか、被控訴人(原審原告)が一度も争点としておらず、予備的請求としても削除を求めていない事実である(FACT1の争点表、原判決記事目録2)。
10 原判決は「刑事告訴された被疑事実の不起訴処分の理由が起訴猶予であることについては、真実性及び相当性を認めるに足りる証拠がない」(22頁4〜5)とするが、裁判所の争点整理では、「2005年、A、Bが原告のことを刑事告訴した事実」について、被告に真実性の抗弁の立証責任があるとされていた。原判決で立証責任の範囲が変更されていることは、不当である。
また〈加茂町B〉が検察から起訴猶予と受け取れる説明を受けた(〈加茂町B〉調書3頁)こと、及び、一般に信頼性が高いと信じられている木津川市会における市議会議員の発言(乙6:10頁、「今回の養豚場の関係は、起訴猶予ということでした」)を、正当に評価していない。
11 原判決が「原告は(中略)一般の通行人による公道の通行を制限していたことが認められるが、このような措置が違法であったことを認めるに足りる証拠はない」(23頁17〜23行目)とし、所轄警察署長から道路使用許可を得ないまま道路を排他的に使用することの違法性を認めなかったことは不当である。
12 原判決が「恫喝とまで評価されるような行為に及んでいたことは客観的証拠もなく、これを否定する〈村田商店代表乙〉の供述に照らし、被告の供述等は直ちに信用することができず、他にこの事実を認めるに足りる証拠はない」(24頁3〜6行目)とし、一方的に控訴人(一審被告)らの供述を否定したことは不当である。
13 原判決は「FACT3において摘示された村田養豚場による公道占拠の事実は、真実であると認められる」(25頁1〜2行目)としながら、「村田養豚場による公道の占拠が不法であるとの事実については、真実性及び相当性ともに認められない」(25頁7〜8行目)としているが、争点整理時に裁判長が「公道を占拠していれば道路交通法違反になる」という趣旨の発言があったことからすると、原判決の判断は不当である。
14 原判決の別紙記事目録1には、被控訴人が予備的請求として削除するべきとした記事目録2にない記事が含まれている(記事目録1の2ー(3)(7)ないし(10)・(11)の第2文・(12)ないし(15)、3ー(3)(5)(10))が、それらについては、弁論準備手続において明確な争点とされたことが一度もないから(FACT1及び2の争点表)、被控訴人においても、それらの記述に記載された個々の事実については、真実と認めているものと解するべきである。
第2 法的な見解の表明は意見ないし論評の範疇に属することについて
1 2020(令和2)年4月8日の第3回弁論準備手続において、当時の裁判長から、争点表を作成するにあたって、争点となっている本件記事中の各記述につき、それが「事実の摘示」であるか「意見ないし論評」であるか、まずは控訴人(一審被告)の側で区別するよう求められた。その際裁判長は、法的な見解は意見ないし論評の表明にあたるとする最高裁判例があることを特に指摘したが、原判決ではこの点検討された形跡がない。なおこの最高裁判例については被告第4準備書面6頁で言及している。
2 法的な見解の表明は、事実を摘示するものではなく、意見ないし論評の表明の範疇に属するとする最高裁判例(最一小判平成16年7月15日民集58巻5号1615頁)は次のとおりである。
「 問題とされている表現が,事実を摘示するものであるか,意見ないし論評の表明であるかによって,名誉毀損に係る不法行為責任の成否に関する要件が異なるため,当該表現がいずれの範ちゅうに属するかを判別することが必要となるが,当該表現が証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を明示的又は黙示的に主張するものと理解されるときは,当該表現は,上記特定の事項についての事実を摘示するものと解するのが相当である(前掲最高裁平成9年9月9日第三小法廷判決参照)。そして,上記のような証拠等による証明になじまない物事の価値,善悪,優劣についての批評や論議などは,意見ないし論評の表明に属するというべきである。
(2) 上記の見地に立って検討するに,法的な見解の正当性それ自体は,証明の対象とはなり得ないものであり,法的な見解の表明が証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項ということができないことは明らかであるから,法的な見解の表明は,事実を摘示するものではなく,意見ないし論評の表明の範ちゅうに属するものというべきである。また,前述のとおり,事実を摘示しての名誉毀損と意見ないし論評による名誉毀損とで不法行為責任の成否に関する要件を異にし,意見ないし論評については,その内容の正当性や合理性を特に問うことなく,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,名誉毀損の不法行為が成立しないものとされているのは,意見ないし論評を表明する自由が民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するものであることを考慮し,これを手厚く保障する趣旨によるものである。そして,裁判所が判決等により判断を示すことができる事項であるかどうかは,上記の判別に関係しないから,裁判所が具体的な紛争の解決のために当該法的な見解の正当性について公権的判断を示すことがあるからといって,そのことを理由に,法的な見解の表明が事実の摘示ないしそれに類するものに当たると解することはできない。
従って,一般的に,法的な見解の表明には,その前提として,上記特定の事項を明示的又は黙示的に主張するものと解されるため事実の摘示を含むものというべき場合があることは否定し得ないが,法的な見解の表明それ自体は,それが判決等により裁判所が判断を示すことができる事項に係るものであっても,そのことを理由に事実を摘示するものとはいえず,意見ないし論評の表明に当たるものというべきである。」
上記最高裁判例に従えば、控訴人が本件記事に記載した「山林侵奪」「不法」「違法」といった法的な見解の表明は、意見ないし論評の表明に当たるものと言うべきである。
第3 裁判所の「争点に対する判断」について
1 「(2) FACT1」について
(1) 「ア 本件土地1の無断掘削及び不法占拠について」について
ア 「(ア)」(原判決17頁19行目〜18頁9行目)について
(ア) 原判決は「FACT1において、本件土地1の無断掘削の事実が摘示されているものと認められる」(18頁1〜2行目)とするが、山林掘削工事が、本件土地1とその他の土地を区別して行われたものではないことを考慮しておらず不当である。
(イ) 〈村田商店代表乙の父〉の掘削に関する被控訴人の主張は、端的に言えば「〈村田商店代表乙の父〉の掘削は本件土地1の範囲内であり適法であった」というものである。すなわち、被控訴人の認識としても、〈村田商店代表乙の父〉の掘削は土地区画を分けて工事されたものではなく、一つの工事である。しかし、後述するように、〈村田商店代表乙の父〉の掘削は本件土地1の範囲を越えるものであったから、掘削工事の全体について、「〈村田商店代表乙の父〉の掘削は不法掘削であった」と評価することは、正当かつ妥当である、
本件記事は、むしろ本件土地1が「借りている山林」だったことを明記し(甲2:3頁)、その工事区域の中に含まれる、本件土地1と本件土地2、本件土地3に、それぞれ個別の事情があったことを明らかにしているものである。被控訴人が本件土地1を購入するなど、状況が変化したことを受け、令和元(2019)年9月11日に、控訴人は本件記事の一部を変更したが、その際、被控訴人が裁判所に提出した別件訴訟の判決(甲5・6)を本件記事から参照できるようにしたこと(甲22:5頁)により、このことはよりいっそう明確となったと言える。
また、本件土地1及び2のような急峻な斜面からなる山林を掘削する場合、土地境界ぎりぎりのところまで平坦地を造成することは不可能である。仮にそのような掘削を行ったならば、土地境界に沿って危険な絶壁が形成されることとなる。したがって、〈村田商店代表乙の父〉の掘削が、本件土地2に越境するものであったことは、本件土地1において使用可能な平坦地を不当に広げる結果ともなっており、〈村田商店代表乙の父〉が越境して掘削したことと、本件土地1に平坦地が広く確保されていることとは一体のものであるから、〈村田商店代表乙の父〉の掘削全体を不法と評価することは妥当である。
また、平成19(2007)年6月の木津川市議会において、当時の木津川市議が、〈村田商店代表乙の父〉の掘削を「山の侵奪」(乙6:1頁)「勝手に他人の山を侵奪」(乙6:2頁)と表現しており、本件記事の表現は、木津川市議会議事録にある表現を踏まえたものである。
(ウ) ところで、訴訟提起後、令和元(2019)年9月11日、控訴人は被控訴人の主張に配慮して、表現を「無断掘削」と変えたが、一般に地形を大きく変える工事では、いかに賃貸借契約があろうと、賃借人がその工事の範囲や内容について、賃貸人である土地所有者に十分に断りを入れ、両者の認識をすり合わせることが期待されるところ、〈東鳴川C〉により別件訴訟が提起されたことは、そのような十分な断りがなかったためだと言わなければならない。少なくとも当時本件土地1の土地所有者であった〈東鳴川C〉は、〈村田商店代表乙の父〉が本件土地2に越境して掘削し、越境部分に斜面を形成することによって、本件土地1において、本来形成不可能な広さで平坦地を造成する掘削を行うことを了承していたとは到底考えられないから、この点において本件土地1についても、「無断」あるいは「突如」と評価するべき掘削はあった。
(エ) 以上のとおり、本件記事に本件土地1のみを取り出して不法と評価した記述はないところ、〈村田商店代表乙の父〉の掘削は本件土地1ないし3を一体の工事として掘削したものであるから、工事全体を不法と評価することは正当であり、仮に本件土地1のみを取り出した場合でも、「無断」あるいは「突如」と評価するべき状況はあった。したがって、本件土地1の無断掘削について、名誉毀損の不法行為が成立するとした原判決の判断は不当である。
イ 「(イ)」(原判決18頁10行目〜19頁6行目)について
原判決は、「被告において、契約の一方当事者の口頭での説明を軽々に信用したからといって、村田養豚場が訴訟による紛争解決後に不法占有を続けていると信じるにつき相当の理由があったとはいえない」」(18頁23〜24行目)とするが、控訴人は一方当事者の口頭での説明のみに依拠して、被控訴人が不法占有を続けていると信じたのではない。
また、「信用」という観点から言えば、当時から被控訴人は奈良県畜産課と一体となって、全く信用するに値しない言動を繰り返していたことを指摘しなければならない。
すなわち、平成26(2014)年ごろまでに被控訴人は占有権限のない市道と他人地を囲う形で立入禁止の看板を掲示していたが、監督行政機関であるはずの奈良県畜産課はそれを追認するだけでなく、虚偽の説明を行ってまで、木津川市にも同じようにその状況を追認するよう求めていた。その後木津川市の申し入れなどにより、平成28(2016)年春ごろまでに、立入禁止の看板は市道上から撤去された(乙99)が、奈良県畜産課は控訴人の問い合わせに対し、今後は公道を衛生管理区域にさせないとは決して述べなかったため、公道の私物化と事実上の他人地占有が、被控訴人と奈良県畜産課によって、近い将来、「防疫」の名の下に、再び押し進められる恐れがあった。しかもこれは決して杞憂ではなく、豚熱(豚コレラ)発生後、公道の私物化が、被控訴人と奈良県畜産課により、控えめに言っても脱法的に押し進められているのが実際である。
このように、被控訴人と、本来は被控訴人を監督するべき奈良県畜産課が一体となって、まさに行政ぐるみで、脱法的に犬の放し飼いや公道の私物化、事実上の他人地占有を、再び押し進めるだろうことが予想される中、控訴人が世論に訴えることで、そうした、行政ぐるみで強行される問題の再発を抑止しようとしたことは、言うまでもなく表現の自由の範疇に属する。
また本件土地1についても、〈東鳴川C〉は控訴人の聞き取りに対し、賃貸借契約がない今、置かれているものについては撤去してほしい旨述べていた(乙139:23頁)し、2009(平成21)年には本件賃貸借契約が解消されたと言う〈東鳴川C〉の証言が木津川市議会議事録で言及されている出来事(乙6:15頁、乙81:2頁)と整合する一方、被控訴人は本件土地1をもっぱら廃材置き場や汚泥投棄場として使用(乙31)し、万が一にも立ち退きを命じられた場合痛手の大きな養豚設備を設置することはなく、畜産業を目的とする本件賃貸借契約が継続していることを前提とした土地使用をしているようには思われなかった。そして、被控訴人は前述の通り、本件土地1以外にも、明らかに占有権限がない市道と他人地を囲う形で立入禁止の看板を設置していた上、犬の放し飼いについては、しばしばイノシシ除けのために認められているといった事実と異なる説明をを行うなど(乙35:2頁、乙36:2・3頁、乙39、乙41)、全く信用するに値しない言動を繰り返していた。したがって、控訴人が、本件土地1が当時の土地所有者である〈東鳴川C〉にとって不本意な形で被控訴人に使用されている問題について、被控訴人を信用せず、〈東鳴川C〉が本件賃貸借契約が解消されたと判断した当時は別件裁判により〈東鳴川C〉にも弁護士がついていたのであるから、当事者しか知り得ない何らかの事情によって、〈東鳴川C〉の証言通り本件賃貸借契約が解消したと信じ、本件土地1を被控訴人が占有していることについても、解決するべき問題の一つと捉えたことには合理的な理由がある。
以下、詳細を述べる。
(ア) 被控訴人は、実際には占有権限を有していないにもかかわらず、他人地や公道を養豚場の敷地に取り込む形で、公道上に「立入禁止」の看板を設置していたことについて。
あ 被控訴人が設置した「立入禁止」の看板について
(あ) 平成26(2014)年ごろ被控訴人が公道上に設置した立入禁止の看板には、「敷地内立ち入り禁止 家畜伝染病予防法第12条の3の2に定められている飼養衛生管理基準に従い、農場主の許可なくみだりに敷地内に立ち入ることを禁じる。(黄色の看板)」と書かれており、一般人をして、その看板より先が村田養豚場の敷地であり、法律により立ち入りが禁止されていると信じさせるものであった。(乙147:(1)〜(4))
(い) しかし、被控訴人が設定した衛生管理区域は極めて異例なものであり、当初は奈良県家畜保健衛生所としても「区域は敷地のまわりに設定されるのが通例であり、道路からすべてを衛生管理区域だということには衛生所も違和感がある」「衛生管理区域は事業主が設定する。事業主が設定を行い、衛生所は助言するというのが通常であるが、村田養豚場のようにその地域一帯を衛生管理区域に設定するというのは前例がない」との認識を示した。その後、奈良県家畜保健衛生所は「国からは他人地を衛生管理区域に設定するのは好ましくないとのことであった」と木津川市に報告している。(乙74:2〜3頁)。
(う) 平成26(2014)年6月12日に、奈良県家畜保健衛生所が木津川市管理課を訪れた際持参した資料に、被控訴人が設定していた衛生管理区域が図示された地図と航空写真がある(乙116:2・3頁)。この衛生管理区域図は被控訴人が作成したものと思われるが、これを見ると、村田養豚場の衛生管理区域が、被控訴人が所有する土地の範囲に加え、赤田川北側の、〈村田商店代表乙の父〉の掘削により平坦に造成された部分(すなわち本件土地1の一部及び本件土地2の一部及び本件土地3の一部及び木津川市道)、さらには被控訴人所有の土地の間にある木津川市道、養豚場南から県道33号線までの木津川市道及び私道までをも含むものであったことがわかる。
ところでこのころ被控訴人は、控訴人のほか通行人などにも「養豚場南側の道は私道だから通れない」と主張していた(乙137)。なお被控訴人は、それ以前の平成24(2012)年に、市道上からプレハブ小屋を撤去した際にも、同様の主張をしている(乙7の3)。また控訴人は2014(平成26)年ごろ、東鳴川町住民(氏名不詳)から「県道は大型車が多く怖いので養豚場の前を通る道を通りたい時もあるが衛生管理区域だから通るなと言われている」と聞いていた(乙139:14頁)し、奈良市保健所も、控訴人の問い合わせに対し、奈良市保健所が連絡なしに村田養豚場に近づくことができない理由として、赤田川南側の道が私道であることを指摘していた(乙139:15頁、甲2:17頁)。これらの事実はこの道が衛生管理区域に設定されていたことと整合している。
(え) しかも、衛生管理区域の範囲を示す立入禁止の看板は、被控訴人が設定した衛生管理区域よりさらに外側にも設置されていた。
控訴人は、平成26(2014)年2月ごろまでに、京都側から赤田川北側に降りていくと、林の出口付近に立入禁止の看板が設置されていることに気がついていた(乙94の1)。その後控訴人が同年3月17日に通りがかった際にも、赤田川北側に設置された立入禁止の看板は、林の出口にあるものだけで、林の出口付近に特に変化はなかった(乙147:(1))。しかしその10日ほど後の同年3月28日には、林の出口の手前20メートルほどの区間に限って大量の木が倒れており、通行が困難となっていた。この間、特に天候が荒れた日はなかったため、それらが人為的な倒木であった可能性は否定できない(乙139:13頁、乙148の1・2)が、立入禁止の看板はやはり林の出口にあるものだけであった。
ところが、さらにその一月ほど後の同年4月26日、木津川市の環境保護を目的とした市民団体「加茂の水と緑を守る会」が、村田養豚場の敷地の間にある市道を通り抜けるウォーキングを行った際には状況が異なっており、「京都府側からは歩けなかった」とのことであった(乙96)。ウォーキング参加者によると、林の出口の手前30メートルほどのところにバリケードと立入禁止の看板が設置され、その向こうに真新しい石灰が撒かれていたため、通行を断念したとのことである(乙147:(3)(4))。なお、新たにバリケードが築かれた場所は、被控訴人が証人尋問・本人尋問で主張した本件境界よりもさらに北であり(乙147:位置図(3))、林の出口からは村田養豚場を視認できたところ(乙147:(1)・位置図(1))、バリケードの位置からは村田養豚場が全く見えない(乙147:(3)・位置図(3))。このウォーキングは事前に被控訴人に実施が連絡されていた(乙96)から、ウォーキング参加者が村田養豚場の間にある市道を通行し、村田養豚場の様子を見ることを嫌って、被控訴人がウォーキングの直前に、村田養豚場が見えない位置に、追加でバリケードを築いたとも考えられる。
この新たに設置されたバリケードの脇には、前述の黄色い看板に加え、「家畜伝性病発生予防の為、関係者以外立入禁止 立ち入るものは車両。手指・靴の消毒を実施すること」と書かれた白い看板と「家畜伝染病予防のため ・一週間以内に海外から入国した方の立ち入りを固くお断りします。 ・4ヶ月以内に海外で使用した衣服や靴の持ち込みは禁止です。 ・車両及び靴底の消毒、立入記録ノートへの記帳をお願いします。」と書かれた看板が設置されており、他の場所にある看板に比べ入念な掲示がなされ、一般人をしてその先に進むことが法律で禁じられていると信じさせる状況であった。
(お) 小括
以上の通り、2014(平成26)年春頃までに、被控訴人は自らが設定した衛生管理区域(乙74:2頁)を根拠に、自らが所有する土地以外に、本件土地1の一部、本件土地2の一部、本件土地3の一部、木津川市道、養豚場南側の私道を囲う位置に「敷地内立ち入り禁止」と書かれた看板を設置したが、この看板はこれらの土地について被控訴人が占有権限を持つことを示すものであったと言わなければならない。
い 被控訴人が衛生管理区域として事実上占有していた5つの土地(本件土地1の一部、本件土地2の一部、本件土地3の一部、木津川市道、養豚場南側の私道)のうち、少なくとも4つの土地(本件土地2の一部、本件土地3の一部、木津川市道、養豚場南側の私道)については、明らかに被控訴人に占有権限がなかったことについて
(あ) 被控訴人は、本件土地2及び本件土地3に越境していないと主張しているのだから、被控訴人も、本件土地2及び本件土地3に占有権限がなかったことは認めている。
① なお本件原確定図が修正されたのは、立入禁止看板が撤去された平成28(2016)年3月の2年以上後の、平成30(2018)年11月28日であり、それ以前において本件原確定図が有効であったことには争いがなく、被控訴人自身、本件原確定図が有効であることを認めて、平成24(2012)年5月に、木津川市道上に建設した小屋を撤去している(乙7の3)。
② 修正後の本件確定図においても、市道の西の縁を形成する108-111-112-114-116点を結ぶ点より西側が本件土地3であることは、確定されたままである(甲7の4)。
③ したがって、本件原確定図が修正される前の時点においては、被控訴人自らが指定した衛生管理区域を根拠に、被控訴人は、本件土地2の一部と本件土地3の一部への立ち入りを禁止する看板を立てていたということに争いはないと言える。そして、本件原確定図が修正した後においても、少なくとも本件土地3が衛生管理区域として立ち入りが禁止された土地に含まれていたことに争いはない。
④ 加えて、被控訴人は、自らが設定した衛生管理区域より北側にもバリケードと立入禁止の看板を設置していたが、その場所は被控訴人が主張する本件境界よりも北側であった(乙147:(3)(4)・位置図(3)(4))から、追加で設置されたこのバリケードが、本件土地2の一部と本件土地3の一部と木津川市道への立ち入りを禁じるものであったことにも争いはない。
(い) 村田養豚場南側の私道については、平成27(2015)年1月29日、控訴人が私道所有者である大阪の不動産業者に電話で問い合わせたところ(乙149)、「土地取得以前からある勝手道でありなんら通行は制限しておらず、被控訴人との間に賃貸借契約などは何もない」とのことであった。被控訴人は「私道だから通れない」と主張していた(乙7の3、乙137)が、実際には被控訴人が排他的に私道を使用する権限を有していたわけではなかった。
(う) 木津川市は、木津川市議会で議員の質問に答える形で「この道は、養豚場の衛生管理区域設定により、通行禁止看板が設置されているところでございますが、その看板の撤去を奈良県家畜 保健衛生所から養豚場に指導していただくよう申し入れており、通行について家畜保健衛生所と協議を行ってまいります。(乙6:42頁)」とし、「養豚場の衛生管理区域という通行を妨げるような状況があるということで、そこのことに対しましては、奈良市の、先ほど建設部長が答えましたように、奈良県家畜衛生保健所のほうから御指導いただき、許可権者でもあるところでございますので、しっかり御指導いただき、対策を講じてい ただけるように求めてまいりたいと思います。(乙6:43頁)」と述べている。したがって、被控訴人が公道を衛生管理区域として通行を制限したことは明らかに違法であるが、このことはFACT2の争点に関することでもあるので、詳しくは後述する。
(え)小括
以上のとおり、被控訴人自らが衛生管理区域に設定し、立ち入りを禁じていた被控訴人所有の土地以外の5つの土地のうち、3つの土地までは被控訴人に占有権限がなかったことについて争いがなく、残り2つの土地のうち1つは市道であった。いうまでもなく被控訴人に当該市道の占有権限はなく、当該市道に被控訴人が京都府警木津警察署の許可なく立入禁止の看板を設置したことは明らかに違法である。
(イ) 奈良県畜産課が虚偽説明を行ってまで被控訴人を殊更に擁護していたことについて
あ 控訴人が木津川市管理課で聞いたところによると、奈良県家畜保健衛生所は「飼養衛生管理基準の改正に関するQ&A」のQ10(乙98:5〜6頁)を示して、管理課に「敷地の間を公道が通っている場合、公道を含めて衛生管理区域にできる。衛生管理区域に設定された以上、公道であっても、区域内に入る際には消毒が必要。したがって、通行したい場合は、事前に電話で連絡してほしい。農場従業員が消毒の準備などして適切に対応する」と説明したという(乙139:15頁、乙2:20〜21頁)。
Q10は下記のとおりであり、農場の間に公道がある場合は、公道を含めて衛生管理区域と「みなす」ことができるが、公道を通行する人や車両に消毒は義務付けられないので、農場関係者が公道を渡った場合は、農場の入り口で消毒するよう求める内容となっている。つまり、(おそらく手続きを簡単にするため)農場の間にある公道は衛生管理区域とみなして良いが、実際には公道を衛生管理区域扱いしてはならないという内容である。
「Q10.
農場が公道や私道で分断されている場合、その行き来をする場合にも消毒等の実施が必要ですか。
(答)
両農場が道路を隔てて隣接しており、又は両農場間に別の畜産関係施設が存在しない場合には、公道や私道を含めて両農場を同一の衛生管理区域とみなすことができます。
ただし、この場合には、公道を通行する人や車両に消毒を義務付けることはできないので、両農場間の移動に当たっては、両農場の出入口で踏込消毒槽等による長靴の入念な消毒を行ってください。」
しかし前述のとおり、木津川市管理課によれば、奈良県家畜保健衛生所は、この「Q10」について、農場関係者ではなく一般通行人の方が、両農場間の道を通行するに当たって、入念な消毒が必要という意味だと説明したという。言うまでもなく、この「Q10」をそのように読むことはできないから、奈良県家畜保健衛生所の解釈は意図的な曲解に他ならず、虚偽説明と評価するべきものと言わなければならない。
このことは、控訴人から村田養豚場が公道を衛生管理区域に設定していることを聞いた奈良市住民が、独自に農林水産省に問い合わせた結果返ってきた回答に、「衛生管理区域は、所有者の農場内を区分するものであって、公道の占拠を認めるものではありません」とあることからも明らかである(乙150、甲2:19頁)。
い 奈良県畜産課は、平成26(2014)年6月12日、奈良県家畜保健衛生所職員3名が村田養豚場への指導の帰りに木津川市に立ち寄り、「木津川市道は奈良市道とつながっていないため行き止まりである、養豚場への浄瑠璃寺側にある看板を『この先行き止まり』等」とするよう木津川市に求めた(乙116:1頁、乙6:37頁)。これは、平成24(2012)年に市道上のプレハブ小屋が撤去された際に、被控訴人が述べた主張とほぼ同じである(乙7の3)。しかし、木津川市道は府県境沿いに奈良まで続いている(乙7の3、乙85の1・2)し、前述のとおり、奈良県道33号線へ抜ける私道についても、私道の土地所有者は通行を何ら制限していなかったのであるから、「行き止まり」というのは全くの虚偽である。
う 平成27(2015)年11月6日、控訴人が農林水産省安全局家畜防疫対策室に電話をして、イノシシ避けのために犬を放し飼いにすることの是非について問い合わせたところ、電話に出た担当の福原は「イノシシの進入を防ぐために犬を飼うことは飼養衛生管理基準違反ではない。ただし放し飼いにするのは、犬がどこで野生のイノシシと接触するかわからないので、いい措置とは言えない。柵で囲い、その中で犬を飼うことが望ましい。犬が衛生管理区域を出入りしないようにすることが望ましい。犬が行動できる範囲を衛生管理区域の内側か外側かのいずれかに限定するべき。」と答えた。この回答は、農林水産省としての回答と受け取って良いとのことであった。(乙139:28頁)
なお、「豚肉の生産衛生管理ハンドブック」(乙57:12頁)に、控訴人が農林水産省の福原から聞いたものと同様の記載がある。
しかし奈良県家畜保健衛生所は、犬については奈良市保健所の管轄だとして、犬の放し飼いに関して一切指導を行おうとしなかった(甲2:66頁、甲22:137頁)。平成28(2016)年3月16日においても、奈良県は木津川市に対して「犬の件は、奈良市の保健所が担当である」と回答をしている。(乙99:2頁)
え 小括
木津川市に虚偽説明を行なってまで被控訴人を殊更に擁護する奈良県畜産課(奈良県家畜保健衛生所)と、奈良県にそのような特別扱いを強いている被控訴人に、控訴人が強い不信感を抱いたのは当然である。
(ウ) 本件記事公開当時、近い将来、犬の多頭放し飼いや、公道・他人地の占有などが再発する恐れがあったことについて
あ 被控訴人は、平成28(2016)年3月ごろ、新たに設置した犬小屋や囲い(乙92)の中に、放し飼いにしていた犬を収容するようになった(甲2:65〜66頁、甲22:136〜137頁、乙92)。しかし、それら新たに設置された犬小屋や囲いは、見るからににわか作りのもので、狭いスペースに多数の犬が押し込められており、そのような犬の飼養が長続きするようには到底思われなかった。
い 被控訴人が公道上に設置した立入禁止の看板は、 平成28(2016)年3月ごろまでに撤去された(乙99)。ところがその後、村田養豚場の敷地であることが明らかな土地の入り口に、同様の看板が設置されることはなく、公道と敷地の境界に柵などが設置されることもなかった(乙100の1ないし4)。このことから、被控訴人が公道上に設置した立入禁止の看板が「防疫」を目的としていなかったことは明らかである。もし防疫を目的としていたならば、立入禁止の看板をただ撤去するのではなく、公道の通行者が敷地に侵入することを防ぐ位置に立入禁止の看板が移動するはずだからである。そもそも犬が自由に徘徊できていた時点で、衛生管理区域は破綻しており意味がないから、被控訴人が設置した立入禁止の看板には、防疫とは無関係の、公道や他人地の占有といった真の目的があったと考える方が合理的である。
う 平成28(2016)年3月ごろ、奈良県畜産課は、控訴人からの問い合わせに対し、公道を衛生管理区域扱いにさせないとは決して述べなかったため、その後再び被控訴人が公道を衛生管理区域扱いにしたいと主張した場合、奈良県畜産課がそれを追認する恐れがあった(甲2:66頁、甲22:137頁)。
(エ) 実際に犬の多頭放し飼いや、公道・他人地の占有などが再発したことについて
あ 被控訴人が、平成28(2016)年3月ごろ新たに犬小屋などを設置し、その中に犬を収容するようになってから半年ほどで、犬の多頭放し飼いは元どおりに再開された(乙45ないし50、乙60、乙128)。
い 令和2(2020)年1月10日ごろ、本件土地2共同所有者らが認めなかった(乙84の2、乙84の5、乙115:1頁)にも拘わらず、原告は、村田養豚場を囲う防護柵を、「防疫」を理由に、本件土地2に越境する形で設置を強行した(乙84の4)。
う 防護柵設置後の令和2(2020)年1月下旬ごろ、 被控訴人は市道上の門扉に、市道が衛生管理区域に含まれるかのような看板を掲示していた(乙130)。この看板はすぐに撤去されたが、市道上の門扉設置に関する占用許可に付された占用許可条件では、日中は門扉を開扉しておくことが規定されている(乙121:2枚目の第2条)ところ、これに反して日中も門扉が閉鎖されるようになり、門扉で市道を事実上封鎖して被控訴人が排他的に市道を使用している状態となった(乙128:(29)(31)(40)(44)(46))。しかも当初は防護柵の外側にも餌が置かれ、防護柵の外側で犬が放し飼いにされたため(乙126、乙128:(31)、乙130)、浄瑠璃寺周辺を放し飼いの犬が徘徊することもしばしばであった(乙141:(1)〜(3)(6)(7)(13))。
え 令和3(2021)年6月ごろ、被控訴人は、市道として機能している道を塞ぐ位置に、飼料タンクなどを置いた(乙141:(36))。このことは、木津川市も占用許可条件違反の疑いがあるとしている(乙156:3頁)。
お 令和4(2022)年5月ごろ、被控訴人は市道上の門扉に、通行者に協力を願う看板を掲示した(乙162)。その内容は、通行する際には呼び鈴を鳴らして従業員を呼び、門扉脇のゴミ箱に入っている防護服とブーツカバーを着用した上、従業員の案内に従って、ロープで示された「仮通路」を通行するよう求めるもので、明らかに占用許可条件(乙121:2枚目の第2条 、現在の占用許可条件は期間更新のため設置工事に関する条件は省かれているが、それ以外の条件は当初のままとなっている)と矛盾する内容である。このような一方的な協力願いは、交通の妨害となることが明らかであり、公益上又は社会の慣習上やむを得ないものとも到底認められない。
か 以上のとおり、控訴人が懸念していた犬の放し飼いや事実上の公道の私物化の再発は杞憂に終わることなく、実際再発した。
(オ) 奈良県畜産課が被控訴人の問題を丸抱えして殊更に被控訴人を擁護していることについて
あ 奈良県畜産課は、防護柵を越境して設置することを拒んでいた本件土地2所有者の〈加茂町B〉に、土地を「売却すれば」と聞いている(乙115:2頁、被告第4準備書面15頁)。このことは、奈良県畜産課として防護柵が土地境界を越境していると認識していることを示しているが、それと同時に奈良県畜産課が、被控訴人の希望通りに防護柵が設置できるよう、過剰に立ち回っていることもわかる。
い 奈良県畜産課長は、令和2(2020)年3月19日付けで、独立行政法人農畜産業振興機構に「村田商店及び防護柵設置箇所の隣接地の所有者の双方より、聞き取りを行い、当該事業の実施について異存がないことを確認した」旨」記載した文書を送ったが(乙125)、隣接地所有者が異存がないというのは明らかに虚偽である(被告第5準備書面11〜13頁)。すなわち、奈良県畜産課長は、虚偽の事実が記載された有印公文書により、独立行政法人農畜産業振興機構を欺いて、被控訴人に補助金を得させようとしたと言わなければならない。
う 令和2(2020)年10月1日に作成され、令和3(2021)年10月5日に一部変更された「飼養衛生管理基準遵守指導の手引き(豚及びいのししの場合)」(以下、「指導の手引き」という。)では、「不特定多数の者が出入りのたびに消毒や衣服・靴の交換ができない場所(公 道、生活居住区等)は、衛生管理区域の範囲に含めることはできません。」と明記された(乙151:21頁)。それにもかかわらず、令和3(2021)年11月9日、奈良県畜産課は木津川市に対し、「防疫」を理由として、市道上の門扉に係る道路占用許可条件を変更し、日中も門扉を閉鎖することを認めるよう求め、「国に問い合わせたところ、現在、公道は衛生管理区域外という扱いになるが、少なくとも防護柵により衛生管理区域は守られており、現在のままで野生動物の侵入を防ぐことはできている。区域と境界の明示化、従事者等以外の侵入防止という管理基準の本旨に適合しているものであれば、扉は常時閉めておいて、通行者にインターホンを押してもらって対応するのは衛生管理上望ましい対応との回答を得ている。」と説明した(乙152:2頁)。ところが、これは全くの虚偽であり、農林水産省の実際の回答は「公道を含めて衛生管理区域を設定することは、原則として認められません。しかしながら、家畜の飼養者が公道を使用することができる特段の事情があること、当該区域に出入りする全ての者が出入口での消毒や衣服・靴の交換等を行うこと、いのししの侵入を防ぐための防護柵が設置されていること、公道を含めて敷地を定期的に消毒することなど飼養衛生管理基準の全項目を遵守できると貴県が判断した場合は、この限りでないと考えます。」というものであった(乙153、乙154[文中の「要請書にあるようなコメント」とは前述の奈良県の説明を指す。])。木津川市も令和4(2022)年2月3日には、農林水産省の見解が奈良県の説明とは異なることを把握し(乙155)、奈良県畜産課にそのことを伝えている(乙156:2頁)。
え 令和4(2022)年2月25日に、市道上の門扉に係る占用許可に関し、木津川市と奈良県の間で協議がもたれたが、この中で奈良県は、被控訴人が村田養豚場で飼養している40頭の犬のうち、防疫上20頭を衛生管理区域内で放し飼いにすることが必要だと被控訴人が主張していることを報告した上で、奈良県畜産課としてはこれに一定の合理性・必要性があるとして追認する姿勢を示した(乙157:1・3頁)。しかし前述の指導の手引きでは、衛生管理区域内において、番犬を含む愛玩動物の飼養は明確に禁止されている(乙151:27頁(4枚目))から、被控訴人と奈良県畜産課の主張は明らかに指導の手引きと矛盾している。この点について、奈良県畜産課は、農林水産庁と調整中であるとして、調整がつくまで犬の放し飼いについては判断を保留するよう木津川市に求めている(乙158:1・2頁)。ところが、控訴人が農林水産省に行政文書の開示を請求したところ、この間、農林水産省と奈良県畜産課が飼養衛生管理基準について何らかの協議を行なっていることを示す文書は一切存在しなかった。また、畜産業界団体が、飼養衛生管理基準の緩和を求める要望書を提出していることを示す行政文書も一切存在しなかった(乙159)。したがって、農林水産省と犬の飼養につき調整を行なっているという奈良県畜産課の主張は、真実であることが極めて疑わしく、少なくとも行政文書が作成される水準で基準緩和の検討が進んでいる事実は存在しない。そもそも、公道上での犬の放し飼いは奈良県の動物愛護条例違反であり(乙41:1・2頁)、公務員にはその職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない(刑訴法239条2項)ことからすると、奈良県畜産課の主張は公務員としてあるまじきものと言わなければならない。
お 令和4(2022)年2月以降、木津川市と京都府警木津警察署は、公道を衛生管理区域に含めることは例外であることを指摘し、公道上を犬が徘徊している現状を改善させるよう奈良県畜産課に繰り返し求めている(乙156ないし158、乙161)。令和4(2022)年3月25日に行われた現地確認では、木津警察署が、市道上でフォークリフトが操業していることを問題視し、奈良県畜産課に対し、公務員には犯罪があると思われる場合告発する義務がある(刑事訴訟法239条2項)ことを指摘し、「県が丸抱えして殊更に申請者(被控訴人)を擁護しようとする姿勢には疑問を感じる」とまで述べた(乙161:3頁)。
それでもなお、奈良県畜産課が当初の方針を頑なに撤回しなかったため、結局令和4(2022)年5月ごろ、日中も市道上の門扉を閉鎖した上で、通行者が呼び鈴を鳴らして従業員を呼び、防護服等を着用して通行することを求める看板が、市道上の門扉に掲示され(乙162)、公道上での犬の放し飼いについてもそれまでと同様に放置された(乙160)。ただし、木津川市は占用許可条件を変更しておらず、控訴人が木津川市に問い合わせたところ、木津川市としては、代替防疫対策が整うまで暫定的に協力願いの掲示を容認しているもので、協力願いは通行者に強制できず、通行者が協力を拒否した場合も通行を妨げてはならないとのことであった。
このように「国からの回答」が虚偽であることが露見し、指導の手引き上、犬の放し飼いが明確に禁止されていることが木津川市と京都府警木津警察署に把握された後になっても、奈良県畜産課が公道の事実上の私物化と公道上での犬の放し飼いの容認を求め続けたことは、本来養豚場を監督指導するべき行政機関として異様である。
か 以上のとおり、奈良県畜産課は 現在も、被控訴人の希望通りにことが進むよう、「国からの回答」を捏造することまでしているが、このように行政ぐるみで虚偽説明を繰り返す傾向は、今に始まったことではなく、本件記事公開当時も全く同じであった。したがって、控訴人が、被控訴人及び被控訴人を殊更に擁護する奈良県畜産課を信用するに値しないと評価したことには、合理的な理由がある。
(カ) 被控訴人が信用できない言動を繰り返していることについて
あ 平成27(2015)年11月4日に、村田養豚場から赤田川を挟んで北側の市道で、控訴人が草刈りをしていたところ、〈村田商店代表乙の父〉と被控訴人代表の〈村田商店代表乙〉が声をかけてきたが、その際、両人の主張は論点がころころと変わり、しかもそれらの多くは控訴人が既に把握していた事実と異なっていた上、最後には〈村田商店代表乙の父〉が「今度ここを通ろうとして里道から少しでもはずれたらどうなっても知らんぞ」と控訴人を恫喝したため、控訴人は被控訴人に全く信用できないという印象を持った(乙139:26〜27頁(76))。なおこの時、控訴人は本件記事を作成することはもちろん、訴訟が提起されることも全く考えていなかったため、特に録音などはしていない。
ところで控訴人は、この一週間ほどあとの同年11月9日に、ツイッターで(のちに〈村田商店代表乙の父〉から恫喝を受けることとなる)〈通行人〉から初めてメッセージを受け、翌10日に養豚場の敷地の間にある道の通行に関して助言を求められた(乙168)。控訴人は〈通行人〉に「養豚場の土地は赤田川の南側だけ、敷地の外を衛生管理区域にすることはできない、里道は公道であって敷地ではないから消毒を義務付けることはできない、ということをはっきり言えば引き下がります」と答えたが(乙168:2頁)、これは当然に11月4日に控訴人自身が体験した〈村田商店代表乙の父〉及び〈村田商店代表乙〉とのやりとりを踏まえたものである。
い また、被控訴人がその場その場で自身に都合が良いと思われる主張を述べ、その際前後の主張が矛盾していても意に介さない傾向があることは、原審における被控訴人の主張を振り返っても明らかである。
① 被控訴人は御通知書では「犬を違法に放し飼いしておらず、檻の中で飼育している」としていた(乙1:3頁)のに対し、訴状においては「犬の一部を檻から放すことはある」としていた(訴状8頁)。ところが本人尋問では、〈村田商店代表乙〉は、二、三十頭の犬を朝一斉に放すと述べた。被控訴人の主張は、檻の中で飼養しているとした当初の主張から、放し飼いをあからさまに認める方向へと変わっている。
② 被控訴人は、令和3(2021)年10月19日の本人尋問では飼い犬の数は二、三十頭だと述べたが、令和4年(2022)年2月25日に、奈良県は木津川市に「(村田は)約40頭を飼育していると言っていた」と報告しており、わずか4ヶ月の間に犬の飼養数が大幅に増えている(乙157:3頁)。
③ 〈村田商店代表乙の父〉は証人尋問において「それは、検察庁のほうが言いました。木津川市が作成した里道と境界線に関しては、今更、こんなん出されてもしゃあない話やというて、検察庁から」(〈村田商店代表乙の父〉証人調書8頁)と証言する一方、控訴人代理人から「あなたが、検察庁のほうから、近隣関係でもめないほうがよいと言われたのは、既に先ほど申しました大がかりな境界確定が終わった後のことですね。平成19(2007)年に、乙第144号証の別紙2の土地の境界確定が終わった後のことですね。」と問われ、「それは知りません。そんなん知っているわけがおまへんがな。」と答えている。ところがその直後には、平成19(2007)年の現地立ち会いの現場に行き、説明などをしていたと認め、乙第83号証24頁の写真に自分が写り込んでいうことも認めた(〈村田商店代表乙の父〉証人調書19ー20頁)。このように〈村田商店代表乙の父〉には、前後の主張が矛盾していることを意に介さず、その場その場で自身に都合がよさそうに思われることを主張する傾向がある。
う 被控訴人は、平成24(2012)年5月に、被控訴人が市道上に建設していたプレハブ小屋を撤去した際、木津川市管理課に対して「養豚場に来る場合は、『今までの道路は民有地であるので入っては困る』旨言っておいてほしい」などと述べている。このように〈村田商店代表乙の父〉は、当の市道管理者である木津川市管理課に対してでさえ、躊躇することなく、およそあり得ない主張を行う傾向がある。
え 以上のとおり、被控訴人には信用するに値しない言動が目立つ。
(キ) 被控訴人が本件賃貸借契約の継続を前提とした行動をしていないことについて
あ 被控訴人は、〈東鳴川C〉との裁判の後、本件土地1の買取が決まった令和元(2019)年8月までの間、〈東鳴川C〉に賃料を払っていない(〈村田商店代表乙の父〉証人調書16頁)。
い 奈良県畜産課は、平成28(2016)年2月ごろ、村田養豚場の衛生管理区域から、里道と赤田川北側の土地を除外する変更を行った。被控訴人が賃貸契約が継続していたと主張する東鳴川町502についても、この時、村田養豚場の衛生管理区域から除外されたと考えられる(乙33:43頁(平成28(2016)年6月16日)、乙99:1頁)。しかし、被控訴人は、その後令和元(2019)年秋頃から赤田川北側の土地を囲う防護柵の設置を求めていた際には、奈良県畜産課から防護柵は赤田川の南側だけでも良いと助言されてなお、本件土地1を衛生管理区域とすることに固執している(乙106:3頁)。このことからすると、もし本件賃貸借契約が別件裁判後も継続していたのであれば、平成28(2016)年2月ごろに、赤田川北側が衛生管理区域から外されたことは不自然である。また、平成26(2014)年4月ごろ、市道上に立入禁止の看板が立てられていることが問題視されるようになった当初、奈良県家畜保健衛生所が「国からは他人地を衛生管理区域に設定するのは好ましくないとのことであった」と報告していること(乙74:3頁)からすれば、平成28(2016)年2月ごろ、赤田川北側が衛生管理区域から除外されたのは、そこが被控訴人に占有権限のない「他人地」であったためだと解することは理にかなっている。
う 被控訴人は、畜産業を営むことを目的として、本件賃貸借契約を結んだとするが、〈東鳴川C〉との別件裁判以降、本件土地1はもっぱら廃材や資材を置く場所として使われ、当初の目的とされた「牛の放牧」が行われなかっただけでなく、新しい豚舎が建設されることもなかった。しかし、被控訴人は、本件土地1の購入から1年あまりが経過した令和2(2020)年11月頃、本件土地1で新豚舎の建設を始めた(乙163:(1))。新豚舎の建設作業は、そのほとんどを〈村田商店代表乙の父〉をはじめ被控訴人の従業員が担っており、使用するコンクリートは、木津川市道上に積んだセメントや砂利に水を注ぎ込み、〈村田商店代表乙の父〉の運転する中型バックホウでそれらを練り合わせて作られていた(乙163:(3)(6)(7))。そのため、コンクリートの質が悪く、豚房入り口のポールが設置早々外れる(乙163:(5))などして、たびたび作業のやり直しが発生しており、工事は遅々として進まず、令和4(2022)年7月現在、新豚舎はいまだ竣工していない。結果、本件土地2に越境している防護柵沿いに並べられた新豚舎のための資材は、物によっては一年以上野ざらしとなっている(乙163:(4)(8))。
このことは、本件賃貸借契約が継続していたとすると不自然である。〈東鳴川C〉が〈加茂町B〉に語ったところによると、被控訴人は、本件賃貸借契約に規定された年間賃料の少なくとも数十年分で本件土地1を購入したという。しかし、本件賃貸借契約が継続していたのであれば、被控訴人はそのような多額の費用をかけて本件土地1を購入するより、格安と言って良い賃料を払って、土地購入に当てた資金を新豚舎建設に振り向けた方が合理的である。
したがって、被控訴人が本件土地1を購入後に新豚舎の建設を始めたことは、本件賃貸借契約が既に解消されていたために、本件土地1を購入しない限り、新豚舎の建設ができない事情があったことを示すものだと言わなければならない。
え 以上のとおり、被控訴人は本件賃貸借契約が継続していたことを前提とするには、不自然な行動をしている。
(ク) 〈東鳴川C〉の証言は一貫しており不自然なところがないことについて
あ 一方で〈東鳴川C〉は、本件賃貸借契約は既に解消されているということが、控訴人以外に対する説明でも一貫しており(乙139:71・162・177・178、乙136:5・6、遠藤本人調書11頁、〈加茂町B〉証人調書8頁)、また〈東鳴川C〉は本件土地1の売却が決まるまでの間、被控訴人から賃料を受け取っておらず(〈村田商店代表乙の父〉証人調書16頁)、本件土地1に抵当権がついていることについても、被控訴人に勝手をさせないため、あえてつけてもらったものだと淀みなく説明した(乙139:71、遠藤証人調書11頁)。
い 平成27(2015)年10月22日、〈東鳴川C〉は、控訴人の聞き取りに対し、平成21(2009)年にはどのような解釈によっても契約は解消されたと明言したが、この証言は、平成20(2008)年8月ごろ、〈村田商店代表乙の父〉が何らかの根拠に基づき、平成21(2009)年2月まで本件賃貸借契約が継続すると主張していた(乙6:15頁、乙81:2頁)ことを意識しているとみられ、信憑性があった。
う 平成27(2015)年10月22日に〈東鳴川C〉は、一審の弁護士が頼りなかったので控訴審で弁護士を替えた旨述べていた(乙139:71)。その上で〈東鳴川C〉は、平成21(2009)年にはどのような解釈よっても契約は解消されたと自信に満ちた態度で明言したのだから、この〈東鳴川C〉の判断は、〈東鳴川C〉の代理人弁護士による説明に基づくと考えられた。したがって、控訴人が、当事者しか知り得ない何らかの事情で、本件賃貸借契約が既に完全に解消されていると信じたことには、合理的な理由がある。
(ケ) まとめ
以上のとおり、〈東鳴川C〉のみならず被控訴人も、本件賃貸借契約を前提とした行動をとっているとは言い難く、本件賃貸借契約が継続していなかったことは真実であるが、被控訴人と奈良県畜産課が行政ぐるみで虚偽説明を繰り返して、執拗かつ強力に、市道及び他人地の占有と犬の放し飼いの正当化を目論む中、これを抑止すべく控訴人が本件記事を公開したことは、言うまでもなく表現の自由の範疇に該当するし、被控訴人と奈良県畜産課が虚偽説明を繰り返していることから、控訴人が両者を信用せず、〈東鳴川C〉の証言を信用して、本件土地1を被控訴人が占有していることについても、早急に解決するべき問題だと捉えたことには合理的な理由がある。したがって、控訴人が本件記事において、被控訴人が本件土地1を不法占拠したことを摘示した部分についても、控訴人には、少なくともその事実を真実と信ずるについて相当の理由があったから、名誉毀損の不法行為は成立しない。
(2) 「イ 本件土地2の無断掘削及び本件土地3の不法占拠について」について
ア 「(ア)」(原判決19頁11行目〜21頁2行目)について
(ア) 原判決は「イ 本件土地2の無断掘削及び本件土地3の不法占拠について」(19〜22頁)に関し検討を加えているが、この争点は、裁判所が示した争点整理(乙147)では「本件土地2及び本件土地3の不法掘削について」が争点とされており、争点整理になかった「本件土地3の不法占拠」については、被告に抗弁の機会が十分に与えられていない。
そもそも、「本件土地2及び本件土地3の不法(無断)掘削」と、「(本件土地2と)本件土地3の不法占拠」では、争点となる本件境界が異なっている。前者は、〈村田商店代表乙の父〉の掘削が、〈村田商店代表乙の父〉の掘削以前の元々の本件境界を越境するものであったかどうかが争点となるのに対し、後者は、〈村田商店代表乙の父〉の掘削後、土地所有者の間で合意された土地境界を越えて被控訴人が土地を占有したかどうか、あるいは、〈村田商店代表乙の父〉の掘削後、土地所有者の間で土地境界が合意されたかどうかが争点となる。裁判所による争点整理と異なり、原判決は明らかにこの両者を混同しており、争点を取り違えたまま、誤った結論を導く結果となっている。
あ 〈村田商店代表乙の父〉の掘削が、本件土地1の範囲を大幅に越え、本件土地2及び本件土地3を不法に掘削するものであったかどうかは、元々の本件境界の正確な位置を特定せずとも立証可能である。
それゆえに裁判所による争点整理では、「本件土地1と本件土地2及び本件土地3の境界線が、被告(控訴人)の主張する範囲内に存在する事実」について控訴人に立証責任があるとし、元々の本件境界の正確な位置を特定することは求められなかったと考えられる。この点、原判決は「本件全証拠をもってしても、本件境界の位置を正確に認定することはできない」(19頁13〜14行目)とし、控訴人に元々の本件境界の正確な位置を立証する責任があるとしているようであるが、これは裁判所による前述の争点整理と齟齬があり、不当である。
〈村田商店代表乙の父〉の掘削・埋立が、本件土地2及び本件土地3に越境するものであったことについては、鳴川村実測全図(乙86)だけでなく、本件原確定図確定時の回議書(乙83、乙165)に添付された公図も用いて、これまでの準備書面で詳細を述べた(被告第2準備書面27〜35頁、被告第4準備書面22〜25頁)。すなわち、元々の本件境界は、昭和58(1983)年に確定した赤田川南岸府県境点から滑らかに赤田川北側に渡り、東北東に緩やかなカーブを描きながら109mほど稜線を辿って、本件土地2と東鳴川町501の境界である北へ上る稜線に接続していたと考えられるところ、原告の掘削域は明らかに元々の本件境界を越境している(乙83:8〜11・30〜31頁、乙84の1、乙85、甲13、乙86、乙87、乙88の1乃至5、乙111の2、乙112の1ないし2、乙113、乙139、遠藤本人調書12ー16頁)。加えて、今回改めてより正確な元々の本件境界の復元を試みたので、それについては第4で詳しく述べる。
なお、原判決が「境界の目印が確認できない」(19頁19行目)「本件境界を正確に特定するのは困難であった」(20頁6行目)としていることからすると、原判決は、元々の本件境界の目印が〈村田商店代表乙の父〉の掘削によって失われた事実を認定しているものと考えられる。そうすると、このことは〈村田商店代表乙の父〉の掘削が元々の本件境界を破壊した事実を認定したのと同じであるから、〈村田商店代表乙の父〉の掘削が元々の本件境界を越境したことについて真実性は認められないとの結論(21頁8〜10行目)は、認定した前記事実と矛盾しており、不当である。
い 「(本件土地2と)本件土地3の不法占拠」を立証するには、前述のとおり、〈村田商店代表乙の父〉の掘削後に土地所有者間で土地境界に関する合意が成立し、被控訴人がその土地境界を越えて土地を占有していたことを示すことができれば良い。〈村田商店代表乙の父〉の掘削後に土地所有者間で土地境界に合意したことが確かならば、元々の本件境界の正確な位置を特定する必要はない。
また、本件土地3については、修正後の市有土地境界確定図(甲7の4)においても、木津川市道(108-111-112-114-116点を結ぶ境界線)の西側に存することが確定したままである。
(イ) 原判決は「本件原確定図は、木津川市が市有道路の管理のため市有道路の境界を確定する趣旨で作成した図面であり、本件境界(民有地間の境界又は京都府と奈良県の府県境)の確定は目的とされていない」(20頁3〜5行目)とするが、本件原確定図作成の経緯からすると、本件原確定図が「京都府警に対し各自が所有されている土地の境界の確認が行われ」たこと(乙6:4頁)を踏まえて作成されたことは明らかである。また、木津川市は、令和3(2021)年10月14日の被控訴人との協議において、本件原確定図記載の本件境界について、「当事者の合意があった」(乙164:3頁)として「民々界としては決まっている」(乙164:4頁)との認識を明らかにしている。なお、当時の当事者が本件原確定記載の本件境界に合意していたこと(乙165:4〜5頁)をより明確にするため、乙第83号証からマスキングを外した乙165号証を提出した。
したがって、本件原確定図記載の本件境界が、当時の土地所有者間で合意された土地境界であることに疑いの余地はなく、たとえ本件原確定図が修正されても、当時の土地所有者が合意した事実は残る。
(ウ) 原判決は、「被告が提出した実測全図(乙86[枝番を含む])についても、被告の現地再現結果は、現況の近隣住居の位置と齟齬しており、正確性に疑問を差し挟む余地があるし(乙88の5、被告本人29〜30頁)、そもそも、本件境界を確定するために収集されるべき資料全体における実測全図の位置付けも不明であって、これによって、本件境界の位置を正確に看取することはできない。」(20頁18〜23頁)としているが、鳴川村実測全図においては、実測値の記載がある村界に比べ、実測値の記載がない村界内部の地物の正確性が劣るということは、これまでも指摘してきたところ(遠藤調書29〜30頁)であり、原判決は実測されていない村界内部の地物が「現況の近隣住居の位置と齟齬」していることと、実測されている村界の正確性が別物であることを、十分に理解していない。また鳴川村実測全図は、下記理由から、元々の本件境界を特定する上で、最も重視されるべき資料だと言わなければならない。
あ 鳴川村実測全図は奈良県の検査を受けた地籍地図である(乙86:左枠外の印章)。ところで、「地籍地図は、地租対象の民有地に主点がおかれた改租図と異なり、官・民の土地全体に関して地籍を編成し、それを明確に示すものなので、まず、行政区域における境界の確定が重視された」と言われ(乙171:8頁赤線)、「境界については比較的正しく描かれている」とされる(乙171:9頁赤線)。そうすると、鳴川村実測全図における本件境界は、まさに村界の一部を形成しているのだから、明治期の地籍地図であっても、比較的正しく描かれていることが期待できる。
い 鳴川村実測全図は、明治22(1989)年10月12日に作成されたが、これは明治20(1887)年の通達「地図更生ノ件」で使用するべき測量器具の基準「町村製図略法」が定められた後である。「町村製図略法」では、現代でも測量に用いられることのある平板測量を使用するべきとされ、この頃最新の外国製測量機器が日本で普及しつつあった(乙172:6頁)。
鳴川村実測全図枠外左の上段左端を見ると、「測量ニ使用セシ器械」として「パントメートル」(角度を測定する測量器具)、「プリスマコンパス 」(視準器がついたコンパス)、「ワイレベル」(2点間の高低差を測定する測量器具)が記載されており(乙173:(1)。「ワイレベル」は表装で隠れて読めないが、北村実測全図を見ると「ワイレベル」とある(4)。)、鳴川村実測全図の作成にあたっては、当時としては最新の機器を用いて測量が行われたことがわかる。
う 鳴川村実測全図には、測量と製図を担当した業者の名前「立誠舎」及び技手の名前が記載されている(乙173:(1))。このことは、鳴川村実測全図の測量と製図に熟練技術者が関与したことを窺わせる。
え 「町村の境界やそこにかかる地所については、隣接町村の戸長や村民総代などの立会で丈量することが改組作業でも行われたが、地籍編成ではこのことが特に指令された」(乙171:9頁)とされ、鳴川村実測全図にも、隣接村である当尾村字西小総代の署名と押印がある。しかもこの西小総代は当時の本件土地2の所有者でもある(乙173:(3)、乙83・乙165:14頁)。したがって、鳴川村実測全図は、本件土地2の当時の土地所有者が測量に立ち会ったことが明らかな資料という点でも極めて重要である。
(エ) 本訴訟提起後に、被控訴人が本件土地1を購入したことによって、本件境界に争いが引き起こされたことは事実であるが、本件境界の正確な位置は、現在全く不明なのではなく、〈加茂町B〉らが主張する本件原確定図(平成19(2007)年市有土地境界確定図(甲7の3))に記載された境界と、被控訴人が主張する境界のいずれかの範囲内で確定すると考えられる。
なお、木津川市は「手続き上の不備があったため越境部分の確定は一旦取り消したが、当事者の合意があったことは事実であり、その合意に基づいて同じ位置で正しい手続きによって再度確定するのが本市の基本スタンスである」としているし(乙164:3頁)、奈良市にしても、手続き上の不備を指摘するばかりで、より適切と思われる別の境界を提案した形跡はなく(乙25、乙26、乙28)、「奈良市(土木管理課)としては対側者として同意印を押すのみである」(乙105:3頁)として、本件原確定図と同じ位置に再度確定するという木津川市の方針に何ら異論がないことが窺われる。また奈良市は、本件原確定図の修正以降、文書に残る形では本件原確定図の再確定について何の検討もしておらず、本件境界について、もとより大した関心がないものと思われる(乙166)。
ところで本件境界に関する争いについて時系列順に整理すると次のようになる。
あ 本件記事公開から、本件原確定図が修正された平成30(2018)年11月28日までの間、本件原確定図記載の本件境界は、被控訴人も有効なものと認めており、平成24(2012)年5月ごろ、被控訴人は市道上に設置していたプレハブ小屋を木津川市の指導に従い撤去した(乙7の3)。
い 本件原確定図が修正された平成30(2018)年11月28日以降、本件土地1を被控訴人が購入した令和元(2019)年8月末までの間は、本件土地1所有者の〈東鳴川C〉は、前述「(イ)」のとおり、それまで同様、本件原確定図記載の境界が本件境界であることに同意していたのだから、本件境界に争いはなかった。
う 本件土地1を被控訴人が購入した令和元(2019)年8月末から本人尋問に至るまで、被控訴人は本件境界は未確定だと主張するばかりで、どこがより正確な本件境界だとは一切主張しなかった。その一方で被控訴人は、防護柵の位置が本件境界とは考えないと断りながら(乙84の1)、令和2(2020)年1月本件土地2に越境する形で防護柵の設置を強行し(乙84の4)、これにより本件境界に争いがあることがあらわになった。
え 本人尋問・証人尋問において〈村田商店代表乙〉と〈村田商店代表乙の父〉は、甲第7号証の4を参照して、108・202点付近の赤田川川縁に、赤田川北岸の府県境があり、そこから202点付近を経て310点付近を通り、掘削面の縁沿いにゆるやかな半円を描く線が、本件土地境界だと、両人とも同様に主張したが、被控訴人が自らが正しいと信じる本件境界を具体的に明らかにしたのはこれが最初である(〈村田商店代表乙の父〉調書23-25頁、〈村田商店代表乙〉調書5-6頁)。
お そうすると、本件記事公開から本訴訟提起後の令和元(2019)年8月末までの間(「あ」・「い」)は、本件境界に争いはなく、控訴人が本件原確定図に基づき、被控訴人による他人地不法占拠を指摘していたことは全く正当である。
その後本人尋問までの間(「う」)、本件境界とされる境界線は、本件原確定図記載の境界線以外には存在しなかった。また現在に至るも、本件原確定図記載の本件境界が当時の土地所有者間で合意された土地境界であることを覆す証拠は何ら提示されておらず、木津川市は本件原確定図記載の本件境界が、当時の所有者で合意した土地境界であるとの認識を示している。したがってこの間、控訴人が本件原確定図記載の本件境界に基づいた記事を撤回しなかったことには合理的な根拠がある。
また、被控訴人は、本人尋問で初めて被控訴人が正しいと信じる本件境界を明らかにし、原告第7準備書面で初めてそこが「山林の境界とされることが多い」尾根線であると主張したが(原告第7準備書面6〜7頁)、第4の2で後述するとおり、被控訴人の主張する本件境界は尾根線ではあり得ず、被控訴人の主張する本件境界には全く根拠がない。
イ 「(イ)」(原判決21頁3行目〜15行目)について
(ア) 原判決は「本件境界の目印が失われた状態で(中略)〈村田商店代表乙の父〉の掘削行為が本件境界を越えたものと信じたことに相当の理由があると認めることはできない」(21頁7〜10行目)とするが、〈村田商店代表乙の父〉の掘削により本件境界の目印が失われていたならば、〈村田商店代表乙の父〉の掘削行為が本件境界を越えていたことは自明である。なお木津川市も「あなた方(被控訴人)が山を削ったから地形も分からなくなっている」と指摘し(乙164:3頁)、〈村田商店代表乙の父〉の掘削によって本件境界の目印が失われたという認識を示している。
(イ) 原判決が「山林の境界確定についての専門家の知見を踏まえた十分な調査もない」(21頁8〜9行目)と指摘しているので、本件境界に関する「専門家の知見」について補充する。
本件土地1と隣接する東鳴川町501の土地境界については、被控訴人は自らが費用を負担して筆界確認図(乙以下、「奈良側筆界確認図」という。)を作成している(乙185)。この奈良側筆界確認図は、被控訴人の住所と氏名があらかじめ印字されていることから明らかなように、被控訴人が主導し作成したものであり、被控訴人が本件土地1を取得した後の令和元(2019)年9月4日に関係者が現地立ち会いを行った上、同年10月26日に作成された(乙185の1)。
興味深いことに、奈良側筆界確認図には参考線として、元々の本件境界を復元した「奈良市、木津川市との行政界」が一点鎖線で描かれている(乙185の2)。もちろんこの一点鎖線は、「山林の境界確定についての専門家」であるところの、被控訴人が依頼した土地家屋調査士によって書き込まれたものである。そこで参考線の位置を明らかにするために、奈良側筆界確定図を、本件土地1の東側にある水路と、赤田川にかかる橋の位置を合わせて、2021年3月ごろの航空写真(Googleマップによるオルソ画像のスクリーンショット)に合成したものが、乙第144号証の別紙2である。ところでこの別紙2には、本件原確定図と再確定図が合成されているが、これを見ると、本件境界に当たる参考線は、赤田川北岸にある本件原確定図の106点付近から発し、掘削面の内側である本件原確定図の309点付近で終わっているのがわかる。
したがって、結局、被控訴人が依頼した土地家屋調査士でさえ、〈村田商店代表乙の父〉による掘削範囲を斜めに横切る形で、元々の本件境界を復元しており、このことは取りも直さず、〈村田商店代表乙の父〉の掘削が本件境界を大きく越えていたことを示している。
(ウ) また、前述「1-(2)-ア-(ア)-あ」のとおり、〈村田商店代表乙の父〉の掘削・埋立が、本件土地2及び本件土地3に越境するものであったことについては、これまでの準備書面で詳細を述べた(被告第2準備書面27〜35頁、被告第4準備書面22〜25頁)。加えて、第4で後述するとおり、元々の本件境界をより正確に復元すると、〈村田商店代表乙の父〉の掘削が本件境界を越えていたことは明白であるし、第4の2で後述するとおり、被控訴人が主張する本件境界には根拠がないから、〈村田商店代表乙の父〉の掘削が本件境界を越えていた事実は真実であり、少なくとも真実相当性は優に認められる。
(エ) また被控訴人は、〈村田商店代表乙の父〉が東鳴川町501に大幅に越境して掘削したことについては既に認めており、本件土地1と東鳴川町501の筆界確認図(乙185)では、掘削によってできた崖の下の方に土地境界があることが、被控訴人を含む関係者間により確認された(乙185の2)。被控訴人が、亡〈東鳴川Cの亡父〉の指示に従って(〈村田商店代表乙の父〉陳述書2頁)掘削したはずの東鳴川町501が、結局、被控訴人によりこれほど大きく越境して掘削されたのだから(乙144の別紙2)、被控訴人が主張する本件境界は全く信用するに値しない。
(オ) 本件土地3の不法占拠については、裁判所による争点整理では特に示されなかった争点であるので、以下の通り主張を補充する。
あ 前述「1-(2)-ア-(ア)-い」のとおり、本件土地3については、修正後の市有土地境界確定図(甲7の4)においても、木津川市道(108-111-112-114-116点を結ぶ境界線)の西側に存することが確定したままである。その修正後の市有土地境界確定図(甲7の4)によれば、〈村田商店代表乙の父〉の掘削と埋立で平坦に造成された赤田川北側の土地のうち、西側の赤田川べりが、本件土地3にあたる土地であるが、被控訴人は下記のとおり、この土地を不法に占拠していた。
① 平成25(2013)年5月2日に、控訴人が京都側から赤田川北側を撮影した写真(乙7の2)を見ると、木津川市道及び本件土地3にあたる場所に、畑が作られている(写真右端の、板で囲われ白い花が咲いている区画)。この畑は平成26(2014)年3月17日に撮影した写真(乙147)及び平成28年でも確認できる。これは被控訴人が、本件土地3の所有者に無断で作った畑であり、不法占拠と評価されるべきものである。
② 本件記事に「2014年の秋ごろ、当会代表が下画像の赤丸のあたりに犬やカラスが群がっているのでなんだろうと見に行くと、犬が掘り返した穴から骨と毛皮が突き出していました。いつかはわかりませんが、このあたりに豚の死骸を埋めたようです。」との記述がある(甲2:5頁、甲22:7頁)が、被控訴人はこれまで一度もこの記述について虚偽だと主張したことはないから、被控訴人はこの記述を真実と認めていると解すべきである。上記記述の「下画像の赤丸あたり」は、修正後の市有土地境界確定図(甲7の4)においても本件土地3であることが明らかな場所であり、被控訴人は土地所有者に無断で、本件土地3に豚の死骸を埋めた。
③ 被控訴人は、敷地の外でたびたび餌を撒いていたが(乙56:(11)ないし(14))、本件土地3であることが明らかな場所にも土地所有者に無断で餌を撒いていた(乙126:(6)〜(10)(13)(14)(18)(20)〜(24)。(21)〜(24)の写真右上の草むらは、赤田川川べりの草むらで、すぐ向こう側が赤田川である。)。
い 平成26(2014)年4月ごろまでに、被控訴人は土地所有者の許可を得ることなく本件土地3を衛生管理区域に設定していた(乙74:2頁、乙116:2・3頁)上、公道上に立入禁止の看板を設置し、その看板に、本件土地3が被控訴人の敷地であると誤認させる文言を掲示して(乙147:(3)(4))、平成28(2016)年2月に公道と他人地が衛生管理区域から除外されるまで(乙33:43頁(平成28(2016)年6月16日)、乙99:1頁)、本件土地3を事実上占有していた。(前述「1-(2)-イ-(ア)-あ」)
う 以上のとおり、本件土地3は、本件原確定図で確定した市道加2092号の西側に存することが確定し、本件原確定図修正後も本件土地3は市道の西側に位置することが確定しているところ、被控訴人が本件土地3を不法に占拠していると評価するべき状況があったことは真実である。したがって、FACT1のうち、本件土地3についても不法占拠している旨摘示する部分についても、名誉毀損の不法行為は成立しない。
(カ) 本件土地2の不法占拠については、原判決は明確な判断を示していないが、元々の本件境界の正確な位置を認定できないとの判断をもって、本件土地2の不法占拠も認められないと判断していると考えられるため、下記のとおり主張を補充する。
あ 前述「1-(2)-ア-(イ)」のとおり、本件原確定図記載の本件境界は、当時の土地所有者間で土地境界として合意されたものである。本件記事中の図(甲2:2頁、甲22:4・12頁)で示したとおり、被控訴人は本件原確定図記載の本件境界を越えて、様々なものを置いていた。このことは、より厳密に本件原確定図を現況航空写真と合成した乙第144号証の別紙2を見ても明らかである。したがって、被控訴人が本件土地2を不法に占拠していたことは真実である。
い 前述「1-(2)-ア-(エ)」のとおり、本件境界に争いがあることが明らかとなったのは、訴訟提起後の令和2(2020)年1月に被控訴人が一方的に防護柵を設置して以降である。その後、被控訴人が主張する本件境界が初めて明らかとなったのは、令和3(2021)年10月19日に開かれた本人尋問においてであった(〈村田商店代表乙の父〉調書23-25頁、〈村田商店代表乙〉調書5-6頁)。被控訴人が主張する本件境界は、そこが尾根線であることを根拠としていたが(原告第7準備書面6〜7頁)、第4の2で詳述するとおり、被控訴人が主張する本件境界は尾根線ではあり得ず、被控訴人の主張に根拠はない。一方、〈加茂町B〉ら本件土地2所有者と〈東鳴川C〉だけでなく、木津川市及び奈良市も、この間一貫して、本件原確定図記載の本件境界が当時の土地所有者が合意した土地境界であるとの認識を示してきた(乙105:1頁、乙108:2頁、乙164:3〜5頁)。したがって、本件境界の位置が、現在、〈加茂町B〉らと被控訴人の間で裁判により争われている最中(乙144)であるとしても、本件原確定図記載の本件境界が当時の土地所有者が合意した土地境界であり、現在も有効であると控訴人が信じることには、少なくとも合理的な理由がある。
う 以上のとおり、 本件原確定図記載の本件境界は、当時の土地所有者間で土地境界として合意されたものであり、被控訴人は本件境界を越えて様々なものを置いていたのだから、本件土地2の不法占拠と評価されるべき状況があったことは真実であるが、少なくとも被控訴人には、それが真実であると信ずるについて相当の理由があったというべきである。
(キ) 本件土地3の不法掘削(埋立)については、原判決は明確な判断を示していないが、元々の本件境界の正確な位置を認定できないとの判断をもって、本件土地3の不法掘削(埋立)も認められないと判断していると考えられるため、下記のとおり主張を補充する。
あ 木津川市加茂町西小長尾谷1ー乙の公図によれば、本件土地3が木津川市道加2092号と赤田川に挟まれた土地であることは確かである(乙87)。
い 乙183号証の2は、昭和50(1975)年に国土地理院が撮影した航空写真(オルソ画像。オルソ画像については乙174を参照のこと。)に、昭和46(1971)年測量の1:5000国土基本図(乙179の1)を重ねたものである。赤田川北側の道があるところまでは北東から尾根が降りてきているが、道から西側(左側)は一段低い放棄田となっていることが、航空写真からも読み取れる。この道と赤田川に挟まれた川べりの一段低い土地が本件土地3である。
う 〈村田商店代表乙の父〉の掘削が止まった後の平成20(2008)年5月15日に国土地理院が撮影した航空写真(オルソ画像)に、昭和46(1971)年測量の1:5000国土基本図(乙179の1)を重ねたものが、乙183号証の4である。これを見ると、本件土地3にあたる場所が、道の東側と変わらない高さまで嵩上げされていることが見て取れる。
え したがって、被控訴人が本件土地3を不法に埋め立てた事実は真実であり、少なくとも真実相当性は優に認められる。
(3) 「ウ その他の事実について」について
ア 「(イ)」(原判決22頁1行目〜3行目)について
あ 原判決は「〈村田商店代表乙の父〉による産業廃棄物の違法投棄の事実については、真実性及び相当性を認めるに足りる証拠はない」(22頁1〜2行目)とするが、これは裁判所の争点整理になかった争点であるばかりか、被控訴人(原審原告)が一度も関連する具体的な記述を指摘しておらず、予備的請求としても削除を求めていない記述である(FACT1の争点表、原判決記事目録2)。したがって、原判決が記事目録1に含めた「2 FACT1」の(7)ないし(10)、(11)の第2文記載の個々の事実については、被控訴人は真実と認めていると解するべきである。
い なお、被控訴人は訴状においては、「本件記事の内容は、村田養豚場が違法に廃棄物処理を行っていることは間違いないにもかかわらず、奈良市及び原告が、まともに取り合おうとしないという構成になっており、真実を掲載した記事であるとは言い難い」(訴状7〜8頁)と主張していたが、この点について控訴人は、被告第1準備書面5頁において「ここで本件記事が指摘しているのは、奈良市による回答が本件土地1所有者が産廃については知らないとしていることと矛盾しているので、奈良市の回答した内容と奈良市の状況把握に疑問があるということである。」と主張している。しかし、この後被控訴人は、この点に関する具体的な記述を争点(削除するべき記述)として挙げることはなかった(FACT1の争点表、原判決記事目録2)。
う そもそも本件記事に、被控訴人が産業廃棄物を不法投棄したと断定する記述はなく、むしろ、被控訴人と関係のない土地所有者が産廃を捨てていたが、奈良市の指導により適性に処分された旨、奈良市が回答したことを明記しているのであり(甲2:7頁、甲22:9頁)、原判決が指摘する「〈村田商店代表乙の父〉による産業廃棄物の違法投棄の事実」(22頁1〜2行目)は本件記事に記載されていない。
え 以上のとおり、被控訴人が一度も削除を求めず、したがって被控訴人が真実と認めていると解すべき記述まで、原判決は削除するべき記事目録に加えており、不当である。
イ 「(ウ)」(原判決22頁4行目〜8行目)について
原判決は「刑事告訴された被疑事実の不起訴処分の理由が起訴猶予であることについては、真実性及び相当性を認めるに足りる証拠がない」(22頁4〜5行目)とするが、裁判所の争点整理では、「2005年、A、Bが原告のことを刑事告訴した事実」について、被告が真実性の抗弁の立証責任があるとされていた。原判決で立証責任の範囲が変更されていることは、不当だと言わなければならない。
なお〈加茂町B〉は検察から起訴猶予と受け取れる説明を受けていた(〈加茂町B〉調書3頁)のであるから、〈村田商店代表乙の父〉が刑事告訴された被疑事実の不起訴処分の理由が起訴猶予であった事実は真実であるが、一般に信頼性が高いと信じられている木津川市会における市議会議員の発言に「今回の養豚場の関係は、起訴猶予ということでした」というものがあったことからすると(乙6:10頁)、少なくとも、控訴人には、それが真実であると信ずるについて相当の理由があったと言うべきである。
2 「(3) FACT2」について
(1) 「(イ)」(原判決23頁15行目〜24頁9行目)について
ア 原判決が「原告は(中略)一般の通行人による公道の通行を制限していたことが認められるが、このような措置が違法であったことを認めるに足りる証拠はない」(23頁17〜23行目)とし、所轄警察署長から道路使用許可を得ないまま道路を排他的に使用することの違法性を認めなかったことは不当である。しかも、記事目録1「3-(3)」は、被控訴人が予備的請求で削除するべきとした記事目録2に含まれておらず、これまで一度も争点とされたことがない(FACT2争点表)。
(ア) 村田養豚場の敷地の間にある道は、道路法が適用される木津川市の認定市道加2092号である(乙120:8頁)。道路法において、道路管理者は、道路の構造を保全すること、または、交通の危険を防止することを目的とする場合のみ、管理している道路について、通行の禁止又は制限ができる(道路法第46条及び第47条)が、言うまでもなく被控訴人による通行制限は、上記のいずれにも該当しないし、そもそも被控訴人は道路管理者ではない。
(イ) 家畜伝染病予防法では、通行の制限又は遮断について、第15条で「都道府県知事又は市町村長は、家畜伝染病のまん延を防止するため緊急の必要があるときは、政令で定める手続に従い、七十二時間を超えない範囲内において期間を定め、牛疫、牛肺疫、口蹄てい疫、豚熱、アフリカ豚熱、高病原性鳥インフルエンザ又は低病原性鳥インフルエンザの患畜又は疑似患畜の所在の場所(これに隣接して当該伝染性疾病の病原体により汚染し、又は汚染したおそれがある場所を含む。)とその他の場所との通行を制限し、又は遮断することができる」と定めているが、被控訴人による通行制限は、この規定には該当しない。
(ウ) 奈良県家畜保健衛生所は、衛生管理区域を設定すること、及び、設定した衛生管理区域において、飼養衛生管理基準に定められた衛生管理として、農場関係者以外の立ち入りを制限をすることを、被控訴人に指導したようであるが、奈良県家畜保健衛生所は、公道及び他人地を衛生管理区域に含めるよう指導してはいない(乙74:2頁)。したがって、被控訴人が、公道及び他人地を衛生管理区域に指定して、農場関係者以外の立ち入りを制限し、これらの土地を事実上占有する必要があったのであれば、公道については、道路占用許可及び道路使用許可を取得しなければならなかったし、他人地については、それぞれの土地所有者と賃貸借契約を結ぶなどして、正当な占有権限を得なければならなかった。そのようにして被控訴人が、衛生管理区域に設定した公道及び他人地について正当な占有権限を取得していた場合は、確かに「このような措置が違法であった」とは言えないが、そうでない場合は当然に違法である。
(エ) 木津川市は、平成27(2015)年3月6日、木津川市議会における議員の質問に答える形で「この道は、養豚場の衛生管理区域設定により、通行禁止看板が設置されているところでございますが、その看板の撤去を奈良県家畜 保健衛生所から養豚場に指導していただくよう申し入れており、通行について家畜保健衛生所と協議を行ってまいります。(乙6:42頁)」「養豚場の衛生管理区域という通行を妨げるような状況があるということで、そこのことに対しましては、奈良市の、先ほど建設部長が答えましたように、奈良県家畜衛生保健所のほうから御指導いただき、許可権者でもあるところでございますので、しっかり御指導いただき、対策を講じてい ただけるように求めてまいりたいと思います。(乙6:43頁)」と述べている。したがって、被控訴人が立ち入りを制限していた市道について、木津川市による道路占用許可、及び、京都府警木津署による道路使用許可が出されていなかったことは明らかである。
(オ) 被控訴人が市道上に設置した「通行禁止看板」(乙6:42頁、乙147(1)〜(4))とバリケード(乙147(3))に対し、前述「(エ)」のとおり木津川市による道路占用許可、及び、京都府警木津署による道路使用許可は、許可が申請された形跡がなく、当然ながら許可は出されていない。したがって、これらの物件は、道路交通法第76条第3項「何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない。」に違反している。
(カ) 加えて仮に被控訴人が、道路占用許可を申請していたとしても、道路法の趣旨からして、道路の遮断を目的とする道路占用が認められることはない。また、道路を遮断する行為は、現に交通の妨害となるおそれがあり(道路交通法第77条第2項の一に該当せず)、かつ、どのような条件を付しても交通の妨害となることが明らかであって(道路交通法第77条第2項の二に該当せず)、しかも公益上又は社会の慣習上止むを得ないとは到底認められない(道路交通法第77条第2項の三に該当せず)から、道路交通法第77条に基づく道路使用許可が下りることもない。
(キ) 以上のとおり、被控訴人が一般の通行人による公道の通行を制限していたことには法的根拠がなく、違法である。
イ 原判決が「声掛けにとどまらず恫喝とまで評価されるような行為に及んでいたことは客観的証拠もなく、これを否定する〈村田商店代表乙〉の供述に照らし、被告の供述等は直ちに信用することができず、他にこの事実を認めるに足りる証拠はない」(24頁3〜6行目)とし、一方的に控訴人(一審被告)らの供述を否定したことは不当である。
(ア) 控訴人がツイッターのダイレクトメッセージ機能を用いて〈通行人〉と最初にメッセージのやりとりをしたのは、平成27(2015)年11月9日のことで(乙168)、それ以前から互いに互いのアカウントをフォローしてはいたが、特にメッセージをやり取りすることはなかった。ツイッターは、自分の興味がある話題を発信しているアカウントを一方的にフォローする仕組みとなっており、アカウントをフォローしているからと言って、特に知り合いや友達と言うわけではない。また被控訴人が運用している「弥勒の道プロジェクト」のアカウントは、フォローされれば半自動的にフォローを返す方針となっているため、被控訴人は〈通行人〉のことを全く知らなかったが、フォローを返す形で〈通行人〉のアカウントをフォローしていた。
(イ) 〈通行人〉は、村田養豚場の間にある市道を通過した日の翌日である平成27(2015)年11月13日、養豚場通過時に6〜7匹の犬に取り囲まれたことについて、山城南保健所に苦情を申し立てているが、その際「養豚場の人にかなり脅されたので名前は言いたくない」とも述べている(乙40)。この苦情は、市道上にいた徘徊犬に関するものであり、末尾の「養豚場の人にかなり脅されたので名前は言いたくない」との発言は、山城南保健所から名前や連絡先を問われたことに答えたものと考えられるから、〈通行人〉としては「養豚場の人にかなり脅された」ことを、そもそも保健所の業務と関係がないのに、山城南保健所に訴えるつもりがなかったことが明らかである。したがって、〈通行人〉の「養豚場の人にかなり脅された」と言う発言には、何の作意もなかったと言わなければならないし、〈通行人〉が、平成27(2015)年11月12日に、村田養豚場の間にある木津川市道を通過した際、〈村田商店代表乙の父〉から恫喝された事実(乙137、乙167)を疑う理由はない。
(ウ) 控訴人が平成27(2015)年11月4日に、〈村田商店代表乙の父〉から恫喝されたこと(乙139:26〜27頁(76))は真実である。
(エ)) 〈村田商店代表乙の父〉が、自身の意に沿わない相手に激昂しやすいことは、令和元(2019)年12月7日に、〈加茂町B〉と〈加茂町B〉が相談していた木津川市会議員や〈加茂町B〉の支援者らが、本件土地2の現状を確認するため現地を訪れた際、〈加茂町B〉らが林の出口からそう離れていない場所にとどまっていたにもかかわらず(乙169の2の位置図)、〈加茂町B〉らの姿を見とがめた〈村田商店代表乙の父〉が激昂し、罵声を浴びせながら近づいてきた時の音声(乙169の1)からもわかる。〈村田商店代表乙の父〉は市会議員が手にしていた鎌についてしきりに抗議しているようであるが、これは境界杭の確認などのため草を刈る必要があると考えられたことから、市会議員が小さな手鎌を持参していたもので、〈加茂町B〉によると市会議員はその鎌を〈村田商店代表乙の父〉に向けたりはしていない。また、〈村田商店代表乙の父〉が罵声を浴びせている女性は、〈加茂町B〉であるが、〈加茂町B〉は当時83歳(昭和11年3月12日生)であった。〈村田商店代表乙の父〉は激昂しやすく、相手が高齢の女性であれ、初対面の通行人であれ、このような「声掛け」をする傾向があり、〈加茂町B〉らは〈村田商店代表乙の父〉のこうした対応に慣れているため落ち着いて対応できているが、こうした「声掛け」は恫喝と受け取られても仕方のないものだと言わなければならない。
(オ) 令和元(2019)年8月16日には、名古屋から自転車で旅をしていた旅行者が、村田養豚場の間にある市道を通り抜けて浄瑠璃寺に向かおうとして、誤って村田養豚場の敷地に進入してしまい、それを見とがめた〈村田商店代表乙の父〉に罵声を浴びせられたことにより、激しい口論となった結果、〈村田商店代表乙の父〉が警察を呼んでいる(乙170)。そもそも村田養豚場には、市道と敷地を区分する柵がなく、どこが道かわかりにくいため、当該旅行者が誤って敷地に入ったとしても無理からぬ状態となっているが、このように〈村田商店代表乙の父〉には初対面の旅行者に対しても、自身が気に入らない行動を取った場合は、罵声を浴びせる傾向がある。
この時〈村田商店代表乙の父〉が「弥勒の道プロジェクトを裁判で訴えている」と言っていたため、そのことが気になった当該旅行者は、令和元(2019)年8月19日に、ツイッターのダイレクトメッセージを通じて、控訴人に事実関係を問い合わせた。当該旅行者と控訴人がやりとりをしたのはこれが初めてである。控訴人が当該旅行者に、実際に訴訟を提起されていることを告げたところ、裁判で〈村田商店代表乙の父〉が通行人を恫喝することがあることの証拠などに使えるかもしれないと、当該旅行者は奈良警察署から調書を取り寄せ、令和元(2019)年10月1日に、控訴人に郵送で調書を提供した。原審では、当該旅行者の住所氏名などが被控訴人に伝わることなどから、当該旅行者に何らかの不利益が降りかかる可能性を考慮し、また〈通行人〉の陳述書(乙137)や山城南保健所への通報記録(乙40)など証拠は十分にあると考え、控訴人としてはこれを書証として提出することをしなかったが、原判決で恫喝の事実を認められなかったため、追加でこれを提出することにした。
(カ) 以上のとおり、被控訴人のうちとりわけ〈村田商店代表乙の父〉が、声掛けにとどまらず、恫喝と評価されるべき言動に及んでいたことは明らかである。
(2) 「(ウ)」(原判決24頁10〜12行目)について
以上のとおり、村田養豚場が通行人を恫喝したり、立入りを制限する看板を設置したりして公道(里道)を不法に占拠しているとの事実は真実であるから、FACT2のうち、これらの事実を摘示する部分についても名誉毀損の不法行為は成立しない。
3 「(4) FACT3」(原判決24頁14行目〜25頁10行目)について
原判決は「通行するには危険な状態であったことが認められる」(24頁20〜21行目)とし、「FACT3において摘示された村田養豚場による公道占拠の事実は、真実であると認められる」(25頁1〜2行目)としながら、「村田養豚場による公道の占拠が不法であるとの事実については、真実性及び相当性ともに認められない」(25頁7〜8行目)としているが、争点整理時に当時の裁判長が「公道を占拠していれば道路交通法違反になる」という趣旨の発言をしていたことからしても、原判決の判断は不当である。
(1) 被控訴人は、木津川市道場で、積荷の荷下ろしだけでなく、フォークリフトやミニローダーといった重機を用いて、餌の混ぜ合わせ作業などを行なっている(乙59、乙129、乙133、乙134、乙141:(9)、乙163:(3)(6)(7))のみならず、コンクリートを作るために、中型バックホウ(ショベルカー)を用いて、木津川市道上に直接セメントや砂利などを積み上げ、そこに水を注ぎ込んで練り合わせる作業まで行なっている(乙141:(9)、乙163:(3)(6)(7))。
「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする」道路交通法の趣旨(第1条)からすると、原判決も「通行するには危険な状態であったことが認められる」(24頁20〜21行目)としているような、こうした作業が、道路交通法第77条第1項の一で、所轄警察署長の許可を受けなければならないと定められている「工事若しくは作業」に該当しないとは到底考えられない。
(2) 被控訴人はしばしば積荷や重機、かごなどを長時間木津川市道上に放置している(乙59・乙133:(28)(30)、乙129・乙134(16)、乙141:(18))が、このことは道路交通法第76条第3項「何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない。」に違反している。
(3) 令和4(2022)年3月22日、木津川市と京都府警木津警察署と奈良県畜産課の三者が、被控訴人の市道占用許可について協議したが、この時木津川市と木津警察署は、奈良県畜産課に対し、「道路占用及び道路使用の何の観点からも、(株)村田商店が排他的に市道を占用することは認められない」ことを明確に示した。木津警察署は「現状は、占用者が市道を極めて排他的に使用している、もしくは使用しようとしていることが問題である。警察も市も、排他的に使用することまでは許可していない。」と述べている(乙158)。なお、市道上の門扉について道路占用許可及び道路使用許可が下りたのは、令和元(2019)年10月3日であり(乙121)、それ以前には、被控訴人は村田養豚場の敷地の間にある市道に関し、道路占用許可も道路使用許可も取得していなかった。
(4) 令和4(2022)年3月25日、木津川市と京都府警木津警察署と奈良県畜産課の三者が、村田養豚場を訪れ、被控訴人による市道占用状況を確認した。この時木津警察署は、「市道上でフォークリフトが操業している状況では事故等の恐れがあり、我々も通行できない。本日、通行することを断念せざるを得ない」とし、市道上でフォークリフトが操業していることを問題視した上で、被控訴人が道路を排他的に使用していると判断した(乙161:1頁)。しかし、この時の現地の状況(乙161:4〜6頁写真)は、奈良県畜産課が認めているとおり「特別な状況」ではなく(乙161:3頁)、村田養豚場では本件記事公開以前から長らく常態化しているものである(乙59、乙129、乙133、乙134、乙141:(9)、乙163:(3)(6)(7))。
4 「記事目録1」について
上記1〜4のとおり、記事目録1の各記述を削除する理由はないから、記事目録1の削除を命じた原判決は取消されるべきである。
ところで原判決の別紙記事目録1には、被控訴人が予備的請求として削除するべきとした記事目録2にない記事が含まれている(記事目録1の2ー(3)(7)ないし(10)・(11)の第2文・(12)ないし(15)、3ー(3)(5)(10))が、それらについては、これまで一度も明確な争点とされたことがない(FACT1及び2の争点表)。したがって、それらの記述に記載された個々の事実については、被控訴人も真実と認めているものと解するべきである。
第4 本件境界(本件土地1と本件土地2の境界)の追加検証
1 鳴川村実測全図の正確性に関する追加検証
原判決は「被告が提出した実測全図(乙86[枝番を含む])についても、被告の現地再現結果は、現況の近隣住居の位置と齟齬しており、正確性に疑問を差し挟む余地がある」(20頁18〜23頁)としている。そこで下記のとおり、鳴川村実測全図の正確性を追加検証する。
(1) 鳴川村実測全図と航空写真の実測値に基づく重ね合わせによる検証
鳴川村実測全図記載の実測値に基づき、鳴川村実測全図を年代ごとの航空写真に重ね合わせ、実測値に基づく村界が、現在も行政界となっている地形や地物に一致することを確認する。
ア 使用する航空写真について
各年代の航空写真は、国土地理院が撮影し、正射変換を施した上で、地理院地図(電子国土Web)として公開している電子国土基本図を使用した。具体的には、ブラウザ上で表示した地理院地図を、スクリーンショットにより画像化した。なお、航空写真の特性として、撮影範囲の中心から離れるほど、高低差のある地形において位置ずれが生じる。これを真上から見た画像に変換することを正射変換といい、正射変換された画像をオルソ画像という(乙174)。オルソ画像の元となった航空写真については、各航空写真合成図の中に付記した。
今回使用した各年代の航空写真には下記の特徴がある。
(ア) 1961年6月19日撮影の航空写真(乙176の1、乙177の1、乙181の1、乙183の1)
1961(昭和36)年は、村田養豚場が現在地に移転する前である。またこの頃は放棄された田畑が少なく、航空写真でも水田の区画がよく残っているため、赤田川南側の府県境がわかりやすい。1961年の航空写真を見ると、市道の左(西)側にある水田を左右(東西)に分ける境目(畦道と小さな水路)が南北に走っているが、これが府県境で、昭和58(1983)年には、国有水路確定図及び里道確定図において、この水田の境目が府県境線として確定された(乙83・乙165:30枚目)。なお参考のため、乙第176号証及び乙第177号証の航空写真合成図では、赤田川南岸府県境確定点に該当する水田区画の境目を黄十字点で示した。
(イ) 1975年3月14日撮影の航空写真(乙176の2、乙177の2、乙181の2、乙183の2)
1975(昭和50)年は、村田養豚場が現在地に移転した後である。赤田川南岸の市道東側にある東西に細長い建物が村田養豚場の豚舎である。この後、赤田川北側の山林が掘削された2006(平成18)年ごろまで、村田養豚場の敷地の範囲は変化していない。また1975年撮影の航空写真は、村田養豚場北東方向の尾根筋にある府県境付近で、植生が大きく変化している様子がわかりやすい。
(ウ) 1985年11月3日撮影の航空写真(乙176の3、乙177の3、乙183の3)
1985(昭和60)年は、昭和58(1983)年に国有水路確定図が作成され、赤田川南岸の府県境が確定した2年後である。1985年撮影の航空写真は、南から光が当たっているため尾根の北側に影ができており、府県境となっている尾根筋の位置がよくわかる。東鳴川町502と東鳴川町501の境目あたりにも、おそらくは植生の違いにより、くっきりと直線状の影ができている。
(エ) 2008年5月15日撮影の航空写真(乙176の4、乙177の4、乙181の3、乙183の4)
2008(平成20)年は、山林掘削が行われてからさほど月日が経っていない時期にあたる。そのため掘削された山林の範囲がわかりやすいが、残念ながら、国土地理院のオルソ画像が村田養豚場の右端(東端)近くで途切れており、そこから右(東)側は2021(令和3)年の航空写真で補完した。
(オ) 2021年7月21日撮影の航空写真(乙176の5、乙177の5、乙181の4、乙183の5)
2021(令和3)年の航空写真は、防護柵が設置され、防護柵に沿って様々な資材が置かれた後である。この航空写真は7月に撮影されたため、山林掘削跡が雑草や落葉樹の灌木で緑に覆われている。村田養豚場北の、緑に覆われた階段状の崖が掘削面である
イ 鳴川村実測全図(乙86、乙175の1)の実測値とその正確性
(ア) 鳴川村実測全図に描かれた村界には、各測点間の方角と距離の実測値が付記されている(乙175の1)。村界のうち元々の本件境界に該当するのは、第48号測点から第52号測点までの区間である。区切りとなる測点については、乙第175号証の1に赤字で付記した。乙第175号証の2は、第45号測点から第67号測点までの、測点間の方向角と距離をまとめた表である。鳴川村実測全図の東鳴川町502付近の拡大図( 乙175の1 )に、薄い白線で結ばれた白十字点が合成されているが、これは乙第175号証の2の表を元に、測点を白十字点で、測点間を薄い白線で表したものである。縮尺を調整すると、折り目などで実測全図自体に歪みがあるにも拘らず、実測値に基づいて描かれた白十字点が、鳴川村実測全図の測点と概ね一致する。したがって、この図の村界は一定程度正確に実測値を反映しているとわかる。
(イ) 実測値に基づく測点を表す白十字点(以下、「実測値測点」という。)を、航空写真の縮尺と合わせて、各年代の航空写真に合成したものが、乙第176号証の1ないし5である。しかし、航空写真に合成された実測値測点は、実際の村界(府県境)となっている尾根筋等からずれているように見える。これは、鳴川村実測全図では偏角(磁北と真北のずれ)が補正されていないからだと考えられる。そこで、インターネット上の日本考古地磁気データベースで、日本周辺での推定地磁気方位を計算したところ、明治22(1889)年ごろ、東鳴川町502(本件土地1)付近の偏角は西偏4.3度であった(乙113。URLをフッター部に記載。)。この西偏4.3度を補正するため、実測値測点を反時計回りに4.3度回転させたものが、赤い十字点で表した補正実測値測点である。
(ウ) なおこの追加検証にあたって、実測値測点と航空写真を重ねる際に基準点としたのは、赤田川南岸の村界である。鳴川村実測全図の第48測点は、赤田川南岸の川縁と思われるが、その南側の村界は水田と水田の間の畦道のようなところとなっている(乙176・177の1)。所有者の異なる水田の区画はそう簡単に移動しないと考えられ、しかも航空写真において水田区画は尾根線よりも細かい精度で場所を特定できるから、実測値測点あるいは鳴川村実測全図と航空写真を重ねる上で、赤田川南岸の水田区画の間にある村界は、基準点として最適と言える。そこで、この追加検証では、鳴川村実測全図の村界が、昭和58(1983)年に確定した赤田川南岸の府県境確定点(乙176・177:黄十字点)を通る形で、赤田川南岸の川縁ぎりぎりに第48測点が位置するよう実測値測点と航空写真を重ね合わせた。
(エ) 前述「(ウ)」のとおり、鳴川村実測全図と同じく、赤田川南岸にある水田の境目からやや東に折れ曲がる形で、補正実測値測点の第48号測点を、航空写真の赤田川南岸府県境確定点近くの川べりに一致させると、補正実測値測点の第48号測点から第67測点が、村田養豚場北東側の府県境となっている尾根筋にほぼ重なる(乙176)。特に1985(昭和60)年の航空写真(乙176の3)を見るとわかりやすいが、第52号測点付近から下(南)方に向けまっすぐ樹木の影ができている。これは東鳴川町502と東鳴川町501の、直線がジグザグに折れ曲がった土地境界を反映したものと考えられる。また、補正実測値測点の第47号測点は、東鳴川町642の北端あたりとなり、第46号測点は村田養豚場南側の市道の東側にある木津川市に属する水田の角あたりとなった。いずれも概ね鳴川村実測全図通りの位置である。
(オ) この補正実測値測点に合わせ、鳴川村実測全図を各年代の航空写真に合成したものが乙第177号証の1ないし5である。これらを見ると、実測値が記載されていない赤田川や山林の範囲についても、鳴川村実測全図がある程度航空写真にある地形や地物と一致することがわかる。
(カ) 以上のことから、現代の水準からすれば精度が劣るとはいえ、鳴川村実測全図には一定の正確性が認められる。現代の水準に比べ精度に劣るからといって、でたらめが描かれているわけではない。
ウ 小括
以上のとおり、鳴川村実測全図を図面記載の実測値と測量当時の偏角に基づいて年代ごとの航空写真に合成したところ、補正実測値測点を、府県境となっている尾根線等に無理なく一致させることができた。なお補正実測値測点の第45号測点から第67測点までは総延長が約855mで、第45号測点と第67測点を直線で結ぶと約568mとなる。この範囲で、補正実測値測点が実際の地形と概ね整合するということは、補正実測値測点の位置の誤差は、せいぜい10mほどの範囲に収まると思われる。東鳴川町502の境界にあたる区間に限り、測点の位置が大きく誤っており、実際には北側に数十メートル膨らんでいたなどとは到底考えられない。
また乙第176号証の4及び乙第177号証の4を見ると、山林掘削が元々の本件境界を越えていたことは明らかである。山林掘削当時、東鳴川町502の本来の北端である第52号測点から北東方向に20mほどのところまで掘削が進められたと考えられる。また、乙第176号証の5及び乙第177号証の5を見ると、防護柵の位置が、元々の本件境界をも越境していることがわかる。
(2) 鳴川村実測全図と航空写真の「距離基点」に基づく重ね合わせによる検証
鳴川村実測全図記載の「距離基点」を、「距離基点」に対応するピーク(山頂)に一致させる形で、鳴川村実測全図を年代ごとの航空写真と重ね合わせ、鳴川村実測全図の村界が、現在も行政界となっている地形や地物に一致することを以下のとおり確認する。
ア 不動点について
鳴川村実測全図記載の村界の第1測点は、鳴川村実測全図南端中央付近にあったが特に不動点のようには思われない。一方、北東のピークに「距離基点」と書かれている丸印があり、その中央に赤い線で小さな三角印が描かれていた(乙178)。鳴川村の南と西にも赤い線で小さな三角印が描かれており、それら小さな三角印を結ぶ形で赤い線が引かれ、赤い線の脇には方角と距離が書き込まれていた。そこで、これら小さな三角印を、「距離基点」と書かれた三角印から時計回りに、「基点A」「基点B」「基点C」とする(乙180)。
イ 重ね合わせた地図について
(ア) 昭和46(1971)年測量 1:5,000 国土基本図 VI-0D 77
〈村田商店代表乙の父〉の掘削より前の昭和46(1971)年に測量された国土基本図(以下、「国土基本図」という。)である。この国土基本図では、東鳴川町の南端部が地図に含まれないため、後述「(イ)」の奈良市都市計画図で補った。(乙179の1)
(イ) 奈良市都市計画図
奈良市都市計画図は奈良市地図情報公開サイト(https://naracity.geocloud.jp)からダウンロードした。奈良市都市計画図は、平成19(2007)年に国土地理院が測量して作成した地図がベースとなっている。(乙179の2)
ウ 重ね合わせ方について
(ア) 回転
基点間の距離が鳴川村実測全図記載のもの(基点A-Bは1147m、基点B-Cは1026m、基点C-Aは912m)と一致するよう縮尺を調整した。なお、村界の実測値は考慮していない。
(ウ) 航空写真の重ね合わせ
航空写真は地形と地物が国土基本図及び奈良市都市計画図と一致するように重ね合わせた。すなわち、航空写真と鳴川村実測全図は、表示されていない国土基本図及び奈良市都市計画図を介して重ね合わされている(非表示レイヤーに乙第180号証があり、合成時にはこれを表示して道路や川などを合わせた)。
(エ) 基点の位置合わせ(乙180)
あ 奈良市都市計画図と国土基本図では、基点A付近にあるピークの位置が異なっているが、尾根線との位置関係から、国土基本図記載のピークがある位置を、基点Aとした。
い 基点Aを国土基本図記載のピークに一致させる形で、鳴川村実測全図を1961年の航空写真と重ね合わせたところ、鳴川村(東鳴川町)南端付近の山林が基点Bとなった(乙181の1)。ただわずかに基点B付近の村界が、村界を形成するはずの地形とずれていたため、付近の地形が鳴川村実測全図の村界に一致するよう鳴川村実測全図の縮尺を微調整した(回転させたり縦横比を変えたりはしていない)。
う 「あ」及び「い」により、鳴川村西の子尾根の突端が基点Cとなった。この位置が子尾根の突端であることは、国土基本図の等高線からわかる(乙180)。ここは府県境の道の南側にある子尾根の上にあたるが、実際現地に行くと子尾根の突端は、道からかなり高い場所にあり、樹木がなければ遠くまで見渡せると考えられる。
エ 正確性の検証
(ア) 鳴川村(東鳴川町)の行政界の特徴
東鳴川町は木津川市と接する北側は尾根線が境界となっているが、東側は必ずしも尾根線が境界となっておらず、境界の位置がわかりにくい。一方南側と西側には、山林と田畑の境目や水田区画が境界となっている場所がある。
(イ) 1961年の航空写真との重ね合わせ(乙181の1)
村界が、航空写真上の、北側の尾根線のほか、南側の田畑の区画や山林と田畑の境目によく一致している。
(ウ) 1975年の航空写真との重ね合わせ(乙181の2)
東側の山林においても、村界が航空写真上の林相の境目によく一致している。
(エ) 2008年の航空写真との重ね合わせ(乙181の3)
村界が航空写真上の被控訴人による掘削範囲を斜めに横切っているのがわかる。
(オ) 2021年の航空写真との重ね合わせ(乙181の4)
残土処分場などの開発により、南東部の地形が失われたが、逆に東端やや南付近では、円弧を描いて緑が残されていることで、そこに村界と一致する境界があることがわかる。また、村界が被控訴人による掘削範囲を斜めに横切り、村界を越えた場所にもコンテナなどが置かれている様子が見て取れる。
(カ) 乙第177号証の1ないし5との比較
乙181の1ないし4を、実測値に基づいて鳴川村実測全図を各年代の航空写真に合成した乙第177号証の1ないし5と比較すると、ほとんど同じ位置に村界が描かれていることがわかる(乙181では1985年の航空写真(枝番3)が省略されているので、以降枝番号がずれていることに注意されたい)。別の方法で重ね合わせた合成図にもかかわらず、村界の位置がほとんど変わらないことは、鳴川村実測全図の正確性を反映するものと言える。
オ 小括
以上のとおり、偏角を補正した上で、基点間の距離について縮尺を合わせ、「距離基点」(基点A)を一致させる形で、鳴川村実測全図を、国土基本図及び奈良市都市計画図の他、各年代の航空写真に重ね合わせたところ、鳴川村実測全図の村界が全体にわたって、それら図面や航空写真と概ね一致することが確認できた。したがって、鳴川村実測全図は、少なくとも村界については正確である。
2 国土基本図の等高線に基づく、山林掘削前の尾根線の探索
(1) 本人尋問・証人尋問において〈村田商店代表乙〉と〈村田商店代表乙の父〉は、甲第7号証の4を参照して、108・202点付近の赤田川川縁に、赤田川北岸の府県境があり、そこから202点付近を経て310点付近を通り、掘削面の縁沿いにゆるやかな半円を描く線が、本件土地境界だと、両人とも同様に主張したが、被控訴人が自らが正しいと信じる本件境界を明らかにしたのはこれが最初である(〈村田商店代表乙の父〉調書23-25頁、〈村田商店代表乙〉調書5-6頁)。
また被控訴人は、原告第1準備書面においては「〈東鳴川Cの亡父〉は、歩いて、〈村田商店代表乙の父〉に境界を示してくれたところ、その示されたところを境に、樹木の塊りや成育状況など、林相に差異が見られた。そのため、〈村田商店代表乙の父〉は、その〈東鳴川C〉の境界の指示に従い、その範囲までが借地の範囲と認識して、以降の掘削工事を行ってきたのである。」(10頁)と述べていたし、〈村田商店代表乙の父〉は陳述書においても「亡〈東鳴川Cの亡父〉と〈東鳴川C〉は、歩いて、私に境界を示してくれたのでした。その亡〈東鳴川Cの亡父〉らから示されたところを境に、樹木の塊りや成育状況など、林相に差異が見られたので、私は、それが、山林の境界だと認識することができたのでした。」(2頁)と述べていた。ところが、被控訴人は、原告第7準備書面で初めて、被控訴人が正しいと信じる本件境界が「山林の境界とされることが多い」尾根線であると主張した(原告第7準備書面6〜7頁)。
そのため、これまで控訴人が、本件境界と尾根線を結び付けて主張することはなかったが、被控訴人が原審の最後に提示した新たな主張を受け、ここでは〈村田商店代表乙の父〉の掘削より前であることが明らかな、昭和46(1971)年測量の国土基本図(乙179の1)記載の等高線に基づき、山林掘削前の尾根線を探索する。
(2) 乙第182号証では、国土基本図を用いて、等高線が突出した箇所を繋ぐ方法で探索した、山林掘削前の元々の尾根線を、オレンジ色の線で示した。尾根線の探索にあたっては、影のつき方で比較的尾根線の位置がわかりやすい昭和50(1975)年3月14日撮影の航空写真や昭和60(1985)年11月3日撮影の航空写真を国土基本図に重ね合わせた合成図も参照した(乙183の2・3)。
(3) また鳴川村実測全図などを重ね合わせた各年代の航空写真と見比べることができるよう、乙第176号証及び乙177号証と同じ縮尺で、各年代の航空写真と国土基本図を重ねたものが、乙第183号証の1ないし5である。
年代ごとにこれらの合成図を見比べると、国土基本図の等高線から探索した尾根線が、鳴川村実測全図の村界にほぼ一致することもわかる(乙183の6)。
(4) 乙第183号証の4を見ると、等高線の形状から、少なくとも、被控訴人による掘削範囲の外縁あるいは北側に、尾根線がなかったことは明らかである。
(5) 乙第183号証の5を見ると、元々の尾根線の位置を越えて、防護柵が設置されていることがわかる。
(6) 被控訴人が主張する本件境界は、そこが元々の尾根線であることが、その根拠とされている(原告第7準備書面6〜7頁)。ところが、以上のとおり、国土基本図の等高線に基づき、元々の本件境界と思われる山林掘削前の尾根線を復元すると、復元された尾根線が、鳴川村実測全図の村界に近い位置に存在し、被控訴人による掘削範囲を斜めに横切ることが確かめられた。したがって、被控訴人が主張する本件境界が尾根線ではないことは、山林掘削前に測量された国土基本図記載の等高線から明らかである。
(7) しかし、山林掘削前に現地を何度か通り、山の形を見たことのある者であれば、どこに尾根線があったか、大体の位置は覚えている。少なくとも被控訴人が主張するようなところに尾根線が降りてきていなかったことは、山林掘削前の山を見ていれば、当時の等高線を確認せずともすぐにわかることで、当然控訴人も被控訴人が主張するような場所に尾根線がなかったことを記憶している。山林掘削前の山容を覚えている者からすれば、被控訴人の主張する「境界尾根」は荒唐無稽としか言いようがないものである。
なお、控訴人は、平成27(2015)年7月3日に奈良市の認定市道を調査するために奈良市土木管理課を訪れ、奈良市の認定市道が記載された大きな地図帳を閲覧し、許可を得て一部撮影しているが、その地図帳は昭和46(1971)年測量の国土基本図をベースにしていると思われ、山林掘削前の等高線が記載されていた(乙184)。したがって、控訴人は本件記事公開前に、山林掘削前の等高線が描かれた地図を確認し、その地図を写真に撮った上、資料として保存している。
3 まとめ
鳴川村実測全図は、実測値に基づく航空写真との重ね合わせ、及び、「距離基点」を一致させる形での航空写真との重ね合わせの両方で、鳴川村実測全図の村界は、村界を形づくる航空写真上の地形や地物と、村界の全体にわたってよく一致することが確かめられた。また、山林掘削前に測量された国土基本図の等高線に基づき、元々の尾根線を探索したところ、元々の尾根線が鳴川村実測全図の村界に近い場所にあることも確かめられた。したがって、鳴川村実測全図の正確性はかなり高いと言うべきであり、被控訴人が主張する本件境界は尾根線ではあり得ず、被控訴人が主張する本件境界には根拠がない。
控訴人(一審被告) 遠藤 千尋
被控訴人(一審原告) 株式会社村田商店
証拠申出書
証人尋問・当事者尋問の申出
1 証人
〈通行人〉(尋問時間約15分。同行)
- (尋問事項)
-
- 〈通行人〉と控訴人の関係について。
- 〈通行人〉と控訴人が最初にやりとりをした日について。
- 〈通行人〉が平成27(2015)年11月12日に村田養豚場の間にある市道を通過した際、〈村田商店代表乙の父〉から罵詈雑言を浴びせられ、恫喝され怖い思いをしたことについて(乙137、167)。
- 〈村田商店代表乙の父〉が、府県境の道の入り口で見張っていたため、来た道を引き返すことができず、奈良まで出てバスで車を停めてあった浄瑠璃寺まで戻るしかなかったことについて。
- その他上記に関連する一切の事項
2 被告本人 訴状肩書地
遠藤 千尋 エンドウ チヒロ(尋問時間約30分)
- (尋問事項)
-
- 控訴人が平成27(2015)年11月4日に草刈りをした際、〈村田商店代表乙の父〉と〈村田商店代表乙〉と交わした会話について。
- 1の会話の中で、〈村田商店代表乙の父〉が被控訴人を恫喝したことについて。
- 控訴に際し、新たに追加した書証について。
- 本件境界について、その後の調査で判明したことについて。
- その他上記に関連する一切の事項
控訴人(一審被告) 遠藤 千尋
被控訴人(一審原告) 株式会社村田商店
控訴人(一審被告)証拠説明書(10)
- 【乙第147号証】被控訴人の設置した立入禁止の看板(写し)
- 作成日:各写真に記載
- 作成者:(1)(2)控訴人/(3)(4)加茂の水と緑を守る会(文字や線は控訴人)
- 立証趣旨:被控訴人が設置した立入禁止の看板はその先が被控訴人の敷地であるようにしか見えないものだったこと。
- 【乙第148号証の1】2014年3月の天気一覧(写し)
- 作成日:R4.6.15
- 作成者:気象庁
- 立証趣旨:林の出口付近に不自然な倒木が多数あった頃、荒れた天気の日はなかったこと。
- 【乙第148号証の2】2014年3月28日の林の出口(写し)
- 作成日:H26.3.28
- 作成者:被告
- 立証趣旨:林の出口付近に不自然な倒木が多数あったこと。
- 【乙第149号証】登記事項要約書(写し)
- 作成日:H27.1ごろ
- 作成者:奈良地方法務局
- 立証趣旨:養豚場南側の私道付近の土地所有者が大阪の不動産業者であること。
- 【乙第150号証】【回答】奈良市の法定外管理物(里道)と衛生管理区域の設定について(写し)
- 作成日:H28.6.14
- 作成者:農林水産省 消費・安全局 動物衛生課
- 立証趣旨:農林水産省が、衛生管理区域は公道の占拠を認めるものではないと回答したこと。
- 【乙第151号証】飼養衛生管理基準遵守指導の手引き(豚及びいのししの場合)(写し)
- 作成日:R3.10.5
- 作成者:農林水産省 消費・安全局 動物衛生課
- 立証趣旨:農林水産省が、衛生管理区域は公道の占拠を認めるものではないと回答したこと。
- 【乙第152号証】飼養衛生管理区域における占用許可に関する協議(写し)
- 作成日:R3.11.9
- 作成者:木津川市管理課 駒 文敬
- 立証趣旨:奈良県が木津川市に説明した国からの回答。
- 【乙第153号証】衛生管理区域の考え方について(疑義照会)(回答)(写し)
- 作成日:疑義照会=R3.12.3/回答=R3.12.9
- 作成者:疑義照会=奈良県畜産課長 坂口真治/回答=農林水産省消費安全局動物衛生課 古庄宏忠
- 立証趣旨:農林水産省の回答が奈良県の説明と異なること
- 【乙第154号証】ご報告(木津川市案件)(写し)
- 作成日:R4.2.2
- 作成者:〈衆議院議員X〉事務所
- 立証趣旨:〈木津川市議O〉木津川市議が〈衆議院議員X〉衆議院議員に依頼して農水省に照会した結果、農水省が奈良県の説明にあるようなコメントをしていないと明言したこと。
- 【乙第155号証】飼養衛生管理区域に接する市道の取り扱いについて(写し)
- 作成日:R4.2.3
- 作成者:木津川市管理課 西村訓宏
- 立証趣旨:木津川市が、農水省の回答が奈良県の説明と異なることを把握したこと。
- 【乙第156号証】(株)村田商店の占用許可条件変更について(写し)
- 作成日:R4.2.21
- 作成者:木津川市管理課 駒 文敬
- 立証趣旨:木津川市が、農水省の回答が奈良県の説明と異なることを奈良市に指摘したこと。
- 【乙第157号証】(株)村田商店に対する市道(加2092号)占用許可について(写し)
- 作成日:R4.2.25
- 作成者:木津川市管理課 中島雄介
- 立証趣旨:被控訴人が防疫上20頭の犬を衛生管理区域内で放し飼いにすることが必要と主張し、奈良県がそれを追認していること。
- 【乙第158号証】(株)村田商店に対する市道(加2092号)占用許可の3者協議(写し)
- 作成日:R4.3.22
- 作成者:木津川市管理課 中島雄介
- 立証趣旨:奈良県が犬の放し飼いについての判断を保留するよう求めていたこと。木津署が市道を通れなかったと言う通報が年数件あると述べていること。
- 【乙第159号証】行政文書不開示決定通知書(写し)
- 作成日:R4.6.8
- 作成者:農林水産大臣 金子原二郎
- 立証趣旨:農水省と奈良県が使用衛生管理基準について協議しているがわかる文書が存在しないこと。
- 【乙第160号証】木津川市道周辺を自由に徘徊する犬(写し)
- 作成日:写真中に記載
- 作成者:控訴人
- 立証趣旨:現在も公道上を多数の犬が徘徊していること。
- 【乙第161号証】(株)村田商店による市道(加2092号)占用箇所の現地確認(写し)
- 作成日:R4.3.25
- 作成者:木津川市管理課 中島雄介
- 立証趣旨:木津署が被告訴人が道路を封鎖し排他的に使用しており、重機が作業しているため通行不可能と判断したこと。
- 【乙第162号証】村田商店防護柵への掲示物確認(写し)
- 作成日:R4.3.25
- 作成者:奈良県畜産課 浦田博文
- 立証趣旨:被告訴人が市道上の門扉に通行に当たって防護服を着用することなどをお願いする看板を掲示したこと。
- 【乙第163号証】本件土地1での新豚舎建設(写し)
- 作成日:写真中に記載
- 作成者:控訴人
- 立証趣旨:被控訴人が本件土地1購入後新豚舎の建設を始めたこと。
- 【乙第164号証】市有土地境界確定(9木管第7-85号)に関する協議(写し)
- 作成日:R3.10.14
- 作成者:木津川市管理課 中島雄介
- 立証趣旨:木津川市が本件原確定図にある本件境界について当時の当事者間で合意があったと明言していること。
- 【乙第165号証】市有土地の境界確定について(木津川市加茂町西小長尾2、長尾谷1ー乙)(写し)
- 作成日:H19.11.20
- 作成者:木津川市管理課 久保田明
- 立証趣旨:本件境界について当事者の合意があったことを示す署名と印影。
- 【乙第166号証】行政文書不存在決定通知書(写し)
- 作成日:R4.6.9
- 作成者:奈良市長 仲川元庸
- 立証趣旨:奈良市が本件原確定図にある本件境界について何の検討もしていないこと。
- 【乙第167号証】陳述書(2)(原本)
- 作成日:R4.6.24
- 作成者:〈通行人〉
- 立証趣旨:通行人が〈村田商店代表乙の父〉に恫喝されたこと。
- 【乙第168号証】〈村田商店代表乙の父〉に恫喝された通行人との最初のやりとり(写し)
- 作成日:H27.11.09
- 作成者:〈通行人〉・遠藤千尋
- 立証趣旨:控訴人が〈通行人〉と初めてやりとりしたのが平成27(2015)年11月9日だったこと。
- 【乙第169号証の1】〈村田商店代表乙の父〉の罵声音声(写し)
- 作成日:R1.12.7 10:41:08
- 作成者:〈加茂町Bの長女〉
- 立証趣旨:意に沿わない相手に対する〈村田商店代表乙の父〉の対応。
- 【乙第169号証の2】〈村田商店代表乙の父〉の罵声音声(文字起こしと資料)(写し)
- 作成日:R1.12.7
- 作成者:〈加茂町Bの長女〉
- 立証趣旨:168-1の文字起こしと録音場所の位置図。
- 【乙第170号証】苦情相談等受理処理票(写し)
- 作成日:R1.8.16
- 作成者:奈良警察署
- 立証趣旨:名古屋から自転車で旅をしてきた人が養豚場の間にある市道を通行しようとしたところ、〈村田商店代表乙の父〉の言い方に腹を立て、激しい口論となり警察が呼ばれたこと。
- 【乙第171号証】明治前期の地籍図 その2 地籍編成事業で調製の地籍地図(写し)
- 作成日:S58.3
- 作成者:佐藤甚次郎
- 立証趣旨:行政界確定が重視された地籍地図は、境界については比較的正しく描かれていること。
- 【乙第172号証】明治以降の地籍と地図の歴史(抜粋)(写し)
- 作成日:H30.8.7
- 作成者:国土交通省 土地・建設産業局 地籍整備課
- 立証趣旨:明治20(1887)年に基準となる測量機器が定められるなど、当時最新の測量技術が普及しつつあったこと。
- 【乙第173号証】鳴川村実測全図・作成者情報の拡大写真(写し)
- 作成日:M22.10.12
- 作成者:鳴川村戸長 罡村鑛治郎
- 立証趣旨:測量業者や測量器械の記述
- 【乙第174号証】オルソ画像について(写し)
- 作成日:不明
- 作成者:国土地理院
- 立証趣旨:航空写真ではレンズの中心から離れるほど高低差がある地形やものの位置ずれが生じること及びその補正方法
- 【乙第175号証の1】鳴川村実測全図・東鳴川町502付近の拡大写真(写し)
- 作成日:R4.3.25
- 作成者:鳴川村戸長 罡村鑛治郎
- 立証趣旨:実測値に基づく測点が、実測全図記載の測点と概ね一致すること
- 【乙第175号証の2】測点区間ごとの方角と距離(写し)
- 作成日:R4.3.25
- 作成者:遠藤千尋
- 立証趣旨:鳴川村実測全図の第45号測点から第67号測点までの測点区間ごとの方角と距離
- 【乙第176号証の1ないし5】各年代の航空写真と実測値測点・補正後測点の合成図(写し)
- 作成日:R4.3.25
- 作成者:航空写真:国土地理院/合成図:遠藤千尋
- 立証趣旨:鳴川村実測全図の実測値に基づく測点の位置、及び、偏角補正後の測点が府県境(尾根線等)と一致すること
- 【乙第177号証の1ないし5】各年代の航空写真と鳴川村実測全図の合成図(写し)
- 作成日:R4.3.25
- 作成者:航空写真:国土地理院/実測全図:鳴川村/合成図:遠藤千尋
- 立証趣旨:鳴川村実測全図の村界が府県境(尾根線等)と一致すること
- 【乙第178号証】鳴川村実測全図・距離基点と第1測点の拡大写真(写し)
- 作成日:M22.10.12
- 作成者:鳴川村戸長 罡村鑛治郎
- 立証趣旨:距離基点と第1測点の位置
- 【乙第179号証の1】1:5,000 国土基本図 VI-0D 77(写し)
- 作成日:S46.10
- 作成者:国土地理院
- 立証趣旨:山林掘削前の等高線
- 【乙第179号証の2】奈良市都市計画図(写し)
- 作成日:H19.12
- 作成者:国土地理院
- 立証趣旨:東鳴川町付近の奈良市都市計画図
- 【乙第180号証】奈良市都市計画図・国土基本図・鳴川村実測全図の合成図(写し)
- 作成日:R4.7.10
- 作成者:国土基本図・奈良市都市計画図:国土地理院/実測全図:鳴川村/合成図:遠藤千尋
- 立証趣旨:奈良市都市計画図・国土基本図・鳴川村実測全図の合成図
- 【乙第181号証の1ないし4】各年代の航空写真と鳴川村実測全図の合成図(写し)
- 作成日:R4.7.10
- 作成者:航空写真:国土地理院/実測全図:鳴川村/合成図:遠藤千尋
- 立証趣旨:距離基点を一致させる形で、鳴川村実測全図と各年代の航空写真を重ね合わせると、広範囲にわたって地形や地物に一致が見られること
- 【乙第182号証】国土基本図による尾根線の探索(写し)
- 作成日:R4.7.10
- 作成者:国土基本図:国土地理院/尾根線:遠藤千尋
- 立証趣旨:山林掘削前の国土基本図の等高線から読み取れる尾根線の位置
- 【乙第183号証の1ないし6】奈良市都市計画図・国土基本図・鳴川村実測全図の合成図(写し)
- 作成日:R4.7.10
- 作成者:航空写真・国土基本図:国土地理院/実測全図(6のみ):鳴川村/合成図:遠藤千尋
- 立証趣旨:国土基本図から探索した尾根線が鳴川村実測全図の尾根線近くにあること、及び、被告が主張する位置に尾根線がないこと
- 【乙第184号証】奈良市の認定市道地図(写し)
- 作成日:作成:不明/撮影:H27.7.3
- 作成者:作成:奈良市/撮影:遠藤千尋
- 立証趣旨:控訴人が本件記事公開前の平成27(2015)年に山林掘削前の等高線が書かれた地図を見ていること。
- 【乙第185号証の1ないし3】筆界確認書(写し)
- 作成日:R1.10.26
- 作成者:土地家屋調査士 柳井一恭
- 立証趣旨:本件境界にあたる参考線が本件原確定図の府県境線近くにあること。